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龍の箱庭  作者: 遠戸
9/18

9.一過

 鎌鼬の肝を充分に集めるには、結局数日を要した。

 それを礼慎の元へ届けてユエと貞慎が龍塞に戻ると、既に辺りは暗くなっているというのに犀慎は薬草を検めていた。薬草の状態からすると、今日採取してきたものだろう。

「……姉上、遅くなりました」

「ああ、お帰り。父上から話は聞いている。大変だったな」

「いえ……この冬の支度ですか?」

「ああ。あちらには琥珀と翡翠もいるからな。充分だろう」

 大きな笊に広げられているのは風邪の時などに処方する解熱などの効果のある薬の材料となるものだ。毎年この時期に採取するが、量が例年より随分多い。

 採り尽くしてしまっては、次は望めない。畑で栽培している薬草でさえ、種を取る分は残したりと、必ず次を考える。必要な分だけ採取するのが薬師の鉄則である。

 それをユエに教えた犀慎がそのような事をしているのには理由があるのだろうと思っていると、問うより早く貞慎が説明をしてくれた。ユエの様子から察したのだろう。

「……妖鳥がトランとラグナの国境辺りに出る年は性質の悪い風邪が流行るんだ。何らかの因果関係があるんだろうけど、まだよくわからない。とりあえず、薬が必要になるのはわかっているから、父上が妖鳥退治の対応に当たっている間に姉上が風邪の薬を用意しているって訳」

 トラン王国建国より前から蓄積された情報から導き出された予測に従って犀慎は動いていたらしい。地震の時も思ったが、前もって準備出来れば、負担を軽減出来るし精神的にも余裕が生まれる。トラン王国で薬師をするのならば、知っておくべき事だろう。

 トラン王国に限らず、暁国には暁国の、京華国には京華国のそういった決まり事のような事象があるのだろう。いずれそれも学ぶ事になるだろうが、今は妖鳥との因果関係が気になる。

「成程……妖鳥が風邪の原因になる何かを持ち込んでしまったりするんでしょうか?」

「妖鳥が出る辺りから流行るんだけど、出てすぐって訳でもないからな……潜伏期間が長いのかもしれないし、妖鳥自体ではなくて付随する事象に原因があるのかもしれない。色々考えてはみるんだけど、トランだけでなくラグナでも流行るからね。妖鳥が原因の患者もいるし、結局は調べる余裕はないんだ。放って調査する訳にもいかないしね」

 苦笑する貞慎に、犀慎も頷いている。

 龍塞では下界での出来事への過剰な手出しは自然の流れを変える事だと制限されている。薬師の性であろう、苦しむ者達を助けたいという思いが強い慎家の者達には、なかなかに堪える制限なのだが、琥珀達の故郷の傍で起こった地震や礼慎が住むトラン王国での事などは関係者が身内だという事で見逃されている。それを利用して、慎家の者達は言い逃れ出来る程度に手を広げるのだ。

「……それで、お前達の方はどうだった?こういう言い方もどうかとは思うが、丁度良かっただろう?」

 不意に犀慎に問われて、ユエの鼓動が跳ねる。

 短刀を試してくると言って下界に下りたのだ、無論、短刀の事だろう。 

 とんでもない切れ味に加えて術の威力が増大するという一介の薬師が持てるようなものではない武器なので人前では使えない、と琥珀達は問われた際に答えていた。犀慎も非常事態を想定して贈った物であったようで、必要な時に役に立てば良いと言っていた。ユエとは違い、使い場所を選ぶだけで二人は使いこなす事は出来るだろう。だが、ユエには思うようには使いこなす事は不可能だ。単純に素晴らしい切れ味を生かすだけの使い方をするにも、魔獣や妖と相対した際に術を一切使わないという訳にはいかないので術の制限の為に手を加える必要がある。使いこなせない事を責められたりはしないだろう。だが、手を掛けさせてしまう事に対する申し訳なさと、もしかするとユエに使いこなせない物を贈ってしまった事を犀慎の方が気に病むのではないかという懸念がある。犀慎がいつもユエに心を砕いてくれている事は痛い程に知っているのだ。

 いつか欲しかった、そして絶対に手放したくないこの短刀を肌身離さず持ち歩くにはきちんとした説明が必要だ。だが、どう言えば犀慎が気に病まずに済むのか。問われたらどう答えようかと考えていたが、上手い言葉など見つからない。いっそ力不足を詰られる方がまだ良いとさえ思う。

