2.決別
ユエが目覚めて数日。
具のない粥が普通の食事になり、身体のあちこちに出来ていた傷やあざの痛みも和らいで問題なく動けるようになった。それを見計らい、ユエは犀慎と共に生まれ育った村へと赴く事になった。庇護欲に駆られた琥珀と翡翠も一緒だ。
「うわぁ……!」
龍塞には驚きが詰まっているとユエは思う。
慎家の屋敷を出て目に入った周囲の景色は、まるで慎家の庭にあった蓮池のようだった。盆か皿のような丸い石垣に囲まれている土地や、蓮のような形の白い石に囲われた土地が高低差を持って浮いている。龍塞は空中都市なのだ。
慎家の屋敷はかなり高い位置にある大きな蓮の花芯にあり、蓮の葉のような丸い土地を見下ろしている形になる。その中に建物や庭、または田畑などが作られ、それぞれは橋で繋がっている。その隙間から覗く更に下に広がっているのは深い青で、時折きらきらと日差しを返して輝いているのだが、ユエにはそれが何なのかはわからない。諸所には雲が浮いていて、場所によっては触れられそうだ。
寝物語に父から聞いたおとぎ話のような景色が眼前に広がっていて、驚きと興奮でユエの頬は上気している。
「……あそこが塞主様の宮だ」
犀慎に言われてユエは視線を上に向ける。一際高い位置にある蓮の花はどの花よりも大きい。下から仰ぎ見ても花びらに邪魔されて中は全く伺えない。
「……見えない」
「そうだな。だが、状況次第ではご挨拶に向かう事になる。その時は中まで入れるからじっくりと見るといい」
「うん!」
「さあ、行こうか」
落ちないようにと手を引く犀慎に従って、幾つかの橋を越える。少しばかり下に降りたそこには、門だけが佇んでいた。
蓮の葉のような円形のその場所には他に建物のようなものはなく、門の前後左右を見ても何もない。
ユエが首を傾げていると、犀慎がその朱塗りの門の扉を押した。すると、何もない筈のその先には何処から流れ落ちて何処へ流れ行くのかわからない水が瀧のように流れていた。
「えっ?」
平然と犀慎はそれを潜ろうとし、手を引かれているユエも数歩前進した。当然、水を浴びるだろうと思っているユエは反射的に目を閉じる。しかし、予想していた水の衝撃はなかなか訪れない。恐る恐る目を開くと、そこは澄んだ水の中だった。
「……ええっ?」
水中だというのに呼吸は出来ている。よくよく見れば水はユエ達に触れておらず、泡のようなものの中にいるようだ。
驚いて犀慎を見遣ると、大丈夫だというように笑みを返される。琥珀と翡翠も慣れているようで、驚いてはいない。
光が水の中に降り注ぎ、薄青い世界はかなり先まで見通せる。水場の縁に当たるのだろうゴツゴツとした岩肌に小魚。底には小石や砂も見え、小さな蝦もいる。少し離れた場所で白く泡立ちうねる水の流れ。水面越しの緑。水面の波紋でゆらゆらと踊る光。初めて見る世界は、夢のように美しい。
あの雨の日の荒々しい川の流れとは全く違う。
ユエが夢中になっている内に、ユエ達を包み込む泡はゆっくりと浮上して行き、水面に立つと泡は軽い音を立てて弾けて消えた。しかし、ユエの身体が水に沈む事はない。犀慎という龍が共に在る事で、何らかの力が働いているのだろう。
囂々と鳴る水は音こそ似ているが、あの日とは違い澄んでいる。ユエ達は上から流れ落ちる滝の水が溜まる水場に居た。そこはかなり大きく、湖と言っていいだろう。
村に行くと言っていたので、村の近くに着くのだろうと思っていたユエは、首を傾げた。
「ここは?」
「……お前の村の側を流れる川の上流にある滝だな。川から現れては驚かせるだろう?……ん?」
「うわぁ!」
何かに気付いたように、犀慎が視線を巡らせる。つられて視線を向けると、様々な色と大きさの光の玉が集まってきた。
「……ユエ、見えるのか?」
「うん。色んな色の光がいっぱい……あっ!」
突然大きな声を上げたユエは、やってしまったというように空いた片手で口を覆い、眉をハの字に寄せている。
「どうした?」
