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龍の箱庭  作者: 遠戸
13/19

13.帰郷

 十年と少し前。

 大雨が続いて、少年の住む村の側を流れる川が溢れそうになった事があった。雨は止む気配もなく、川は轟々と鳴り、度々川岸を打ち付ける波が飛沫を上げているのが見えた。

 そして大人達は、川を鎮める為に供物を捧げる事にした。供物と言っても祭りの時のように酒や食べ物を捧げる訳ではない。人だ。つまり、生贄を捧げようとした。

 それが間違いだった。いや、間違いはもっと前から始まっていて、それが止めだったのだという。

 生贄に選ばれたのは、村の外れに暮らす村の女と異国からやって来たらしい男との間に生まれた子供で、ユエと言った。

 父親と同じ銀の髪と金の瞳という、この辺りでは見慣れない色を持つ子供は、いつも遠巻きにされていた。少年もその姿を気味が悪いと罵ったり、突き飛ばしたりといった事をした覚えがある。

 当時は既に父親は山の事故で死んでおり、母親は必死で抵抗したらしいが、男数人がかりでは護り切れる訳もない。母親からユエを奪い取った大人達は少年と年の変わらぬ幼子を濁流に投げ込んだ。

そしてその母親も、その後を追って飛び込んだ。

 生贄を捧げたのだ。川は鎮まる筈だった。だが、川は溢れた。足の悪かった少年の祖父は、流されて亡骸も見付からなかった。

 その時点で間違いに気付いていたら、まだ間に合ったのかもしれない。だが、誰も気付かないまま、十日程が過ぎた。

 片付けに追われる村に、高貴な身なりの美しい娘が従僕を連れてやって来た。そう、思っていた。しかし、娘が連れた幼い子供がユエである事に誰かが気付いた。ざわめく村の者達に気付いた村長夫婦とその息子がやって来た。

 そして、村人達は罪と愚かさを突き付けられた。

 幼かった少年はその場に居はしたが、はっきりとは覚えていない。少しばかり大きくなった頃に父親に聞かされたのは、実は村長の息子に殺されたのだというユエの父親も、ユエ自身も、土地を豊かにする加護を受けていたのだという事とユエを生贄に捧げた事で逆に怒りを買い、村が水に呑まれたのだという事だった。

 最後に、龍に変化した娘はユエと二人の従僕を連れて去った。村に呪いを残して。

 それからの村の生活は悪化の一途であった。それまでは、川が溢れても運ばれてきた豊かな土のお陰で翌年以降の実りに恵まれた。その年を乗り切れば何とかなる筈であった。しかし、逆に土が痩せた。山に入っても山の実りも獣達もまるで村人を避けるかのように見かけなくなった。

 あの時に龍と村人の怒りでまともに動けなくなっていた、ユエの父を殺し、ユエを生贄にと言い出した村長の息子が今度は供物として捧げられたが、全く状況は変わらなかった。

 村を捨てようにも役人の目がある。残り滓のようなこんな廃れた村からでも出来る限り搾り取る為というよりは、呪いが他に広がらない為に封じ込めたいのだろう。関わりたくないとでもいうかのように、村へやって来ても早々に立ち去り、碌に年貢を納められずとも強要される事もない。死に絶えて村がなくなる事を待っているかのように感じられる。そしてそれは役人だけではない。

 何とか村から逃げ出しても呪いを受けたという噂の広がった近隣の村々では受け入れを拒まれる。近づく事すら嫌がられる。新たに土地を拓いても、何かと障りがあり、まともに食べられれるようにはならない。

