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龍の箱庭  作者: 遠戸
7/18

7.酒宴

十五歳成人設定の為、飲酒表現がありますが、現代日本においてはお酒は二十歳になってから。未成年の飲酒は禁止されています。

 成人すれば、これまで許されなかった事が許される。飲酒はその代表的なものだろう。そして、宴に酒は付き物だ。

「……さあ、ユエ。どれにする?」

 秋霜の柘榴のような赤い瞳が楽し気に煌めいている。

 宴も酣といった頃、ユエの眼前に並べられたのは、龍塞で作られる火酒と呼ばれる非常に酒精の強い酒に始まり、黒鉄が持ってきた暁国の酒に京華国の独特な風味の酒、北方の透き通った蒸留酒、西方で好まれるすっきりとした白と芳醇な赤の葡萄酒、甘い果実酒等々、様々な種類の酒だ。

 まだまだ育ち盛りの上に好物を揃えてあったので、まずは食べる事から始まったが、ユエも酒に興味はあった。だが、どれと言われても初めて飲むユエにはよくわからない。困ったように犀慎を見ると、僅かに考えて犀慎は返した。

「そうだな……とりあえず最初は火酒と右から三番目とその二つ隣のは止めておいた方が良い。飲みやすいのは……暁の甘口と葡萄酒の白、果実酒辺りか?少しずつ舐めてみて口に合う物を選ぶのが良いと思う。ただ、そこそこ酒精は強い。飲みやすいからと飲み過ぎないようにな」

「……犀慎様は何をお飲みなのですか?」

 これまではユエに付き合って犀慎も酒を口にする事はなかったが、ユエも成人し解禁だろうと酒杯を手にしている。どうせなら、犀慎と同じ物をと思ったのだ。

「これは、桃の果実酒だ。味見してみるか?」

「あ、はい……」

 差し出された犀慎の酒杯を反射で受け取り、そこで気付く。

 この酒は犀慎の飲み掛けだ。酒杯の縁には犀慎の淡い色をした唇が触れている。初めての恋情を自覚して間もないユエには、意識せずにはいられない代物だ。

 思わず息を凝らして酒杯を見詰める。

 受け取っておきながら飲まないのもおかしい。だが、犀慎が口を付けたのはどこだろうとか、そんな不埒な事を考えてしまってなかなか口が付けられない。このままでは不審に思われるだろう。

 差し出されて受け取ったものを口にしないなど失礼だと言い訳しながら、両手で持った酒杯を口元へと運ぶ。僅かに手が震えている。飲み物を飲むのに、こんなに緊張した事はない。

 酒杯から漂う甘い桃の香りが鼻を掠めた。果汁にこれが酒精だろうと思われる独特の風味が混ざり合った物が口内に広がり、僅かにとろりとした液体が喉を通り過ぎた先で熱を持つ。

「どうだ?」

「……美味しい、です」

 酒精の風味は慣れないが、甘くて飲みやすい。美味しいと思う。

「なら、果実酒から色々試してみると良い」

 そこに智慎が一つの酒杯を差し出す。その中には一口分程度の酒が入っている。

「ユエ、これは犀慎の酒だ」

「えっ?犀慎様のお酒……?」

 ユエには言葉の意味が分からず、思わず首を傾げる。すると玉蘭が説明してくれる。

「そうよ。このお酒は西国の白葡萄酒に金木犀の花を漬け込んだものなの。犀慎の犀は金木犀から一字取ったのよ?」

「そうなんですか?」

 ユエの問いに答えたのは礼慎だ。

「ああ……母上も玉蘭も名に花の名が入っているだろう?だから犀慎にも何か花の名をと思ったんだが、慎家は慎の字を名に入れるからな。その所為でなかなか良いのが思いつかなくて……最終的に金木犀から犀の字を取って名付けたんだ」