 前置きしつつも丁度良かったなどという言葉を使う事にやはり抵抗があるのか、苦笑交じりの犀慎にユエの喉が鳴る。返答に困るユエに、察した貞慎が代わりに口を開いた。

「……俺達とは術自体が異なる所為か、あれをユエが使いこなすには相当な数の精霊との契約が必要になり、あまり現実的ではないかと。そして、かなり威力が上乗せされるので下手に使うと周囲を巻き込みかねないので、抜くまでは力が発動しないような細工を施し、いざという時のみの使用という事にするべきというのが現時点での感想ですね。それから、琥珀が気付いてくれて試したのですが、火の精霊の術に関しては威力の減退が見られるかと思ったのですが、上昇も減退もありませんでした」

 ユエがどう伝えようかと思い悩んでいた事柄を躊躇いなく淡々と貞慎は口にする。

 薬師故、という部分もあるのだろうが、貞慎と犀慎は普段からこういう話をする時は感情を挟まずにただ事実を述べる。犀慎の反応を気にして言葉に詰まっていたユエは、心臓がきゅっと縮んだような思いがする。言い辛かったのは確かだが、自身でもう少し柔らかい言い方を探すべきだったと思わずにはいられない。

 事実、犀慎はユエの危惧した通りの反応を返す。

「……そうか。琥珀が気付いてくれたか。朱夏と話した時にユエに試してもらおうと言っていたんだが、伝え忘れていた。琥珀は本当にユエを気に掛けてくれているな。しかし……いざという時に多くの精霊の中から見合った精霊を選ぶのも難しかろうし、ユエにはあまり向かなかったか……。あれを贈った所為で気に病ませてしまったな、すまない。」

 眉根を寄せて、本当にすまなそうな顔で詫びる犀慎に、己が不甲斐なさを思う。

「違います!俺は、すごく嬉しかったんです。琥珀さんと翡翠さんが頂いていたのを見て、俺もいつかと思ってましたし、父さんと母さんの事まで考えて贈ってくださって……俺、これが良いんです。これを使えるようになりたい!!」

 ただ、犀慎は悪くないのだと、そして他の物ではなくこれが良いのだと、この短刀を手放したくないのだと、感情だけで訴える。

 必死なユエに静かに頷くと、犀慎は穏やかに返す。

「……わかった。貞慎の言う通り、抜くまで発動しないような細工とあとは術もまともに使えるように何か考えよう。暫く、時間をくれるか?」

「はい!」

「うん。ならば、今日はゆっくり休みなさい。明日からはユエにも手伝ってもらう」

「はい。頑張ります」

 ユエが場を辞すると、犀慎は小さく息を吐いた。

「……また、気を遣わせてしまったな……」

 こういう事ばかりなのがいけないのだろうと犀慎は内心自嘲する。

 だが、ユエの方に気を取られている貞慎は、犀慎が存外重く考えている事に気付かない。

「ユエがあれを本当に喜んだのも、ずっと手放したくないのも本当ですよ」

「……」

 変わらない犀慎の表情からは、貞慎の言葉をどう受け取ったのかはわからない。それ故、貞慎はそのまま切り出した。

「そこで、です。ユエに加護をあげたらどうですか?」

「……まあ、問題はとりあえず解決するが、折角これまでに得て来たものが無駄になる可能性がある上に、使いこなすには時間が掛かるだろう。だが、ユエに与えられている時間は短い。最善とは言えないな」

「短刀を試した際に、ユエに加護の話をしました。折角の良い物なのに使えないのは申し訳ないし情けないと言うものですから。不利益も考えた上で、ユエは加護が欲しいと言いましたよ」

 言われてすぐに言葉を返せる程には加護に行きつく事は自然だ。だが、犀慎も簡単には頷けない。今までの術の扱い方を教える為の繋がりは一時的なもので、束縛とも取れるような影響はない。だが、加護となればユエがこれまで精霊達と交わしてきた契約にも影響を与えてしまう。加えて犀慎がユエの行動を監視する事すら出来てしまう。

 それはユエには負担になる事だろうと犀慎は考えている。

「……私よりも、お前の方が良いんじゃないか?」

「えっ?何を仰って……」

「私はユエの信用を失っているようだからな……」

「はあ!?」

 貞慎は開いた口が塞がらない。

 あれだけ犀慎を慕って思い悩んでいるユエの何がどうしたらそうなるのか?

