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龍の箱庭  作者: 遠戸
4/18

4.師弟

作者の医療知識は一般人レベルです。考え方等もあくまで物語としてお受け取りください。

 今から八十年程前の事だ。

 東の果てにある暁国を流行り病が襲った。初めは腕や足に赤い発疹が現れる。二、三日でそれは全身に広がり、高熱が出る。次第に呼吸困難など伴い、十日ほどで死に至る。感染力と致死率の高いその病は猛威を振るい、村一つが全滅などという事も少なくなかった。

 頼みの綱である薬師もただ症状に合わせた薬を調合する事しか出来なかった。新たな病という事で薬もなく、急速な広まりを見せている為に効果のある薬を生み出す暇もないのだ。その上に、薬師も薬も絶対的に足りてはいなかった。何とか症状が治まるまで持ち堪える以外に生き残る術はない。その為、体力のない子供や老人から次々と死んでいった。

 琥珀と翡翠の生まれ育った村にも、その病はやってきた。

 最初は若い男だった。既に病の事は村にも知れ渡っていた為、大騒ぎになった。一人罹るとその家族へと移り、一息に村中へと広がる。そんな病だ。薬師がいる訳でもない小さな村で広まれば、殆どの者が助からないだろう。

 当時、二人は二十歳を越えたくらいだった。外見こそ子供だったが、中身は充分に成熟しており、また龍の血を引く為に身体能力も人間の大人を軽く越えていた。頑丈な龍の血を引く二人は罹っても生長らえるかもしれない。だが、母はただの人間だ。助け合いながら一緒に生きてきた村の人々もそうだ。

 どこに行っても薬師は手一杯な上に、その薬師さえもが罹患している事もある。何とか無事な薬師を連れて来ようにも、出向いた先で罹患する可能性もある。どうにか出来ないかと、二人は父である黒鉄に相談した。黒鉄の元々の住処は村近くの湖なのだが、二人の母が生きていた時分は黒鉄も人の姿をとり、村へ頻繁に訪れていたのだ。無論、村の者達も黒鉄が龍である事は知っていた為、琥珀と翡翠の成長速度や身体能力の差にも納得していた。

 黒鉄は龍である為か、やはり人とは感覚がずれていた。可愛い二人の子供に言われて初めて、愛する妻が、気の良い村の者達が命の危険に晒された状態なのだという事を把握した。何とか出来ないかと考えて、黒鉄は龍塞に飛んだ。龍塞の龍達は門から水を通じて各地へ移動したり、逆に各地の水場から龍塞へ移動する事も出来るが、生まれも育ちも暁国で一度も龍塞を訪れた事のない黒鉄は飛んで行くしかない。父母に随分昔に聞いただけの場所に何とか辿り着き、住民に助けを求め、慎家へと連れて行ってもらった。既に当主となっていた犀慎は黒鉄とは面識もあり、病の特徴を聞くと少し前に京華国の南の方で流行った病と同じものかもしれないと言い、その病の薬を調合すると黒鉄と共に村へと赴いた。

 病に罹った者が出て四日。最初に罹った男は高熱で寝込み、その家族も発症。他の村人の中にもちらほらと患者が出始めていた。患者を診た犀慎は予想通りの病であると判断し、用意してきた薬を処方した。薬はきちんと効果を上げ、最初に罹った男も数日で起き上がれるようになり、その家族や他の患者達も重症化する前に回復した。すると、犀慎は一旦龍塞へと戻り、今度はかなりの量の薬と礼慎と貞慎を伴って再び村を訪れた。どうやら、父や弟にも助力を頼んでいたらしい。礼慎と貞慎はすぐに他の村へ向かい、犀慎も村の状態が落ち着くと他の村へと向かった。更に出会った薬師達に調合法を教え、材料を渡し、広めていった為、通常の流行り病よりも随分早く、暁国の流行り病は終息を迎えた。

 その時の犀慎の姿に、琥珀と翡翠は自らも薬師となる道を選んだのだ。

 母が亡くなるまで待ったのも、犀慎の助言によるものだ。人の命は短いのだから、せめて母君が存命の内は一緒にいてあげなさいと、そう言われた。当時は何故と思いもしたが、亡くした後にそれを感謝した。弟子入りしていれば、母と過ごせた時間はその分少なくなっていた。感じている寂しさをきっと母も感じる事になっていただろう。人と龍の時間の差からそれを知っていた犀慎の優しさに感動し、ますます敬愛の念は深くなり、今度こそと弟子入りを果たしたのが六十年程前だ。


