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プリズンアクト  作者: 西光寺翔
序章
4/22

~まどろみの時間~

 帰宅後。皿を片手に母さんはにんまりと笑っていた。


「相変わらず仲がいいのね、あなたたち」


 いつもの夜の変わらない食卓。四十インチのテレビからは中身のないドラマが流れている。

 テーブルに着いた俺は、母さんの作ったカレーにスプーンを通した。向かい側で母さんが肘を突いて乗り出し、興味深げに俺の食べるさまを眺めている。カレーは少し辛めで具が大きく、隠し味にブラックチョコレートが入れられた母さん特製だ。


「颯ももう大学生になるのね。まったく、お母さんも感慨深いわ」


 明日の式を前にわざとらしく目頭を押さえる母さん。


「わかんねえよ。もしかしたら明日世界が滅ぶかもしれない」

「また馬鹿なこと言って……まあ大丈夫よ、そんなことにはならないから」

「なんで?」


 俺の問いに母さんはすこし考えて答えた。


「だって……明日は大安だもの」

「……さいで」


 呆れ声で返したけれど、こういうことを平然と言ってのける母さんが俺は好きだった。


「ん? なにか言いたげね?」

「いや……別に。ところで――」


 その後も俺と母さんは、ドラマの批評をしたり、互いの高校時代の面白エピソードなんかを話したり、他愛もないことで時間を潰した。

 それがこの家の日常の風景だった。

 そして、夜も更けた頃、


「ただいま」


 玄関の開く音とともに親父が帰ってきた。母さんが慌てて席を立ち、リビングを去る。


「おかえりなさい。遅かったわね」

「ああ、悪い。部下が発注ミスをして、その回収に時間が掛かった」


 二人の会話が響き、廊下を歩く音が次第に大きくなる。


「おかえり」


 俺の言葉に、やや髭の伸びた岩っぽい顔が向いた。


「ただいま。颯、お前まだ起きてたのか? 明日は卒業式だろ? 早く寝ろ」


 ずいぶんとお堅いことを言う人だ。


「まだ十時半だし。それに卒業式だからって早く寝る必要はねえよ」

「ん? ああ、まあそれもそうか」


 親父は、四十歳を過ぎても妙にエネルギッシュな人だった。しかも、かなりアクティブな人間で、暇な日はジムでのトレーニングに余念がなく、見る限り少しもサラリーマンらしくない。軍人と言ったほうがそのガタイのいい見た目にも合っている。


「今晩はカレーでぇす」


 黒革のカバンをしまいリビングに戻ってきた親父の前に、きらりと輝く銀のスプーンが置かれた。よそわれたカレーを目の前で眺めていると、俺ももう一杯食べたくなる。


「え、カレー?」


 ところが、親父は宝石のようなごはん粒を前に、気まずそうに顔をしかめた。


「カレーか……カレー」


 そして、ボソボソと申し訳なさそうに母さんに告げた。


「……昼に……食べた」


 もし観客がいたら、あー、と落胆の声が上がっただろう。少なくとも俺は言いたかった。


「ふーん。あなた……私、今朝言いましたよね? 今晩はカレーだって……ねえ、颯」

「そ、そうですね……聞いてましたよ、俺は」


 無機質だが、間違いなく腹に何かをこさえた母さんの笑顔に、俺は一瞬椅子を引き、たまらず口を割った。敬語になってしまったのは本能だろう。

 そんな俺を、恨めしそうに見やる親父は鼻から大きく息を吸った。


「人は時に失敗を犯す。失敗を学ぶことで成功を得られるんだ。わかるか?」


 真面目くさって言うそれは言い訳のつもりなのだろうか? して、そんなあからさまに聞き苦しい言い訳は、当然ながら母さんから有効打を取るに足らなかった。


「はいはい、それで? 他に言うことはないの?」

「申し訳ない」

「謝ってもメニューは変わりませんからあしからず」

「うむ……甘んじて受けよう」


 とまあ、くだらないかもしれないが、こんなやりとりがウチでは日常茶飯事だった。

 二人を見ていると、これほど仲のいい夫婦はいないだろうとさえ思うし、どれだけ家族に恵まれているのかを心底考えさせられてしまう。親父も母さんも時に厳しく、時に優しく俺の間違いを正してくれる。困った時は互いを助け合い、言うべき時ははっきりと意見する。かと言って紋切り型な家庭ではなく、おふざけだってお手の物。経済力だってあるし、近所の評判も上々。

