16.変化
慎家は色恋沙汰には本当に向かない。
だが、流石に犀慎も番の執着という言葉の意味は理解出来たらしい。
初めおそらくは否定しようとして何か思い当たる事があったのか、開きかけた口を噤んで考え込んだ。眉間には谷が刻まれているが、困っているというよりは動揺が見て取れた。確かに犀慎には寝耳に水であっただろう。
ユエは貞慎と共に薬を作っているようだったが、犀慎がユエに対して動揺を表出させれば、様子を心配して勘繰るかもしれない。現状が変化するかもしれない期待と不安は半々だった。
「……思ったよりも落ち着いているな」
冬歓に、ああなると犀慎は長いと言われて、一筆残してその日は帰った聖辰が翌日再び訪れると、いつもと変わらないユエがいた。犀慎はともかく、素直なユエは隠せないだろう。現に前日、犀慎よりも先に会ったユエは少々様子がおかしかった。犀慎から百年前の話をしたと聞いた時に納得したものだ。
つまり、犀慎はユエに何一つ悟られていないという事だ。
しかし、それも当然といえば当然だろう。犀慎は己の感情を隠す事に長けている。嘘も吐ける。
ユエの事に関しては自覚がない為に周囲に違和感を抱かせているが、自覚があり、隠すべきだと感じれば隠しきる位の事は出来るだろう。でなければ、他者に興味がない者も少なくない龍であろうとも、異種間婚姻の現実はとうに知れ渡っている筈だ。
「そうですね。お陰で色々と腑に落ちましたし……今はユエに悟られない方が良いと判断しました」
「どうするつもりだ?」
「……正直、ユエは伴侶としてはかなり好ましいと思います。言われてもやらない連中とは違って、やるべき事は言われるまでもなく自ら動きますからね。真面目な上に勤勉で気も利く。自己評価が低過ぎる事以外に不満がありません」
「よくわかる」
よく働き、気遣いの出来るユエには、日頃の不満や苛立ちにささくれ立った気持ちが癒される。ユエを伴侶にすれば、穏やかな幸せを感じられる生活が送れるだろう。
同じ苦労を分かち合う聖辰には、犀慎の気持ちはとても理解出来る。しかし。
「ですが……同じ想いを抱いていないのであれば応えるべきではない。そして仮に同じ想いであったとしても……これまでを鑑みて、私ではユエを不安にさせて追い詰めてしまいかねない」
その結果を犀慎は良く知っている。
聖辰も塞主として報告は受けている。だが、慎家程に関わっている訳でもなく、現場に居合わせた事もない。そんな聖辰に、無責任に大丈夫だなどと口にする資格はないだろう。だが、それでも言っておくべき事がある。
「それはやり方次第だろう?お前は確かに色恋に疎い。だが、それは色恋に関してだけで心情に疎い訳ではない。ユエの変化をちゃんと拾い上げて気に掛けている。言葉を交わして理解しようとし、行き違いや不安を解消しようと努めている。正直、どう頑張っても完全に理解など出来ないだろうとは思う。ユエはユエ、犀慎は犀慎で別の存在なんだから、出来るという方が傲慢だ。だが、理解しようとするその気持ちは伝わっている筈だ。だから、ユエの幸せをお前が決めるな。必ずユエと話し合え」
「……わかりました。しかし今はそれ以前の段階ですからね。きちんと覚えておきます」
「そうしてくれ」
自身の不得手を理解している犀慎は、聖辰の想いを無下にする事はしない。自身にはわからない何かを聖辰は悟っていると知っている。
それはユエを護る事に繋がると理解しているのだ。
「そこでお尋ねしたいのですが……聖辰様にはどう見えているのでしょう?」
「何がだ?」
「慎家の者が己が想いを確かめるのに、人間の命は儚過ぎる。ユエは母の様には待てません。ならば、他から見た己の様を判断の一助にと」
「成程。だが、少し待ってくれないか?私から見た犀慎と私以外の者達との判断はおそらく相違ない。だが……お前にとって先入観になりかねない。間違えば互いに傷付く事になる。今まで結局煮え切らないままだったあいつが、期限を設けたとして動くかどうかはわからないが、あいつにも機会は与えてやりたいし、犀慎もユエの気持ちを知った時とは心証が違うかもしれない。それはきっと答えに結び付く。だから……そうだな、一月待ってくれ」
