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龍の箱庭  作者: 遠戸
11/19

11.岐路

 成人から一年程経ったある日、ユエは犀慎と共にサルースに下りて来た。

 琥珀、翡翠と共に薬師としての経験を積む為に、最近は度々礼慎の手伝いに来ているのだ。

 生活に利用する井戸ではなく、屋敷の庭の池を龍塞の門と繋ぐので町の者達の目に留まる事はない。そのまま屋敷に入ろうとすると、何やら言い争う声が聞こえてきた。

 何事かと声のする方へ向かうと、声の主は琥珀と翡翠だった。双子と言えども何から何まで同じという訳ではない。当然、喧嘩もする。だが、周囲の様子が目に入らない程に激しているのは珍しい。

 耳が拾った言葉からすると、共通の知り合いの事で揉めているようだ。繰り返し出てくる名前がある。

「……何かあったんですか?」

「あら、犀慎にユエちゃん」

 様子を見守っていた礼慎と玉蘭に尋ねると、笑顔で迎えてくれた玉蘭に対して礼慎は幾分困ったような顔をしている。

「慎家には一番向かない内容だ」

 そう言われれば、ユエにもわかる。恋愛に関してだ。

 そう言えば、二人のそういう話は聞いた事がない。どちらの話なのだろうと考えたが、答えが出るより先に犀慎が言い当てた。

「……翡翠ですか?」

「そうだ。琥珀が魔獣退治に同行していたんだが……帰って来るなり翡翠に詰め寄って、こうなった」

「やはり。あの様子だと琥珀ではなさそうですから……」

 慎家の者は関心が薄い為か恋愛にはとにかく疎いが、決して情に疎い訳ではない。それはユエや琥珀や翠に対して何かと心を砕いてくれる事からもよくわかる。

「……どういう事ですか?」

 だが、それでもユエや深春の気持ちに全く気付かない犀慎が何故気付けたのか、失礼ではあるが正直わからない。この場で唯一ユエの気持ちを察する事が出来るだろう玉蘭も、おそらく同じように感じているのだろう。同意を示すように小さく頷いている。

「普段、翡翠は落ち着いていて、あまり主張しないだろう?琥珀主導になっている。だが、実は翡翠の方が思い切りが良い。肝が据わっていると言うのかな。あれで琥珀の方が考え過ぎて動けなくなる傾向があるんだ。琥珀に対して翡翠が何かしら口を挟むのならおそらく琥珀は揺れる。だが、琥珀が詰め寄っていて、それに対して翡翠はきちんと受け止めて言葉を返している。翡翠が何か決断したんだろうという雰囲気だ。色恋沙汰は不得手だが、その位はわかるよ」

「すみません……」

 何故ユエが問うたのか、犀慎も察していたようだ。失礼な事を言ったと思い素直に詫びれば、気にするなと苦笑した。

 しかし、やはり恋愛抜きの、琥珀と翡翠のそれぞれの性格からの推察ではあった。

「父上、母上、相手はご存知ですか?」

「そうねえ……グレン君とは私達は特に親しいという訳ではないんだけれど、誠実そうな、なかなかの好青年よ」

「ここにも何度か来ていたが、素行にも性格にも問題がありそうには見えなかった。だが……魔獣退治の人間なんだ」

「……魔獣退治の人間……」

「二人共、何度か同行しているみたいね。それで親しくなったんじゃないかしら?」

 玉蘭の方は悪い印象ではなさそうだが、礼慎の方はやや難色を示しているように感じられる。犀慎も礼慎と同じだ。

「……琥珀が心配する訳ですね。二人の会話から受ける感じでは、もう互いの想いは通じているのだろうと思われますし……正直、私も危険の少ない仕事をしていてくれた方が……」