 弱い者から次々と死んでいく。生きている者達も痩せ細り、漸く生きているという状態だ。

 何故、こんな事になったのだろう。どうすれば良いのだろう。呪いを解いて貰いたくとも、龍に出会う事自体が奇跡のようなものだ。

 次に死ぬのは自分かもしれない。

 奇跡を待つしかない少年は、畑の水遣りの手を休めて天を仰いだ。



「……それで、その、村へ行ってみる事で俺が囚われているものから解放され、前に進めるのではないか、と」

「成程。それで、ユエも二人と同じように感じているんだな?」

「はい」

 自室で書き物をしていた犀慎に、先日、アルベルトとグレンに言われた事をユエは相談していた。

 了解が得られるかはわからない。そもそもユエ自身、本当に今のどこか卑屈な自分から脱却する事が出来るのかなどわからない。それでも、少しでも前へ進めたらと思うのだ。

 表情からは犀慎がどう思っているかはわからない。ただ何事かを考え、検討しているのだろう事はわかる。

 思索に耽る犀慎の視線は下向いていて、黒々とした睫毛がユエの耳飾りと同じ色の瞳を簾のように隠す。

「……ユエ」

「っ……はい!」

 視線を奪われていたユエは、呼ばれた名に思わず上擦った声を上げた。

「確かにグレンとアルベルトの言う通り、一度赴いてみるべきなのかもしれない。お前の人間への不信感はあの村に起因するものだ。あの村のお前への扱いがお前の心に影を落とし、自信を持てずにいるとするならば、村の者達ともう一度対峙しなければ払拭出来ないのだろう。だが……一人では行かせられない」

「……グレンさんとアルベルトさんにも言われました。肉体的にはともかく、心を傷付けられるのが心配だと」

 翡翠のお陰で深く関わる事になったグレンとアルベルト。翡翠が選んだ相手とその相手を育てた養父という事で幾分心の敷居が低かった事もあろうが、二人の誠実さと優しさがユエを一歩踏み出させた。これを切っ掛けにもっと積極的に人間と関わり、ユエの世界が広がって行けばいい。龍塞に残りたいというユエの気持ちは知っているし、最終的にユエが選ぶのならそれで構わない。だが、ユエには人間と関わる幸せも、人間の世界の幸せも知って欲しい。

 幼いユエは好奇心の強い子供だった。薬の材料集めの為に世界各地に連れて赴いたが、世界の広さに目を輝かせつつも人間を恐れるユエは素直に楽しむ事は出来ていなかった。

 龍塞に来る事になった経緯は幸せなものではないが、前向きに考えれば好きな場所で生きられるのだ。薬師としての能力があれば、何処ででも生きていける。龍塞を帰る場所、心の寄る辺として置き、世界をもっと知り、楽しんで欲しい。何処で生きるのかを決めるのはそれからでも良い。

 犀慎はそう思っている。

「同感だ。翡翠は良い家族を得たな」

 過保護だとか、そういった子供扱いのように感じられる事への少しばかりの反発心はある。だが、二人が信頼の置ける人間であり、姉のような存在である翡翠の新しい家族となってくれた事を喜ばしく感じているのはユエも同じだ。

 犀慎の安堵と嬉しさの入り混じった表情に、つまらない事を言う方が子供だと感じ、ユエは口を噤む。

「……一人では行かせられないが、あの二人に暁の言葉はわからない。私が行けば村の者は間違いなく畏縮するだろう。貞慎も考えたが……私もそうだが、龍と人間との感覚の差は否めない。あの時一緒いた琥珀も私の場合と似たようなものかもしれないが……人間の中で生まれ育った琥珀の方が良いだろう。だが、万が一を考え、加護の繋がりを使って様子を窺う事を許して欲しい」

 グレンのユエについての考察は成程と思わされた。だが、村へ赴く事でユエが劣等感から解放されるかどうかは、正直紙一重だと思っている。下手をすれば、益々劣等感を募らせるだろう。

 だが、護ってやるばかりの時期は過ぎた。ユエ自身が変わって行く為にそれを選ぶのなら尊重してやるべきだ。それでも、何かがあった時の為に助けてやれる者がいた方が良い。そして、その者とユエ共々にいざという時には護らねばならない。

 そう考えて犀慎は了承を得ようとする。

 一方のユエは、わざわざ了承を得ようとする犀慎に驚いていた。

 恰好悪い所は見られたくないという気持ちはあるが、後ろ暗い事がある訳でもない。犀慎の心配は伝わっている為、異論はない。寧ろ、そもそも加護を得たのもユエが無理を言ったようなものなのだ。犀慎が気を遣う必要はない。

