6.成人
炎で赤く照らされた室内には熱気が立ち込め、赤く焼けた鋼を叩けば火花が散る。熱し叩き鍛える事で鋼の純度が増し、折れず曲がらぬ鋭い刃となる。
一定の調子で響く金属音が途切れ、炎の前の男が袖で汗を拭ったその頃合いで声が掛かる。
「朱夏、いいか?」
「ああ、犀姉!ごめんね、待たせちゃった?」
「いや、構わない」
髪が作業の邪魔にならないようにと頭に巻いていた布を外しながら鍛錬所から出てきたのは癖のある金の髪を一つに束ねた男だ。瞳は紅玉のように赤く煌めいている。長い生を充実させる趣味として鍛冶を選んだ為か、がっしりとした身体をしており、身長は冬歓程高くはないがかなりの長身だ。
五家の一つ夏家の現当主である朱夏である。
見た目は犀慎と変わらない年頃だが、愛称として姉を付けて呼んでいる事でもわかるように、犀慎より後に生まれている。
「すぐに行くから母屋の方で待っててよ」
「わかった」
犀慎の母である玉蘭は朱夏の父親の姉に当たる。従弟である事もあって、聖辰や冬歓よりも遠慮が少ない。無論挨拶などの礼儀は欠かさないが、犀慎は勝手知ったる様子で鍛錬所などにも出入りするし、それを咎められる事もない。
今回も母屋で挨拶を済ませてから鍛錬所へ向かっていたので、母屋へ行くと既に茶が用意されていた。それを味わいながら待っていると、そう時を掛ける事もなく着替えて身形を整えた朱夏が白木の箱を手にやって来た。
「お待たせ、犀姉。ご依頼の品だよ」
朱夏が円卓に置いた箱を開けると、そこには白鞘に収められた暁国で扱われる短刀の形状をしたものがある。それを丁寧に取り出し、朱夏は犀慎に手渡した。両手で受け取った犀慎は、それをすらりと鞘から抜いた。
趣味とは言えど、人の一生を軽く超える年月を掛けて情熱を傾け、研鑽を重ねてきた技術は感嘆に値する。
姿を現した刀身は淡く光を放っており、それが普通の品ではない事が素人目にもわかる。暁国に限らず、一般的な刀剣は鉄を鍛えて作られる。それ以外にも用いられる金属はある。より良い物が出来る物もあるが、希少性が高い。そうそう見つからない上に良い値段になる。犀慎が朱夏から受け取った品は下界の西方で伝説と呼ぼれる程に希少な金属に、下界では滅多な事では手に入れられないが龍塞では割と簡単に手に入る、硬度が高く、精霊の力のようなものを帯びた品物を混ぜ込んで出来ている。
犀慎は姿や刃を検めると、満足したように笑んだ。
「良い品だ。また腕を上げたんじゃないか?お前のこだわりの刃文が琥珀と翡翠の時の物より良い物になっているように見える」
暁国の刀はよく切れるように刃にだけ焼きを入れて硬くする。全体を硬くするのではなく、峰に柔らかさを残す事で折れにくくなるのだ。その焼き入れの際に粘土を刀身に塗るのだが、その塗り方で模様が生まれる。今回の物には丁子乱れと呼ばれる刃文が入っている。刃文の形状が丁子の実に似ている事から付けられたと言われるが、丁子は生薬でもあり、温裏、健胃、止嘔などの効果がある。その為、犀慎はこの刃文でと依頼した。但し、鉄で作る暁国の刀とは材質が違う為、刃は硬く、峰には柔らかさを残すという特性は出せても、刃文を入れる事はとても難しいらしい。朱夏がこの材質の刀剣を生み出した時、入れずとも良いのではないかと周囲からは言われたが、刃文はこの暁の刀の美を担う一部でもあり、何より暁の職人に対する敬意だと頑として譲らなかった。数十年研究を重ねて刃文を入れる方法を見つけ出し、思うようなものが出来始めたのはここ数年の事だ。
「研鑽は怠ってないからね。まだまだ満足しないよ。でも、精魂込めて打たせてもらっただけの物は出来たと思う。オリハルコンに犀姉の鱗が混ぜ込まれたこれなら、下界の火吹き蜥蜴に切り付けても刃毀れ一つせずに切り裂くだろうし、龍の操るものと同じ系統の術の底上げも出来る。ユエが一人で採取に出掛けても、小遣い稼ぎで妖退治や魔獣退治に出ても、そうそうやられたりはしないと思うよ」