「それで、犀慎様のお酒……」

 犀慎の名の由来など初めて聞いた。確かに芙蓉は花の名だし、玉蘭にも蘭の字が入っている。

 秋の日に漂う甘やかな香りを思い出しながら、ユエは酒杯を覗く。淡い琥珀色が揺れている。

「ユエ、それは甘くて飲みやすいが、酒精は強い。気を付けなさい」

「はい」

 犀慎の忠告に頷きながら、酒杯を傾ける。

 咲き誇る花よりも幾分柔らかい甘い香りと白葡萄酒の香りが溶け合って鼻孔を擽る。口に含めば芳醇でふくよかな甘みが広がるが、それでいて後味はすっきりとしている。しかし、飲みやすさの割に身体に熱がともる。確かに油断して酒精に負けそうな、そんな酒だ。

「どう?」

「これ、好きです……」

「シルバの一族も元は西の出身らしいし、味覚に合うのかもね」

 確かに父の容貌は暁国や京華国など東方の民よりも西方の民に近い。貞慎の言葉に納得していると、酒杯に同じものが注がれた。今度は一杯分だ。

「じゃあ、これで乾杯し直そうか!」

 秋霜がにかっと笑って、酒杯を掲げる。

「改めて……ユエ、成人おめでとう!乾杯!」

「乾杯!」

 口々に再び乾杯の声を上げて、酒杯を傾ける。そうして、宴は盛り上がりを見せ、時は過ぎていく。

 