 加護の繋がりを使うと確認してくれるだけでも、きっとユエは犀慎の誠実さを感じただろう。だというのに、ユエの気持ちをまず慮る所が犀慎らしい。

「加護を望んだのは俺です。了承を得ようなんて事をなさらなくても大丈夫です。それに俺を心配してくださっている事はわかっています。だから、そんなに気を遣わないでください」

「……ユエ、お前はもっと己を厭え。最初の時のようなお前の身を脅かすような何かが起これば私にもわかるから、その時は勝手に視るだろうが、緊急時以外はきちんと了承は得る。これはけじめだ。私はお前の意思を蔑ろにはしたくない」

 貞慎は犀慎に縛られる覚悟をしろと言った。犀慎はせいぜい心配して様子を窺う程度ではあるだろうが、本来加護とはそういうものだと。だが犀慎は、あくまで最低限に止めるつもりのようだ。

 見られたくない部分は確かにある。異種族恋愛の末路を知って以来、想いを知られる事は絶対に避けなければならないと思っているし、格好悪い所は見せたくない。だが、ユエは犀慎に執着されたいと思っている。繋がれた手を離したくない。出来ればずっと傍にいたい。極端な話だが、手放される位ならば、束縛される方がずっと良い。しかし、そんな本心を表出させる訳にもいかない。それが少々もどかしい。

「……俺がお願いする必要もない、そんな犀慎様を警戒しろというのは無理です」

「む」

「正直、格好悪い所は見られたくありませんが……気に掛けていただける事は嬉しいですし、嫌われていないのだと安心します」

 妙な誤解は受けたものの、嫌われるのが怖いので晒せない部分があるのだと、秋霜のお陰で伝わった。

 執着して欲しいなどとは口に出来ないが、犀慎に気に掛けていて欲しいのだと些かずるい言い方で伝える。嫌われる事に怯えていると伝える事で、せめて手放そうなどと考える事を阻止したいのだ。

 そんなユエの気持ちに気付いていない犀慎は、ユエの言葉を深刻に受け止めた。

 ユエが犀慎を慕ってくれているという事は理解している。だが、嫌われる事に怯えているのは、犀慎が至らないからなのだろう。

 当主としての在り方、薬師としての在り方ならば、それなりにわかる。だが、保護者としての在り方は十数年経つ今でも手探りでよくわからない。情の示し方が良ろしくないのか、振る舞いに問題があるのか。どこまで踏み込むべきかという距離感も年頃になったユエには必要だろう。

 人と龍の差もあろうが、犀慎が気付けない部分に気付いてやれる者が増えて良かったと思う反面、至らなさが身に沁みる。

「至らない師ですまないな」

「え……?」

「嫌われるのが怖いという事は、私のユエへの情の表し方が良くないのだろう。それに今回の事も、本来ならば私が気付いてやらねばならない事だった」

「そ、そんな事は……」

 成人して間もないあの頃の拗れに拗れていた幼い恋心の所為で犀慎が思い詰めてしまった事を思い出した。このままでは、また同じ事を繰り返す。

 正直、恥ずかしいというか恰好悪い暴露話となるが、ああなるよりはいいとユエは腹を決めた。

「……犀慎様。俺は犀慎様が大好きです。犀慎様が俺を大事に想ってくださっている事はちゃんと伝わってます。ただ、大好き過ぎて不安になるだけなんです。それに……俺、まだ未熟者ですけど、男です。人間の男はつまらない事で恰好付けたがるんです。アルベルトさんやグレンさんも言ってました。確かに俺は悩んでいました。でも、うだうだと悩んでいる自分を恰好悪いと思う気持ちがあって……犀慎様には一人前……はまだ遠いかもしれませんが、少しは大人になったというか、しっかりしてきたと思われたくて……」

 五家の他四家の当主達は評議の度に叱られている事はユエも耳にしており、普段の様子からも犀慎や聖辰に甘えていると感じる事も少なくない。その為に人間のと前置きをしてみた。