シルバの一族には成人した我が子に短剣を贈る習わしがあったらしい。木を削って加工したり、狩りで得た獲物をさばいたり、料理に使ったりと日常生活にも使えるし、いざという時には身を守る武器にもなるという事で、贈られるようになったらしい。
シルバからそれを聞いた犀慎は、シルバの代わりにという訳ではないがユエの成人祝いにはそれを贈ろうと思っていた。しかし、依頼した朱夏が暁国の短刀に拘った。確かにユエの故郷は暁国で、母親のサヨも暁国の人間だ。だが、それ以上に朱夏は暁国の刀剣に惚れ込んでいたのだ。切れ味もさることながら、その美しさを力説する朱夏に気圧されつつも、犀慎も父親の一族の習わしと母親の国の短刀を組み合わせるというのは悪くないと納得し、この短刀が出来上がった。
「ああ。朱夏に頼めば間違いないと思って頼んだんだ。琥珀と翡翠に贈った物も素晴らしい出来だったからな」
今回の短刀はユエの成人祝いだが、琥珀と翡翠には下界で修業を始める際に独り立ちの前祝いとして贈っている。こちらの二人は自ら馴染のある短刀を望んだので結果的に三人お揃いだ。
「……これでいいよ」
朱夏が提示した金額は本来のものより随分少ない。桁が幾つかは違うという事が素人の犀慎でもわかる。
「これじゃ少な過ぎる。包丁程度じゃないか」
「いや、流石に包丁よりは大分高いよ……」
本気で犀慎の金銭感覚を心配したらしい表情の朱夏に、冗談も言えないと思われていると犀慎は察した。不本意である。
「……冗談だ。しかし、それにしても少な過ぎるだろう。琥珀と翡翠の時も負けてもらったのに……。お前はこれの価値がわかっているのか?ただの刃物じゃないんだ。きっと下界なら、神剣だのなんだのと言われて伝説になるだろう代物だ。材料があっても、お前にしか作れない特別で素晴らしい物なんだぞ?それをよりによって作り手であるお前が見合わない扱いをするものじゃない」
切れ味や丈夫さという純粋な武具としての性能だけでも一級品どころではなく、術を扱う者にとっても価値のあるとんでもない代物だ。親しい仲だとはいえ、気前が良すぎる。犀慎に言わせれば朱夏の方が余程に金銭感覚が心配である。しかし、朱夏は嘆息交じりに言う。
「材料は全部犀姉の自前でしょう……普通、材料費込みなんだよ?これの製法を思い付いて完成出来たのは犀姉のお陰だし、何よりいつも迷惑も掛けてるし……これ以上は受け取らないから」
「……まあ、度々というか半年に一度は迷惑を被っているが、製法についてはお前の発想と努力だろう?」
若干の意趣返しも込めて本音を混ぜ込むが、朱夏は気付いているのか気付いていないのかそれに関しては聞き流している。
「ううん。正直、幾ら龍の鱗が硬くて頑丈さに一役買ってるからって、歓兄と犀姉のあの大喧嘩で飛び散った鱗を見て思い付くなんて、俺もかなりいかれてると思う。なのに、あっさり同意して鱗提供してくれるし。持ってても仕方がないからって、下界で見付けた希少な材料はくれるし、行き詰ったら話聞いてくれるしでさ。普段から家族くらいしかまともに聞いてくれない話なのに、いつも犀姉は聞いて励ましたり、気合入れ直してくれたりする。それってとても嬉しい事なんだよ?だからね、犀姉のお陰。犀姉の大事な子達の為に作ってあげられて良かった。俺に依頼してくれてありがとう」
「……全く、お前は……」
見た目はかなり派手で、刀剣への入れ込み具合は病的一歩手前の変わり者だ。周囲から遠巻きにされる事もある。だが、気の優しいところがあって、ユエ達三人が龍塞に来た時から何かと気に掛けてくれている。血縁で幼い頃からの付き合いの犀慎は朱夏がどういう龍なのか良く知っており、貞慎に同じく弟のように思っている。聞いて欲しい事があるなら聞くし、悩んでいるなら励まし、時には叱咤する事もする。当然の事に感謝し、何かを返そうとする朱夏の気の良さに呆れ半分の息を吐く。
「まあ、色々込みの値段って事にしといてよ。代わりにたくさん食べて飲むから」
「わかった。お前の好きな物も用意しておく」