「まあ、なあ……ただでさえ寿命が違うのに、更に早死にする可能性の高い仕事をしているなんてのはな……」

 確かに、と思いながら琥珀と翡翠を見遣ると、二人は硬直したようにしてこちらを見ていた。漸く、こちらに気付いたらしい。

「あの……皆様、いつから……」

「私と玉蘭は最初からいたぞ?そこに琥珀が入って来て翡翠に詰め寄ったんだ」

 琥珀の問いに礼慎が答えると、翡翠は両手で顔を覆い、琥珀はしゃがみ込んで頭を抱えた。

 琥珀は犀慎とユエどころか礼慎と玉蘭の存在にさえ気付いていなかったらしい。

 確かに初め翡翠は琥珀を制止しようとしていた。それを聞かない琥珀の勢いに次第に煽られて周囲の事は意識の外へ追いやられてしまったようだ。

「ちなみに私とユエは先程来たのだが……大凡は把握した」

「……すみません。少しだけ時間をください。立ち直りますので……」

 弱々しい翡翠の声に玉蘭が明るい声で提案する。

「なら、お茶でも淹れましょうか。ユエちゃん、手伝って頂戴」

「はい、勿論です!お手伝いします!」

 居たたまれなさを感じていたのか、ユエは玉蘭の言葉に二つ返事で付いて行く。

 その背を見送り、一度琥珀と翡翠に視線を向けた後、礼慎と犀慎も移動する。

「……落ち着いたら隣に来なさい」

「はい……」

 そして、失敗したと打ちひしがれる琥珀と翡翠だけが残された。

「……琥珀の馬鹿」

「すまん……」


 四半刻程の後、隣室では茶と茶菓子が用意された円卓に全員が揃っていた。

 僅かに緊張感が漂っており、まるで家族会議の様相である。

「さて、確認だが……翡翠には結婚を考えている相手がいるが、琥珀は相手の事は嫌いではないが賛成出来ないという事で間違いないか?」

 簡潔に言い合いの内容を纏めて確認してくる犀慎に、琥珀が頷く。

「……はい。魔獣退治にそいつも参加してて、そこで話を聞かされて……。良い奴ではあるんです。でも……」

「心配なんだな?」

「はい。俺達は半分龍ですから」

 犀慎は次に翡翠を見遣る。

「翡翠もそこを考えはしたんだろう?」

「はい。純粋な人間とは寿命が違うから、ずっと一緒にはいられない……これから生きる時間を考えれば短い時間しか共に生きていく事は出来ない事はわかっています。でも、だからこそ今を一緒に生きたいと考えました」

 犀慎は礼慎と視線を交わし、小さく頷く。

「まあ、私も……いや、相手の性格や素行に問題がないのであれば、ここにいる皆が翡翠には想う相手と結ばれて欲しいと思っている。おそらく黒鉄も同じだろうし、賛成出来ないと言う琥珀だってそうだ。それは間違いない。だから、本当は素直に祝福してやりたい。私が気に掛かっているのは、本当に違う時間を生きる相手を選ぶという事がわかっているのか、という事だ。今の翡翠の言葉で、更にそう思った」

「えっ……?」

 翡翠なりの覚悟を持って決めた事だった。しかし、犀慎は足りないと言う。

「お前は今百歳ちょっと……人間相手のお前の子は五百年生きるかと言った所だ。更に頑丈さもお前を下回る。お前に余程の事がない限り、間違いなくお前より先に死ぬ」

 翡翠が小さく息を呑む。

「その子も人間を選ぶのなら、孫は更に短い。お前も孫までは見送る事になる可能性が高いし、お前の子は確実に孫を見送る事になるだろう。お前は相手の、グレンの事に関しては覚悟をしたのだろう。だが、その先にある命について考えたか?お前自身については考えたかもしれないが、子がその子を見送る事まで考えたか?」