 日が落ち、夜の帳が落ちた頃、ユエは円卓に突っ伏して酔い潰れていた。

 少量ずつ味見をした後、最終的に金木犀の酒を飲んでいたユエであるが、結局量を過ごして潰れてしまったのだ。赤い顔で寝息を立てるユエの姿に貞慎が口を開く。

「……姉上、ユエを運んでやってください」

「そうだな。明日は二日酔いの可能性があるから薬の用意もしておこう」

 酔った様子などまるでない犀慎は、酒杯を置いて立ち上がると酔い潰れたユエを危なげなく抱え上げる。

 同じくらいの背丈だ。人同士であれば難しかろうが、龍と人とでは身体能力が違う。

 膝裏と背中に腕を回して抱え上げたその姿は、トラン王国の北西に位置するブライト皇国の絵物語に登場する王子や騎士が姫君を抱え上げた姿と同じものだ。

 そのままユエを寝所へと運んで行く犀慎の背には、慎家の血を引く智慎、礼慎、貞慎以外の者達の何とも言えない視線が向けられているのだが、犀慎に気付く様子はない。

「……ユエちゃん、完全に潰れててよかったわね……」

「本当に。あんなの、きっと羞恥で死にたくなります……」

「犀姉は変なところで鈍いよな……これだからなあ……」

「絶対に、ユエにこの事は言わないように」

「言いませんよ。流石にあれは辛い……」

 交わされる潜められた声は皆、ユエへの憐憫だ。

 そして微笑ましげな顔をしている慎家の血を引く三名に諦めたような息を吐く。揃いも揃っておかしなところで感覚がずれている。これが血かと思わずにはいられない。

「さて、と……ユエも姉上もいなくなったところで、父上と母上、爺様、お婆様にお話しが」

 微妙な空気を察する事もなく、貞慎が家族に向き直る。犀慎に任せたのはこの為だったのかと思わないでもないが、それにしてもという思いは否めない。

 しかし、内心を押し隠して玉蘭が促す。

「貞慎、何かしら?」

「どうやらユエが姉上に恋情を抱いている上に、それを自覚したようでして……」

「ちょっ、貞慎様……!?」

 可愛い弟分の秘密を何暴露しているのかと琥珀と翡翠が泡を食う。しかも、よりによって、犀慎の両親と祖父母相手にだ。

 黒鉄は僅かに驚きつつもあの小さな子供がと年寄り染みた様子を見せ、聖辰と四家の当主達は何とも言えない顔で沈黙する。

「あらあらあら……憧れのようなものかしらと思っていたのだけれど、恋に育ったのねえ……」

「えっ?母上は何かしら感じておいでだったのですか?」

 やはり慎家の血を引く者は鈍感であるらしい。芙蓉の発言に驚いているのは礼慎だけでなく、貞慎と智慎もだ。

「もうっ!これだから、慎家の男共は!!」

「お義母様、犀慎も駄目なようですわ。全く気付いた様子がなくて……」

「まあ!可哀想なユエちゃん……」

 身につまされた様子で同情の涙まで浮かべる慎家の嫁達の盛り上がりに、前科のある夫達は居心地悪そうに視線を交わしている。

 己にまで飛び火しない内にと貞慎が話を変えるべく口を開いた。

「母上、お婆様。これまでの事ではなくこれからの事です!うちの可愛いユエの未来です!」

「全力で応援に決まってるじゃない!」

「うまくいけば、本当にうちの子になるのよ!」

 きゃあきゃあと若い娘のようにはしゃぐ祖母と母に貞慎は安堵に胸を撫で下ろす。己に矛先が向くのは何とか免れたらしい。

「しかし……やはりユエは犀慎の運命の番なのか……?」

 どうあっても惹かれ合う存在があるという。冬歓が聖辰に感じたというもので、運命の番と龍塞では呼ばれている。だが、実際にはそれに出会う事は稀だと言われる。

 世界は広いが、生きる世界は存外狭い。生まれ育った場所を大きく離れるという事はそうそうない為に、生活圏が違う存在と知り合う機会はそうそうない。更には同じ種族とも限らない。種族が違えば更に出会う事は難しくなる。世界を飛び回り、長くを生きる龍であってもそうそう出会えない。長く生きる代わりに成長も遅い為、生がすれ違ってしまう事もあるのだろう。

 否、もしかすれば運命の番が居る者自体、そうはいないのかもしれない。だからこそ、恋が実るとは限らず、恋敵というものも存在するのだろう。

 出会う事は奇跡に等しい。

 だからなのか、その執着は並々ならぬと言われていた。冬歓はそれを実証したに等しく、運命の番という存在へ抱く龍達の感情は憧れだけでなく、ある種の恐れが混じっている。

「そうかもなあ……ユエを助けた時の話からして、引き合わされたというか、導かれたという感があるしな……」

「ただ問題は、犀慎は慎家の娘という事ですね」

 礼慎と智慎の遣り取りに、琥珀と翡翠はやはりと立場の違いを思う。しかし。

「運命の番は一目会った時から惹かれ合うと言うが……」

 ちらりと視線を送られた貞慎は笑顔で返す。

「なかったですね!ユエはどうだったかわかりませんが、姉上は完全に薬師の対応でした。でも、我が家の場合、仮にそうだったとしても気付けるかどうか怪しいですからね……」

「そこだ。問題はそこなんだ……」

「そこなんですか!?」

 遠い目をする慎家の男性陣に、琥珀と翡翠が揃って声を上げる。

「そこよ?だって、私も玉蘭も運命だと思っているもの。なのに……」

「お婆様、話が逸れますので父上と爺様を責めるのは後にしてください」

 再びの棘に貞慎が内心焦りながら芙蓉を制す。確かに、と芙蓉も開いた口を閉ざす。

「まあ……あの冬歓君を何とかしようと二百年頑張ったあの子が、当人ばかりでなく、村一つあっさり切り捨てたのよね?自覚はない可能性が高いけれど……少なくともユエちゃんは犀慎の逆鱗相当だと思うわ」

「……運命かどうかはわからないけど、俺も犀姉にとってユエは特別なんだろうなって思うよ。確かに人の子であるユエは庇護するべき存在だけど……幼い頃から見てきたっていうなら俺達も同じ事の筈なのに、俺達とは扱いが違うからね。琥珀と翡翠とも違うし。あと何年かしてユエが下界に下りたりしたら、心配で何も手に付かなくなりそうだって言ってたよ」

