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プリズンアクト  作者: 西光寺翔
第二章
8/22

~その出逢いも運命の上~

「はッ、はッ、はッ」


 なだらかな丘の上を駆けていた。

 あれから二十分近くひたすら腕を振り、ひたすら地を蹴り、ひたすら酸素を吸い込んで死にもの狂いで逃げ回った。例の爆弾――電磁パルスとやら――を早々に使い果たした俺たちは、その後雑兵のように現れるロボットに蛇行、迂回、潜伏のあらゆる手を尽くして逃れ続けた。

 いつ終わるとも知れぬ逃走の中、この異常に加え、さらなる異常が目に付いた。

 人がいない。

 住宅街を走っている時は、元々人通りの多いところじゃなかったから気付かなかったが、商店街や交差点、駅周辺を通った時でさえ、人っ子一人出会わなかった。それなりに栄えているはずのこの街には到底ありえない現象だ。

 街の電器屋に並ぶテレビは稼働中、薬局だって店内放送を鳴らしているし、肉屋は肉、魚屋は魚を店先に置き去りにしている。つい数分前まで人のいた気配があるのに、そこには誰もいない。街は今この時、この瞬間に、集団神隠しに遭ったような様相を呈していた。さながらゴーストタウンかメアリーセレスト号か、とにかくそんな状態だ。

 石ころは一度崖を転がり出すと、自力では止まることが出来ない。謎のロボットに襲われることも、この無人の街を逃げ回ることのどちらも俺がどうこう出来る問題じゃない。悪いほう悪いほうに背中を押されてしまった俺には、もはや目の前にいる親友の背中を頼りにする以外、有効な方法も考えもありはしなかった。


「はあ……はあ……はあ」


 さすがに走り続けるのも限界に近い。場面は高校の校舎を遠望できる例の上り坂――心臓破りの坂に変わっていた。傾斜もひどく、かなりの長さを有するこの坂を、得体の知れない機械どもに追われながら全力疾走する。つい先日貧血で倒れている病みあがりの俺に長時間のランニングでは、さすがに根を上げざるを得ないだろう。

 通学路として高校三年間慣れ親しんだ地獄の坂を、まさか卒業してまで登るハメになるとは思いもよらなかった。しかもこんな形で。


「学校の屋上に行こう。そこなら安全に話が出来る」


 息一つ乱すことなく先導する鞍馬は、振り向きすらしない。


「屋上? そんな所に行ったら逃げられないだろ」


 その提案に俺は即座に反論した。校舎の構造は空でもわかった。

 鞍馬の言う校舎の屋上には扉が一つしかなく、また四方は高い鉄柵に囲まれている。たとえ鉄柵を越えられたとして地上四階建ての建物の高さから下に降りることはほぼ不可能で、もしその唯一の出入口を塞がれた場合、必然的に逃げることが出来なくなる。はずなのだが――


「秘策があるんだよ」


 と、自信満々に言う彼の姿に、俺はただ従うしかなかった。

 そうこうしているうちに、俺たちは学校の正門をくぐり抜ける。


 ――ここも、なのか……。


 場所を学校に移しても人が現れるようなことはなかった。日曜の学校だって部活をしている野球部やサッカー部はいるはずで、見渡す限り人陰がないなんてことはありえない。大かくれんぼ大会じゃあるまい、どこかに隠れているということでもないだろう。


 ――みんな、どこに消えた。


 グランドに落ちていたサッカーボールを見つめている内、昇降口が目の前に迫ってきた。

 すっと片手を上げ俺を制止させた鞍馬は、昇降口の窓に顔を寄せて内部を観察している。足を止めひたすら汗を拭う俺は、彼に背を向け、再度砂塵の舞い上がるグラウンドに視線を這わせた。一時に比べ数は減ったが、またあのロボットが現れないとも限らない。


「行こう」


 日曜とはいえ、生徒や教師の出入りがあるため昇降口は開けっぱなしが基本になっている。それは人のいなくなった今でも変わらず、そのため侵入することは容易かった。

 俺たちは校内に土足で上がり込み、下駄箱を突っ切って見える階段を上がった。

 震え始めた膝に、あと少しあと少しと願を掛け、必死に足を振り上げた。

 一階を越え二階をまたぎ、三階、四階。ほどなくしてウグイス色に塗装された鋼鉄の扉に差し掛かる。鞍馬がノブを握った。


「開けた向こうに奴らの大群がいないことを祈っててくれ」


 そんな冗談とも本気ともつかないことを口にし、鞍馬は微笑した。その冗談はさすがに笑えん。


「そうなったら来た道を戻ればいい。なんとかなんだろ。さっさと開けてくれ」


 俺はいつもの常套句を並べ、気持ちを改める。そうでもしなければやってられないほど、俺が持ちうる精神キャパは限界をきたしていた。もはやヤケクソ。これで向こうが機器累々だったらば南無三だ。