ほぼ、犀慎にとってのユエの存在についての答えを告げているようなものだが、無意識に恋愛を避けている犀慎には伝わらない。無論、聖辰もそれを見越している。
「……まだ他にもあるという事ですか?」
「……苦手な案件で悩んでいる所に更に持ち込もうとしているのは私だが……お前、もうちょっと言い方があるだろう」
「正直、ユエにしても何故私なのかという事すら疑問だというのに、何故他があるんですか。そんな切っ掛けになるような事など全く思い当らないのですが」
面倒だと隠す気もない犀慎は珍しい顔をしている。
ユエに対してとは随分な違いだと指摘すればどんな顔をするのだろうかと思いながらも、深春にも機会を与えると決めた以上、追及出来ない聖辰は受け流すしかない。
「……龍は頑丈だが、加減のわからない子供同士のじゃれ合いや悪ふざけで怪我をするのは珍しい事じゃないだろう?自壊病を患う子もいる。そんな風に弱っている時に優しく手当されて憧れを抱く子供は少なくない。それを年頃まで引き摺る奴もいるんだよ。慎家の者達は知らないだろうが、密かに慎家は龍塞の初恋泥棒と言われている」
「何ですか、それは……」
幼い子供の憧れを邪険に扱う事はないだろうが、色恋沙汰に煩わされたくはないとあからさまな態度である。遠回りに探ろうとしてこのような反応をされれば、脈はないと判断するだろう。一度や二度の事ならば耐えるかもしれないが、それを繰り返されれば流石に大抵の者は諦める。
深春はそれでも諦めなかった猛者ではあるのだが、それでも傷付かない訳ではない。尻込みするのもわからなくはない。
「そう言ってやるな。存外、簡単な事で恋に落ちる者は少なくない」
「……私にだって、どうしても気の乗らない事はあるんですよ」
その言葉に、犀慎は恋愛に対する忌避感を自覚しているのかもしれないと聖辰は気付く。
呑み込めない結末を見続けて来て嫌気がさす事もあるだろうに、結局それでも見捨てられない己に自問する事もあるだろう。そんな中で忌避感を募らせてきたのかもしれない。
他所でやってくれと言わんばかりの様に根深さを悟る。
もしかすれば、ユエは特別なのだという事にも気付いていて目を逸らしているのかもしれない。幼い頃からユエを養ってきた犀慎には、言い訳に出来る事実もある。
一月の期限を自ら破って思っている事全てを告げてしまいたくなるのを、聖辰は苦笑で誤魔化した。
一月の期限と機会を与えたい誰か。
聖辰の言葉に誰が現れるのかと犀慎は正直面倒に思っていた。だが、深春が数日おきに顔を見せる程度である。
その深春も特に要件があるという訳でもなく、薬草の手入れをしていれば少しばかり手伝って帰る。調薬をしていれば邪魔になるとすぐに帰る。食事の支度をしていれば一緒に食べて帰るという、常と変わらぬ振る舞いだ。
退屈しのぎなのかなんなのか、今日も今日とて何をするでもなく訪れている。
面倒事よりは良いものの、ならば評議の為の準備を始めてくれないだろうかという言葉がそろそろ犀慎の口を吐きそうになっている。
一方の深春は焦っていた。
何とかしなければと犀慎を訪れるが、結局は怖気付いてしまって何も出来ない。想いを告げる事さえ出来ていない。
今日こそはと思いながらも切り出せないのは、おそらく色好い言葉は返ってこない事がわかっているからだ。
慎家の、犀慎の恋愛下手は勿論だが、犀慎よりも余程に犀慎にとってユエは特別に位置している事を知っている。見ていればわかる。
犀慎がいつも口にする保護者としての情も否定はしない。当然それもあるだろう。だが、いつも冷静に客観的に物事を捉える犀慎がそれを出来ていない。