「……お父さんに駄目って言われてたのに……」
誰にでも見える物ではないから、見える物の事も見える事自体も、父母以外の他人には話してはいけないと言われていたのだ。
「ああ……誰にでも見えるものではないし、下手に話せば身を危うくする可能性がある。父君はよくわかっていたのだな。だが、私達には話しても大丈夫だ。私にも、琥珀と翡翠にも見えている」
不安げにユエは犀慎を見上げる。
確かに犀慎はユエよりも先に光に気付いた様子だった。更に、ユエよりも父が話す事を禁止した理由をわかっている。本当に大丈夫なのかと言外に込めた眼差しを向ければ、穏やかな瞳で首肯される。
「……うん。わかった」
「ところで、声は聞こえるか?」
「声?……ううん。でも、何だかざわざわする気がする」
耳が拾うのは滝の水音と風に吹かれた木々の葉擦れの音くらいのもので、ユエには声は聞こえない。だが、感覚として何だかざわざわしているような気がする。
ユエの返答に犀慎は感心したように言う。
「……成程、相当のものだな……。しかも、父君に理解があるという事はおそらく父君もか。愛し子の血筋とは珍しい……」
光の玉の正体は、この辺りの者達が山の神、川の神などと呼ぶ精霊達である。神は神で存在するのだが、その区別が付く人間はそうはいない。
勘の良い者は精霊達の存在に何かを感じたりする事もあるが、基本的に普通の人間には見えない。しかし、精霊と相性の良い者には見える事があり、心を通わせる事も出来ると言われている。心を通わせた人間の為に、自然の恩恵を授ける精霊は多い。そういう者達の事を精霊の愛し子と呼ぶのだ。
ちなみに、犀慎は龍だ。神獣と呼ばれる存在である犀慎は精霊とも近しく、ユエのように光としてではなく、獣のような、人と植物が融合したような、精霊それぞれの姿に見えている。
受け取ったのが犀慎であったのが偶然か必然かはわからないが、おそらくユエの危機を水の精が知らせてきたのは、ユエが愛し子であるからなのであろうと犀慎は解釈した。
それにしても、常にはそれぞれ勝手気ままに暮らしている彼等がこうして集まるのは珍しい。気になった犀慎は精霊達の声に耳を傾ける。
『……龍だ』
『龍が来た』
『ユエがいる』
『ユエと一緒』
『シルバ』
『シルバ呼ぼう』
『おいで、シルバ』
シルバ、とはどこか西方の国の響きを感じる名だと犀慎は思う。名を持つ精霊は珍しい。
木々や花の精に押しやられるようにして現れたのは、ユエと同じ色を持つ人間の男の姿をした精霊だった。
『……ユエ!?』
男はユエの姿に驚きの声を上げ、その傍まで行くと愛し気にユエに触れ、しゃがんで顔を覗き込んでいる。しかし、残念ながらユエには、銀色の小さな光の玉が目線近くに浮いているようにしか見えてはいない。傍近く浮遊する光をただ不思議そうに見詰めている。
ユエによると、父親は山の事故で亡くなっているらしい。おそらくこの男がユエの父親で、その山にこの湖があるのだろうと犀慎は判断した。
精霊の愛し子が死後に精霊になる事があると話には聞いたが、実物に会うのは犀慎も初めてだ。
『ユエの父君かな?』
『あなたは……あなたがユエを助けてくださったのですか……?』
『そうなるか?』
『ありがとうございます。本当にありがとうございます……!!』
そしてユエの父親――シルバはこれまでのいきさつを話し始めた。
己が精霊の血を引くと伝わる一族で、それ故に狙われ、一族は流浪の民となった事。ある時に賊に襲われて逸れ、一人旅を続ける内にこの地に辿り着き、ユエの母と恋に落ちてユエが生まれた事。そして、己が死の理由。精霊となってからの事。今回のユエの一件の事もシルバは知っていた。
口から発する言葉とは違い、思念での会話は時を要しない。他からすれば僅かな沈黙で会話を終えた犀慎は、吐き捨てるように呟いた。
「……下種め」
「犀慎様……?」
犀慎の呟きに、翡翠が問うようにして声を掛ける。
「……琥珀、翡翠。方針転換だ」