 確かに結婚するとなれば、いずれは考える事だ。だが、思いが通じて共に生きる事を考えるようになってそうは経たない。まだ互いの事ばかりでそこまで考えてはいなかった。

 同じ速度で生きるのなら、それでも良かったのだろう。しかし、違う時間を生きるのは翡翠だけではないのだ。翡翠の子供も、更にその子供にも関わる事だ。

「それから……お前だけでなく、お前の相手にも覚悟が要る。薬師としての経験から言うぞ。龍塞では少なくない確率で起こる事だ。結局は違いをきちんと理解出来ていない事が原因だろう。生きる時間の違いに耐えられる者ばかりではない。寿命が違えば、子供の成長も違う。その事に耐えられず、心を病んでしまう者もいる。そうならずとも、相手に辛く当たるようになったり、ついには裏切りを犯す者もいる。その心情を読み取って手放すなりなんなり出来ればいいが……その裏切りを許せずに不幸な結末を迎える事もある」

 本当の事なのかと確認するように、犀慎以外の全員が礼慎に視線を向ける。

「犀慎の言う通りだ。犀慎は暈したが……裏切りの結果、想う相手を殺して後を追う者もいるし、後を追わずとも心を病んで同じ事になる事もある」

 かなり衝撃的な犀慎と礼慎の言葉に玉蘭でさえ動揺している。

「そんな話、誰も……」

「当事者は知られたくないだろうし、触れ回る事でもない。知れ渡れば人や混血を龍塞に入れる事を拒む者も出るだろう。その為、薬師でもある慎家と塞主以外には伏せられている」

「でも私は聞かされていません」

 非難交じりの玉蘭の言葉にも心を揺らす事なく、礼慎は穏やかに返す。

「玉蘭だけでなく、母上も知らない事だ。玉蘭も母上もまだ心に少女を残している。物語はめでたしめでたしで終わるものだ。知らない者の方が多いその後の悲しみなど、知らなくていい」

「……」

 玉蘭も芙蓉も自身の関わりの有無に関わらず、恋の話は大好きだ。龍と人との恋にもどこか運命的なものを感じてときめきを覚えていた。だからこそ、ユエの恋路にも興味津々であるし、今回の翡翠の恋路に関しても余計に心浮き立つものを感じていた。

 だが、礼慎も犀慎も、そしておそらく義父である智慎と息子の貞慎も夢など見ようもない現実を知っている。塞主も報告は受けるのだろうが、薬師である慎家程関わる訳ではないだろう。

 確かに知らなくても良かった悲しみだ。だが、それを夫も義父も我が子達さえもが抱えて来たのだ。話を聞いただけの玉蘭でさえ心が沈むのに、きっとそうならないように心を砕き見守ってきた彼等は、どれ程に心を痛めただろう。あまりにも、惨い。

 もしかすると慎家が色恋沙汰に疎いのは、無意識で忌避しているのが原因なのかもしれない。随分苦労させられたが、そう考えるともう何も言えない。

「……龍塞では、と仰いましたよね?下界ではどうなんですか?」

 完全に逆風の状況を打開したいと必死な翡翠が問う。

「……下界に住む龍には土地を気に入って住んでいる者が殆どだ。他所よそへ移る事はそうそうない。その土地では龍は畏怖の対象であるし、生まれ育った場所と全く違う土地で暮らす人間は少ない。生まれ育った土地の龍と結ばれた者には無事添い遂げられる事も少なくない。だが……年齢を重ねて出会った者は大凡悲しい結果を迎えている。何処にでもいる訳ではない龍と出会う事自体、本来はそうある事ではない上に、そんな龍と恋に落ちる事など奇跡のようなものだ。だからこそ、恋に酔うのかもしれないが……時を重ねる毎に浮き彫りになる互いの違いに、愛しさよりも他の想いの方が強くなってしまうのだろうな」