思春期に差し掛かり、深春の淡い憧れが恋に変化し、多少の態度の変化があった時はもっと冷静に対応していた。度が過ぎればそれに対応した態度を取られたが、過剰な反応は受け流され、子供扱いへの反発は温かく見守られた。あんなに動揺し、狼狽え、思い詰めたり、落ち込んだりと一挙一動に振り回されたりはしなかった。
事ある毎に考え込んでいる姿を目にしては、幼いユエに羨望を抱いた。
深春も慎家に引き取られた頃からユエの事は知っている。見た目はユエに追い越されてしまったが、生きた年月は千年以上違う。以前聖辰に言った通り、ユエの事は可愛くも思っているし、己を貶めるような事はしない。ただ、犀慎への気持ちは別だと言うだけだ。
一日一日と期限は迫る。万が一はないだろう。聖辰もおそらくは深春に区切りを付けさせたいだけだ。
深春の想いを認識したその時の犀慎の反応が怖い。無意識に発動される受け流し、他人事のような関心の無さが幾つもの芽を摘んできた。だからこそ、もう幾ら鈍い犀慎でも理解するだろう直接的な言葉を使うしかない。その時には芽を摘むどころか根っこから引き抜かれるのかもしれない。だからこそ皆、遠回しに匂わせる程度の事しか出来ず、そして諦めた。
更には、聖辰によると、冬歓の所為で犀慎は恋愛に忌避感を持っているようだ。ただでさえ想いを告げた後の関係の変化を心配しているのに、もう顔も見たくないと思われてしまったらと不安しかない。
結局、思い切れずに期限の日までずるずると引き延ばし、聖辰に最終通告をされて漸く深春は想いを告げた。
「……犀姉の事が好きです。俺と結婚してください」
真面目な話があるとわざわざ場を設けてもらい、茶を出され、犀慎に促されるまで結局は腹が決まらなかった。だが、それでも決死の思いで告げて犀慎の様子を窺う。
「まさかお前だったとは……全く何だってまた……意味がわからん……」
頭を抱える犀慎に、予想していた事とはいえ落ち込んでくる。そんなに悪い事なのだろうかと泣きたくなってきた。
「……慎家の者は本当に色恋には向いていない。だから、私も貞慎も嫌悪感がなければ、即答せずに一度考えるようにと言われている。だが……おそらくお前は選ばない」
「……どうして?」
ユエが理由かと思ったが、深春は予想外の返答に言葉を失う。
「どうしても何も……聖辰様が塞主となられたのと同時に私達も当主の座を継いだ。それから何度私は同じ事を言った?評議の度に何度お前達は同じ事を繰り返した?跡目を譲るまで言い続けるのか?考えてもみろ、そんな相手を伴侶として選ぶ訳がないだろう……」
至極尤も過ぎる理由に深春が衝撃を受けたのは、日頃の行いがそこに繋がると思い至っていなかったからだ。完全な甘えである。
「今までの付き合いでお前がどういう奴なのかは知っているから、嫌ってはいない。生まれた時から知っているし、手の掛かる弟のようなものだと思っているから、腹は立てても許容はしている。そうでなければ、必要最低限の付き合いに止めている」
恋愛感情以前の普通の付き合いの時点で身内対応というおまけをして貰っている上、これまでの行動の自業自得でこの先への信用もない。
「大体、好き放題やって迷惑を掛けていながら結婚して欲しい?これ以上の面倒を押し付けるつもりと受け止められても当然だぞ」
「俺、そんなつもりは……」
「確かに龍は群れずに生きていける生き物だから、それぞれの欲求に素直な者が多い。私だって本当はやりたい事だけをやって生きていきたい。だからこそ、相手を気遣えない者との結婚など無理だ。お前達はいつもそこが足りていない」
最早、ぐうの音も出ない。
求婚して説教が返るとは予想もしていなかったし、いつもの説教よりも身に沁みて痛い。
「……しかし、何なんだろうな。同じ龍だというのにこの違いは。父上も爺様も、おそらく貞慎もだと思うが、私達は己が事で相手に負担を掛けたくないんだ。相手を尊重したい。気持ちを蔑ろにしたくはない。その所為で考え過ぎる所があるのはユエのお陰で自覚した。おそらく相手を想うという点に於いて、根本的な部分が違うのだろうな……」