「言っていただろう?邪魔になるまで、と。つまり、私はユエを邪魔に思うような輩だと思われているという事だろう?我ながら、信用のない事だ……」

「あ~……」

 犀慎の皮肉交じりの自嘲は、ユエの事情を知っている者達からすれば盛大な勘違いだ。犀慎も、常ならばこんな穿った考え方はしない。だが最近、犀慎はユエとぎくしゃくしている事もあって、接し方に悩んで煮詰まっている。常ならばしない思考に陥りもするだろう。

 慎家では多少ましな部類ではあるものの、貞慎も結局は五十歩百歩の同類だ。だから、そう判断してしまう犀慎の思考も理解出来てしまう。だからといって、ここで同調する訳にはいかない。

「……姉上。確かにユエの発言はそうとも取れます。ですが、ユエに限って姉上を信用していないなんて事はありません」

「いや、そう考えると、私には言えないという事も納得出来るんだ。きっと、私が何かユエの信頼を損なうような事を仕出かしてしまったんだろうな……」

「姉上の考え過ぎです。あの子はそもそも遠慮が過ぎる所がある。きっと度の過ぎた気遣いです」

 貞慎の言葉は、犀慎には気遣いにしか感じられない。

「……そう、だといいが……。だが、正直もうあの子にどう接すればいいのかわからない。出さないように努めてはいるが……結構堪えているんだよ、私も」

 片手で目元を覆って息を吐く犀慎に、貞慎はまずい事になったと焦る。犀慎は考え過ぎて迷走し始めている。

 一先ずは犀慎も少し休むべきだと告げて今日の所は休ませると、貞慎はユエの元へ向かった。


「ユエ、困った事になった」

 部屋を訪れるなり貞慎から向けられた言葉に、ユエは何事かと目を瞬かせる。

 常の貞慎らしくもなく、入るぞと一声掛けただけで了承を得る事もない冷静さを欠いた様子も然る事ながら、ユエ自身もさっと湯で身を清めて、濡れ髪に上半身は裸のまま先程貞慎から聞いた妖鳥が出ると悪質な風邪が流行るという情報を書き付けていた所だったのだ。

 貞慎はそのままでいいと言ったが、幼い頃から身だしなみについて犀慎に言われて来たユエは慌てて上衣を羽織りながら話を促す。

「困った事って……何かあったんですか?」

「トランへ行く前のお前の発言が原因で、姉上がとんでもない勘違いをしている」

「勘違い……?」

 この所幾度も繰り返してしまっているような、ユエとの距離感に敏感になっている犀慎を思い煩わせてしまう態度には残念な事に自覚がある。おそらくはそれが起因となってしまっているのだろう思うが、困惑は窺えても犀慎がどのように感じているかは殆ど聞いた事がない。

 何をどう勘違いしているのか。それを聞いたユエは顔色を失う事になる。

「そうだ。姉上はお前の信用を失っていると考えている。だから姉上には何も言えないのだと。確かに納得のいく理由にはなっている」

「えっ?何でそんな……」

「あの時、お前が言った言葉を覚えているか?いつまでも居て良いと言う姉上に、お前が返した言葉だ」

「ええと……犀慎様の邪魔になるまではここに居させてくださいといったような事を言ったと思います」

 ユエの気持ちを知っているからこそ、ユエが衝撃で思考を停止させる前に全てを伝えようと食い気味に貞慎も言い募る。

「それだ。邪魔に思うような者だと思われている、とそのまま解釈されたんだ」

「まさか!そんなこと一度だって……!」

「知っている。お前が姉上を慕うが故の事だ。姉上にもお前の遠慮からくる気遣いだとは言った。常ならば姉上もそのような捻くれた短絡的な思考はされないが、考え過ぎてもう何が何やらわからなくなっておられる。とにかく姉上はそう思っていて、お前の事は俺に任せた方が良いのではないかと考えているようだ」