「母さんは……」

「お前達の母君は聡く、そして強い方だった。母君が生まれる前から黒鉄はあの土地に住んでいたし、幼い頃から黒鉄の姿はほぼ変わらない筈だ。黒鉄が人ではない事をよくご存知だったのだろう。不安はあったのかもしれない。だが、それでも事実を受け容れ、乗り越えた。誰にでも出来る事ではないんだよ」

「でも……」

 どうしても諦めきれない翡翠の言葉を遮って、犀慎が問う。

「お前が選んだ相手は、グレンはお前が純粋な人間ではないという事を聞いてはいるのだろう。だが、本当にその事を理解出来ているのか?」

 そうだとは口に出来なかった。

 グレンよりも数倍長く生きている翡翠でさえ、軽く考えていたと今では思っている。出会って数年にはなる。だが、互いの上に流れる年月の違いを知覚するにはおそらく相当の時間が必要だ。誰もに出来る訳ではない事を相手に求めるのは酷だと翡翠の冷静な部分が告げている。

 揺れた所を畳み掛けられ、翡翠は泣きそうな顔をしている。反対である筈の琥珀でさえ犀慎と礼慎の言葉に狼狽え、翡翠に心配そうな視線を向けている。

 認識が甘かったのは事実だろう。厳しい現実を認識しておくべきではある。だが、正直重い。

「……犀慎様と礼慎様は反対なんですか……?」

「いや?」

 礼慎の否定に、琥珀も翡翠もユエも、そして玉蘭もが驚きを通り越して、言葉を呑み込めずに目を瞬かせている。犀慎も礼慎と同様なのだろう。後を継いだ言葉に皆、漸く真意を知る。

「まだそれを判じる段階ではない。お前は話を聞いたばかりだ。これから二人でしっかりと考えろ。それから答えを出せ。私が見たいのは、今のお前には酷だろう物事に向き合って決めた、お前の覚悟だからな」

 確かに、反対ならば必ず口にするだろう、だから止めた方が良いという言葉を犀慎も礼慎も一度も発していない。

 逃げずに向き合い答えを出せ。中途半端だから覚悟を問われているのだと、そう言っているのだ。

「犀慎様……礼慎様……」

「黒鉄にも相談すると良い。きっと一番お前に寄り添えるのは黒鉄だ」

「……はい」

 正直、翡翠は父と母が犀慎や礼慎程考えていたとは思わない。

 犀慎達は薬師であり、龍塞に住まう龍と人間や混血の番を見て来ている。だが黒鉄はそうではない。考えていたとしても、翡翠と同程度ではないだろうか。それでも今の黒鉄は翡翠がこれから辿る先を生きている。知る事になるだろう悲しみを知っている。

 父が母が老いていく姿をどう感じていたのか。母を亡くした時にどう感じたのか。今、母を選んだ事をどう思っているのか。

 聞いて、もっとちゃんと考えたい。自分の事、グレンの事、二人に連なっていく家族の事、そして父やずっと傍に居てくれた琥珀の事も。

 犀慎と礼慎の話は衝撃的で、知る痛みを味わいはしたが知る事が出来て良かったと思う。

「……あの、犀慎様。さっき仰った事は秘匿情報なんですよね?俺達が聞いてしまって良かったんですか?」

 翡翠が落ち着いて気持ちを定めたのを感じ取ったのか、ずっと気に掛かっていたらしいユエが問うた。

 確かに慎家と塞主以外には伏せられていると言っていた。必要な話ではあったが、ユエの疑問も尤もだ。

 ユエもそれを口にして良いのかわからず何とは言わなかったが、犀慎には通じたらしい。

「お前達は私の弟子でいずれ立ち会う可能性があり、実際翡翠はそうなったが……当事者になり得る可能性を否定出来ない。関わる薬師がそんな事になっても困るからな。だから特別に許可をいただいている。お前達にも守秘義務は発生するから、他言しないように。今回のグレンに関しては除外するが、グレンにも他言無用を徹底させてくれ」

