18.起源
ブライト皇国南東部、ヒースの森。
ここにユエは貞慎と訪れていた。犀慎は評議の準備で不在だ。
鎮痛剤や睡眠薬に用いる薬草は、いつもはもう少し西にあるウルの森で採取していた。しかし、先日落雷で森が焼けてしまったらしい。そこでこちらへやって来たのだ。
ウルの森も豊かな場所だが、ヒースの森は更に豊かで広い。鳥や獣達の気配もあちこちに感じる。
「こんな所があったんですね……」
「うん。本当はユエをここに連れて来るのは嫌だったんだけどね……」
「えっ!?」
そう、ユエが修業を始めてもう十年以上になるが、この森を訪れるのは初めてなのだ。
困惑を滲ませるユエに、貞慎が苦笑を浮かべた。
「この森の奥には森の主と呼ばれる大精霊が住んでいるんだ。ユエは愛し子だろう?気に入られて連れて行かれたら、皆心配するし、そもそもユエは俺達に一言もなしで付いて行くような子じゃない。もしそんな事になったら、それはユエの意思を無視したものだって事は確実だからね。間違いなく、慎家全員で乗り込む事になる。精霊との関係も大事だけど、うちの子に手を出す奴に容赦するつもりはないよ。この森は採取地としてはかなり良いんだけど、ユエにはこの森の事は教えない、連れて行かないのが一番良いだろうって爺様や父上とも話して決めたんだ。だけど今回は仕方ない。それに、姉上の加護を受けているユエには流石に手出しししないだろうしね」
加護は与えた側の執着として受け取られると以前ユエも聞かされた。
神獣である龍の、しかも頂点である黄龍の中でも最上の色を持つ犀慎の加護だ。主と呼ばれる大精霊でも迂闊な事は出来ないのだろう。
「成程……愛し子にはそんな事が起こる可能性もあるんですね」
ユエ達の生活の近い所にいるこれまでに出会った精霊達とは良い関係を築けていると思う。だが、幼い頃に無下に扱われた影響もあってか、連れ去る程の価値が自身にあるとはユエには思えない。
大袈裟だと思いつつも、その際には慎家は精霊との関係よりもユエを選ぶと決めていたらしい事に、本当に大切にされていると実感する。
「そう、だから青い小さな鈴の形をした花には気を付けるんだよ?その花の精霊達は個々の力は弱いけれど、囲まれると精霊達の住処へ連れ去られると言われている。ここは主のお膝元だ。おそらく、精霊達の住処というよりは主の元に連れて行かれる可能性が高い。ユエに何もなければ敵対するつもりはないけれど……何かあれば三代の慎家当主が本気で事を構えるつもりでいる。脅すつもりはないけれど、慎重にね」
「は、はい……気を付けます」
貞慎に冗談やからかいの気配は露程もない。
本気ではない犀慎の加護の力で山の形が変わった。三代の慎家当主が本気で事を構えれば、ヒースの森どころか国一つ位は消し飛ぶだろう。いや、それで済むだろうか?