「確かにその通りだ」


 ははは、と高らかに笑うと、気が吹っ切れたのか鞍馬は扉を押した。

 風が吹き込む。そこは紛れもなく校舎の屋上だった。床一面にコンクリートブロックが敷き詰められ、周囲を二メートル以上ある鉄柵に囲われている。別に幾何学図形の不可思議空間に繋がることはなく、また俺たちの心配はどこ吹く風、例のロボットどもも見当たらなかった。

 つかつかと屋上に踏み込む鞍馬を追って外に出た。

 丘の上にある高校の屋上は晴天にとにかく近かった。眼球の奥まで染まりそうな青に溢れ、はるか地平線まで望めそうなほどはるか遠くまで景色が続く。鉄柵から下を見れば、灰色を基調とした広大な街が映り、校庭の周囲をぐるりと覆う桜は、鞍馬への想いを吐露して薄紅色に染まった雫の頬を思い出させる。

 屋上から見える道路、家、店、施設を注意深く眺めても、人の影も動くものさえもない。もはや世界には俺と家族と鞍馬、それにあのロボットたちしかいないと錯覚させるほどだ。


 そういえば――


「雫は無事なのか?」


 俺たち三人は三人が揃ってワンセット。あまりにも立て続けに事件が連続したせいで考える余裕すらなかったが、俺がこうして危険な目に遭っているのなら、雫も同じく危機的な状況に陥っているのかもしれない。

 不安を顔に浮かべる俺に対し、鞍馬の声は平生のものだった。


「雫は……大丈夫。颯より先に、安全なところに連れていった」

「そ、そうか。よかった」


 ふう、と小さく安堵する俺はフェンスの向こう側に広がるゴーストタウンから目を離し、鞍馬と向き合った。不意に訪れた安心感に、思わずその場に座り込む。手持無沙汰に疲労したふくらはぎを揉む。


「それで……そろそろ話してくれないか? 今この街に何が起きてるんだ?」


 いよいよ俺は核心を口にした。両親の不可解な会話。謎のロボットたちの襲撃。鞍馬が使った電磁パルスを生み出す球体と、神隠しさながらのゴーストタウン。そろそろ知るべき時だ。


「そうだね、そろそろ説明しようっか」


 掛けている眼鏡が太陽光を反射し、鞍馬の瞳は遮られた。代わり彼の唇が大きく吊り上った。


「だけど、その前にまず――」


 しかし、彼が継ぎ句を口にし掛けた直前――

 屋上唯一の扉が蹴破られた。


「動くなッ!」


 闖入者が声を張る。眼鏡を掛けた男が息を切らし、手にした黒い物体――俗に拳銃などと呼ばれる――をこちらに向けて立っていた。どこの基地から迷い込んだんだろうか、服装は灰色を基調にした迷彩柄の野戦服を着ている。野戦服には各部に厚い装甲が取り付けられ、ポケットが大量にデザインされている。

 マニュアルに沿ったように片膝立ちで銃を構える男は、しかし格好や威勢に反してぎこちなく、俺が見てもド素人だと断言して相違ないほどみっともなかった。

いやだが、そんなぎこちなさは、この異様な光景に比して些末な問題でしかなかっただろう。


「…………あ、え?」


 そこに現れた人物を認識した瞬間、白昼夢にうなされているのではないかと、俺は俺自身の目を疑った。それほどまでに目の前の光景は、常軌を逸していたんだから。


「動かないでくれよ――颯」


 鞍馬総一郎がそこにいた。彼が屋上の入口に立っていた。

 俺を屋上まで連れてきたパーカー姿の鞍馬が、闖入し銃をたどたどしく構える野戦服の鞍馬に狙われている。

 寸分違わず同じ顔、寸分違わず同じ身長、寸分違わず同じ髪型。鏡よりも鏡らしく。違うのは二人の着ている服装だけで、一卵性双生児もかくやと言わしめるであろうそっくり瓜二つの人間が視線の延長線上に、同時に存在していた。


「…………」


 言葉をなくした。なくさざるを得なかった。鞍馬が二人いて、片方は武器を持ち、片方は不敵な笑みを見せる。これが正常なわけがない。


 ――なんだこれは? 何の喜劇だ?


 まるで状況の説明が付かなくなった俺は、夢遊病であるかのようにゆらりと立ち上がり、手前に立つパーカー姿の鞍馬に近づいた。


「どういうことだよ……あれ、あれは誰だ」


 答えを求める。だが、目前の鞍馬は不気味に笑みを浮かべ、 野戦服の鞍馬がそれを遮った。


「離れろ、颯ッ! そいつは僕じゃないッ!」


 そいつは僕じゃない、とはどんな言葉遊びか。修辞上の問題なのだろうか。わからない。


「な、なあ……これは」


 再度、答えを求めるべくパーカーの背に手を伸ばした。だが――


「危ないッ!」


 突如、流星のように閃光が閃き、俺と彼の間に目も眩む光の筋を生み出した。


「――――ッ!」


 首元に冷たい感触が残る。

 微動だに出来なかった。きっとコルクボードに留められた昆虫の心境はこんな感じだろう。

 恐る恐る視線を下げ、俺を張り付けにする元凶を見とめた。

 刀だ。目を刺激する血色の柄に蓮華の花を模したと思われる鍔。そこからやわい弧を描き伸びる長い刀が妖艶に太陽光を反射し伸びていた。

 彼の右腕――パーカーのダブついた袖口から獣の牙のような刀身を覗かせ、刃の先は俺の喉元を浅く捕えている。どこから出したのか、奇術師もかくやの早業。抜き身の刀なんて隠し持てるような代物でもないし、鞘なしに持ち運べるものでも一切ない。かたや左手には拳銃が握られ、それは入り口の鞍馬に向けられていた。