犀慎ならば、想う相手に深春のするような事は出来ない。そこに思慕があるとは到底思えない。だから深春が己を求める意味が解らない。
確かに嫌悪はない。だが、考える余地はないだろう。深春では駄目だ。
「……わかった。今日は帰るね」
「そうか。またな」
完全に打ちのめされて深春が帰って行く。
あまりの落胆ぶりにユエが心配して声を掛けたが、今はそっとしておいてくれとだけ残して去る。
とぼとぼと春家への道を辿っていると、今朝も聞いた声が掛かる。聖辰である。
「どうだった?」
「……振られました。犀姉らしくない、物凄く嫌そうな顔をされました。でも、ちゃんと俺の気持ちを理解しての返答である事はわかりました。駄目な理由をきちんと説明されましたから。感情の消化はまだ出来ませんけど、理解は出来てます。多分、ユエが好きだからって言われるより、感情も落ち着いてるし、納得も出来てます」
そう、落ち込んではいる。だが、ならば仕方がないと思えている。
そんな深春に、聖辰は興味深そうな顔をする。
「ほう……犀慎は何と?」
「言う事も聞かずに迷惑ばかり掛けてる相手を選ぶ訳がないだろう」
「そうだな」
「自分だって本当はやりたい事だけやって生きていきたい。だからこそ、相手を気遣えない奴は無理だ」
「よくわかる」
「相手を想うという事について、多分根本的な部分が違う」
「完璧だな」
「聖辰様……」
犀慎同様、評議の度に迷惑を被っている聖辰は尤もだと頷いている。
正直、深春よりも酷い相手を選んだ聖辰は本気で御そうとしている。本気の塞主の圧は、慎家以外は当主でさえ当てられる。番だからこそ本気で制御すると決めた。だからこそ、聖辰と冬歓は共にいられるのだ。
無論、犀慎は深春に対してそこまでの執着はない。
傷を抉る為に来たのかと深春が軽く睨むと、聖辰は肩を竦め、からかいの色を潜めた。
「お前が心配する程、深刻じゃなかっただろう?」
「まあ……明日からも犀姉は変わらないんだろうな、とは思います」
理路整然と説教をされたが、結局いつものように深春を諭すものだった。深春の気持ちを知ったからと付き合い方を変えるような、そんな感じは全くなかったし、またなといつものように別れを告げられた。
どこかに気持ちを心に留めた態度を取って欲しいという気持ちもあるが、犀慎にとってはおそらく最初のあの態度になるような気がして考え直す。期待しても無駄というよりは、新たな傷を負いそうだ。
おそらく深春が態度を変えなければ、犀慎も変わらない。これからもきっと、いつものように変わらない態度で接するのだろう。
「……飲みに来るか?百年物の火酒を一本開けてやる」
「行きます。肴は角煮がいいです」
「あ~わかった、わかった。買って帰ろう。私が嗾けたんだから愚痴も聞こう」
「お願いします」
冬歓が機嫌を悪くしそうだが、理由を聞けば納得するだろう。そもそも先走ったのは冬歓だ。
さて、犀慎の方は何か得るものはあっただろうか。
ちらりと慎家の方を見遣って、聖辰は深春の背を軽く叩いて促した。
「深春様、どうされたんでしょう?大丈夫でしょうか?」
慎家ではユエが深春を心配していた。
ここの所、毎日のように顔を出していたが、そわそわとどこか落ち着かない様子ではあった。しかし、今日は特に様子がおかしかった。真面目な話がしたいと、来た時は緊張でもしていたのか少しばかり顔が強張っていたし、帰りは帰りで酷く落ち込んでいて足取りも重かった。
いつも犀慎に何か言いたげで、ユエとしても落ち着かなかった。だが、あの落ち込み様は放っておけない。しかし当の深春には今はそっとしておいてくれと言われてしまった。
「やっぱり、今からでも……」
追いかけようかと思った時、深春の様子に思いを巡らせていた貞慎が、漸く口を開いた。
「ユエは本当に良い子だねぇ……。まあ、姉上に引導渡されたんでしょ。当主達も皆、年頃になってきたし、基本的に塞主と当主の代替わりは同時、一斉にやるものだからね。慎家が次が生まれるまでに一番時間掛かるだろうし、そもそも最初の子供が当主の色を持って生まれて来るとも限らない。とりあえず深春をつついて姉上の様子を見ようとしたのかもね。この間まで動くようには見えなかった深春が急に動いたってのは、深春の心境の変化というよりは外的要因のような気がする」