 そして、現在。

「琥珀、氷狼の牙はもっと細かい粉末にしなければ均一に混ざらない。薬は毒にもなると教えただろう。下手をすれば凍傷になりかねない。湿布薬だからと気を抜かない」

「はい!」

「翡翠、そっち焦げるぞ」

「あっ!」

「時間に限りがあるからこそ、一つ一つの仕事を丁寧にやりなさい。焦って失敗する方が時間の無駄だ」

 琥珀と翡翠は犀慎と共に様々な薬を量産している。

 傷薬に血止め、痛み止め、打ち身用の湿布薬、火傷の薬に解熱剤。時折、犀慎に不足を指摘されながら、計量し、薬研を擦り、薬を煮出し、煮詰めるといった作業を繰り返している。礼慎や智慎も龍塞に戻り、調薬したり、貞慎と共に龍塞では調達出来ない材料を下界で集めては持って来てくれている。

 犀慎が黒鉄に指示して、大きな被害が出そうな場所に住む者達には警告してくれている。だが、警戒していてもどうしようもならない事もある。全ての住居が頑丈に出来ている訳ではなく、寝ている時に起こる可能性もある。だからといって、事が起こるまで雨風をしのぐ事の出来ない屋外で過ごす訳にもいかない。

 住居が崩れれば怪我人が出る。煮炊きをしている時であれば火災が起こる可能性もある。川や溜池の堤が切れれば水が溢れる事もある。海が近ければ津波が起こる事もある。山が崩れたり、火を噴く事もある。天候によっては更なる状況悪化の可能性もある。薬ばかりでなく、想定される事に対する準備を積み重ねていく。

 ユエにはまだ調薬は出来ない。力仕事も今はまだ早い。時折、犀慎がすり潰したりといった作業を任せてくれるが、基本的には当て布や包帯、出来上がった薬の仕分けなど、そういった仕事が主だ。

 出来上がった薬を小さな壺に小分けしていると、不意に犀慎が申し訳なさそうに口を開く。

「……本当はユエにも説明だけでもしてやりたいんだが……今回は急ぐからな。すまない」

「いえ!お手伝い出来る事があるのが嬉しいです」

「……優しい子だ。本当にうちに来る子は良い子ばかりだな」

 貞慎も同じ事を言っていた、とユエは思ったが口にはしない。

 子供扱いには反発がない訳でない。だが、穏やかで慈しむような犀慎の表情に何も言えなくなる。初めてまみえた時から、ユエは犀慎に弱い。未だに至近距離にはどぎまぎする。精巧な作り物のような美貌に血が通うさまに、反発心など吹き飛び、動揺に呑まれてしまう。琥珀もそうであるのか、きっと抱く感情は同じ筈なのに貞慎の時のようには出来ないようだ。確かに貞慎は犀慎よりも大分砕けた所がある。だが、よく似た顔で同じ事を言っても、同じ行動は出来ない。それが不思議だ。

「……犀姉さいねえいる?」

 扉から伺うように顔を覗かせたのは、貞慎と同じ年頃に見える男性だ。若草色の髪に湖水を湛えた瞳が爽やかな印象を与えるのだが、今日はどこか恐々とこちらを伺っている。彼が深春だ。

 気が良くて朗らかな、柔らかな春の日を思い起こさせる龍なので、件のさぼり癖さえなければとても好感が持てる相手だ。しかし、犀慎の苦労の種の一つでもある為、慎家では完全に好意的ともいかない。

「あの……この間は……」

 ちらりと深春を見遣る四対の瞳は全て冷ややかだ。

「っ!……その、いつもごめんなさい、犀姉……」

 そう、今回に限った事ではないという事をユエも琥珀も翡翠も知っている。だからこその反応だ。

 龍としては同じ年頃だが、細身の貞慎とは違い、深春は程よく筋肉も付いているし、人の姿での背丈も拳一つ分くらいは大きい。そこそこ立派になりつつある身体を小さくして詫びるその姿は、龍だというのに叱られた犬を彷彿とさせた。