 血の気の引いた青白い顔でユエは必死で思考を巡らせる。

 想うが故の事が、逆に信用していないと、まるで嫌っているかのように受け止められている。今すぐにでも否定したいが、何をどう伝えればいいのか。

 勘違いという思い込みを解くのはただでさえ難しい事だ。言えない事がある分、それは更に難しくなっている。

「俺、どうしたら……」

「とりあえず、何とか誤解を解かなければならないだろう。だが、姉上も今は常の冷静さを欠いている。とりあえず今夜は止めておけ。一晩休めば、多少なりとも落ち着かれる筈だ。二人で話せるように取り計らうから、明日話をしなさい。今は良くないが遅くなっても、より拗れそうだ」

「……はい」

「お前も落ち着いて話せるように、少し頭を整理しておきなさい」

 そう言い置いて貞慎は去ったが、整理どころか困惑の極みだ。もう休むどころではない。

 結局、ユエはその夜一睡も出来ずに朝を迎えた。

 二人で話せるようにするとは言っていたが、貞慎はどうするつもりなのか。おそらくは何らかの理由で貞慎は席を外して、その間に話すという事になるのだろうとユエは思っていた。

 その予想が覆されたのは、朝食の席だった。

「姉上、きちんとユエと話をしてください。色々と思う所はおありでしょうが、このままでは些細な行き違いが積み重なって取り返しのつかない事になりそうな気がします」

 その朝は久々の暁の朝食だった。炊き立ての白いご飯に味噌汁、漬物、川魚の甘露煮という生まれた村で食べていた物よりは少々豪華だが素朴な食事だ。

 その後を考えると緊張で味もわからない状態で食べていると、唐突に貞慎が話があると切り出したのだ。

 正攻法も正攻法、真正面からの言葉にユエから切り出す必要はなくなったのだが、逃げ場はなくなった。

「……そうだな。ユエ、少し話そう。頭であれこれ考えても、結局は私の想像でしかないのだから解決しない。きちんと向き合わなくてはな」

 そして、犀慎も同意した。どこか寂し気にも見える表情は、自省や自嘲の感情からくるものだろう。

 犀慎が悩む事ではないのに思い悩ませて、こんな顔をさせてしまっている。向き合う覚悟を決めるのは己の方だ。逃げてはいけない。何をどう話せばいいのか整理も付いていないが、とにかく誤解を解かなければとユエも腹を決めて話し合いに臨んだ。


 朝食後、日課の薬草の手入れは貞慎に任せ、犀慎とユエは朝食を取ったその席で向き合っている。

「ユエ、正直に言って欲しい。私はお前の信頼を損なうような事を何かしてしまったのだろう?何をしてしまったのだろう?……私が至らないからだという事はわかるが、どれが……いや、不足が多過ぎるのがいけないのか……」

「あの……昨晩、貞慎様から少しだけお話を伺いました。でも、本当に犀慎様の誤解です。犀慎様はいつも俺の事を考えて、大事にしてくださって……」

「いや、そんな筈はない。今回の短刀の件だって、もう少し考えるべきだったんだ。そうすれば、お前を煩わせずに済んだ。お前に術を教えたのは私だというのに考えが浅かった」

 そもそも犀慎達とユエとでは術そのものが違う。犀慎が扱えない、扱った事のない方法であり、それを精霊の愛し子というユエの才能とも言える特性を考慮して工夫して教えてくれた。それだけでも、犀慎がどれほどユエに心を配っているかがわかるのだ。

「俺は、確かに犀慎様に話せない事があります。でも、それは犀慎様に原因があるのではありません。犀慎様を信用していないから話せないのではなく、俺……俺は犀慎様に嫌われるのが怖いんです」

「嫌う……?ユエを嫌う理由がどこにあるんだ?嫌うような事をユエがするとは思えないが……ああ、そうか。これまで私は私の中のユエを押し付けて我慢させていたのか……」

「ち、違います!俺、そんなに器用じゃないです」

 そんなに器用ならば、こんな風に犀慎を悩ませていない。犀慎はユエに犀慎の思う理想を押し付けて窮屈な思いをさせたのだろうと思ったようだが、己が事だというのにいつだって儘ならず、取り繕う事すら碌に出来ないユエが気付かせる事なく我慢するなどという事が出来る筈がない。

 そもそも犀慎は何かを押し付けたりはしない。最低限の事はユエに身に付けさせたが、なぜ必要なのかをきちんと説明され、ユエ自身納得の上で学んだ。料理や洗濯といった生活に必要な事も、読み書きや算学、語学も薬学も、犀慎が上手く興味を引いて教えてくれたのでユエには楽しい事だったし、今でも苦にはならない。