 実際には、ユエは自身を子供だと思う。だが、少しでも大人として見てもらいたいと、想いを知られたくない半面で異性として意識されたいと思う事を止められないのだ。

「あの二人だから話せた事で、私には認められたいから言えないと?」

「うっ……はい……」

 犀慎はずっとユエを尊重し、大事にしてくれた。今も気に掛けてくれているのだというのに言えない。

 それが申し訳なくて犀慎の顔が見れない。

「まあ、龍と人とでは違う所も随分あるし……自立の一環なのだろうからな。仕方がない事だし、これ以上は聞かないが……」

 何とか乗り切ったと安心した時だ。ユエは不意打ちを喰らう。

「……私の事もたまには頼って欲しい」

「ぐっ……」

 見上げ角度で寂し気に微笑まれて、罪悪感とときめきで胸が痛い。胸元を掴んで、何とか心を落ち着かせる。

「っ……今の俺は、まだ犀慎様のお力添えなしで出来る事は少ないです。まだ教えていただいていない事も沢山ありますし、加護までいただいています。寧ろ、もっと犀慎様のご負担を減らすべく努力しなければならないのでは……?」

「何を言っている。私の方こそ、随分ユエに甘えてしまっているだろう。評議の間に薬草園や田畑の手入れだけでなく、色々とやってくれているだろう?帰って来れば、掃除どころか布団まで干してあるし、食事の支度や切れていた物の補充までしてある。聖辰様からどれ程羨ましがられているか……」

「それは……これまでずっとお世話になって来ましたし……いつも何日も宮に詰めてお仕事をされてお疲れになって帰って来られるので、少しでもお力になれればと……」

「そういう所だ。あいつ等にはそんな気遣いは出来ない。琥珀と翡翠も良い子だが、幼い頃からそんな気遣いをしてくれていたユエは存在自体が癒しだ。ユエはもっと頼って良い。」

 断言する犀慎の苦労は見て来た。本当にその癒しになっているのなら嬉しいと思う反面、存在自体が癒しなどという幼い子供に対するような言葉に落ち込む。

「……そう感じていただけているなら、その……光栄です……」

 ユエの複雑そうな表情に犀慎も失言を悟ったらしい。ユエが成長を認められたいと犀慎に告げたのはさっきの今だ。

「あ……すまない、ユエ。子供扱いのつもりではなくてだな。そんな気遣いが出来るユエが心の支えになるというか、活力を与えてくれるというか、そういう事を言いたかったんだ」

 焦りを浮かべる犀慎に、落胆を隠せずにこんな風に気遣わせてしまう自分はやはり子供だとユエは反省する。素直に喜べる位の余裕が欲しい。

「わかっています。寧ろ、素直に受け取れない所がまだまだだな、と……」

 犀慎に慮って欲しいのならば、本当は想いを告げるべきなのだろう。慎家が恋愛に疎いのは生来のものもあろうが、それだけではないだろう事も今のユエは気付いている。踏み出せないユエには犀慎を責められない。

 仕方のない事ではあれど、相変わらずユエと犀慎の気持ちは嚙み合わない。

 


 無事許可を得て向かった五つの時以来の故郷は、思っていた以上の有様だった。

 本来なら稲が天に向かって伸び、田んぼを青々と埋め尽くしている筈の季節だが、村の田んぼには細い稲の束がぽつぽつと生えている程度だ。土もひび割れている。あの時ユエが投げ込まれた川は、底を申し訳程度に流れる程度になっており、田んぼに水を引くどころではない。畑は田んぼ程には水を必要とはしないが、収穫など碌に望めないだろう事は同じだ。

 川にいた水の精霊は龍塞まで付いて来ており、今は慎家の薬草園の水瓶に住んでいる。水に近しい龍の住処は居心地が良いらしく、池などに比べれば随分小さな閉塞感のある場所であるだろうに、犀慎によると気にした様子もないらしい。寧ろ、自発的に水やりの手伝いをしてくれたりもしている。

 精霊の存在の有無でこれ程に違うのかと思うと同時に、ユエの心を罪悪感が掠める。

 精霊達が村を去ったのは、彼等の意思だ。その事態を招いたのは村人達で自業自得である。だがそれでも、きっかけとなったのはユエである。正直、許せない事はある。だが、こんな状況を望んだ訳でもない。ユエが申し訳なく思う必要はないのだが、それでも気に掛かるのだ。