主の力がどの程度なのかはわからないが、止められるとは思わない。
とりあえず、今回採取する薬草は青い花をつけるものではないし、この時期には花はない。青い花を見たら離れよう。君子危うきに近寄らず。それが一番の防衛策だ。
懸念を正しく理解した様子のユエに貞慎が頷く。
「うん。まあ、そういう意味でユエには気を付けてもらいたいんだけど……主の恩恵もあってね。主が住む所為か、ここには殆ど魔獣は近寄らない。ウルの森が焼けて住処を追われた魔獣もいるから油断は出来ないけど、ウルの森で何度も採取してるユエなら対処出来る筈だ。そういう意味ではいつも通りでいいよ」
「わかりました」
そうして、それぞれ薬草を探し始めたのだが、今回の目的である薬草以外にも多種の薬草が自生している上、質も良く、食材も豊富なヒースの森は宝の森であった。
薬草に関しては、目的以外の物は少なくなってきていた記憶のある物に止めていたが、食材に関しては目に入るとつい採取してしまう。今日は食事当番なのだ。
評議の準備には下界各地の龍達の様子を確認する事も含まれている。その中には黒鉄や青藍のように人と結ばれた者達も当然入っている。面には出さずとも疲れて帰って来るだろう犀慎に、せめて美味しい物を食べてもらいたい。そう思うと、つい夢中になってしまう。
「ユエ、あまり離れないようにね」
「はい」
貞慎に注意されたその時は冷静さを取り戻して返事をするものの、釣られてつい奥へと向かってしまうのを度々繰り返し、気付いた時には貞慎の姿が見えなかった。
やってしまったと反省し、戻ろうとしたその時だ。
チリンと鈴の音が聞こえた。
音が聞こえた方を見遣ると、小さな青い花が咲いていた。鈴のような形の可愛らしい花が咲いている。
「あれ、もしかして……」
拙いと思った時には遅かった。
先程から精霊が周囲を飛んでいた。しかし、力の弱い精霊達だったので、何かを言っているのだろう事はわかるが内容はわからない。青い花だと聞いたので、てっきり青い光の玉として見えるのだろうと思っていたが、緑だった。敵意もなさそうだったので放って採取に勤しんでいたのだが、それが拙かった。
「こら、ユエ。離れちゃ駄目だって言って……」
「貞慎様!」
「ユエっ!!」
周囲の景色が、視界が歪んだ。
次の瞬間には、先程までとよく似た、けれども違う場所にいた。
まさか、本当に連れ去られるとは思わなかった。これまでに出会った精霊達は、確かに自分の気持ちに素直だが、ユエの気持ちも慮ってくれた。犀慎の加護が欲しいと言った時にも、誰もが契約を続ける事を選んでくれた。
繰り返し犀慎が言っていた、精霊は己の感情に真っ直ぐで躊躇いがないという言葉の本当の意味、精霊の怖さというものを今のユエは感じていた。
この場所にはおそらく主のものだろう大きな力を、圧を感じる。初めてグレンに会った時、犀慎がグレンに対して発していた威圧感と同様の感覚だ。
しかし、人や獣、精霊、他の神獣達など様々な者達と関わる龍は共に在る為に普段は己が力をひけらかさない。力を示すのは、あの時の犀慎のように何らかの意図がある時だけだ。しかも、あの時は加減もしていた。
この場所で感じる力に、そんな配慮は感じられない。連れ去っておいてだ。
この森の主という存在は他の種族とは関わらないのか。話の通じる相手なのだろうか。帰れるのだろうか。
「犀慎様……」
龍達の在り方を考えると不安になり、思わずユエは成人祝いの短刀を握り締める。
そこに穏やかではあるが、やはり圧を感じる声が響く。
「ようこそ、我らが愛し子よ」
先程までは何もいなかった場所に現れた、見た目は薄衣を纏った人間にしか見えない青年の圧にユエは警戒を隠せない。
「何を怯えている?愛し子を害する者などここにはおらぬぞ」
呵々と笑う主であろう青年に、一つ息をして心を落ち着かせるとユエは言う。
「こんな風に突然連れ去られて、不安にならない者はおりません」