「ありがとう。……でも、人の子の成長は早いね。ユエが慎家に来てからまだ十年だよ?あんなに小さかった子が、もう見た目は貞慎や深春達とそう変わらない」
しみじみと語る朱夏に、犀慎も頷きながらユエが慎家に来てからの日々を思い返し、これからを思う。
「そうだな……琥珀と翡翠だけでなく、じきにユエも独り立ちするんだろうな……。琥珀と翡翠はうちに来た時には見た目はともかく、中身は人間としては充分に成長していたし、半分は龍だから人間よりずっと頑丈だ。だからまだ良い。だがユエは本当に子供だったし、人間だ。あの子が独り立ちして下界で暮らす事を選んだら、心配で何も手につかなくなりそうだ……」
ユエは本当に成長した。背丈などはすぐに犀慎を越えるだろう。だが、既に千年を軽く越えて生きている龍であり、ユエを五歳の時から知っている犀慎には十五歳など幼子の時と変わらない。ちゃんと食べているのか、怪我をしたり病気になったりしていないだろうかと数日に一度はこっそり様子を見に行ってしまいそうだという自覚がある。
「あはは、それは聖辰様が困るよね」
「冬歓やお前達がちゃんとやってくれるなら、困る事など何もないんだがな」
日頃の評議を思い出し、犀慎の目が据わる。
「……ごめん、犀姉」
「そこは、今後はきちんとやります、だろう!」
「いや……ほら、ね。俺達はやりたい事しかやりたくないし、始めちゃうと没頭して他の事は全部頭から抜けちゃうから……。口先だけの反省になるのが目に見えてるのに、ねえ?」
「お前は……我儘なのか誠実なのか、反応に困る」
犀慎の呆れ顔に、朱夏は笑みで誤魔化した。
そして、祝いの日。
「ユエ、十五歳おめでとう」
ユエは朝一番から慎家一同と琥珀と翡翠に祝いの言葉と祝いの品を贈られた。どれも実用的な物である辺りが真面目な彼等らしい。貞慎からは調薬の為の道具が一式、礼慎と玉蘭からは薬を入れておく為の百味箪笥、智慎と芙蓉からは旅慣れた二人が選び抜いた薬草採取や材料収集の際に身に付ける装備品、琥珀と翡翠からは下界に下りる際の現地の服を何着か、そして犀慎からは件の短刀だ。
どれもとても嬉しい贈り物だったが、心情的にも意味合い的にも犀慎から贈られた物は特別だった。
「これ……」
琥珀と翡翠は独り立ちの前祝いという形で贈られた物の為、まだ下界で修業をする段階にはないユエは初め困惑した。
「……シルバの一族には、成人した子供に短剣を贈る習わしがあったと聞いてな。日常生活にも身を守るのにも使えるからという事らしい。朱夏の勧めもあって、同じように扱える暁の短刀にした。暁はユエの母君の故郷だしな」
「父さんと、母さんの……」
傍に漂う銀色の光を見遣れば、何かを伝えようとするかのようにふわふわとユエの周りを飛ぶ。きっと祝ってくれているのだろうと感じられて、心が温かくなる。
ユエはシルバと繋がる事で会話する事が出来るようになってからも、相談に乗ってもらったりという事はあるが、そういった話は聞いた事がなかった。一番肉親が必要だっただろう慎家に来た当時にはまだ会話が出来なかったし、今でも四六時中という訳ではなく術という形態になる為、余程の時だけだ。ユエとは違い、術などなくともシルバと会話の出来る犀慎はユエについて随分と言葉を交わしているのだろうと感じた。
父の一族の習わしと母の国の短刀。二人が居て、己が居る。その事に素直に感謝出来るのは、きっとユエを引き取ってくれた慎家の、犀慎のお陰だ。
「……まだ俺は下界で修業する段階じゃないのにと思って、ちょっと驚きました」
「ああ……琥珀と翡翠と同じ物になってしまったからな」
「……朱夏様の作られたあれですよね……?」
「そうだ。同じ物だと言っただろう?」
琥珀と翡翠がそれを贈られた時に、どういった品物なのかという事は聞いていたし、二人が持つ物のお陰でそれが思った以上にとんでもない物である事も実際に知っている。とんでもなさ過ぎて、人前では本当のいざという時にしか使えないと二人は言っていたし、事実迂闊に人前で使えば大変な騒ぎになるだろう。そんな誰もが欲するだろう代物だ。