「……ユエ、お前は何も悪くない」

「!」

 掛けられた声に隣を見遣ると、琥珀がユエを見上げている。

「やっぱりか……。犀慎様からも言われてたし、俺もユエならそういう事考えそうだと思ってたんだよ。村の様子を知ったユエは罪悪感を感じて自分を責めるんじゃないかって、犀慎様は心配されてた。俺も翡翠も、グレンとアルベルトも同感だ。案の定だったな」

 犀慎達程ではないが、ユエよりずっと成長の遅い琥珀の身長もとうに追い越してしまっている。しかし、琥珀が兄のような存在である事は変わらない。口角を上げた琥珀に胸が温かくなる。

 村を離れる事など考えもしなかった幼い頃とは違う。慎家という温かい場所で慈しまれ、力も知識も与えてもらった。力には抗える自信がある。夢に魘される事は度々あったものの、ユエが望まなければ関わらずに済む村の者に蔑まれてもおそらく気にも留まらないだろう。心を傷付けられる心配など要らないと、そう思っていた。だが、皆が心配していたのはそこだったらしい。

「犀慎様はユエの思うようにさせて良いと仰ってた。ユエは優しいから、あんな事をされた連中でも放っては置けないだろうからって。正直俺は、あんな連中放っておけと言いたいところだけどな」

 そう言いながらも、ユエが見捨てられない事もわかっているのだろう琥珀の様子に、苦笑で返す。

「……後味の悪さをずっと引き摺るのも嫌なので」

 一時しのぎにしかならないとしても、水の精霊か犀慎に頼んで田んぼに水を張ってもらおうか。それとも、土の精霊にも頼んで溜池でも作るべきか。

 そんな事を考えた時だ。

「ユエ!お前ユエだろ!?」

 聞こえて来た声に視線を向ければ、少年が一人、こちらへ向かって走って来る。ユエは随分成長したが、ユエの持つ色はこの辺りでは珍しい為にそうだとわかったのだろう。

 駆け寄り縋りついて来た少年は小さく、酷く痩せている。その所為で年齢がよくわからないのだが、ユエの事を知っているのならば、ユエと同じかそれより上の年頃なのだろう。

 だが、シルバの血なのだろう長身で幼い頃から武術を仕込まれて来たユエと比べると随分貧相である。

「どちら様ですか?」

「俺だ!利平の息子の平太だ!」

 利平は、あの日、母親である小夜からユエを奪い、川に投げ込んだ男達の中の一人だ。そして、平太にも嘲られ、突き飛ばされたり、石を投げられたりされた覚えがある。良い思い出はない。

 そんな平太が一体何の用なのか。

「……何の用?」

 ユエ自身が思ったよりも冷たい声が出た。

 良い感情は持っていないという自覚はあった。だが、ユエや両親にしてきた事に対する申し訳なさなどまるで感じられない、そんな平太の態度に身の内がざわりとした。

 しかし、平太の方はユエのそんな様子には気付かない。

「頼む!呪いを解いてくれ!」

「呪い?」

「見ての通り、あれから村の土が痩せた。殆ど実りはない。山に行っても、山の実りも獣も見掛けなくなった。何とか村を出て新しい土地を耕しても、何かと障りがある。皆死んでいった。頼む、助けてくれ!」

 呪いなどにユエは心当たりはない。村の実りがなくなったのは精霊が離れてしまったからだろう。視線を向けた先の山は木々も茂り、精霊達が離れた様子はない。上空を飛ぶ鳥の姿も見える。関係しているとするなら、山の神だろう。何処とも知れぬ新しい土地の事など、それこそ知った事ではない。