犀慎の消えた表情に、琥珀と翡翠は怒りを察した。
琥珀と翡翠は父親は龍であるが、母親は人間だ。純粋な龍ではない。ユエよりは勝るが、犀慎程に精霊の姿をはっきりと認識出来る訳ではなく、声も何かを言っている事はわかるが何を言っているのかよくはわからない。何となく喜怒哀楽を感じる程度だ。犀慎が話さなければ会話の内容はわからないのだが、おそらくはユエには聞かせたくない、犀慎が怒るような内容なのだろう。
二人の犀慎との付き合いは八十年程になる。母親が身罷ったのを契機に、縁のあった犀慎に弟子入りした。龍にしてみれば短い時間だが、それでも相手の性質を知るには充分だ。
龍は長くを生きる所為か、基本的に人間程感情の振れ幅は大きくない。穏やかでのんびりとした性質の者が多いのだ。しかし、それでもそれぞれに感情に触れるものがあり、それに触れた者には容赦はない。
龍の身体には、顎の下に一枚だけ他とは逆に生えた逆鱗と呼ばれる鱗があり、これに他な者が触れると激昂し、即座に殺すとされる。確かに触れられる事を厭いはするのだが、気を許した者にはそこまでの事はない。しかし、今回のその怒りの苛烈さは同じだ。
犀慎は己が事にはあまり頓着しないが、面倒見が良く、懐に入れた者に対してひどく優しい。百年程前には、それで死に掛けた事もあるらしい。ユエは既に、その内にいる。
おそらく、聞けば己等も同じように怒りを覚えるだろう事を知ったのだろうと二人は思う。
「承知いたしました」
「仰せのままに」
二人の返答に、犀慎は頷いた。
鄙びた村、更には溢れた川の水に浸かって荒れ果てた村に、如何にも高貴な存在はひどく目を引いた。
幼子を連れた、若い美しい娘と娘より少しばかり年下の少年少女だ。幼子と娘が何らかの話をしているのを、よく似た容姿の少年少女が辺りを警戒するように控えている。様子からすると、娘は少年少女の主人であろう。幼子もどこか娘に遠慮があり、娘の子供や兄弟という訳ではなさそうだ。
だが娘だけでなく、従者であろう二人も幼子も村の者とは雲泥の上質の衣を身に纏っている。たまに村を訪れる役人でさえ村の者よりましな程度の身なりで、絹、それも上質の物を身に纏う者など誰も見た事がない。そもそも絹を見た事すらない。ただ、見た事もない艶やかな美しい布地の衣を身に纏っている時点で、本来ならば死ぬまでに出会う事などまずないだろうと思われる程の高貴な存在なのだろうと、学がなくとも察せられる。
どこからやってきたのか、誰もそれを見てはいなかったが気が付くと村の中に立っていた。
一人が気付き動きを止めると、つられたように視線を向ける。田畑や家屋から泥を掻き出そうと汗を流していた村人達が何事かと遠巻きに集まりだし、その中に見慣れた姿を見つけた者がいた。
「……あれ、ユエじゃねぇか?」
「本当だ……あいつ、生きていたのか……!」
「いや、だが……あの川に投げ込まれて生きていられる筈が……」
ひそひそと村人達は言葉を交わすが、気付かれない筈もない。娘――犀慎に表情もなく見詰められて、皆が口を噤む。
「……どうした?何があった?」
「村長!!」
其処に村の異変を見咎めた村長が息子を連れてやって来る。
「これは……!このようなところへよくお越しに……ユエ!?何故お前が……」
割れた人垣から覗いた貴人一行の姿に、村長は慌てて駆け寄る。そして、ある筈のない姿に驚く。
「この子……ユエは、この村の子で間違いないか?」
「……はい。しかし何故、ユエが……まさか、あなた様は……」
犀慎の事をユエを捧げた川の神だとでも思ったのだろう。村長の顔には戸惑いが浮かんでいる。
「……ユエを選んだのは誰だ?」
「はい、私です!」
「一郎!」
「お喜びいただけたようで何よりでございます!」
迂闊な息子を村長は窘めるが、当の息子は気に入る者を捧げた、その褒美を貰えるとでも思っているらしい。欲の透けたいやらしい笑みを浮かべている。
「……喜ぶ?」