 だというのに犀慎の思考は完全に負の感情に取り込まれてしまっている。

「それは、嫌気も差すな……やはり、私よりも貞慎の方がユエの師として相応し……」

「ちょっと待って、犀姉!!」

 絶対に認められない言葉を犀慎が口にした。ユエはすぐさま否定しようとしたが、その時、壊れるのではないかと思うような音を立てて扉が開いた。反射的に視線を向けた先には見知った相手が立っている。

「……秋霜?」

「秋霜様?」

 突然の闖入者は秋霜で、常には飄々とした印象の男が珍しく焦りを浮かべている。

 そして、秋霜の後ろには心配で様子を伺っていたのだろう貞慎の姿もあった。

「……どうしたんだ?何かあったのか?」

 秋霜らしからぬ様に犀慎は余程の大事だろうと頭を切り替えて問うが、そんな犀慎に秋霜は嘆息する。

「何かって……ユエと犀姉に用があって来たんだけど、立て込んでるみたいだったからさ。どうしようかと思ってたら、何か不穏な話をしてるのが聞こえて……」

「……不穏か?」

「不穏だよ!だって、犀姉とんでもない勘違いしてるんだもん。そんな勘違いされたら、ユエ泣いちゃうよ?不穏でしょ?」

「確かに……」

 不穏とは大仰だと思った犀慎であったが、確かにユエが泣くのは不穏だと納得する。しかし、ユエはやはり大仰だと羞恥を覚えた。もう成人しているのだ。流石に泣きはしない。

「泣きはしないです……」

「でも、ものすご~く落ち込むだろ?」

「……はい」

 地の底まで落ちそうな位に落ち込むだろう事は事実であるし、今も崖っぷちにしがみ付いているようなものだ。

 だが、ユエを気に掛けつつもまだ犀慎はその理由には思い至っていない。

「……何が勘違いなんだ?」

「まず、ユエは犀姉が大好きだって事だね」

「ちょっ、秋霜様!!」

 思いもよらない切り出しに、ユエは思わずぎょっとして秋霜を見遣る。そのおもては色に染まっている。

「ユエも年頃だし、そういう事を言葉にするのは照れ臭いんだろうけど、そこが一番大事な所だよ?……違わないよね?」

「……っ、はい……!」

 秋霜の言葉通りの照れ臭さと敢えて伏せてくれたのだろうその奥にある恋情を見透かされる事への恐れ。それらが原因で、言われてみれば一番伝えなければいけないだろう事を伝えられていない事にユエも気付いて、羞恥をねじ伏せて首肯する。

「ユエは犀姉の事を大好きだから嫌われたくないんだよ。だから、言えない事がある。まあ、犀姉がユエを嫌うなんて事は天地がひっくり返ってもないだろうって位に想像がつかないけど……ユエは人間だけど自分が人間を好きじゃないから、犀姉がユエの事を嫌わないって自信がないんだよ」

「……貞慎達には話しているだろう?」

「そりゃ、犀姉は貞慎達とは違うもん。ユエにとって犀姉は神様みたいなものなんだよ。他の誰とも違う、特別で絶対に嫌われたくない相手だから、慎重になって変な態度になってる。人間である事に因る劣等感とかそんな感じなのかな?そういうのは周囲がどれだけ言っても、自分が納得出来なきゃどうしようもないものでしょ?自分が嫌いだと思うような人間にならない、そういう奴等とは違うってユエ自身が思えるようになったら多少落ち着くと思うよ?」

 秋霜の言葉に犀慎ばかりか貞慎も、そしてユエ自身もが驚いている。

 こう言えば良かったのかと思いもした。だが、それ以上に自分自身がよくわかっていない部分を言葉という形にしてもらった事で、急に視界が開けたようなそんな感覚を覚えたのだ。

「……私はユエの態度だとか、そういう表面上の事に囚われて……」

「犀姉も貞慎もユエが良い子だってよくわかってるし、すごく大事に思ってるからだよ。嫌う理由がないのに、嫌われるのが怖いなんて事で悩むなんて思わないのが普通だよ。俺達もユエが良い子だって事は知ってるけど、離れてた方が見える事もあるって知ってるでしょ?」