「呪いなんて心当たりがないけど」

「お前じゃなければ、あの龍だ。あの龍が呪いを掛けていったんだ」

 その言葉に腹の底がかっと熱くなる。

「犀慎様はそんな事はなさらない!!」

 平太は幼い頃のユエしか知らない。皆に爪弾きにされ、石を投げられ、怯え泣いていたユエしか知らない。今のユエもそうだと思っていたのだろう。

 ユエの怒りに気圧されて平太が怯む。

「犀慎様は気高く、誰よりお綺麗で、愛情深い、神様のような方だ!下界で病が流行れば薬を作り、地震が起これば崩れた家から人々を救い、怪我の手当てをする。弟子の為に独り立ちの資金を用意し、結婚するとなれば幸せになれる様に奔走する。人間の養い子の為に力を知識を惜しみなく与え、心を砕き、どれ程困らせてもずっと大事に慈しんでくださった。そんなあの方がそんな事をなさる筈がない!侮辱するな!!」

 契約を通じてユエの怒りを感じたのか、ユエの元に精霊達が集まり出す。次第に空気が張り詰めていく。

「土地が荒れたのも川の水が川と呼べないものになったのも、精霊達がこの村を去ったからだ。精霊達は感情に素直で、意に沿わない事はやらないし、土や水のように土地に根ざした精霊は余程の事がない限りは土地を離れる事はしない。精霊達がこの村を離れたのは精霊達の意思だ。犀慎様の呪いなんかじゃない……!」

「じゃあ、なんで離れたんだよ!」

「精霊達にとって、他の村の人間全部よりも大事なシルバとユエを村の人間が害したからだろ?」

「琥珀さん……?」

 頭に血が上っている平太に冷たく言い放ったのは琥珀だ。断言した言葉は事実である。

「まず……ユエの犀慎様評には私情も入っているが、概ね同意だな。あの方はとても慈悲深い方だ。もう九十年位前になるか。その頃に暁中で流行った流行り病も犀慎様達のお力がなければ、収束は遅れ、もっと死人が出ただろう。下手をすれば、お前のひい爺さん、ひい婆さん辺りも死んでたかもな。そうなればお前が生まれて来る事もなかった。大恩ある御方を侮辱するなど、何様のつもりだ?」

「……」

 琥珀は、今ではユエよりも年少に見える。しかし、実際に重ねて来た年月の分の貫禄のようなものと、やはり半分は龍の血を引いている影響もあるのだろう威圧感に平太は言葉を発せない。

「お前はともかく、お前の両親はあの時あの場にいたんだろう?なら、犀慎様の話を聞いていた筈だ。お前の親はお前に何も話さなかったのか?何をせずとも精霊達に愛される者がこの世界にはいる。ユエも父親のシルバもそうだった。大事な奴を傷付けられれば怒るのは当然だろう?お前だってそうじゃないのか?それをお前達はした。シルバを殺し、ユエをも殺そうとした。精霊達は怒り、お前達を見捨て、ユエに付いて行った。お前達の自業自得だ」

「なら……他の誰かが、俺が死ねば良かったっていうのか!?」

 負けん気を必死で絞り出したような平太の言葉にも、琥珀は動じるどころか蔑みを滲ませるだけだ。

「……他の方法に思いを巡らせる事もなく、短絡的にすり替えるという時点で、正直もう話したくもないが……答えてやるよ。結果を見ろ、その方がまだ良かったのは明らかだ。ユエやシルバでなく、お前やお前の親だったなら、村は以前のまま……どころか、もっと豊かになっていただろうな。シルバとユエはその力を持っていた」

「っ……他人ひとを何だと思ってるんだよ!!」

「黙れ!!お前こそ、ユエとシルバを何だと思ってる!!」

「ひっ!!」

 平太の目の前に雷が落ちた。完全なる晴天の霹靂は、怒りに発現した琥珀の術だろう。

「他人を何だと思ってるかだと?お前こそ、ユエならどうなっても良いと思っているんだろうが!!見た目が違う?それがどうした。お前を初めとしたこの村の奴等の誰よりユエもシルバもまともだ。いや、まともどころか、遥かに上等だ。苦しんでいる奴を見て心を痛め、それが嫌いな奴だったとしても何か力になろうとする優しさを持っている。それに引き換え、お前達は何だ?お前達は、犀慎様がユエを連れて来たあの時も、今回も、一度だってユエに詫びたか!?詫びる事もなく、おかしな勘違いに自分勝手な要求。自分さえよければそれでいい、そんな奴等だから、精霊達に見放されるんだと何故わからない!!まず自分を見詰め直せ、この屑が!!」