両親の事まで慮って犀慎が贈ってくれた物であるという事に加え、犀慎の一部が、鱗が混ぜ込まれている短刀だ。いつかと望んでいた物でもある。絶対に、何があっても手放せない。手放したくない。
「ずっと、大事にします。大事に使います」
「うん。そうしてもらえると嬉しい」
ふわりと、花が綻ぶかのように笑んだ犀慎の整った顔に胸が鳴る。
大切に思われている。それに満足出来ない浅ましさを卑下しながら、ユエは笑みを返した。
その日は慎家の一同が会し、琥珀と翡翠の父親である黒鉄もユエを祝う為に訪れた。しかし、更に龍塞の主と重鎮全てが揃うとは思ってもみなかった。
「どうして聖辰様と五家の当主の皆様まで……」
出迎えた常よりも着飾った一同に祝いの言葉を貰い、一先ず感謝の言葉を返しはしたものの、予想外の事に驚きを隠せない。
ユエは内輪だけの祝いだと思っていたのだ。確かに、琥珀と翡翠の父親ではあるが下界で暮らす黒鉄よりも聖辰や五家の当主の方が顔を合わせる機会も多く、付き合いは深い。だが、慎家の養い子であるとはいえ、人間の孤児の成人を祝いに来てくれるとは思っていなかった。
「……ユエは私達には祝わせてくれないのか?」
「いえっ!祝っていただけるのは嬉しいんです。でも、俺なんかの為に皆様のお時間を使っていただくのは……」
ユエの言葉に、聖辰が眉を顰める。
「……お前は遠慮が過ぎるな。暁では謙遜は美徳だという事は知っている。だが、俺なんか、なんていう卑屈な言い方はするな。それは、お前を大切に思っている者達に対して失礼だ」
「!!」
ユエには思いがけない事で叱られた。しかし、言われてみればその通りだろう。
「犀慎を初め、慎家の者達がお前を大切に思っている事はわかるだろう?」
「……はい」
「私達だって、頑張り屋で、過去に負けずに他に優しく出来るユエが可愛い。お前のように、疲れているだろうからと心が落ち着くという茶を淹れてくれたりなんて気遣いは、こいつらは絶対にしないからな。お前の事を祝わずに誰を祝うんだ。素直にありがとうと言ってもらった方が嬉しい」
「はい。すみませ……」
「ん?」
圧力を感じて、ユエは詫びの言葉を途中で止めた。
言われたばかりで間違えてしまったらしい。有無を言わせぬ笑顔で聖辰は促す。
「いえ……ありがとうございます」
「うん。おめでとう、ユエ」
慈愛に満ちた笑みからは、心からユエを祝っているのだという気持ちが伝わってくる。龍達の温かさに湧き上がるのは感謝ばかりだ。
「……聖辰様。冬歓様、朱夏様、秋霜様、深春様」
「うん?」
ユエは龍達それぞれの顔を見遣り、名を呼ぶ。穏やかに見詰めてくる眼差しに、ユエは胸いっぱいの感謝を笑みに乗せて、首を垂れる。
「俺が誰かに優しく出来るのは、龍塞の方々が優しいからです。あの村の人達がおかしかったんだと思わせてくれたからです。俺を龍塞に迎え入れてくださって、ありがとうございました」
龍達の目が見開かれ、再び笑みを形作る。聖辰などは、感極まったかのように口元に手を当て、肩を震わせる。
「……っ!心が洗われる……こんな良い子を祝わずに他の奴等なんて祝えないだろう……!」
「うん、同感。ユエ、お祝いも用意しているから受け取ってくれるかい?」
「えっ?お祝いまで?そんな……あ、その……ありがとうございます」
祝いを用意していると言った男は白い髪に柘榴のような赤い瞳の男で、五家の秋家の当主である秋霜だ。見た目は貞慎や深春と同じ年頃で、一見優男風で細身だが筋肉は付いている。軽やかでしなやかな印象だ。
秋霜の言葉に恐縮しつつも、先程の事もありユエは素直に感謝する。
「よしよし、良い傾向だ。まず、私からは土地をやろう。一先ずは慎家の庭から行ける所に浮かべておく。うちや五家程の広さはないが、一家族暮らせるくらいの家と畑くらいは作れる。何か建てるも良し、薬草園や農地にしてもいい。好きに使いなさい」