村長の懸念通り、犀慎は嬉々とした一郎に冷たい眼差しを向けている。
「喜んだのなら、この村は水に呑まれはしなかったのではないか?事実……私達は怒りを覚えている」
「えっ……?」
次の瞬間、一郎の身体は地に這いつくばっていた。
目にも留まらぬ動きで犀慎は一郎の足を払い、倒れ込んだ背中を踏み付けたのだ。一郎は力づくで起き上がろうとするが、杭でも打ち込まれたかのように身体が地に貼り付いて動けない。ただ手足をばたつかせている。
「な、なんで……」
何故起き上がれないのか、何故こんな事をされなければならないのか。一郎の頭にあるのはそんなところだろう。しかし、犀慎は一郎の様子など気にも留めない。
「さあ、ユエ。お前をあのような目に合わせ、母君を死に追いやり、そして……父君を殺した男だ。どうしたい?」
「えっ?」
ユエだけでなく、村長や他の村人達も驚きの表情を浮かべている。大半の者の驚きの理由はユエの父親の事であろうが、ユエにはそれ以上に母の死の衝撃が大きい。
「……お母さん、死んじゃったの……?」
零れんばかりに見開かれた瞳にみるみる涙が溜まっていく。
それを悲し気に見遣りながら、犀慎は頷く。
「……そうだ。ユエがとても大事だったから助けようとしたんだろう。お前を追って、川に飛び込んだらしい……」
ユエの瞳から涙が次々と溢れ出し、わななく唇から嗚咽が漏れる。堪らずに翡翠がユエを抱き締めると、ユエは大声で泣き始めた。琥珀は怒りを隠そうともせず、村の者達を見詰めている。
ユエの様子を痛ましげに見ていた犀慎だったが、琥珀と翡翠の様子に視線を足元へと移す。
「ユエにあんな事をすれば、母君が後を追う事などわかりきっていた筈なのにな……まあ、この下種は気付きもしなかったのだろうが」
「ぐあぁっ!!」
犀慎の足元でミシミシと何かが軋む音がした。一郎の骨が軋む音だ。
「一郎……!!」
「夫君を亡くし、生きるよすがのユエまで亡くした母君が弱った所に付け込んで、手を出そうとしていたんだろう?見下げた下郎だ」
「っ……があっ……助け……!!」
悲鳴を上げる一郎に、父である村長が焦る。
「どうかお止めください!!ユエとその母であるサヨの事はともかく、父親の事は何かの間違いでは……」
その言葉に、犀慎が左の袖を振る。するとユエの傍で眩い銀色の光が輝いて、人の形をとった。その姿に皆、息を呑む。
「……お父さん……?」
ユエが呆然と呟くとシルバは優しい笑みを向け、そっとユエの頭を撫でる。感触はないが温かさのようなものを感じて、ユエはシルバに手を伸ばすが、それが触れる事はない。
もう会えないと思っていた父の姿への恋しさと、姿はあってももう生きてはいないのだという喪失感に、驚きに止まっていた涙が再び溢れ出す。
心ある者達はもう見ていられず、視線を逸らしている。
「……ユエの父君はな、お前達が川の神や山の神と呼ぶ精霊達と通じる力を持っていた。血が混じっていたらしい。その為か、殺された後に自身も精霊となって、あの山からユエと母君を見守っていたんだ」
犀慎が示した先には、犀慎達が辿り着いた湖のある、ユエの父が命を落とした山があった。
「……愚かだな。父君の力添えがあれば、実り豊かになり、腹も膨れ、生活も楽になっただろうに……。ユエもまだ気付いていないだけでその力を継いでいる」
犀慎が左手を差し出すようにすると、その掌の上に青い光が輝いて、小さな白い蛇に魚のひれのついたような生き物が現れる。
「この子は、お前達がそこの川辺に作った社に宿る水の精だ。この子はユエのいるこの村を守ろうと川を押さえる為に力を尽くしていたというのに、お前達はユエを殺そうとした。だから、この村は水に呑まれた」
「そんな……」
村長も村人達も愕然とする。
あの時は狂気に駆られていたとはいえ、サヨがユエを追って川に飛び込んだ時に己を取り戻した者も少なからずいる。その罪悪感に加え、あの時の狂気が現在の村の苦境の原因だと言われて、何も考えられない。