「その……聖辰様から聞いて来たんだけど……手伝える事、あるかな……?」

 犀慎は何の表情も浮かべる事なく深春を見詰めている。

 付き合いの長い深春は、犀慎が本当に怒っている時には表情を失くす事を知っている。互いに五家の当主という事もあって、生まれて間もない頃からの付き合いで、それ故の気安さから甘えていた。結局は許してくれるのだと思っていた。犀慎にも限界があるのは冬歓との一件で知っていた筈だった。口煩く感じる事もあるが、何だかんだで面倒見が良くて優しい犀慎が大好きなのだ。愛想を尽かされたら、五家の当主としての表面上の付き合いになってしまったらと思えば、泣きたくなってくる。

「……はあ」

 暫しの沈黙の後、犀慎が一つ息を吐いた。思わず、深春の肩が跳ねる。

「……次はないからな」

「犀姉っ……!!」

 深春は犀慎へ駆け寄り、抱き付いた。犀慎の方は、ぎゅうぎゅうと抱き締めてくる深春にされるがままの状態で指示を出す。

「まず……琥珀達の村を拠点にしようと思う」

「物資の保管場所と運搬に手数が要るか……うちの奴等や秋霜と朱夏にも声掛けてみる」

「地震の後に、家を失くした者達が雨風をしのぐ場所や怪我人達を休ませる場所も必要になる」

「頑丈なのが必要だね。でも時間も資材もないし、救護所が優先かな。出来るだけ大きなものにして、併用出来るようにするのが早いか。慎家だけで全部の村を診るのは無理だよね?」

「運び手が居れば、拠点に怪我人を運んでもらう事も考えている。だが酷そうな所には直接出向いた方が良いだろうから、一対三か二対二で考えたい。手が足りない所には琥珀と翡翠にも入ってもらう。元から薬師がいる所は、救出が終われば物資だけでいいだろう」

「成程。確かに拠点に運んだ方が効率的だね……基準とかは……がっ!」

 深春が犀慎の頭に頬擦りしだしたところで、犀慎が深春の顎に掌底を喰らわせた。自由になった犀慎は、薬草を煮詰めている鍋に煮凝りに似た新たな材料を投入する。不死鳥の羽根を煮出した物だ。深春に指示を出しながらも鍋の様子は見ていたらしい。

「舌噛んだし、首捻った……犀姉、痛いよ……」

「薬を作っている時に煩わしい事をするお前が悪い。失敗作を作っている余裕はないんだ」

 首を擦る深春に一瞬だけ非難の眼差しを向けると、再び犀慎の視線は鍋の中へと戻る。

 他には察せない僅かな視線の動きだけで言葉にした以上の意図を深春が察したのは、五家の当主として在るだけの才覚と付き合いの長さだろう。犀慎が一瞬だけ視線を向けたのは、まだ幼いユエだ。幼子には言えない事がある、という事だ。

「……わかった。今は邪魔になりそうだから、また出直すよ。とりあえず秋霜と朱夏に応援要請してくる」

「被害予想は纏めてある。目途が立ったらまた来てくれ、詳しく説明する」

「うん、じゃあまたね」

「ああ」

 苦笑を浮かべて、深春は別れを告げる。

 犀慎は返事だけ返しながら、鍋を掻き混ぜ具合を確かめている。作っているのは火傷用の膏薬だ。

 薬自体もそうだが、材料さえ下界ではほぼ手に入れる事は出来ない薬だ。材料の事もあって慎家だけに伝わる物で、下界では神薬、秘薬扱いなのだが、不死鳥の羽根から煮出した抽出物を配合している為に皮膚の再生にも効果があり、最初の段階から使用していれば重度の火傷でもほぼ痕は残らないし、出血さえ止まっていれば傷薬としても使える。出血している場合に使えないのは、患部が再生する際に血流が活発になる為だ。浅い傷ならばともかく、傷が深ければ癒える前に失血死してしまう可能性がある。血止めの効果もあれば外傷に対する万能薬と成り得るのだが、血止めとして使用される材料を色々と試してみたもののどうにも上手くいかないらしい。その為、犀慎が死に掛けた際にも使えずに痕が残ってしまったのだという。それもあって、夢の万能薬に使える材料を探すのも智慎が芙蓉と旅をしている理由の一つとなっている。

 現在、慎家が、犀慎が忙しい事は深春もよくわかっている。これからどれだけ必要になるかわからない薬の製作に集中するのも当然の事だ。それでも、振り返りもしない犀慎に深春は小さく嘆息した。