犀慎は、ユエを引き取ろうとした時にユエに確認した。ユエを護らせてくれないかと。
成人後にあの故郷の村を訪れた時には、心配だから加護の力を使って様子を窺う事を許して欲しいと事前に言われた。
決してユエの意思を蔑ろにしない犀慎とは違い、こちらを無視して勝手に引っ張り込んだ主の傲慢さに好感など抱きようがない。
精霊達に誠実にある為に嘘はつかないと決めている。ただ嫌悪は載せずに事実を告げた。
だが、主は気にした様子もなく、寧ろ笑みを深める。
「懐かしい……お前は五百年程前に契りを交わした人の子に連なる子だ。よく似ている、エフェメラルに……」
犀慎達には父親似だと言われるが、その父は優し気な目元が母に似ていると言う。父と母の顔を上手く組み合わせるとそのエフェメラルに似るのだろう。
別の状況下であれば違ったのかもしれないが、今のユエには五百年も前の先祖の事などどうでもいい。
「そうですか。それで、御用件はそれだけでしょうか?早く帰りたいのですが」
「……そなたの愛し子としての力の始まりに興味はないのか?」
「……俺が師に助けていただいて今こうして生きている事も、力を貸してくれる精霊達と出会う切っ掛けとなったのも、おそらく俺が愛し子という存在であった事なので、それなりの感謝はあります。でも、精霊達と今の関係を築けたのは、関わり方を教えてくれた師のお陰です。俺の命を救い、俺より俺の大切なものを大切にして、俺をずっと慈しんでくれた。そんな師の存在がなければ、愛し子であるという事を好意的に捉えられたかは疑問です」
「……何故だ?」
精霊達に愛されれば、力を貸してもらえる。愛し子の力は素晴らしいもの。人間を幸せにするものと信じて疑わない主は首を傾げる。
「五百年前の人があなたに出逢ったのは、その人がこの辺りに住んでいる人だったからでしょう。でも、俺はここよりずっと東の暁国の生まれです。それは、愛し子の力を利用したい人間達によって、一族は追われる身となったからだと聞いています。安住の地を奪われ、逃れ続けてきたからです。五百年前の人がどうだったのかは知りません。だけど、幸せになれた人間ばかりじゃない。逃れ続けて辿り着いた先で父は殺された。俺も殺され掛けた。きっとあなたが悪い訳ではない。悪いのは欲深い人間だ。けれども俺は、師を初めとする龍塞の方々のようにはあなたを慕えない」
成人の祝いの日だった。ユエの父であるシルバの一族は西の出身だと貞慎が言っていた。犀慎に贈られた短刀の事もあって、後日、ユエは父に一族の話を聞いたのだ。父は母と出逢えた事、ユエが生まれた事で、長い旅も報われたと言っていた。ユエも犀慎に出逢い、慎家や聖辰、五家の面々に大切に慈しまれた事で過去の辛さを癒された。だが、それとこれとは話が違う。
その口ぶりからすれば、主は契りを交わした五百年前の人間に連なる者達の苦難など知りもしないのだろう。忌むべき力だと思った者もいた筈だ。力を与えた一族に対しての責任感はないのだろうか。父は報われたと言った。ユエも犀慎達に出逢えた。だからと言って、今も放浪の旅を続けているのかもしれない他の一族達の事を知らぬ振りは出来ない。
犀慎は翡翠の結婚に際して、翡翠だけでなく子や孫達もが愛する者に先立たれるだろう事に言及した。翡翠とグレンに覚悟を問うた。そして二人はそれに応えた。それに比べてこの森の主はなんなのだろう。
怒りなのか悲しみなのか、もしかすればその両方なのかもしれない。何も知らない主にユエの心はささくれ立つ。
「一族があなたの愛し子だというのならば、何故あなたは一族がどういう道を辿ったのかを知らないのですか?父が殺された事も、俺が殺されかけた事も知りもしなかったのでしょう?それどころか、存在も知らなかったのに愛し子?馬鹿を言わないでください。俺を救おうとしてくれたのは水の精霊で、救ってくれたのは師です。あなたじゃない。俺には師や龍塞の方々がいました。けれども、幼くして親を亡くしてしまえば、自身の事も力の事も何もわからない。安住の地を追われた理由である訳のわからない、ただ光の玉が見えるだけの使い道もわからない力が、人を本当に幸せに導いてくれると思いますか?中途半端な事をするのなら、初めから関わるべきじゃない。気まぐれで興味を持たれても、そんな相手を信用する事なんて出来る訳がない」