 なによりこの家には――笑いが絶えなかった。笑う門には福来たるとはよく言ったもので、我が家にはウソみたいに苦労も不安も見当たらなかった。まったく非の打ちどころがなかった。


 ――俺はこの家での生活に満足している。


 食卓を離れ、ソファの上に横たわりながら俺はそんなことを考えていた。背もたれの向こうでは相変わらず二人の温かな談笑が聞こえていた。

 波風もなく、穏やかで、退屈だけど――大切な時間。

 俺がこの平坦な日常に絶望しない理由の一つ。


「……んぁ?」


 そうして、どこからか歩み寄る睡魔が微笑んだ頃、ポケットが振動した。

 携帯だ。


「誰だよ……」


 まどろみかけた頭を起こし、ポケットから電話を取り出す。振動の長さからしてメールじゃないな。はたして、日付の変わるような時間に電話してくる無神経な奴は誰だろう、とせっつきやかましく鳴る電話にとある剣道女子を重ねていると、


「はあ」


 ため息を一つ。案の定、ディスプレイには『雨宮雫』の文字が躍っていた。


「もしもーし」

『あ、あたし…………寝てた?』


 雫はそのしつこい着信とは打って変わって大人しかった。


「んや、寝ようと思ってたところ」


 正確には眠りに落ちかけていたところ、だが。


『ごめん』

「別に気にしてねえよ」

『……』


 沈黙。妙にしおらしい雫の態度に背中が痒くなる。とはいえ、この状態になった彼女の考えていることなんて、片手で数えるくらいしかなかった。


「何が訊きたいんだ?」


 だから俺は、彼女の打ちやすい球を放った。すると、沈黙はぴたりと止んだ。


『別に大したことじゃないのよ。ちょっと気になっただけだから』

「だから何が?」

『あ、あのね……あの、校門であたしを待ってくれてた時さ……何話してたのかなって』


 ――なんだ、そんなことか。


 そそくさとリビングを抜け出した俺は、二階への階段を上がり、そのまま目前に迫った自室のドアを開ける。部屋に入り、キャスター付きの椅子を引く。


「別に……大学に入ったら会えなくなるな、とか。その程度だよ」

『本当に? それだけ?』

「他にも話した気がするけど……忘れた。くだらねえ話だよ」


 もちろん鞍馬の想いは口にしない。当然だろう。あの話を雫にする権利は俺にはないのだから。それに――その必要も最初からない。


『あたしの話とかしなかったの?』

「雫の? なんで俺たちがお前の話するんだよ」

『……あんた、協力する気ないでしょ』

「俺に協力を求める時点で間違ってんだよ。俺がどうこうしなくても、お前らはなんとかなるって思ってる。それに話に盛り上がり過ぎて、うっかり口を滑らすかもしれないだろ? 雫が鞍馬を好きだって、さ」