貞慎は聖辰から一通りの話は聞いている。だからと言って、それをユエに告げる訳にもいかない。何とか尤もらしい理由をでっち上げてみたが、事前に聖辰と話し合っておくべきだったと内心冷や汗をかいている。
「……引導、なんですか?」
「そうだと思うよ。だって、いっつも迷惑掛けてばかりで言う事も聞きやしないような奴、ユエだったら選ぶ?」
「……選ばないと思います」
「でしょう?だから引導じゃないかな。慎家はそっち方面は本当に駄目だから、俺も姉上も嫌悪がないなら即答するなとは言われてるけど……正直、恋愛以前の問題だと思う。まあ、確かに龍はやりたい事だけやっていたい生き物だけど、それで周囲に迷惑掛けて良いって訳じゃないと思うんだよね。しかも大切に想う相手にそれが出来るっていうのが、俺には理解出来ない。父上達の時代は塞主や当主達の間での恋愛はなかったらしいけど……慎家が珍しいのかな?でも、母上もお婆様も好かれる為の努力は惜しまなかったって言ってたからな……。まあ、とにかく根本的に深春とは考え方が違うんだよね……」
恋愛対象として話にならないと言い切る貞慎は、やはり犀慎の言っていた通りの考えを持っていたようだ。
「困らせて気を引く……というのも、あまりに子供染みてますしね」
ユエが深春の気持ちに気付いたのは、自分の恋心に気付いてからだ。それからずっと、疑問に思っていた。深春は犀慎を好いている筈なのに、何故いつも困らせるのだろう、と。
ユエ自身は自分の態度の所為で犀慎を悩ませ、困らせてしまった事を反省している事もあり、やはり貞慎同様深春の行動を理解出来ない。ユエより千年以上長く生きている筈だが、幼い子供が構って欲しくて我儘を言ったり駄々を捏ねる姿に近いのだろうか、なんて事を感じてしまう。
「……とりあえず、あいつも言ってたようにそっとしておいた方が良いんじゃない?」
「……そう、ですね」
本当に引導を渡されたのだとしたら、もしかしたら貞慎が言っていたような事を犀慎から言われたのかもしれない。そう考えると、そっとしておくのが一番のように思えた。
「……聖辰様はいつも冬歓様を叱ったり、愚痴を言ったりされていますが、それでもご結婚された。犀慎様とは少し考え方が違うのでしょうか……?」
「ああ、あそこは少し特別だから。この間、百年前の事を姉上が簡単に話してくれたでしょう?その時に聖辰様と冬歓様は運命の番だって言ってたのは覚えてる?」
「そういえば、そんな事を仰っていたような気も……」
どうあっても惹かれ合う存在だったか。正直、互いに死に掛ける大喧嘩の方に気を取られて聞き流していた。
「まあ、実際にはそうそうある事じゃないから、出逢えるのは奇跡みたいなものだって言われてたんだけど、聖辰様と冬歓様は本当にそうらしくてね。百年前の一件の所為で、今じゃ皆、運命の番に抱く感情は憧れだけじゃなくなってる。その位に冬歓様の聖辰様への執着は凄まじいし、百年前の事で聖辰様も一時は絶縁を言い渡したんだけど、冬歓様の危うさに姉上が取り成した事もあって、結局は離れられなかった。代わりに聖辰様は本気で冬歓様を躾けようとしてるけどね。そこまでの執着は姉上にも深春にもない。それは、ユエにもわかるでしょう?」
「それは、その……はい」
犀慎も百年前の説明の為に話しただけであるし、ユエも関心があるのはそこではなかった為に詳しくは聞いていないが、確か冬歓は聖辰の邪魔までして、自分の立場も悪くしていったと言っていた気がする。そこにあったのは自分の事だけを考えて欲しいという独占欲のようなものだったのだろうか?まだ二十年も生きていないユエにはその位しか思いつかない。
犀慎は勿論だが、深春の方も冬歓のような形振り構わず、といった感じではない。