幾ら塞主とはいえ、気前が良すぎるのではないかと思う。いきなりこれでは正直腰が引ける。
「聖辰様、さ、流石に土地は……」
「龍塞はお前の故郷ではないかも知れない。だが、もしいつか下界で暮らす事を選んだとしても、お前の帰る場所だという事を忘れるな。私達はいつでもお前を迎えるからな」
聖辰が土地を贈った意味にはっとする。
ユエはたまたま犀慎に救われ、慎家に迎えられただけの人間の子供だ。犀慎は縁と言ったが、運が良かっただけだとユエは思っている。種族の能力にも大き過ぎる差があり、引け目を感じずにはいられない。
だが、聖辰はそんなユエを龍塞の一員として認めてくれているという証なのだ。
先程からしきりにユエの意識を変えようとしているのも、成人し独り立ちの日が近付いているからこそ、何処の何者なのかという事が曖昧なユエの支えとなるものを与えようとしているからだ。
これが龍塞の主なのだと、その懐の深さをユエは思う。
感慨に浸っている所へ、声が掛かる。
「俺からは、これだ」
冬歓から差し出されたのは螺鈿細工の施された丸い箱だ。螺鈿がなければお櫃のようにも見える。蓋を開けると、中には茶器が入っていた。
「お前の淹れる茶は美味いし、聖辰様も仰っていたようにお前の気遣いは心を解す。薬師としてもそれは活きるだろう。使ってくれ」
聖辰の言動には逐一反応するが、基本的に表情の乏しい冬歓は相変わらず不機嫌そうに見える。だが、目元が若干優し気に緩んでいる。ユエも付き合いが長くなるにつれ、こうした変化が感じ取れるようになってきた。
「これからも美味しい物を飲んでいただけるように精進します」
静かに頷く冬歓に笑みを返すと、今度は朱夏が口を開く。
「俺からは……犀姉からのお祝いはもらった?」
「あっ、はい。朱夏様の打たれた短刀を……」
「あれ、白鞘のままでしょう?あれじゃ使い辛いんだけど、拵はユエ好みの物が良いと思ってまだなんだ。目釘とかも色々あるから今度選びにおいで」
「はい。ありがとうございます」
龍塞に来た時から気に掛けてくれる朱夏は、貞慎同様に琥珀と翡翠も含めて弟妹にするように接してくれる。いつものように頭を撫でてくる朱夏にくすぐったい気持ちになる。犀慎に対しては役得と思える程に心の整理も付いておらず、子供扱いも触れられる事にも抵抗や戸惑いがあるが、貞慎や朱夏であれば照れ臭くも何とか受け入れられるのだ。
「俺からは、これな」
深春が差し出したのは上質の絹で、ユエが今日着ている正装と同じ生地だ。
「本当はこれで正装をと思ったんだけど、シルバ見てるとユエもまだ大きくなりそうだし。何より、今回は犀姉が先に頼んでたみたいだしさ。成長が止まったらこれで正装を拵えるといいよ」
「お気遣いいただいてありがとうございます。正装は必要ですけど高価なので……すごくありがたいです」
犀慎の事を考えると複雑なのだが、ユエは深春自身の事は決して嫌いではない。寧ろ好ましく感じている。気の良さの滲む笑顔にユエも笑みを返す。
「じゃあ、最後に俺からね。はい、これ」
秋霜が差し出したのは、片手よりも小さな箱だ。開けてみると、石の付いた耳飾りが入っている。
「これ……」
「菫青石。そんなに珍しい物じゃないんだけど、色に拘ったからなかなかに探したんだ」
色と言われて、思わずユエは秋霜の顔を見遣る。浮かぶ含みのある笑みに、思い当たるのは一つだ。
「犀姉の色でしょ?」
耳元で囁かれた言葉に、一気に蒼褪める。
言われたように、犀慎の瞳の色にそっくりな色をした石が二つ、箱の中に並んでいる。
以前、琥珀が言っていた通り、慎家の面々が色恋沙汰が駄目だから気付かれなかっただけなのだと気付いて血の気が引いたのだ。
「……あれ?予想と真逆なんだけど……ユエ、大丈夫?」
「あ、はい……大丈夫、です……」
秋霜にユエを咎めるような空気はないが、身の程知らずの想いを見抜かれている事に鼓動が暴れて冷や汗が流れる。
動揺している方が怪しまれるとわかっているのに、身体は言う事を聞いてくれない。