 もう完全に深春は犀慎の意識の外だろう。さっきの遣り取りもただ戯れているだけだと思われているのもわかっている。犀慎はそういう性質だ。

 そうと知っていても、深春は落胆を禁じ得ない。その落胆を、ユエは聞いた。

「……意識くらいしてくれてもいいのに」

 深春の口から零れた呟きを、すれ違い様に耳が拾ったのだ。

 どこか拗ねたような深春の言葉の意味をユエが理解するのはまだ数年は先の事で、犀慎に抱き付いていた深春によくわからない怒りを覚えていたユエは何を言っているんだと更に怒りを膨らませていた。

 決して犀慎に抱き付いたり、抱き締められたりしたい訳ではない。もう子供ではないのだ。

 格好つけて大人ぶりたい年齢に差し掛かっているユエには、小さな子供のような愛情表現はもう恥ずかしい事になっている。ただ、犀慎の負担を増やし、調薬の邪魔をした深春が気に入らないだけなのだ。犀慎を抱き締め、あまつさえ頬擦りしようとしたのが原因ではない。

 むすりとしながら擦る薬研の音が耳に付いた。


 そして、評議の日から一月半が過ぎ、その時が来た。

 無論、龍塞は暁国から離れている上に空中都市なので揺れない。黒鉄から慎家の水盤に連絡が入った。

「犀慎様!居られますか、犀慎様!」

 犀慎は神獣である龍だ。近しい水を介したものであり、対象も犀慎である為、犀慎は慎家の中であれば水の揺らぎを感じられる。

「黒鉄か?」

「はい!地震が起こりました!村は殆どの家が倒壊。皆、寝ている時間だったので、今のところは火は出ておりませんが、家の下敷きになっている者も多い様です。その者達を助けてから、周辺を見回ります」

「わかった。こちらもすぐに向かう。」

 暁とは多少の時差がある龍塞では、どこも夕餉を済ませ、そろそろ眠ろうかという時間帯だ。

 犀慎もそろそろ床に入ろうとしていた所だったのだが、そうはいかなくなってしまった。

 声を掛け、家の者を集めなくてはいけないが、そうするまでもなく、皆、水盤の周りに集まって来ていた。

「犀慎……黒鉄からか?」

「はい。皆、支度を。私は、先に聖辰様と深春に連絡を入れます。ああ、ユエ。お前は私と動く予定だったが、母上と共に今晩はここに留まり、休みなさい」

「犀慎様!」

「皆、夜通しになる。明日の朝、お前には母上と共に皆の朝餉あさげを用意してきてもらいたい」

「!!」

「おそらく皆それどころではない筈だが、食事をすれば私達も村の者達も多少緊張が解れる。美味い物を作って持って来てくれると助かる」

「明日は早起きしなくちゃね!ユエちゃん、大変だけど頑張りましょうね!」

「はい!」

 初め、ユエはただ置いていかれるのかと思った。確かに付いて行っても、言われた物を運んだり、誰にでも出来るような簡単な小さい傷の手当て程度の事しか出来ないだろう。それでも、少しでも役に立ちたいと知っている筈なのにと怒りに似た苛立ちすら感じた。

 しかし、話を聞けばちゃんとユエを当てにしてくれている。出来る事を割り振ってくれている。

 奮起するユエを確認すると、犀慎は玉蘭と視線を交わす。

 犀慎の言葉には確かに嘘はない。だが、寝入っていた者が多いだろう時間の為、逃げ出す間もなかった者は少なくないだろうとの判断もある。まだ幼いユエには惨状を見せたくないというのが半分だ。

 任せろというように頷く玉蘭に犀慎もまた頷き、水盤に働きかける。

 暫くの後、支度を整えた一行は下界へと向かった。


 翌朝、ユエが玉蘭と共に向かった琥珀と翡翠の村は、思いの外落ち着いていた。

 黒鉄が真っ先に駆け付けて倒れた家屋から人々を助け出していた所為か、怪我をした者は多かったが酷い状態の者は少なく、幸い死者も出なかった。

 深春の働き掛けに加え、黒鉄が下界の龍達にも声掛けをしていた事で予想より多くの龍が協力してくれているお陰で、戻って来た黒鉄が倒れた家を解体して村の隅に片付けていたし、動ける者は煮炊きをし食事の支度をしている。

 だが、薬師の居ない村へ向かった龍達が度々ひどい怪我をしている者達を運んできている為に救護所だけは慌ただしい。犀慎も琥珀も翡翠も食事をする余裕もなく、治療を続けていた。この後、琥珀と翡翠は少しだけ休んで、午後にはそれぞれ貞慎と礼慎の元に向かう事になっている。