 つまり……そういうことだった。

 鞍馬総一郎と雨宮雫は鈍感で、鈍ちんで――両想いな幼馴染だった。


『な、なッ! あんた! マジで言ってないわよねッ!』

「言わないために、雫の話は避けてんだよ」

『……何よ、それえー』


 もー、と彼女がぶうたれる。それは携帯を通しノイズ混じりに俺の耳に届けられた。


『よーくわかった。颯が使えない男だってのはよくわかった』

「なんとかなる。そう思ってるから何もしないだけだ」


 両想いの二人なのだから、余計なことをしてこじれても面倒だろう。自分たちの力で頑張ってほしいのが本音なんだ。

 椅子の背もたれに大きく身体を預ける俺は、部屋のカーテンが開いたままなのに気付き、キャスターを転がした。


『あたしたちさ……』


 丁度カーテンに手を掛けた時、雫がおもむろに話し始めた。


『ずっと一緒だよね。大学に行ったらそっちで手一杯とか、ならないよね。万が一、あたしとソウちゃんが付き合って、颯が居づらくなったりとか……ならないよね?』


 それは普段の彼女にして不似合いな言葉だった。鞍馬も似たようなことを言っていたが、どうやらこの二人は息もぴったりらしい。


「心配いらねえよ。何があったって変わらない。俺たちはいつも一緒。離れた時のことなんて考えられねえよ」

『そう……だよね。そうだよね……』


 噛みしめるように、心に刻むように、彼女は何度も呟いた。


『じゃ、じゃあさっ! あんたも彼女作りなさいよ! あんた顔は割といいんだからさ』

「へえへえ、そりゃどおも。彼女に関してはノーコメントで……というか、人の心配してる場合じゃないだろ。まずは自分の心配をしろ」


 大きなお世話、とは言わないが、何が大事かを見失っちゃいけない。


『うん……ありがとう』

「ああ、お前はうるさいくらいがちょうどいいよ」

『はいはい、ありがとっ! んー、じゃあ何かあったらまた連絡するわ』

「次に電話寄越す時は、告った報告が聞きたいけどな」

『バーカ』


 含み笑いのこもった声を残し、彼女は電話を切った。耳元でプープーと虚しくなる電子音が少し寂しかった。しばらく接続の絶たれた携帯を眺め、雫の言葉を反芻した。


 ――ずっと一緒だよね。


 今日はこればっかりだ。

 俺たちが離れ離れになるなんて考えたこともない。そりゃあ、大学に進学すれば多少疎遠になるかもしれないが、心配するほどのことじゃないだろ。ただ二人から、こうもタイムリーに同じことを訊かれてしまっては、そう思う気持ちも脆くなる。


 ――きっとなんとかなるよな? ありえないよな?


 そう自問するけど、当然まともな答えなんて見つけようがなかった。

 携帯を閉じ、ゆっくりと立ち上がった俺は、机の上に置いておいた紙片に気が付いた。

 三人で撮ったプリクラがぽつんと一枚。思い出を繰り抜き、閉じ込めた一枚がそこにあった。

 俺と鞍馬が肩を組んで、雫がその真ん中にいる。みんなピースサインで、満面の笑顔で。

 これで何枚目になっただろう。

 学校帰りにはたくさんのプリクラを撮った。高三で取ったプリクラの枚数は、体育祭だとか、文化祭だとか、行事のたびに撮っていたせいで、もはや数えることも億劫になるほどだ。

 そして、三月十日卒業式イヴの今日も変わらず、いつものように笑顔を撮った。


 寸分狂わぬ日常。歪みなく、ただ漫然と過ごしてきた世界。

 俺の人生があまりに順風満帆に進むことに――進み過ぎることに疑問をもつことが何度もあった。世界がつまらないと嘆くことが何度もあった。

 だけど、それでも不満はなかった。このプリクラに写る俺の笑顔に偽りはなかった。

 だって、俺には――鞍馬と雫がいるんだから。

 いくら金を積まれても、一生を棒に振ることになっても手放したくない存在が二人だ。

 唯一無二、かけがえのない、胸を張って自慢できる存在が二人だった。

 二人がいてくれれば、何も変わらなくたって、この運命を受け入れることが出来る。

 二人がいてくれたから、諦めの言葉だって冗談を込めて口にする気概が出来た。

 だから、俺は退屈だって受け入れることが出来た。


 ――だから。


 まさかこの時撮影したプリクラが、俺たち三人を写した最後のプリクラになるなんて思いもしなかった。


 それは翌日、高校生活最後を彩る卒業式に起こった。

 この日が俺の――俺たちの運命を変えてしまった。

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