「寧ろ、ユエの方が姉上の運命なんじゃないかって、俺達慎家も、聖辰様達も思ってるんだよね」
「……え?」
自分は犀慎にはふさわしくないと思い込んでいるユエには予想外の言葉過ぎて理解が及ばない。
「姉上の性格はユエも知ってると思うんだけど……何だかんだで甘いんだよね。だから、他四家もどこかで許されるって甘えてる。ああ、深春もこれだな。だから、好き勝手やっておきながら姉上が好きだなんて言えるんだ」
成程、と思う。確かに犀慎は他四家の当主達を叱りはしても、付き合いを止めようとはしない。立場上、絶縁という訳にはいかなくとも、必要最低限の関わりにする事は出来る筈だ。文句も言うが、何かあれば相談に乗ったりと結局は面倒を見ている。
だから、真剣に犀慎の言葉を受け止めないというのはあるのかもしれない。
「だけどさ、ユエが絡んだ時は違う。ユエが慎家で暮らす事になったあの日だよ。母上も言ってたけど……二百年、冬歓様に対して諫めたり、宥めすかしたり、何とか正気にさせて周囲を認めさせようと根気強く対応した姉上が、やり直す機会も与えずにその場であの村を見捨てる事を決めた。普段の姉上なら、幾ら村の連中が屑でも、ユエへの情を感じていたとしても、あそこまで思い切れなかった。ユエを連れ帰るのは変わらなかっただろうけど、あの村を去ろうとする精霊達には多少なりとも執り成したと思う。それをしなかったって事に、本当に皆が驚いた」
貞慎に言われてはっとする。
確かに、あんなに怒っている犀慎を見た事など、あの時の一度きりだ。まだ犀慎に出会ったばかりのあの頃は違和感など感じようもなかったが、今は違う。
村の様子は確認していたようだが、先日の村の様子からして、犀慎があの村の為に何かをするという事はなかったようだ。
二百年我慢した冬歓に対してさえ、最初の一撃で気持ちを整理しているというのにだ。
以前、礼慎がサルースの事で激怒した話をグレンとアルベルトから聞いた。城が破壊され、命を金で買わせようとした王が生涯恐怖に魘されたそうだが、国を亡ぼすどころか怪我人すら出なかったらしい。
礼慎と犀慎では親子といえども、当然違いはあるだろう。だが、基本的な気質などは似ているようだし、共に命を大切に思っている事は変わりない。
あの時の事は、正直今でも思い出すと胸が苦しい。母がユエを追って川に飛び込んだ事、父は殺されたのだという事。ユエ自身の事に加えてそれらを知って、悲しくて寂しくて心はぐちゃぐちゃだった。
それでもユエは危うい所で犀慎に助けられたし、村も結局は守られる事はなく、水に呑まれてユエの母以外の死者も出ている。
普段の犀慎やかつての礼慎を考えると、決して良くない言い方だが痛み分けのような形で村人達にはやり直す機会を与えるのが自然だったのではないかという気がする。だが、あの時の犀慎はそれをしなかった。
今のユエならば、確かに犀慎らしくないという事がわかる。
「間違いなく、ユエは姉上の逆鱗相当。おそらくその自覚さえないだろうし、色んな意味で姉上だから冬歓様みたいにならないだけで、ユエは姉上の運命なんじゃないかって皆が思ってる」
色んな意味とは、それこそ当事者達はきっと運命だと思っていた出会いが迎えた結末を知っている事も含まれているのだろう。これまでの悲惨な経験が、運命の番への本能を上回る程に犀慎を傷付け、恋愛から遠ざけているという事だ。冬歓の事はあるが、自身の事に関してはきっと犀慎は運命など信じないし、言われても否定するのではないだろうか。
「皆、百年前の一件で運命の番への執着の危うさを知ってるからね。ユエに何かあった時、姉上がどうなるかわからないって危惧してる。まず、冬歓様じゃ止められない。聖辰様でもわからない。聖辰様と他四家の当主達が全員で止める事になるだろうね。ユエがまだ自分に自信が持てていない事は知ってる。だけど、多分理屈じゃない。でなきゃ、聖辰様だって冬歓様なんて選ばないよ」
妙な説得力に納得しそうになる。