 礼慎、貞慎、智慎は少し離れた村や町で救護に当たっており、怪我人を運んできた龍がユエと玉蘭が用意してきた朝餉を運んで行った。

 一度、治療する者が減った機会を見計らい、琥珀と翡翠が食事と仮眠を取り、その後犀慎が食事の為の休憩を取った。ユエは疲れ以上に、どこか思い詰めたような表情の琥珀と翡翠が気になったが、折角の時間を使わせる訳にはいかないと尋ねる事はしなかった。しかし、少し心配で二人の様子を気にしながら布や薬の補充をしていた。

「……ユエ、朝早くから頑張ってくれたそうだな。ありがとう」

「犀慎様!」

 声を掛けてきた犀慎を見遣ると、薬草園の手入れや調薬の際にいつも着ている木綿の衣が所々血で汚れていた。どれだけの人を診たのだろうと犀慎の疲労を思うが、当の犀慎は穏やかな笑みを湛えていて、まだ余力がありそうだ。他の肉体労働をしていた龍達もまだ元気に動き回っているし、やはり龍と人間では身体の造りも違うのだろう。

 犀慎はユエの隣に腰を下ろすと、粽を包んである笹の葉を剥いて食べ始める。

「思ったより、酷い怪我をした人が少なくて良かったです……」

「予想以上に龍達が手伝ってくれているからな。だが……この村のようにすぐに助けが入った場所ばかりじゃない。そんな場所は、ここより酷い筈だ。倒れた家も一度に倒れる物ばかりではな……っ!」

「うわっ!」

 地鳴りと共にぐらぐらと大地が揺れた。それ程大きな揺れではなかったのだが、ユエにとっては初めての体験だった為、かなり驚いた。大きな揺れを体験した村人達は反射的に反応するが、龍の作った頑丈な救護所は何の被害もなく、安心したようにまた身体を休める。

「……これが、地震ですか?」

「ああ……大きな地震の後はこうして何度も揺れる事も多い。それによって、最初はまだ形を保っていた物が完全に潰れてしまう事もある。その中にまだ人が居たら……」

「っ……!!」

「この村で死人が出なかったのは、すぐに動いてくれた黒鉄に因るところが大きい。そして、さっきのように続いている揺れが、ここに運ばれてきた怪我人の怪我が酷い理由の一つでもある」

 ユエの顔から血の気が引く。

 つまり、これからここに運ばれてくる者達はもっと状態が悪い可能性があるという事だ。助からない者もいるかもしれない。

 薬壺を掴むユエの手に、思わず力が籠る。

「……ユエ、覚悟が出来ていないなら、母上と共に帰りなさい。ここでなくとも出来る事はある。死に立ち会う事はなくとも、食事が喉を通らないような惨状を目にする可能性はある。……お前はまだ幼い。薬師になるにしても、今である必要はない」

 琥珀や翡翠があんな顔をしていたのも、それが理由だろうか。予想以上の惨状に打ちのめされたのだろうか。

「琥珀さんや翡翠さんが厳しい顔をしていたのは、その所為ですか……?」

「……よく見ているな。まあ、それもない訳ではないだろう。だが、一番の理由ではない。龍塞は平和だし、龍は頑丈だからな……」

「……?」

「……琥珀と翡翠が弟子入りして六十年程になる。一つの地域や国で生きる下界の薬師より、知識も技術も遥かに上だ。しかし、まだ薬師としては未熟だ。何故だと思う?」

 不意に話題が変わるが、その理由がわからない。

 若干困惑しつつも、関係のない事は言わないだろうと、とりあえずは二人が犀慎から指摘されていた事を思い出してみる。

 普段ならきっとやらない事だが、先日、大量に調薬していた時はやる事が多すぎて焦っているのか、二人の仕事は少々雑になっていた。

「ええと……状況で仕事の精度が違うから……?」

「それは結果だな。薬を作り始める前に、私が二人に何を聞いたか覚えているか?」

「……どんな薬が必要になるかを聞かれていたと思います」

 その際の回答にも、犀慎の補足が入っていたのを思い出す。

「そうだな。何かが起こり、それによってどんな事が引き起こされ、何が必要になるか。今回は前もってわかっていたから準備も出来たが、いつもそうである訳がない。予想外の突発的な出来事など幾らでも起こり得る。そういった時は、混乱で頭が回らない事もある。独り立ちすれば己で判断する事になるし、ゆっくりと考えているいとまもない事もあるだろう。状況を冷静に、そして的確に把握して判断する事が必要になる。それには、経験が物を言う。経験は焦りを緩和させるしな。龍は頑丈だし、龍塞では地震のような災害が起こらないのも一因だろうが、経験も覚悟も、まだ二人には足りていない。今回の事で、二人は己が不足を知った筈だ。」