「えっ?私に死ねと?」

 玉蘭と朱夏の言葉を静かに聞いていた聖辰が、突如真顔で反応する。

 それぞれに思う所はあった一同であるが、思わず皆が同じ未来を想像した。ユエが死ぬまでの数十年は龍にとっては外見が変わる事もない瞬き程の年月だ。だが、まめに手を入れなければあっという間に駄目になってしまうものも多い。手が回らなくなるか、聖辰の我慢が限界を迎えて百年程前の繰り返しのような大騒動になるか、どちらにしても荒廃する龍塞の姿しか見えない。

「……琥珀と翡翠のように修行で離れる以外は、ユエには龍塞で暮らして欲しい所だな……」

「でも、それ言うときっと犀姉は怒るんじゃない?ユエの将来を狭めるって」

「本気でそれを言うのだろう所が想像出来るのがなあ……」

 朱夏と秋霜の言葉に、己よりもユエを第一に考える犀慎を親として喜んでいいのか、己を殺す事を悲しむべきか何とも言えない顔で礼慎が息を吐く。

「……俺なら、修行には出しても、その後はもう手元から離さんな。鎖にでも繋ぐ」

「は?」

「何かあれば、それが例え予期せぬ事故であろうと、その地の生き物を殺し尽くす自信がある」

「……」

 百年程前の一件の後、犀慎が冬歓の事を聖辰に執り成した事に疑問の声もあった。だが、今回のこの冬歓の発言に改めて運命の番への執着というものを感じ、犀慎が正しかった事を皆が感じた。

 この執着は最早狂気の沙汰だ。

 冬歓よりも随分と理性的で我慢強い犀慎が同じ事をするとは思わないが、既に十年前に似たような事をやっている。原因はあの村の住人達にあったし、鉄槌を下したのは首謀者のみで、それもろくでもない男だった。だが、首謀者以外へも償いの機会など与えずに切り捨てた。度合いは控えめだが、内容は同じようなものだ。

 冬歓の言葉はユエが犀慎の運命の番であるという仮定に信憑性を与え、何かの出来事が契機となり、犀慎が感情に呑まれた際の姿を示唆している。

 場に沈黙が落ちた時、意に染まぬ話題に割り込む事をせずにいた男が限界を迎えた。

「ちょっと!誰も俺の味方はしてくれない訳!?」

「……犀慎の心労の一因が良く言ったものだな……」

「っ……」

 完全に忘れられていた深春が非難の声を上げたが、智慎と礼慎の言葉と冷たい眼差しにぐうの音もでない。

 深春の気持ちはまだ犀慎自身に伝わっていないだけで、いつか犀慎が応えたなら連れ添いたいと深春から慎家の者達には伝えられている。ちなみに犀慎が応えたなら口を挟みはしないと返されているものの、先程の言葉からもわかるように歓迎されてはいない。

「……冬歓の番として言うが……犀慎に自覚がないだけで、犀慎はユエに執着している。お前を選ぶ可能性は薄いと思うぞ?あの時、犀慎が命を懸けてくれたお陰で、今の私は他から見る己を知覚出来ているが、あの頃の私は口先だけで冬歓と然程変わらなかった。完全に色惚けしていた。あの後、冬歓と距離を置いたのも己の在り方を恥じたからだ」

 番とは対だ。相手がいる。片方だけでは成り立たない。冬歓の相手である聖辰が番としての己を語るのを聞いた事のある者はそうはいない。

 あの頃の聖辰と今の聖辰は傍目にはそう変わらない。次期塞主として在るべき姿を考え、相応しく振る舞っていたように見えていた。だが、聖辰はそれを否定した。言われてみれば、当時の聖辰は今よりも冬歓に甘かったように感じる。言葉を尽くして理解させようとはしていたが、聞き分けのない冬歓に困惑し、手を拱いていた。今のように冬歓の想いを逆手に、時に脅してでも諫めたりはしなかった。かつてに比べて本気でぎょそうとしている事を感じる。

「犀慎は冬歓程に番のさがに呑まれている訳ではないだろうが……それでも常の犀慎ならしない判断をしている。お前も十年前の事は犀慎らしくないとは思っているだろう?お前の諦めが付くまで好きにすればいいとは思うが、ユエには絶対に手を出してくれるなよ。潜められている分、表出した時にどうなるかわからん。性に呑み込まれた犀慎は……おそらく冬歓より手が付けられん」

