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ずごごごごご、と。
重めの音が鳴り響いて————途切れた。
「————、うーん……絶望的」
飲み干したカップを軽く握り潰して三上京介はそう評価する。味が、という意味ではない。
むしろ味そのものとしては上等だった。ミントなんとかフローズンなどという凝った名前を付けられているのも伊達じゃない。スッキリとした甘さと清涼感のある口当たりはコンビニで買える飲料として非常に高いレベルでまとまっていると言える。
だからこそ————絶望的に煙草と合わない。
三上は顔を顰める。
と、
「……うわぁ」
呆れたような声音。
白煙をたゆたわせながら、視線だけを横合いに飛ばしてみる。
自分より頭一つ低い位置で苦笑する、少女がいた。
「そんな不味そうな顔で煙草吸う人、初めて見た」
「……うるせえな、ほっとけよ」
「また変な組み合わせしてハズレ引いたに一票」
「…………、」
完全に読まれた発言が腹立たしい。だが実際その通りなので、三上は気まずげに押し黙った。
少女は愉快そうに笑って、
「そんな顔するくらいならやめればいいのに、煙草に合う飲み物探しとか」
「しょうがねえだろ、唯一の伴いが無くなっちまったんだから。こんなクソ暑いのにホットのコーヒーとか飲めるかっての」
「……アイスコーヒーならいいんじゃ?」
「俺はあれをコーヒーとして認めてない」
コーヒーはホットだからこそ深みが生まれるのだ、冷やしてしまったらただ苦いだけの液体ではないか。
いくら少女に「面倒くさコイツ」という顔をされようが、彼にこの持論を譲る気はなかった。
「それで?今日は何を煙の生贄にしたわけ?」
「生贄って、お前な……」もう少し言い方というものがあると三上は思う。「……ミントなんとかいうシェイクみたいなやつだけど。飲むか?」
「なんの躊躇もなくゴミを押し付けようとしないでよね。どうせ空でしょ、それ」
「なんでバレたし」
「むしろ思いっきり握り潰したカップでバレないと思ってたことに驚いてるんだけど」
バカにしてる?と不機嫌そうな声音を隠しもせずに少女は言った。
「……バカにはしてねえよ」三上は細く煙を吐き出しつつ、「あわよくば騙された上で捨てに行ってくれねえかなと思っただけ」
「それをバカにしてるって言うと思うんだけど……」
「そうかあ?」
ただでさえ死にそうな程に暑いのだ。できる限り日陰から出たくないと考えるのはそんなにいけないことだろうか。
「嫌だぜ俺、熱中症で死ぬとか。めっちゃ苦しそう」
「……、だったらわざわざ車から出てきてまで煙草なんて吸わなければいいのに。私、『トイレ行きたい』って言ったはずなんだけど」
「車内喫煙を認めるなら考える」
「それは嫌。副流煙って知ってる?私はまだ死にたくないのよ————あなたと違って、ね」
「うっわ、そういうこと言うかお前」
それならどうして喫煙所に足を運んだのだろうこの女。まさか嫌味か?
そう思ってから、ふと気づく。
「……もしかしてエンジン切った、俺?」
「むしろ私が降りる前に切ってたけど。まさか無意識なの?頭の中ニコチンでいっぱいじゃない」
「…………、」
マジか、と三上は思わず天を仰ぐ。少女の揶揄は腹立たしいが、実際その通りだったっぽい。生産十周年を迎える国産軽自動車(中古)の車内は、今頃蒸し風呂のようになっている事だろう。
それなら確かに外の方が幾分マシだ。ぶっちゃけ、下手人の三上自身もう車内に戻りたくなかった。
彼は頭を搔いて、
「つかお前それならそうと早く言えよな」
雑に責任転嫁してみる。
「それを言いに来たのに、目の前でおかしな事やってたから全部忘れちゃったのよ」
転嫁した責任を投げ返された。キッチリ皮肉を効かせてるあたり、ノシまで付けるとはお育ちのいいことだ。舌打ちが零れる。
「チッ……、あーはいはい悪うございました。ほら」懐から取り出した鍵を放り投げて、「先戻ってろ。クーラー全開で回してていいから、しっしっ」
「なんで私が面倒くさいものみたいにあしらわれなきゃいけないのよ」
「本気で言ってんのお前?鏡見たことないわけ?」
「————ああ、そういう」
少女は軽く首を傾けて、喫煙所へ————いや、正確には、喫煙所で佇む彼女へと向けられる幾つもの視線へ目を向ける。
そそくさと目を逸らしていくコンビニ客やら通行人やらに、少女は鬱陶しそうな溜息を吐いて、
「美少女ってのも考えものよね、ホント」
「うーっわ……、お前に友達いない理由の全てがこもった発言じゃん、それ」
「なによ、異論でもあるわけ?」
「むしろ、ないから余計に腹立たしいって話だと思うんだけどな」
大きく紫煙をくゆらせる。
ジジ、という小さな音で、煙草が短くなっていることに気づいた。
「結局吸い終わっちまったじゃねえか」灰皿に火を落として、「不味い煙草でした。お前のせいだぞ、反省しろ」
「元から不味いでしょ。バカみたいな組み合わせするからよ」
「もうちっと大人を敬えよ高校生」
軽口以上罵倒未満の会話を流しつつ少女から鍵を受け取る。
一歩、日向へ足を踏み入れただけで体感気温が一〇度は上がった気がした。この分だと車内は蒸し風呂どころか火災現場並の熱気を込めていそうだ。
三上は心底げんなりしながら空になった煙草の箱をクシャリと握りつぶして、通り過ぎざまにゴミ箱へ放り込む。
「煙草買わないの?」一歩後ろの距離から、少女の訝しむような声。
「買ったって意味ねえだろ————もう吸わないかもしれないんだから」
ふーん、という気のない少女の声を車体越しに聞き流しながら、三上はドアを開けた。
押し寄せる熱気に顔をしかめながらエンジンを回す。
「あっつ。マジで暑い、エアコンすら熱風ってどうなってんだ。死ぬぞ」
「…………、いいんじゃないの……お兄さんにとっては本望でしょ」
「バカ言うな、こんな苦しいのが本望でたまるかよ」
彼は心底嫌そうに呻いた。
————ああ、本当に。
こんな苦しいことも、辛いことも、痛いことも、全てがもううんざりだ。だからこそ————、
「行くぞ、シートベルトしろよ」
「はいはーい」
少女が身じろぎする気配を横目に、ギアを入れる。
排気音だけを残して、中古の国産車はゆっくりとコンビニを後にした。
だからこそ————三上京介は探し続ける。
穏やかな死に場所、ただそれだけを。