「はい」

 三人の了承に犀慎と礼慎は頷きを返した。


 それから翡翠は、グレンと随分話し合ったらしい。

 犀慎と礼慎から聞いた話にはグレンも衝撃を受けたらしいが、反発するような事はせず、翡翠と真剣に考えたようだ。犀慎は基本的には龍塞にいる為にグレンが会う事はなかったが、礼慎の元には何度か相談にも訪れたらしい。

 翡翠も黒鉄に何度も話を聞きに行った。苦しみ悲しみだけでなく、楽しかった事、幸せだった事、時には惚気も聞いた。そして母は母だけで乗り越えたのではなく、黒鉄と共に乗り越えて来たのだと知った。 そして二人はそれでも共に生きる事を選択した。

「……グレン・シールズです。お義父さんと犀慎様には初めてお目に掛かります」

「……琥珀と翡翠の父親の黒鉄だ」

「師の犀慎だ」

 黒鉄とグレンの初顔合わせには翡翠と琥珀だけでなく、犀慎とユエも同席する事になった。

 犀慎は薬師を志すきっかけとなった敬愛する師であり、ユエは弟のようなものだからという理由だ。礼慎と玉蘭はあまり数が多くても圧力になる為に外している。しかし、いつになく犀慎が威圧感を醸し出している為、あまり意味がない。黒鉄でさえ、どちらが親なのかわからないと思っている。

「黒鉄はともかく、私の事は横槍を入れられて煩わしく思っているんじゃないかと思っていたからな……お前の態度は正直意外だ」

 グレンからは反発や苛立ち、敵意のようなものが感じられないどころか、寧ろ謙虚で殊勝である。皆、こんなに挑発的な犀慎は初めて見る。

 翡翠とグレンは初めから緊張しているが、琥珀もユエも俄かに緊張し始めた。試されているぞと思いながら視線を向けた先には、変わらぬ様子で緊張を滲ませているグレンがいる。

「翡翠が言ってました。一度も止めた方が良いとは言われなかったと。俺達にきちんと考える機会をくださったんだと言われましたし、俺もそう思います。だからこそ、俺も翡翠も自分の感情だけに囚われずに互いにしっかり考えて話し合えたんだと思います。犀慎様がお忙しい方でなければ、礼慎様だけでなく犀慎様にもご相談したかったですし、出来ればこれからもお力添えいただきたいと思っています」

 グレンの真摯な様子から、取り繕った言葉ではなく心からそう思っているのだろうとわかる。これならば大丈夫かと思った矢先に琥珀に言葉が向けられた。

「……困ったな。反対し辛くなったぞ、琥珀」

 予想外の事に琥珀は戸惑うが、言葉とは違い、全く困ったという感じではない犀慎に、お前は言いたい事は全て言ったのかと、確認したい事はないのかと言われた気がして、琥珀は遠慮して言わずにいた言葉をぶつける。琥珀が考えるよりもよりもずっと深く考えていた犀慎達の言葉を翡翠とグレンが真剣に考え、二人で乗り越えようという結論を出したのなら応援はしてやりたい。だが、言ってやりたい事はあるのだ。

 ずっと一緒にいた、大事な妹なのだから。

「……本っ当にな!あそこで尻尾巻いて逃げ出してたらぶん殴ってやれたのに!」

「正直、不安にはなったけどな。俺の甘さで翡翠を傷付けたくはないし。でもどうあっても俺は翡翠が好きだし、諦めるのは嫌だ。なら、そうならないように出来る事をやるしかないって腹が据わった」

 グレンの言葉が胸に届くのは、ただわかってもらおうと言葉を尽くすのではなく、きちんと犀慎達の話を受け止めて問題を知る事から始め、向き合ったからだろう。

 一方的なものではなく、周囲の気持ちをきちんと受け止めた上での誠意であるからだ。

「きっとお前が死ぬ時、翡翠は悲しむ。その姿を見た時、きっと俺はこんな奴選ぶからだって思ってしまう。お前の事は良い奴だと思うし、翡翠が覚悟の上で選んだ奴をそんな風に思いたくない。でも、絶対無理だ!」