大精霊という言葉に見合う力を持つ主を恐ろしいと思う気持ちはある。だが、愛情という中身のない、関心さえなかったのだろう名称だけの愛し子の存在を伝える機会は今しかない。
「……お前の師は信用に足ると?」
「弟子が遥かに寿命の短い人間と結婚するとなった時に、相手の不安や悲しみだけでなく、子や孫達の悲しみに言及して覚悟を問うた方です。種族が違う事で不安に押し潰されて悲しい結末を迎えない為に、どれだけ傷付いても様々な方に寄り添ってきた、そしてこれからも寄り添っていくのだろう方です。俺の事だって、きっとあの方にはあっという間に過ぎ去ってしまう命だというのに、とても大切にして、思い悩んでくれた。遠くない未来に訪れる別れを惜しんでくれている。あの方を信用出来ずに、他の誰を信用出来ると言うのですか?」
精霊と人間とでは、同じ物事に対してでも感じ方も考え方も違う。人間に近い場所で暮らす精霊達はそれなりに人間を知っている分、その差は小さい。だが、主は選んだ者にしか会わない事は、青い花の精霊達の存在を考えれば明白だ。はっきり告げたところで理解出来るかはわからないが、知って欲しい。
寄り添う心なく、信頼など生まれない。互いを尊重出来なければ一方的なものにしかならないのだ。関わるのならきちんと関わって欲しい。五百年前の誰かにしか関心がないのならもう関わらないで欲しい。
ユエの非難に主の纏う空気が張り詰める。
ああ、ここで死ぬのかもしれない。貞慎は慎家当主三代が事を構える気でいると言っていた。だが、譲れなかった。これまでの、そしてこれからの一族の為に。
犀慎達のように、ユエは自身の事を優しいとは思っていない。
もう一度、犀慎に会いたかった。そう思った時、玻璃の器が割れるような音がした。
「おい、ユエを何処へやった。主の所か?」
「あ、あなたには関係な……」
「あるんだよ。ユエはうちの可愛い養い子で姉上の弟子で俺の弟分だ!今すぐユエを返せ。出来なければ主の所へ俺を送れ」
滅多に見せない怒りを隠す事なく向ける貞慎に、精霊達は震え上がる。
怒りを纏う龍になど力の弱い青い花の精が敵う筈もない。
主の住処への入り口を任された誇りから負けん気を発揮するも、それもすぐに萎んだ。だが、怒りに発せられる威圧感に小さくなり、身体を震わせながらも首を振る。それが彼等の存在意義だからだ。
「そうか」
そこに現れたのは貞慎以上の怒気を孕んだ犀慎だ。精霊達を見遣る瞳は人の姿の時のものではなく、神獣と呼ばれる姿の時のものになっている。
「ひっ!」
「姉上!」
加護の力でユエの状況を察したらしい。
貞慎と相対するのもやっとの精霊達が、今の犀慎と対峙出来る筈もない。
「ならば仕方あるまい。押し通る」
半泣き状態で震える事しか出来ない精霊達には一瞥もくれず、迷う素振りすら見せずに犀慎はとある場所に視線を向ける。大木ではあるが、豊かなこの森では然程珍しい訳でもない常緑樹だ。
「……そこだな」
「ま、待って……」
力のない者には認識すら出来ない入り口を探すまでもなく特定し、迷いなく向かう犀慎に縋るように精霊達が群がる。
「邪魔立てするなら容赦はしない」
息も出来ない威圧感に当てられ、ぽとりぽとりと精霊達が地に落ちる。肉体を持たない精霊にとっての死は消滅である為、生きてはいるようだが、意識はないのか倒れ伏したまま身動ぎもしない。そして犀慎の威圧感はこの場ばかりでなく、ヒースの森全体に伝わっているらしい。ほんの少し前までは小鳥の囀りや小動物の気配も感じられていたというのに、今や全ての生き物や精霊達が恐怖に染まり、静まり返っている。