そもそも、ユエの犀慎への気持ちも理屈ではない。何処が好きなのかと聞かれれば、きっと幾らだって挙げられる。でも、同じ様な振る舞いをしたからといって、その相手を好きになる訳ではない。
犀慎だから、心が反応するのだ。
「だからね、姉上の為にも龍塞の為にも、姉上にとってのユエの価値をユエが勝手に決めるのは間違いだよ」
秋霜も似たような事を言っていた気がする。犀慎の為にもユエの想いは告げるべきだと。
秋霜もユエが犀慎の運命の番だと思っている者達の中に入っているのかもしれない。
「あの頃の、犀慎様を良く知らなかった俺は、あの時の犀慎様に違和感など感じず、そのまま今日まで来ました。確かに、犀慎様にしては見限るのが早過ぎるような気はします。でも、俺や琥珀さんや翡翠さんにはわからない会話を父さんや精霊達としている所は見ています。その時に何か遣り取りをされた可能性もあるのでは?」
「元凶はともかく村一つだよ?俺達が聞かないと思う?精霊達が付いて来ると言うから連れて来たって言うから、執り成さなかったのって聞いたんだ。そうしたら、しないって。頭に血が上ってただけなら、聞いた時点で我に返っただろうけど……さも当然とでも言うかのように言ったんだよ、あの甘い姉上が。あの時のひやりとした感覚、あれもあって皆そうなんじゃないかって思い始めたんだ……」
貞慎がこんな事を言い始めたのは、いつまでも自信が持てない、かといって諦める事も出来ないユエの背中を押す為だ。
確かにユエに何かあれば犀慎が百年前の冬歓のようになるかもしれないだとか、事実であれば見過ごせない事も言われたりもしているが、どちらかと言えば、貞慎はユエを勇気付けたいのだと思う。
ユエの想いが叶って欲しい。犀慎にも幸せになって欲しい。そんな気持ちなのだと思う。
だというのに、犀慎にとっての運命であるかもしれないと言われているのに、胸がざわつく。喜んで良い筈なのに喜べない。
その理由には気付いている。
「……俺の想いは定められたものなんですか?」
あの時の犀慎への違和感を語られ、運命だと言われる度、何故か自分の想いを否定されているような気持ちになる。これまで犀慎と共に過ごしてきた時間を否定されているような気がする。
それが定められたものであるとするなら、悩み苦しんできた事に意味などなかった事になる。
震える声で問うた言葉に、貞慎は少し考える。確かに、運命とはそういうものと解釈出来なくもない。
「……正直、出逢いに関しては引き合わされた感が否めない。だけど、その後は違うでしょう?冬歓がそうであるように、運命の番に対する執着は相当なものらしいけど、執着が生じるのは好意からだけじゃない。極端な話だけど、異常な程の敵意を燃やす……例えば特定の相手や相手に関するものを執拗に滅そうとしたりっていうのも執着だ。その相手に対する執着が好意であるか悪意であるかは、築いてきた関係次第だと思う。仮定として、その執着が定められたものだったとしても、今ユエが抱く気持ちが好意である事は定められたものではない。時を重ねて築いてきた関係は、間違いなくユエと姉上が作り上げたものだ。大体、定められたものなら、こんなに面倒臭い事になっていないよ。ユエにも姉上にもそれぞれにこれまでがあって、それが今のユエと姉上を作り上げてるんだ。確かに運命ってものがどういうものかなんて誰も知らないし、心に影響を及ぼしている部分はあるのかもしれない。でも、運命だからって今とは全く違う正反対の、さぼり魔な癖に他には厳しい姉上なんて、誰も好きにならないよ。姉上は姉上だから好きなんだって思わない?運命とは矛盾するかもしれないけれど、今の姉上だから今のユエの想いがある。俺はそう思うよ」