「確かに……俺も、ユエがどうして自分に自信が持てないのかまでは気付けなかったもんな……。予想外にも程がある理由で、正直驚いた」

 落ち込む犀慎の言葉に被せる様にして秋霜と貞慎が執り成す。それから秋霜は、ユエにも確認を取った。

「……ユエ、俺はこんな風に感じてたんだけど、どう?」

「はい。正直、俺自身上手く言葉に出来なかった事も伝えてくださって……。ありがとうございます」

「そうか……ユエ自身、まだ整理の付いていない事もあったんだな……。だというのに私はいて空回っていたのか……すまなかった。秋霜にも、迷惑を掛けたな」

 申し訳なさげに己を見遣る犀慎に、秋霜はからからと笑う。

「あはは。犀姉は真面目過ぎ。まあ、ユエが大事だから心配なんだろうけどさ。女の子もそうだろうけど、男にだって言えない事の一つや二つあるのが普通だよ。俺達も、犀姉とは猥談したりしないでしょ?」

「秋霜様!?」

 飛び出したまあまりにも明け透けな言葉にユエは赤くなればいいのか青くなればいいのかわからない。

 そのユエの反応に、犀慎は僅かに驚きつつも納得したらしい。

「……そういう事か。確かに貞慎や琥珀が言葉を濁すのにも納得がいく」

「ち、違っ……」

「そ。難しく考え過ぎなんだって、犀姉は。ユエは純情なんだからあまり気にしちゃ駄目だよ?可哀想でしょ?」

「……わかった。そんな事では嫌ったりはしないが、ユエの純粋さの表れなんだな」

「そうそう」

「違うんです、犀慎様!!」

 確かに似通っている部分はあるが、猥談ではない。だが、その微妙な部分をを説明する訳にはいかないし、その前提で上手く納得させられる自信は全くない。だが、今後言えない事があるとそう判断されて、生温かく見守られでしまいそうなのが嫌だ。しかも、犀慎も妙に納得している。確かに納得出来るのかもしれないが、止めて欲しい。

 だが、犀慎にそんなユエの思いは伝わらず、わかっているとでも言いたげな笑みで頷いている。正直、泣きたい。

 この所の一番の悩みは解消したようではあるが、新たな誤解が生まれてしまった事にユエは肩を落とした。


 一件の後に聞いた秋霜の用件は、先日の成人祝いの耳飾りに付いた石に犀慎からまじないを掛けてもらって役立ろ、との事だった。術を込めた装備品を作れという意味だ。

 水中でも呼吸が出来るだとか、空を飛ぶだとか色々と案を出してもくれたので犀慎と相談して決める事にすると、用の済んだ秋霜は帰ると言ったのでユエは門前まで見送る事にした。

 秋霜が来なければもしかすればもっと拗れていたかもしれない。改めて、その感謝を伝えたかったのだ。

「……秋霜様、今日は本当にありがとうございました」

「この間のお詫びだよ。俺達もあんなに拗らせてるとは思わなくて……ごめんね?」

「いえ……」

「うん、だからってあんな事言わなくてもって思ってるのはわかってる。でもね、犀姉が勘違いした理由はユエ達にもあると思うよ?隠そうとし過ぎると逆に勘繰られる要因になる。貞慎は犀姉の弟だけあってお行儀良いし、琥珀も犀姉の事尊敬してるみたいだから言えないんだろうけど、多分、ものすごく暈した言い方したんじゃない?年頃だから、とかさ。あの歳まで浮いた話一つない堅物の犀姉に男女の心の機微なんてわからないって!女の子に興味を持つようになったのかな、位で自分相手に余所余所しくなる理由なんて絶対思い当たらないんだから、嫌われてると誤解するのなんて予想の範囲だよ。多分、未だに自分が性的対象として見られているとは思ってないからね。きっと、猥談してたのがばれるのが嫌だと思ってるんだろうと思ってるだろうし、ユエは純粋だからそういう事に興味持った自分を卑下していると思ってる」

「……」

 確かにあんな事を言わなくてもとは思っているが、言ってしまった言葉は取り消せないし、結果それで上手く収まったのだから何も言うつもりはなかったのだ。だが、敢えて掘り返したのだろう秋霜に、気付けば何だか色々と駄目出しされている。