「……だから、己を貶める事はしないと言っているでしょう。大体、そんな事したら犀姉に嫌われるだけじゃないですか……」

「念の為だ。万が一、頭を過った時の抑止力になるだろう……?」

 塞主としての事前の布石であるらしい。

 あの時の冬歓と犀慎は正直どちらかが死んでもおかしくなかった。そんなものを喧嘩と区分して良いのかは別として、犀慎は喧嘩と判断したものであれだ。万が一ユエが害された場合の犀慎の怒りはあんなものではないだろう。怒りに呑まれてしまえば、おそらく殺すつもりで相対する事となる。その様を想像すれば、確かに冷静にならざるを得ない。

 恋う相手と殺し合いなどしたい訳がないのだ。

 納得はしつつも拗ねたように口を噤んだ深春を気にしつつも、琥珀にはどうしても確認したい事がある。

 これまでの遣り取りで、おそらくは問題ないのだろうとは思った。だが、確かな言葉が欲しい。

「……聖辰様」

「どうした、琥珀」

 意を決して問い掛けた琥珀に、聖辰は穏やかに促す。

「……ユエが犀慎様を望んでも良いんですか……?」

「……当たり前だろう。お前は何を言っているんだ?」

 予想外の言葉に目を瞬かせた聖辰は、何処か呆れたような声音で返す。

「ユエは人間です。それに、犀慎様は五家の当主ではないですか……。俺達の感覚では、分不相応とされるのが普通です」

「……琥珀、翡翠。下界がどうなのかは知らんが……正直、五家なんか皆が面倒だと嫌がる立場なんだぞ?これでつがうのに制限など設けてみろ、心労がたたって塞主が龍塞を放り出す未来しかないぞ」

「……」

 確かに、言われてみればそうだろう。明らかに慎家以外の四家は面倒がっているし、犀慎でさえ不承不承である。

 納得はするが、悩みに悩んでいた二人にしてみればあまりにあっさりと肯定されて呆然とするしかない。

「ほら、だから言っただろう?」

「……貞慎様」

「ユエにも教えてやりなさい。何も引け目を感じる事はないんだから」

 貞慎の優しい言葉に、翡翠が安堵の笑みを浮かべ、琥珀の顔がくしゃりと歪んだ。涙が零れそうになるのを堪えている二人の様に、貞慎が笑む。

 貞慎の弟分妹分は本当に可愛い、良い子達だ。可愛くて仕方がない。

「もう、本当にお前達は良い子だな!」

「子供扱いは止めてくださいってば!」

「苦しいです……」

 二人纏めて抱き締めれば、照れた二人からは嫌がられる。だが離しはせず、加減はしつつもますます抱き締める。

 ユエもこの二人も幸せになって欲しい。

 腕の中の温もりを感じながら、貞慎はそう願った。


 翌日、やはりユエは二日酔いに苦しんだ。

 犀慎の用意していた薬のお陰で午後には随分と楽になったが、それまでは頭痛と吐き気で食欲もなく、起き上がれもしなかった。皆に一日ゆっくりと休むように言われ、次に目が覚めたのは昼過ぎだった。まだ何か食べようという気は起こらなかったので、水分だけ取って再び寝台に寝転がる。ふと目に入ったのは、前日に貰った祝いの品々だ。それらをぼんやりと眺めながら、受け取った時の事を思い起こす。

 秋霜だけでなく、おそらく聖辰も他三家の当主達もユエの気持ちに気が付いているのではないか。きっとあの時の同意は犀慎には知られないようにする為のものだ。あの時はいっぱいいっぱいで気付けなかったが、多少落ち着いている今ならば、二日酔いで働きの鈍い頭でも何となく察せられる。聖辰の言葉からして、龍塞から追い出される事はないと思う。だが、あの時言っていた土地には慎家を出るようにとの意図があるのではないか。少なくとも独り立ちすれば、犀慎の傍には居られなくなる。それまでに心の整理を付けられるだろうか。