運命と言われると一目逢ったその日から互いに夢中になるような印象を受ける。だが、冬歓は一目で運命を感じたらしいが、生まれて間もない聖辰が同じように運命を感じたのかと言えば、疑問を感じる。そうであるとすれば、当時から冬歓にはそうとわかる位に特別懐いていただろうし、聖辰に刷り込みのように想いを捧げて篭絡する必要はなかったのではないかと思う。犀慎によれば生まれて間もない頃からずっと、あなたは俺の運命だと言われ続けてきたらしいが、そんな風に刷り込まれれば、運命でなくとも運命になってしまいそうな気がしてならない。冬歓も悪いところばかりの龍という訳ではないし、おそらく聖辰も冬歓と過ごす事で育まれた想いがある筈だ。
確かに出逢いは運命なのかもしれないが、関係を築き、想いを育てていくのはお互いであって、定められたものではないと貞慎は結論付けた。
「でも……案外ユエは欲張りだね。定められた執着じゃ嫌だなんて……それだけ姉上を想っているって事か……」
初めはからかいなのかと思ったが、噛み締めるような貞慎の言葉にユエは問い掛ける様な視線を送る。
「凄い事だと思うよ、それだけの想いを傾けられる相手に出逢えたっていうのは。俺にはよくわからない事だからね。母上の事もお婆様の事も語られる話を聞いては来たけど、おそらく理解は出来ていない。父上や爺様は母上達と同じところまで至ったのかな……」
どこか冷めた言葉にユエは思う。きっと犀慎も貞慎と同じなのではないだろうか。
「……それだけ傷付いているって事です。犀慎様も貞慎様もご自分の痛みに無頓着過ぎます」
何に、などと言わなくとも伝わるそれは、ユエの躊躇いにも繋がっている。
「ああ……ユエにはそういう遠慮もあるのか……本当に良い子だね、ユエは」
気付かせるつもりではなかった、寧ろ隠しておきたかった事を指摘されて、少しばかり動揺するユエに貞慎は小さく笑む。
「きっと今のユエの言葉を聞いたら、姉上も父上も爺様も感動するよ。何でこんなに慎家の壺を押さえている癖に自信がないのかな……?俺も結婚するならユエみたいな娘なんだけど。姉上もそうなんじゃないかな?」
「な、何を仰ってるんですか!?」
「え?前にも言ったけど、俺達ユエには度々救われてるんだよ?候補として上位なのは当たり前だよ。不満があるとするなら、自己評価が低過ぎる事だけだね。姉上もそうだと思う。本当にユエの存在は俺達にとって心地良いから。でも姉上はこれまでの経験からそういった執着……いや、執着とも呼べない、ここにいてくれたらって願望でさえ良くないものと判断している可能性が否めない。ユエが大事であればある程、そう判断しそうな気がする。俺も姉上の事だから冷静に考察出来るけど、俺自身の事となれば姉上と同じ思考に陥るかもしれない。俺も姉上も、慎家だからね」
貞慎はユエの不安材料を丁寧に潰そうとしている。
同じ傷を抱えているからこそ理解出来る犀慎の心情を伝え、だからこそ犀慎の為にも一歩踏み出すべきだと背を押している。
犀慎の気持ちを確認した訳ではないが、確信している事はユエにも感じられる。
「押しの強い母上みたいにとは言わないけど、姉上が望む望まないは関係がない、ユエが姉上といたいんだという事を示さなきゃ、姉上は自分が望む気持ちさえ否定する。それだけでも伝えてあげて欲しいんだけどな?」
おそらく他の相手であれば、それはもう想いを告げる事と同意だ。だが、犀慎はそうとは解釈しない可能性は低くない。それでいて、犀慎の中の何かが変わるかもしれない。
ユエの臆病な部分が、もし正しく伝わってしまったらだとか、変わった犀慎が他の誰かを選んでしまったらと不安を訴えかけてくる。しかし、ユエにも欲がない訳ではない。
「貞慎様、その言い方はずるいです……」
犀慎もそうだが、貞慎もユエの事はよく見て来た。
ユエの昇華出来ずに燻る欲を刺激しつつも下手に出る。そんな事をされれば、ユエは否とは言い辛い。
拗ねたようなユエに、そうかなと貞慎は空惚けた。
体調は治りはしていないものの、一番酷い時からすれば大分マシにはなっております。
ただ、自分の感覚がその一番酷い時のままらしく、大丈夫と思っていたら思っていたより体調が悪かったらしくて倒れるという事をやらかしてしまうので、のんびりやっていこうと思います。