 確かに、ユエが犀慎の手伝いを始めてから龍塞で大きな怪我や病気をした者は龍にもその他の住人にもいないように思う。下界に下りれば、偶に礼慎の元にやって来た怪我人や病人がいたり、妖や魔獣と呼ばれるもの達と戦う時に戦っていたり襲われたりしていた人間の手当てをする事もある。だが、こんな数を一度に診る事はない。

 思っていたよりも動けない。その事に落ち込んでいるのだろうと犀慎は言うのだ。

「ユエもわかっているとは思うが……私達の知識や技術は、人の持つものよりずっと多い。だが、万能ではない。時には非情な決断をする事もある。例えば大勢の怪我人がいる中、助からないとわかっている者をどうしても助けようとするのか、助けられる者の為に切り捨てるのか。そういった決断を迫られる事もあるだろう。貫くも良し、一より多を選んでも構わない。だが、どちらを選ぶにせよ覚悟が要る。琥珀も翡翠も優しい子だが、優しさと優柔不断は違うんだ」

「……俺は、琥珀さんも翡翠さんも、確かにまだ犀慎様には注意されるけど、いつでも独り立ち出来るんだろうなって思ってました。知識とか技術だけじゃ、駄目なんですね……」

「そうだ。勿論、知識も技術も大事だ。だが、どれをどう使うのが良いのか判断出来なければ使えない。使えなければ知識も技術も意味がない。琥珀も翡翠も、ユエと同じで頑張り屋だ。だが、失敗を恐れるあまりに判断する勇気を持てていない。確かに、失敗は少ない方が良いし、失敗出来ない事もある。命に関わる事だからな。その為にいつも私なり、父上なり、貞慎なりが付いているんだが、ずっと判断を任せがちになっていた。傍で何十年も見てきたんだからそんなに的外れな事はしないだろうし、違うと思えばちゃんと指摘するのにな。だから、父上と貞慎とも相談して二人がやらざるを得ないようにしたんだ。実際、二人にも己で判断してもらわなければ手が回らない。多少荒療治だが、良い機会だし、二人ならきっと越えられる」

 尻込みする二人への発破もあるのだろうが、それ以上に信頼がある。それを羨ましいと思う。いつか、自分も犀慎に信頼して任せてもらえるようになりたい。

「……俺、やっぱりここに残ります。俺はただの人間です。琥珀さんや翡翠さんよりずっとずっと俺の時間は少ない。正直、怖いなって気持ちもあります。でも、逃げてる時間が勿体ないです」

「……そうか。わかった。ならば、やれるところまで頑張りなさい。だが、無理はするな」

「はい」

 ユエの返事を聞くと、犀慎は粽を食べきり立ち上がる。

 視線は、喧騒が近づく出入り口に向いている。新たに運ばれて来た怪我人がいるのだろう。

「……さて、戻るか。美味しかったよ、ユエ。御馳走様」

「お口に合って良かったです」

「薬の補充が終わったら、母上と昼の支度を頼む。午後からは琥珀と翡翠もここを離れるからな。ユエにも手伝ってもらうぞ」

「頑張ります!」

 ユエの言葉を信用して、傍で手伝わせてもらえるらしい。

 不安はある。だが、意気込みが勝る。

 奮起するユエの頭を一度撫でて、犀慎は出入り口へと向かう。

 その背を見送ると、ユエは任された仕事と向き合う。

「よし!やるぞ!!」

 気合を入れ直すと、補充を再開する。

 今のユエに与えられている仕事は、犀慎と琥珀と翡翠が怪我人の治療に専念出来るように不足を出さない事だ。単純だが大事な仕事だという事は、あの慌ただしさの中でみるみる内に減っていく布や薬を見ているのでよくわかっている。

 ユエに出来る事は少ないが、だからこそ出来る事は精一杯やると決めている。

 そんなユエの姿が皆の励みになっている事を当人だけが知らない。

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