木の葉が落ちる音さえ聞こえる静寂の中、す、と犀慎が入り口の樹に向けて右手を上げる。淡く光り出す掌に呼応するかのように、主の住処とを隔てる境界が光り出す。小さな音を立てて壁のようにして存在するそれに亀裂が入り、広がっていく。そして砕け散った。
「ユエ!!」
繊細な音と共に何かが砕け散った事を、空気が変わったとユエは知覚する。
何だと疑問に思う間もなく、聞こえた名を呼ぶ声にはっとして振り返れば、先程思い描いていた姿があった。
「……犀慎様!?」
「良かった……」
驚くのと同時に抱き締められて動揺するが、いつもより力の籠もっている腕に身動きが取れない。苦しくはない、だが動けない。
どうしようかと思っていると、聞いた事のないような声を犀慎が放つ。
「……随分と舐めた真似をしてくれたな、小僧」
「えっ?犀慎様……?」
ユエに向けた言葉でない事はその視線でわかる。
「私の加護に気付かなかったとは言わせんぞ。たかだか数百年生きただけの存在が敵うと思ったか?思い上がるなよ……!!」
激怒と言っていいだろう犀慎の様。不穏な空気は感じつつも、護られている事を理解しているユエに恐怖はないが、それを向けられている主は犀慎の圧に完全に呑まれている。
このままでは犀慎は主を消滅させてしまうかもしれない。そうなれば、この森はどうなるのか。
先程は森より、いやこの国より自身の気持ちを優先させた。命を懸けてでも伝えなければならないと思ったからだ。だが、ユエは生きている。ならば、犀慎を止められる。
「駄目です、犀慎様。ここまでにしましょう」
「ユエ?」
「この森は豊かです。薬草だけでなく、食材も豊富。おそらくこの近隣の住民や動物達も利用しています。俺のうっかりで失われてしまうのはあまりにも勿体ないです」
「……ユエ。お前の命とこの森など引き換えられない。私はこの森一つ消し飛ばした所で後悔などしない」
迷いなく言い切る犀慎の視線には隠そうともしない激情と確かな非難が宿る。
それがユエが自身よりも森の方が大事だと言わんばかりの所にであるのは、端から失われるものを理解して尚の事である事をユエに知らしめる。犀慎にはこの豊かな森よりユエの方が大切なのだ。
だが、ユエも怯まない。
主に絆されてなどおらず、庇うつもりもない。
村で琥珀に対して思ったのと同じだ。犀慎にそんな事をさせたくない。
「俺は犀慎様のお陰で無事ですし、言いたい事を言いました。あの日俺を助けようとしてくれたのは水の精霊で、助けてくれたのは犀慎様。あなたじゃない。気紛れで興味を持たれても、そんな相手を信用する事なんて出来ないって」
「……知っている。突然、いつも感じているユエの存在が薄くなったから、緊急事態だと思って加護の繋がりを使った」
「腹が立ったんです。俺の事も、父さんの事も助けてくれなかった癖に愛し子なんて、そんな中身のない言葉で慕われようなんてふざけてる。今も放浪の旅を続けているかもしれない父さんの家族や他の一族の事だって多分知りもしないこの精霊が、何かしてくれているとも思えない。貞慎様から、俺に何かあったら慎家の方々が本気で事を構えるつもりでいると伺ってはいました。でも、どうしても言わずにはいられなかった。だからと言って、俺はこんな事に犀慎様の力を使って欲しくない。薬師として命を貴ぶ犀慎様に、沢山の命を支えるこの森を消し飛ばしたりなんかさせたくない……!」
必死の懇願は、届いたらしい。
「……ユエは慎重なのか大胆なのかよくわからない」
理解して尚、理性より感情を選んだ犀慎も、何処までも犀慎を想うユエに矛を収める事にしたらしい。
犀慎の瞳がいつものものに戻り、吞み込んだ感情が若干の呆れとして言葉に載る。
「ユエやシルバだけでなく、一族全てを想うユエの優しさは貴いものだと思う。だが、その為に身を危うくさせてしまえるのは問題だ。肝が冷える。もし間に合わなかったらと考えると……」
小さく身を震わせた犀慎の手が、縋りつくかのようにユエの衣を掴む。
本当に心配を掛けてしまった。