「父君だけではなく、父君と心を交わした精霊達もお前達には怒りを覚えている。ここから精霊達は去る。今後、お前達の育てる作物は育たず、山は実りを与えず、水もお前達を苦しめるだろう」
そんな事になれば、誰も生きてはいけない。男も女も老人も子供も関わりなく死ぬしかない。村人達が息を呑んだ。
「そんな……」
「どうにか……どうにかならないのですか?お願いします。助けてください!!」
「……ユエの母君もやめてくれと言ったのではないか?それを踏みにじっておいて、何故助けてもらえると思うんだ?」
「そ、れは……」
「そもそも、己が身を呈すと言うならともかく、己が保身の為に幼子を犠牲にするような輩の願いなど、聞き届けてやる道理はない」
何とか縋ろうとする村人達を、犀慎はにべもなく切り捨てる。悄然とする様を気にする素振りもない。
「……?がはあっ!!」
犀慎は、一旦一郎の背中から足を退けると、その身体を蹴り飛ばした。一郎の身体は二、三度地を跳ねた後に勢いよく滑って行き、川の神の社にぶつかって止まった。
痛みに呻く一郎の元へ、一人二人と村人達が向かい、取り囲む。
「……なんて事を……一郎、お前はなんて事をしたんだ!!」
「一郎、お前の所為で……!!」
「や、やめろ!やめてくれ!!お前達だって納得したじゃないか!!」
「うるさい!!」
村人達の絶望が怒りへと変わる。あの日の狂気が今度は一郎へと向けられる。
一人が一郎を蹴った。それを契機に次々と一郎へと手を上げる。一郎は身を守ろうと蹲り、悲鳴を上げながらも懇願するが、それは止まらない。
父親である村長とその妻が何とか制止しようとするが、止まる筈もない。お前達の息子が原因だろうと言われれば何も言えず、寧ろ怒りは飛び火する。暴行は標的を増し、怒りと悲鳴が村を包んだ。
殺伐とした村人達を一瞥すると、犀慎はユエとシルバを見遣る。その視線に気付いたシルバは頷き、ユエに犀慎の方を見るよう促す。ユエのすぐ傍までやってきた犀慎は、しゃがんで視線を合わせると優しく声を掛ける。
「……ユエ、私達と龍塞で暮らさないか?父君も一緒だ。父君がこの姿でいられるのはあと僅かだが、先程までの光として傍にいてくれる。母君のお身体も探して、父君のお身体と共に龍塞で弔おう」
「本当……?」
ユエがシルバを見遣ると、優しい笑みで首肯される。
「今のユエには護ってくれる存在が必要だ。父君は傍にはいてくれるが、肉体はもうない。代わりに、私達にユエを護らせてはくれないか?食べるのには困らないし、生きていく術も教えよう。……どうだろうか?」
ユエは一人では生きていけない事を知っている。
作物の育て方も狩りの仕方も知らない。知っていたとしても非力な子供に出来る事など碌にない事は、村での生活で知っている。手伝いはしていたが、父の分も一人でこなしていた母の助けになどなってはいなかった。そして、川に捧げられた時のように力尽くで来られては、逆らう事も出来ない。
だが、犀慎はユエの意思を聞いてくれる。きっと色んな道を考えてくれているのだろう。どうせなら、この綺麗で優しい龍といたい。
「……また、蜂蜜食べられる?」
「ああ、勿論だ。他にも美味しい物は沢山ある。それも食べよう」
「うん!」
心からの笑みで返事を返すと、優しい笑みが返る。
「……では、帰ろうか」
ざあっと強い風が巻き起こる。
ユエは思わず腕で顔を庇って目を閉じた。間もなく風は止んで、目を開くとそこには美しい龍がいた。青みがかった紫の瞳を持つ、金色の龍だ。
「……犀慎様?」
「ああ、そうだ。空は冷えるから、琥珀と翡翠にくっついていなさい」
犀慎はそっとユエと琥珀と翡翠を前足で抱えると、音も立てずに舞い上がる。高い笛の音のような声で一声啼くと、一度旋回して犀慎は飛び去った。そして、只人には見えない色とりどりの光の玉がその後を付いて行く。
巻き起こった風に動きを止め、視線を向けていた村人達は呆然とその姿を見送った。