 こんなに怒っている琥珀をユエは初めて見る。翡翠とグレンの事を知った時の琥珀も怒っていたが、あの時の琥珀には翡翠を思い遣る心配の気持ちがあった。だが、今回は違う。純粋な怒りである。

 正直、ユエには平太が理解出来ない。謝られなくとも、気まずさからどうしたら良いかわからないという態度ならば、許せなくとも歩み寄る事は出来たかもしれない。だが、琥珀の言う通り平太には反省どころか、悪い事をしたという意識もない。本当にユエがシルバが何をしたというのだろうか。

 怒りはある。だが、ユエ以上に琥珀は激昂している。きっと犀慎や貞慎も、翡翠もグレンもアルベルトも、同じ様に怒ってくれるだろう。そして同じ人間であるが、グレンもアルベルトも、何かあっても平太のような事はしない。戦えない誰かの為に魔獣と戦う彼等は平太とは違う。

 おそらく、平太が理解出来ないユエ自身も、平太とは違うのだろう。琥珀が言う通りに上等だとは思わないが、琥珀が嫌わない位ではあるのだと思う。

 ああはなりたくないし、きっと琥珀達が居てくれる自分はああはならない。きっと間違えようとした時には正してくれる。間違わない。自身の事はよくわからなくとも、周囲の存在は信じられる相手ばかりだ。

「……琥珀さん、もういいです」

「ユエ!」

「やる事をやって、さっさと帰りましょう」

「ユエ、お前まだ……!」

「俺は!もう二度とこの村には関わりたくない。全部終わらせたい。だから、後に引き摺るような事をしない為に、今出来る事はします。俺の為です」

 平太の様子次第では殺しかねない程の怒りを見せている琥珀だが、ユエは琥珀にそんな事をさせたくない。

 琥珀は薬師だ。人を助け、生かす為に力を尽くす。琥珀の力はそういった事に使われるべきだ。平太のような人間であっても、そんな事に使われるべきではない。

 そんな意思を込めた眼差しに、琥珀が折れた。

「……あぁ、もうっ!わかったよ!……おい、そこの屑!」

「っ!!」

 びくりと身を震わせた平太に琥珀は吐き捨てる。

「ユエはお前みたいな屑とは違うからな。この村の状態を見て、出来る事をしてやろうとしてたんだよ。お前の下種っぷりを見ても、気は変わらないらしい」

「……でも、後の事は知らない。もう二度と、この村とは関わらない。どうなろうが関係ない」

 そしてユエはかつてユエの家の畑だった場所に、土の精霊の力を借りて深い穴を掘り、犀慎の力を借りて穴とひび割れた田んぼに水を張る。

 あっという間の出来事に平太は唖然としている。本当にユエは実りを豊かにする力を持っていたのだと知るが、もう遅い。

「……犀慎様、帰ります」

「あ……ま、待って……」

 ユエが呼んだ水を犀慎が門に繋いだのだろう。ユエと琥珀を覆った水は一瞬で消え去り、二人の姿ももう既になかった。



「ユエ!琥珀!」

 龍塞に戻った二人は真っ直ぐに慎家へと向かう。おそらく犀慎が待ちかねている。

 そう思ってはいたが、慎家の前に差し掛かると二人の帰宅を察した犀慎が門から飛び出してきた。いつも落ち着いている犀慎らしくない行動に驚くが、それだけ心配していたのだろう。

「犀慎様!?」

「よく帰って来た。嫌な思いをさせたな……」

 労わる様にして抱き締められ、ユエは思わず硬直した。何とか数拍の思考停止から戻ってくると、そっと身を離して犀慎を安心させる為の言葉を紡ぐ。

「……俺が望んだ事です。それに……俺の周りに居てくださる方々は本当に温かい方ばかりだと改めて気付けました。俺は、あまり人間を信用出来ません。俺自身の事も。でも……きっと俺が間違っていたら、傍にいてくれる方々皆が正してくれるって自信があるんです。だから、俺ももう少し自分を信じても良いのかもと思えました」