 ユエは自身の犀慎への想いに関しては悲観的だ。浮かんでは積み重なっていく纏まらない思考はユエを追い詰める。

 布団にうつ伏せで顔を埋め、渦巻く感情を何とか呑み込もうとしていた時だ。

 少しいいか、とどこか落ち着かない様子の琥珀がやって来た。ユエが酔い潰れた後の話をしたいのだと言う。一刻も早く話したかったらしく、度々様子を見に来ていたらしい。

 そして聞いた話に、ユエは初め呆然とした。予想外を越えた、青天の霹靂。先程まで思い悩んでいた事とは正反対の内容だったからだ。

 ユエが犀慎を想っていても構わないどころか、互いの気持ちがあるのなら望んでも構わない。更には慎家一同には全面的に歓迎されているらしい。

 流れからすれば反対はされないという確信はあったそうだが、それでも聖辰に確認を取ったという事実には短い寿命が更に縮みそうな思いがする。だが、信じられないような言葉に驚きはしたものの、喜ぶという所まではいかない。想う事を許された安堵があるだけだ。

 そんなユエの反応に、もっと喜ぶかと思ったと不満げに琥珀は零した。だが、犀慎が応えてくれるとは思っていないユエは苦く笑うしかない。

 下界で暮らした年月よりも長い時間を龍塞で過ごしてはいるが、下界の価値観も失わないように育てられた。更に、異端であるが故に殺され掛けた恐怖はユエの心に根を張っている。明らかに身の程知らずの想いである上に、恐怖により刷り込まれた人並みですらないという感覚が謙虚を過ぎて卑屈にしている。振り切る事も変わる事も簡単ではない。

 だが、ユエが諦めを滲ませたままなのは、琥珀が全てを話しはしなかった事にも一因はあるだろう。考えた上で、ユエが犀慎の運命の番ではないかという事については話さなかったのだ。話せば多少はユエも前向きになれただろう。しかし、これはユエだけの問題ではないのだ。

 皆、少なくともユエが外見的に犀慎と釣り合うようになるまでのあと数年は、犀慎の様子を見守るつもりであるらしい。色恋沙汰の苦手な慎家の性質もあって下手に急かせば失敗の可能性が高く、何より犀慎自身が何かしら感じなくては納得しないだろうし、自覚には繋がらないからだ。