「ああ、構わない。寧ろ、悲しんでくれなかったら俺が至らなかったって事だ。全力で悲しんでもらえるように頑張って、寿命まで生きる。だから言ってくれ。その時は最高の賛辞だと受け止める」

「どこまで前向きなんだよ……裏切ったりしてみろ、絶対殺すからな!」

「望むところだ」

 本当であれば翡翠を悲しませたくないが、想う相手と結ばれて欲しいとも思っている複雑な琥珀の気持ちを受け止めて、身の引き締まる思いと自分が死んだその先は琥珀が居てくれるという安堵をグレンは感じる。

 琥珀の方も、寿命はどうしようもない事だとわかっている。二人の母のように最後まで翡翠と連れ添って見せるというグレンの覚悟に二人を支えていく覚悟を決める。

 本音の遣り取りをして笑みを交わした琥珀とグレンはすっきりした顔をしていた。

 そんな二人に満足しつつも、犀慎は釘を刺すのを忘れない。

「琥珀もまだまだだな……殺すのは当然だろう」

「えっ?」

「いいか、グレン。泣かせるなとは言わん。どうあってもお前が先に逝くだろうしな」

「……」

「だが、苦労を掛けるなよ。裏切りなど以ての外。その時は……楽に死ねると思うな?」

 犀慎の凄みを帯びた笑みにグレンの身が竦む。

 明確な意図を伴った威圧感に、怖気が走り喉がひりつく。これまで戦ってきた魔獣など話にならない。圧が違う。これは絶対的強者の圧だ。全く耐性のない者であれば気を失ってもおかしくない。

 だが、せめて踏ん張りたいと丹田たんでんに力を入れて見つめ返し、頷く。

「……流石にこの程度は耐えるか」

 これでこの程度などと言われても本当に困るのだが、何とか笑みを作る。

「これで恐慌をきたすようなら、魔獣退治など辞めろと言うつもりだったのだが……残念だ」

「……犀慎様、父親の仕事を取らないでください」

「黒鉄、お前適度な加減が出来るのか?」

「……チッ!」

「ちょっと、父さん!」

 舌打ちした黒鉄に翡翠が非難を向ける。

「そこだけはどうしても許せないんだ。ただでさえ人間は儚いのに、命の危険に晒される仕事をするなど……辛い思いをするのはお前なんだぞ、翡翠!」

「……それで?」

「犀慎様?」

 思っていた翡翠ではなく、犀慎が反応した事に黒鉄は戸惑う。

「それで黒鉄、お前はどうして欲しいんだ?どうしても魔獣退治を辞めて欲しいのか?それとも、条件次第では許すのか?許さぬと言うなら、グレンは新しい仕事を探す事になるだろう。どうしても他の仕事が出来ぬ者もいるし、望んで魔獣退治を仕事に選んでいた場合、それが原因で翡翠との関係に軋轢が生まれる可能性がある。それでも辞めろと言うのか?条件次第で許すというなら、その条件とは?どちらも出来ないと言った場合、翡翠に他を選べと言うのか?」

 まさか自分が問い詰められると思っていなかった黒鉄は泡を食う。ただ受け入れられないというだけで、グレンの事情など知った事ではなかったし、妥協案など考えもしていない。

「いいか、黒鉄。お前の心配はわかる。だがな、私はお前の知らない現実を知っている。考えるのは翡翠とグレンだけじゃない。お前もきちんと考えなければならないんだ。その場の感情だけで話しても解決しない。予想の付く問題だからな、翡翠とグレンは答えを用意しているだろう。それは、私の言う現実と向き合って出した答えだ。感情に呑まれて二人の覚悟を見落とすな。きちんと受け止めた上で答えろ。父親であるお前と私では確かに違う。だがな、私だって翡翠が可愛い。手塩に掛けて育てた弟子だというだけでなく、本当に良い子だからな。必要だと思えば、翡翠やグレンだけでなく、お前だろうが他の誰だろうが遠慮はせんぞ?」