「……そうだな。ユエの事を好いている皆を信じて、ユエもユエ自身を好いて欲しい。お前は本当に強くて優しい子だ。お前のように誰かを思い遣れる者はそうはいない。自信を持っていい」

 犀慎はおそらく田んぼに水を張り、溜池を作ったユエの行動をそう受け取ったのだろう。だが、ユエはそんなつもりではなかったのだ。

「……俺は、琥珀さんに言ったように自分が引き摺らなくて済むように、出来る事をして、すっきりとした気持ちで縁を切りたかっただけです」

「あんな扱いをされても引き摺るという時点でお前は優し過ぎる。あの村の者達とは全く違う。私達も精霊達も皆ユエが本当に良い子だと知っているのに、本人だけがそれを認めたがらないのがもどかしいな……ユエはもう少し調子に乗って良い」

 犀慎の言葉に困ったように琥珀が言う。

「でも犀慎様……調子に乗るユエが俺には想像出来ません……」

「……私もだ」

 妙な深刻さを漂わせる琥珀と犀慎に、ユエの肩の力が抜ける。割り切ろうとしてもどうしても消化出来ない気持ちはあり、それによって無意識に力みが出ていたらしい。

 小さく笑うユエに犀慎も琥珀も密かに安堵する。

「……琥珀にも不快な思いをさせたな」

「いえ、俺は言いたい事を言ってやったので!ただ……俺が突っ走った事で、ユエが言いたかった事を言えなかったんじゃないかと……」

 苦笑する琥珀にユエは緩く首を振る。

「大丈夫です。寧ろ俺は、正直もう話もしたくないと思ってましたし、それに……俺がされた事を俺以上に怒ってもらえるって、幸せな事だなって」

 ユエの言葉に犀慎と琥珀は顔を見合わせた。そして、渋い顔を作った琥珀はユエの額に手刀を浴びせた。

「お~ま~え~なあぁ!ユエ、お前はもっと怒っていいんだって!!犀慎様への侮辱に対してはあんなに怒った癖に」

「あれは許せないでしょう!?琥珀さんだって怒ってたじゃないですか!きっと翡翠さんだって、いたら怒ってますよ!」

「まあ、そうだけどな!」

「私は気にもならぬ事だったが……確かに己を思って怒りを覚える者がいるというのは嬉しいものだな」

 温かな遣り取りに犀慎は微笑を零す。しかし、ユエに言い含める様にして言う。

「だからこそ、ユエにはきちんと理解して欲しい。私達もユエを蔑ろにされる事は腹立たしい。例えそれがユエ自身だったとしてもだ。私達の気持ちを素直に受け取って、己を認めて好きになって欲しい。お前は本当に愛されるべきものを持っているのだから」

 身を離したと言えども、少し腕を動かせば触れる近距離で微笑まれて、くらりとする。

 親愛であるのだろうが、深い愛情を感じる。勘違いしてしまいそうになる。否、いっそ勘違い出来たならもっと前向きに生きられるのかもしれない。

 ユエが自分に自信が持てないのは、幼い頃に刻まれた虐げられた記憶と人間の愚かさだけが理由ではない。おそらく拾い上げたのが同じ人間だったのなら、人間への不信感はもっと薄まっていただろうし、ここまで拗らせてはいない。犀慎と同じ種ではないという事も一因としてあるのだから。

 無論、犀慎は何も悪くない。ユエが龍という異種族に恋心を抱いてしまったのが拗れた原因だ。

 秋霜は犀慎の為にもいつか想いを告げるべきだと言ったが、秋霜は慎家が見続けて来た悲しい現実を知らない。

「その……善処します」

 この感情に気付かれないように。

 すっかり上手くなってしまった作り物の笑みは、下界の人間は騙せても幼い頃からユエを見てきた犀慎には通じない。けれどもユエの恋心に気付かない犀慎は会話の内容に沿った別の意味に受け取るだろう。そこまで織り込み済みだ。

 ――ねえ、犀慎様。俺、そんなに綺麗な生き物じゃないんです。


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