そこに、屋敷の方から声が掛かる。
「ユエ、どうした?何をやって……これは、聖辰様。本日はユエの為にお越しいただいて、ありがとうございます」
犀慎は主役の姿が見えないとユエを探しに来たようなのだが、聖辰達の姿にまずは来訪への感謝を述べた。
「いや、私が祝いたかっただけだからな。他も同じだ。それより……」
「犀姉、ユエが……」
慌てたように言う秋霜に、犀慎が駆け寄ってくる。そして、ユエの顔色の悪さに眉を顰める。
「ユエ?顔色が……」
心配されている。だが、その理由は言えず、それを悟られる訳にもいかない。もう二度と犀慎にあんな顔をさせる訳にはいかない。
「あ……いえ、その……あまりに高価な物ばかりいただいてしまって……俺、ちゃんとお返し出来るのかなって……」
確かにユエからすれば高価な物ばかりだ。若干の気後れも本当だ。だが、言い訳だ。必死に考えた言い訳だが、秋霜に経緯を語られれば意味がなくなる。どうか何も言わないで欲しい。そう願いながら、表情を取り繕う。
正直、気が遠くなりそうな緊張感を味わいながら犀慎の反応を探る。しかし、それより先に聖辰が言葉を返した。
「気にしなくていい。犀慎達も私達もそんな事を望んで祝う訳じゃない。お前が健やかで幸せな一生を送れる事を願うだけだよ」
「……ありがとうございます」
「ユエは律儀だな……こんな時くらい、余計な事は気にせずに素直に喜びなさい」
思いが通じたのか、どうなのか。聖辰が言葉に正しく返し、犀慎も納得した様子を見せた。その事に安堵する。
「聖辰様、お入りください。もう間もなく始めようという所です。ユエ、お前は頂き物を部屋へ置いておいで。戻ったら始めよう」
「はい!皆様、良い物をありがとうございました!」
犀慎の言葉にユエはもう一度聖辰達に礼を言い、贈り物を抱えて部屋へと駆けて行く。
その背中を聖辰と犀慎以外の当主達は何事かを思うかのようにして見送った。
祝いの席は広間に用意されているらしい。
形式上は主従だが、幼馴染のような近しい関係である聖辰達も場所は知っている。しかし、格式ばった場ではないものの招かれたのだ。案内し、される事は当然の事だ。
先導する犀慎の後ろで、聖辰達は小声で言葉を交わす。
無論、先程のユエの様子についてだ。
ユエが己の様子を誤魔化そうとした事には皆気付いていた。ただ、ユエを慮っただけだ。
「……秋霜、お前、ユエに何を言った?まあ、あれを見れば予想は付くが」
「犀姉の色でしょ、って言っただけですよ」
「となれば……深春か?」
「俺は何も言ってませんし、やりません。ユエがあれだけ大事にしてくれる犀姉に懸想するのは当然と言えば当然だろうし、予想の範囲です。それに、ユエは良い子ですし……。これでも春家の当主ですよ?己を貶めるような真似はしません。まあ、犀姉に大事にされて羨ましいという気持ちはありますけど……」
「……お前はそういう所はしっかりしてるんだよな。これできちんと務めを果たすのならば、何も言う事はないんだがな……」
遠い目をする聖辰に何か言えるのは犀慎だけだろう。しかし、その犀慎は会話を聞いてはいない……筈であった。
「……聖辰様。ユエの様子にお心当たりがおありですか?」
犀慎が不意に立ち止まり、問うた。
犀慎も話の内容は聞き取れていない。察しているのは、ユエのあの様子についての話だという事だけである。
犀慎にしては幾分硬い声は聖辰への問い掛けの形を取ってはいるが、聖辰へ向けての問いではない。相当にユエを気に入り可愛がっている聖辰が、ユエがあんなに顔色を変えるような事をする筈がない。朱夏も除外して良いだろう。流石に悪意だとは考えないが、他は何かしらユエの心の柔い所に触れる事をしかねないと思われる者達ではある。事実、秋霜のからかいが原因だ。
「……そうだな。慎家が一番不得手な分野だ」
僅かな間の後、聖辰が答えた。そう言えば龍塞の者であるなら誰もが察するだろうという返答だ。当の慎家の者でさえ、自覚がある。