 慎家の当主、黄龍の威を感じる。龍である黒鉄に向ける威圧はグレンへ向けたものの比ではない。黒鉄以外の者は当てられて身を固くしている。

 黒鉄と犀慎は百年か二百年程度しか歳は変わらない。人間でいう一、二歳程度で、黒鉄の方が上だ。だが、暁の一角以外は殆ど知らない黒鉄と、龍塞を拠点に世界中を見て、各地に住む龍達や生き物達を知っている犀慎とでは見て来たものが違う。

 そんな犀慎が翡翠を本当に大切に思っている事を感じる。

「犀慎様は……どう思っておられるのですか?」

「グレン程に翡翠と共に幸せになろうと真剣に考える者はそうはいないだろうとは思う」

 それは翡翠の話を聞いていて黒鉄も思った事だ。だからこそ、会おうと思った。

「不満は不満で伝えて良い。だが、感情で詰るのは違う。判断の参考になりそうな事例は教える。それを考慮し、よく話を聞け。気になれば問うて良い。納得がいかないなら話し合え。お前もよくわかっているだろう?人間であるグレンの時間は短い。意固地にならずに、ちゃんと今、向き合ってやれ」

「……わかりました」

 そう、黒鉄は良く知っている筈だったのだ。

 人間の時間が本当に短い事を。龍と人間の時間は全く違う事を。

 だからこそ感情に任せて非難して、反発されて意固地になる黒鉄を予想した犀慎は口を挟んだ。犀慎の近くにはその後悔を抱えている者がいるのだから。


 犀慎と黒鉄の様子を見ていた翡翠が、ぽつりと零した。

「……この間、ユエが言ったのよ。犀慎様も礼慎様も賛成反対じゃなくて、私の味方なんだって」

 考え、悩む翡翠は不安になる事も多かった。未来の自分達に自信が持てなかった。そんな翡翠の様子に気付いたユエは言ったのだ。

 犀慎や礼慎が悲しい結末を迎えた者達の事を知っているのは、彼等の事をずっと気に掛けていたからだ。きっとそれまで寄り添い支えてきたからだ。決めるのは二人だが、決めたら支えてくれる。相談したらきっと力になってくれるし、琥珀や自分もいる。賛成とか反対とかじゃなく、翡翠の味方なのだと。

「……確かに」

 グレンを威圧し覚悟を問う一方で、犀慎はグレンを認めており、黒鉄に感情に振り回されて目を曇らせる事なくよく考えて判断しろと諭している。

 犀慎は黒鉄とも琥珀とも違う。きっと母親とも違う。だが、本当に翡翠を大事に思っていて、その幸せを願っている事を感じる。

「私、愛されてるなって……幸せだなって、すごく思う」

「ああ、俺もそう感じる。お義父さんに琥珀、犀慎様や礼慎様や玉蘭様、貞慎様にユエ、愛情深い方々に囲まれて今の翡翠が形作られたんだなって思う」

「……うん。でも、グレンがグレンじゃなかったら違ってたかもしれないとも思う。グレンだから、ただ私の味方をしてくれるんだよ」

 グレンがきっと唐突だっただろう翡翠の言葉を受け容れて共に考えてくれるような相手だったから、犀慎達の翡翠への愛情を理解出来る相手だったから、二人を支えようと思ってくれたのだと思う。

「未熟者ですが……頑張ります」

「うん。私も頑張る」

 皆の心配を吹き飛ばせる位に幸せになりたい。最後の時も心からあなたが好きだと言えるように頑張りたい。

 そっと握った手を握り返される。同じ気持ちを感じて二人は笑みを交わした。

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