犀慎の為に美味しい物をと思っていたが、こんな事になってしまっては本末転倒だ。
「ご心配をお掛けしてすみません……」
反省しきりのユエに犀慎は一つ頷くと、意識を主へと移す。
「……お前は、我が子や孫がどう生きたのかを知っているか?」
怪訝に見返す主に、犀慎は冷ややかな眼差しを向けている。
「……お前が愛し子の力をどう考えているかは知らない。だが、ユエに言われたのではないか?素直に喜べるものではないと。ユエと同じく愛し子の力を持っていた父親は力の使い方を知らなかった。幼くして家族と逸れた事も一因だろうが、おそらくそれはユエの父だけではない。その父母や祖父母も同じようなものだった可能性が否定出来ない。血も力も薄れ、何者であるかも伝えられずに忘れられていったのだろう。身近な力の弱い精霊達は光の玉として視認出来るだけで、何者かもわからず、言葉を聞き取る事も出来ず、契約というものさえ知らなかったようだ。逃れ逃れてきたが故に他人を警戒し、ユエがそうだったように目にしたものを口にしないように言い含められていたのかもしれない。魔獣退治の者達が術を使うのを目にしていたとしても、聞けなかっただろうな。それでも精霊達に好かれてはいたから、勝手に力を貸してくれてはいたのだろう。そして、その様を目にした欲深い者に狙われる。辛かっただろうな。その原因に感謝すると思うか?」
犀慎の言葉にも、主からは反発心のようなものしか感じられない。
「……お前が連なる者達を気に掛け、関わって来たのであれば、例え同じ結果になっていたとしても随分心証は違っていた筈だ。思い出すのが辛くて避けていたというならまだわかる。だが、お前の場合は違うだろう?ユエを見付けてすぐに攫ったのだから。そもそもお前は、本当にエフェメラルを愛していたのか?愛していたというのなら、血を分けた子や孫が気にならない筈がない。無関心でなどいられない。彼等の行く末を、苦しみを知ろうともせず放置していただけのお前が、たまたま訪れたユエに慕われようなど、虫の良すぎる話だ。血の繋がりだけで情は生まれない。培ってきた関係があってこその情なんだ。それを怠ってきたお前が、ユエに情を求めるな……!」
静かに、だが変わらぬ怒りを向けている犀慎にユエの心が震える。
人間からすれば、龍も、大精霊であるこの森の主も圧倒的な力を持つという意味では同じだ。
だが、犀慎達はずっと人間達と関わって来た。その違いをユエはひしひしと感じる。
培ってきた関係があってこその情、それは貞慎が運命という言葉に引っ掛かりを覚えたユエに返したものと奇しくも同じものだ。
犀慎も貞慎も至らない所があると自省する。だが、思いやり、理解しようと努めてきた。その結果がここに集約されている。
本当に犀慎を信じられずに誰を信じるのか。こんな犀慎だから、焦がれて止まないのだ。
「……姉上、ユエ。そろそろ帰りましょう」
すっかり意識の外だったが、ずっと様子を見守っていたらしい貞慎に促されて僅かに驚きつつも頷く。
「犀慎様、帰りましょう。俺、もう二度とここには来ません。村と同じ位、もう関わりたくありません」
主にユエや犀慎の言葉に何か感じた様子があれば、再びこの森を訪れ、互いの理解を深めようと思ったかもしれない。
だが、主にその意思はないようだ。ただただ、思い通りにならない事への苛立ちのようなものしか感じられない。まるで幼い子供だ。
これでは、犀慎に小僧呼ばわりされても仕方がないだろう。
「……そうだな。いいか、小僧。次はない。覚えておけ」
そしてユエ達は、ヒースの森を後にした。
随分間が空いてしまい、申し訳ございません。
相変わらず健康が行方知れずです。汗疹かと思っていたら帯状疱疹で後遺症が長く続いたり、インフルの後ずっと咳が止まらないまま花粉の時期に突入してまだ止まらなかったり、自律神経仕事して!となったりしてます。
身体と相談しながら書いていきますので、気長にお待ちいただけますと幸いです。