「……ユエ、が……」
驚きに戸惑いが混じる犀慎の様子に、おや、と聖辰達は思う。驚きだけではない複雑さは、犀慎の受けた衝撃の表れだろう。
言葉を選びながら、聖辰は続ける。
「問題になっていた冬歓の時と今回は違う。犀慎が己で気付いたというのならば、出来る話もあるだろうが……こういう繊細な事は、相手を選ぶ。お前も向かぬ事は理解しているだろう?ユエも他に知られたくない様子だから尚更だ」
「……承知しております。ただ……ユエもそんな年頃なのだなと。色恋沙汰であれば、仰る通り私では力にはなれないでしょうし……。人の子の成長は本当に早い。あの子はいつまでここに居てくれるのでしょうね……」
琥珀と翡翠の事も犀慎は可愛がっている。だが、二人に対しては、ここまで感傷的にはならない。師として一人前に育てるという使命感が勝っている。だが、明らかにユエの事は手放したくないと思っている様子だ。犀慎がユエの修行に差し障りが出てしまうような事をするとは思わないが、幾分不安になる。
「……何か意外だな。犀姉がそういう事言うの……」
秋霜の言葉と同じ想いを皆が感じている。相手の事より己が感情を表に出す犀慎は珍しい。
「そうだろうか?」
「うん。俺もそう思うよ。琥珀と翡翠に対してはそこまでないよね?」
朱夏にまで言われて、犀慎は考え込む。
「……琥珀と翡翠は……慎家に来た時は見目こそ幼かったが、人でいうならば充分に大人だと言える年月を生きていて、内面もそれに見合うものになっていたからな。だが、ユエは本当に幼い時にやってきた。それから十年、成長を見守ってきた。その所為かな?あの子が成長し、大人になっていく事に喜びも確かに感じている。だが……寂しさの方が強い。最近は私に言えない事も増えて、けれどもそれをすべて詳らかにするのも違うとわかっている。それが成長だとわかっていても、複雑だ。もしかすると、あの子が大人になる事を喜べなくなるかもしれないと不安になる。保護者失格だな……」
気落ちした様子の犀慎に、聖辰達は目を瞬かせている。自覚はないようだが、犀慎のそれはおそらく執着だ。
「犀慎、それは……」
それは本当に保護者としての想いなのか。もっと別のものではないのか。
聖辰はそう問おうとして、止められた。
深春が聖辰の腕を掴んでいた。必死の顔だ。おそらく皆が聖辰が感じたのと同じように感じている。
聖辰は僅かに考えて口を噤んだ。
深春への気遣いというよりは、今日の主役への配慮だ。ここで犀慎に自覚を促すような真似をすれば、突然の事で何の覚悟も出来ていない深春も何かを言わずにはいられないだろう。そうなれば、折角の祝いの席が微妙な空気になりかねない。
「……犀慎、色々と思う所はあるが切り替えよう。今日は祝いの席だ。全て置いて、ユエを祝ってやろう」
「……そうですね。仰る通りです。折角の席を私が台無しにする訳にはいきませんね」
先程までの犀慎が嘘のような、常のような穏やかさを湛えた犀慎に聖辰は複雑な気持ちになる。
苦労を掛けている犀慎に、本当はこんな風に感情を呑み込ませたくはない。出来れば憂いを取り除いてやりたいと思うし、もし聖辰の予想が事実であるのならば自身がそうしてもらったように、今度は犀慎の力になりたいと思っている。だが、深春の事もあるし、今は場が場だ。
「では、参りましょう」
犀慎の促しに従い、再び広間へと向かう。
気を遣った朱夏がちゃんと好物を用意してくれたのかと聞き、他の者もその方向で話を広げている。皆がここでは触れまいと決めたらしい。
だが、人間であるユエの寿命は龍に比べてあまりに短い。
慎家の恋愛下手は周知の事だからこそ、関わらない訳にはいかないだろうと聖辰は思う。
一先ず、深春への猶予はユエが犀慎くらいに成長するまでの数年というところだろう。その間に犀慎の気持ちを確認し、犀慎が後悔しないように最善を尽くす。
塞主としてある為に培ってきた鉄壁の表情で周囲へ悟られないよう、聖辰は思索を巡らせた。