 ユエの様は琥珀の満足のいくものではなかったが、少しばかりユエの心が緩んだのは感じられた。今は、それで良しとすべきなのかもしれないと琥珀は己を宥める。

 聖辰の言質も取った。もうユエは諦めなくて良いのだ。出来る限りの協力をして、ユエに幸せになってもらいたい。

 仕方のない奴だと言いたげな兄の顔で頭を撫でる琥珀に、ユエはただただ感謝を捧げた。


 ユエの成人祝いの日から十日程が過ぎた。

 黒鉄は暁国へ帰り、智慎と芙蓉は再び旅へ、今後は玉蘭も礼慎の元で暮らすという事で礼慎と玉蘭はサルースへ下り、琥珀と翡翠も付いて行った。

 数日前には皆が揃っていた為、余計に寂しく感じる。そして、そう感じているのはユエだけではないらしい。

「……なんか物足りないっていうか、寂しい……これでユエまで下界に下りたら……」

「……貞慎」

 薬草を摘みながら、貞慎が不意に零した。本心だとわかる少々沈んだ声音にユエが戸惑っていると、犀慎が制止する意図で名を呼ぶ。だが、貞慎はそれを撥ね付けた。

「姉上だって、ユエが下界に下りたら寂しいでしょう?」

「……当然だ。だが、それも成長だろう。ユエが気に病むようなことを言うな」

 ユエが居なくなると寂しい。その言葉に同意してくれた事に嬉しさしか感じない。

 誰より犀慎に必要とされたいが、寂しさ以上にユエの将来を重んじるのも犀慎がユエを思うからこそだという事はわかる。

 その感情がユエと同じものではなくても、大切に思われている。

 その事に背を押されて、問うてみる。

「……あの、犀慎様。俺、独り立ちしたら下界に下りなければいけませんか?」

「?」

 おそらくそのつもりなのだろうと思っていた犀慎には、予想外の言葉である。思わず怪訝になる。

「勿論、今の琥珀さんと翡翠さんのように修行で下りる事はします。俺も経験は積みたいです。でも……でも、俺は……」

 犀慎と一緒に居たい、とは言えなかった。

 犀慎を望んでも構わないとは言われた。だが、許されたからといって望むなどという事はユエには恐れ多いと思うし、伝わるかどうかもわからないが、まだ想いを知られるのも怖い。

「……琥珀さんは、独り立ちしたら村に戻るって言ってました。翡翠さんは村に二人は要らない気がするからって、どうするか考えてるそうですけど……。でも俺は、父さんと母さんの墓も龍塞にあるし、故郷には……」

 曖昧な笑みで濁したのは、龍塞に来るきっかけとなったあの日の事だ。慎家で暮らす事になった日以降、近付く事もしていない。

 琥珀と翡翠の村の人々は優しい人達だった。村の為に働くユエを気遣い、良くしてくれた。サルースでよく関わる人達も気の良い人達が多い。だが、あの村のような者達も確かに居るのだ。あの頃のように一方的な思惑に従わされるだけにはならないだろう。それでも、あまり下界と積極的に関わる気にはなれない。

 その事は犀慎も貞慎も察している。

「……ユエには辛い思い出もあるからね」

「ユエがここに居たいなら、いつまでも居てくれていい。だが……龍塞はそう顔ぶれが変わる訳じゃないから、出会いもない。お前だって父君や母君のように、家族を作りたいだろう?下界で見付けた娘を連れて来るというなら、聖辰様には話を通すが……」

 ユエが恋に悩んでいる事も、それを知られたくないと思っている事も知った犀慎は、言葉を選んで知らぬ体を装った。ずるいやり方だと思いながらも、ユエから聞き出す機会を逃さぬよう誘導しようと試みる。

 だが、実際には完全にすれ違っている。

 ユエがそういう意味で家族になりたいのは犀慎だ。犀慎の中ではその対象ですらない。ユエが犀慎に懸想しているなどとは思ってもみないだろう。他の娘を連れて来るなどどいう考えがその表れだ。そう思えばユエは胸を締め付けられるような痛みを感じる。だが、ユエはそれでも笑みを浮かべた。

「……いいんです。犀慎様の邪魔になるまでは、ここに居させてください」

「ユエの事を邪魔だなんて思わないぞ?本当にいつまでだって居てくれていい」

 犀慎の言葉に、ユエはどこか諦めたような笑みを浮かべた。

 その表情に犀慎はユエの諦念の理由がわからず、貞慎は琥珀は何も言わずに帰ったのかと困惑した。

「ユエ、何故そんな……」

「姉上、俺はこの後ユエとサルースへ行きます。ついでにあの短刀も試してきますので!!」

 ユエの様子が心に突き刺さり、己には話せないのかもしれないとは思いつつも犀慎は問わずにいられなかった。だが、それを有無を言わさぬ強さで貞慎が遮った。貞慎は琥珀を問い質し、改めてユエに説明するつもりなのだが、何も知らぬ犀慎は当然そうは考えない。己の至らなさを察した貞慎による牽制だと感じた。

 全てを把握しておきたいという訳ではない。秘したい事もあって当然だ。心配ではある。だが、仕方がない。邪魔者扱いすると思われている程に師としてあるまじき信用のなさを考えれば、貞慎に任せた方が良い。

 大切にしてきたつもりだった。だが、つもりでしかなかったのだろう。どこでこれ程までに信頼を失ったのか。至らなさが不甲斐ない。

「……わかった。任せる」

 面には出さない犀慎の自嘲を誰も知らない。

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