 確かに秋霜の言葉は正鵠を射ているとユエも思う。現状に関してもそうであるのが複雑だ。

「まあ、だから言えたってのもあるんだけどね。普通なら、もしかして私の事……って少なからず思うだろうし。ユエの気持ちを俺が勝手に教えちゃう訳にもいかないでしょ?」

「……はい。お気遣いありがとうございます」

「でも……流石は犀姉。全っ然、全く、だったね!」

「止めてください……傷付くんですよ……」

「ちゃんと好きって伝えなよ、って事。ユエの時間は短いんだから……ユエの為にも、犀姉の為にもさ」

「犀慎様の為……?」

 全くの予想外の言葉にユエは目を瞬かせる。

 犀慎を困らせるかもしれないとは思っていた。その真逆の事を言われたのだ。

「……慎家が恋愛関係は全然駄目だって話は聞いてる?」

「はい、以前貞慎様がそんな事を……」

 ユエの犀慎への想いは欲ではなく思慕だと、そう指摘された時に色恋は壊滅的だから寿命の短いユエには分が悪いと言われたのではなかったか。その時の事を思い起こしていたが、ユエの思考は秋霜が放った言葉によって断ち切られた。

「多分、ユエが思っているより酷いよ?」

「えっ?」

「犀姉の気持ちは俺にはわからないけど、仮に犀姉がユエを想っていたとしても、犀姉はその事に気付けるかわからない。その位なんだよ。うちの親父や爺様が智慎様と礼慎様がそうだったって言ってた。そして間違いなく犀姉も同類だって。そんな犀姉がユエを好いている事にユエが死んでから気付いたとしたら、悲劇だと思わない?だからね、変に遠慮せずに伝えた方がお互いの為だと思う」

 秋霜の言葉にはどこか実感が籠っている。何かがあったのだろうとは思うが問うても良いのだろうかという葛藤が面に出ていたのだろう。苦笑に似た笑みを浮かべた秋霜が語り始める。

「……俺さ、ユエからしたらずっと昔になるんだろうけど、人間の友達がいたんだ。でも、ちょっとした事で喧嘩しちゃってね。暫く……十年位かな?会いに行かなくて、次に会いに行った時には……そいつ、もう死んでた。俺達にとっての十年と人間にとっての十年って全然違うんだって、その時わかったんだ。変な意地張って会いに行かなかった事、すごく後悔した。あいつは俺に会いに龍塞に来る事なんて出来ないんだから、俺が会いに行かなきゃ会えないのに。あいつはもう一度俺に会いたいって思ってくれてたみたいだし、俺も今でも会いたいって思ってる。こんな思いは犀姉にもユエにもして欲しくない」

「秋霜様……」

 いつも明るくて軽薄な印象さえある秋霜にそんな過去があったなどとは誰も思わないだろう。付き合いの長い犀慎達は知っているのかもしれないが、秋霜はそういった部分を出来るだけ見せないようにしているような気がする。だが、それは傷に触れる事を恐れているのではなく、周囲に気遣わせない為なのではないだろうか。あの犀慎に対する考察の深さからして、表向きとは違って秋霜は思慮深い龍なのだろう。今回も、今のユエに必要だと感じたから話してくれたのだとそう感じる。

 しんみりしてしまったその空気に耐えられないのか、常とは違う己が気恥ずかしいのか、秋霜は突然空気を打ち破るかのような明るい声を上げた。

「大体、犀姉にとってユエはそういう相手じゃないって訳じゃなくて、犀姉の中のユエにとって犀姉は対象外なんだよ。歳が違い過ぎる所為か何なのかは俺にはわからないけど、ユエがそんな風に思う訳がないって思ってるから。可能性はあるんだし、相手はそういう犀姉なんだよ?きちんと犀姉にも向き合う機会をあげる為にもユエは気持ちを伝えるべきだと俺は思うね」

 秋霜の想いは理解した。だが、秋霜の言葉はもしもの事で犀慎がユエを想っているという確証はない。犀慎の為だと言われても、まだ告げる勇気はない。

 悩み、尻込みして返事も出来ずにいると、ふ、と秋霜は穏やかで優しい笑みを浮かべた。

「……別に今じゃなくても良いから。多分、そういう時が来ると思う。その時は、変な遠慮はしないでユエの気持ちを伝えるんだよ?」

 そういう時とは、言いたくなる時だとか言わなければならない時なのだろうが、いつかそんな日が来るのだろうか?

 そう思いながらも頷くユエに頷きを返すと、じゃ、といつもの軽やかさで秋霜は帰っていった。

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