 彼は言った。


「あなたこそ動かないほうがいい。その銃弾と私の刀、どちらが速いかわからないあなたではないはずです」


 まるで人格スイッチを切り換えてしまったかのような口調の変わり様に俺は目を丸めた。

瞬時に、その口調の示す意味にたどり着いた。


 ――こいつは鞍馬じゃない。


 鞍馬のツラの皮を被った何者か。姿形から口調から性格から、何から何までアメーバの細胞分裂ばりに似せたまったくの別者。特殊メイクの類を用いてモノマネを行ったそいつが、俺を騙くらかし、油断を突いて首に凶器を突き付けたんだ。


「彼を殺すのか?」

「本意ではありません。ですが、あなたが撃つというのならば、やむかたないでしょう」


 俺に視線の一滴もくれることなく右腕に刀、左腕に銃を持つ鞍馬と、深刻な顔に影を落とし、けれどなお銃口を差し向ける鞍馬が、お互いを厳しく牽制する。

 俺の意見は端から眼中にないと言わんばかりの二人が掌中で俺の命を転がし合う。その最中、一方で俺は意外なほど落ち着き払い、まったく別のことを考えていた。

 手前の鞍馬が偽者だというのはまず疑いようがない。鞍馬が俺に刃を向けるとは考えられないだろう。まだ鞍馬と呼称してるだけ、ありがたいと思ってほしいくらいだ。

 だがその逆、扉の前で銃を握る鞍馬は本物なのだろうか。その眼鏡にアンバランスな荒っぽい野戦服で身を包んだあの男は、俺も知っている本物の鞍馬総一郎なのだろうか。


 率直な結論を言ってしまえば――本物だと思った。


 あの鞍馬は、姿こそ元高校生にはありえない非現実的な格好をしてはいる。がもし万一、あいつも偽者で俺を騙そうとしているなら、それこそ目の前で刀を持つこいつのように彼が好んで着るパーカーを身に付けるのが策というものだろう。


 ――だからだ。


 騙す気がそもそもない。パーカーを着たほうが騙しやすい、という考え自体がない。

 俺が知っている鞍馬は、嘘のつけない真っ直ぐ過ぎる男だ。

 何より決定的に重要なのが、野戦服をまとう鞍馬を無償で信じようとしている俺がいるという事実に他ならない。


 結果――それは間違っていなかった。


「わかった」


 そう言って銃を下ろし、俯いた鞍馬がそそと眼鏡を直した。それを見ていた偽者は、


「賢明な判断です、鞍馬総一郎」


 と社交辞令じみた賛辞を述べ、そして――


「では、しばし彼は私が預からせていただきます」


 瞬時に姿勢を落とすと、身を翻し、視認できたのが奇跡としか言えないほどの目まぐるしい速度で後ろ回し蹴りを――俺のみぞおちにぶち込んだ。


「ぐがッ!!」


 蹴りの衝撃をまるごと受け、飛ばされた俺は七転八倒したあげくコンクリートに突っ伏した。すぐさま立ち上がろうとするが、思いのほか深く入った一撃に頭を打ち付け、脳みそが揺れている。朦朧とする頭を必死に叩き起こす。

 しかしそれとは無関係に――自分の置かれている状況がわからなくなっていた。


「……え!?」


 世界が何もない真っ白に変貌していた。


「これで邪魔をするものはいなくなりました」


 真っ白な世界に対照的な、真っ黒のフード付きコートを被った人物が言った。

 口調はさっきまで俺に刀を向け、腹を蹴った偽者の鞍馬と同じだった。だが、声色も姿形もそいつのものとまったく異なっていた。

 コートの人物は俺よりも頭一つ分以上背が低く、コートの上からでも充分すぎるほどの細身で、何よりその声は明け透けに女性の声に変化していた。アメーバの細胞分裂とまで思わしめたのに、もはやその影すらさっぱり失せていた。


「まずは先ほどまでの非礼をお詫びいたします。申し訳ございませんでした。緊急を要する事態でしたので、こうする以外に方法がありませんでした」

「な、何のことだ」


 腹を押さえ、俺はふらふらと立ち上がった。顔の見えない女を睨み付ける。


「私はあなたにお願いがあってここに参りました」

「お、お願い?」

「はい」


 すると、彼女は深々と頭を下げた。


「東雲颯、是非ともあなたの力をお貸しください」

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