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プリズンアクト  作者: 西光寺翔
序章
2/22

~キミのための時間~

「大丈夫、きっとなんとかなるさ」


 たかだか十八年の人生経験しか持たない俺が言うのも馬鹿げているかもしれないが、この人生について気付いてしまったことが一つある。


 それは――この人生はひどくつまらない、ということ。


 いつの頃からだったか。何がきっかけだったか。

 俺の人生は、起伏を失った真っ白な板になっていた。

 例えばサイコロを振って出る目のことや道を曲がった先にあるもののこと。例えばテストに出る問題のことや大好きなあの子が笑ってくれる話題のこと。 

 それらやそれ以外のことのすべてが俺には――わかるようになっていた。

 それは、まるでレールの上を歩かされているような、はたまた身体を糸で吊られているような、そんな感覚に近かった。

 考え、行動し、結果を得る。

 いつからかその一連のプロセスが何者かに操作されていると感じるようになった。

 いや、確かに見えない何かに人生を操作されているなんて、馬鹿げた考えだとは思う。


 だけど、そう思えて仕方がないんだ。


 それを裏付けるように、ちょっとの困難はあったけれど、苦悩も挫折も、失望も絶望も味わったことがなかった。順風満帆な、これまでさしたる驚きもなく生きてきた。

 誰かが俺の人生をイージーモードに作り変えているような気がした。

 退屈だった。ひどく退屈だった。

 張り合いのない人生。やりがいのない人生。モノトーンの人生。

 まるで飼い慣らされるみたいな人生を経験し、やがて俺はこの人生に決して期待せず、すべてを諦めるようになっていた。

 物心ついた頃には、まるで世を知ったように自虐的な口癖を使うようになった。それはいつしか呪いのように俺に付きまとい始めた。憑きまとって離れなくなった。


 ――きっとなんとかなるさ。


 頑張ろうが頑張るまいが、行きつく先が同じなら努力する理由はない。不安を抱いたって、失敗したって、どこかの誰かが軌道修正してくれる。なんだってどうにでもなる。

 だけど、そんな後ろ向きな人生なんてダメだよなって、最近は考えるようにしている。

 こんなくだらない世界だけど、こんな取るに足りない世界だけど、それでも何かを変えてみたい。笑えなくなるくらい痛い目を見ることになったって、醜く這いずりまわる結果になったっていい。簡単に諦めるくらいなら、俺はとことんもがきたい。

 そういう生き方がしたかった。

 だからこの言葉は、何かに絶望した誰かのための希望になる言葉にしたいんだ。


 ――大丈夫、きっとなんとかなるさ。



「颯はいつも楽観的過ぎるよ」


 退屈な人生の退屈な放課後。代わり映えのない世界。

 平凡な日常。静かな小川のごとく流れる時間。

 いつものように語り合う俺たち。


 校舎を囲う木々は風になびき、初春の日差しはまだ肌寒かった。下校する学生の声は静かに、遠くの野球部の声は高らかに響いていた。卒業式を明日に控え、見える景色が郷愁に染まる。もうすぐ終わるんだよな、俺たちの高校生活……。

 校舎に沈みゆく太陽を背に、俺たちは正門先の階段に座っていた。風に揺れる髪を掻き毟りながら、俺は首を竦めた。


「いくら考えたってなるようにしかならねえだろ。だったらもっとポジティブに考えろよ」

「でも……高校を卒業したら、みんなバラバラになるのは事実だ。こうして颯やシズクと会う時間がなくなるのをポジティブには考えられないよ」


 そう言って眼鏡のブリッジを押し上げた彼は眉を八の次に曲げた。俺は短く答えた。


「そりゃあ……まあ、そうかもしれねえけど……」


 この眼鏡の青年――鞍馬総一郎と出会ったのは五年前。中学二年の夏だった。


 家庭の事情で家を引っ越し、この学校へとやってきた俺は、初めての転校に戸惑っていた。元々口下手だったこともあり、新しく放り込まれたクラスに馴染めずにいた。

 孤立無援。おそらくこれが俺の経験した困難の最上位だっただろう。

 だが、やはりというか何というか――そんな困難もあっという間に覆った。

 転校から数日が経ったある日、俺は不注意にも数学の教科書を家に忘れてしまった。

 これは致命的だった。孤立無援を代名詞としている俺に、教科書を貸してくれる友達はおらず、俺は途方に暮れてしまっていた。


 その時、こいつが教科書を差し出してきた。


 休み時間には分厚い本を読んでいるような暗い男。黒ぶちの眼鏡を標準装備し、いつもうつむいているようなそんな男が、ぶっきら棒で愛想のよくない俺に教科書を差し出してきたのだ。


 それは息を呑むほどの驚きに満ちていた。


 この男がかなり無理した行動に出たのは、初対面でさえもはっきりとわかった。

 教科書を持つ手は堅く、ろくに目も合わず、意志の疎通もまた皆無だったからだ。

 ただ、何故だろうか。その時は、取らなきゃいけないような気がした。自分でも自分の行動の意味がわからなくなる時があるだろ? つまり、そういうこと。


 だから――俺はその教科書を受け取った。


 若干クラスから浮いていた俺と鞍馬だったが、お互い社交性の低さなんて時間を掛ければどうにでもなると思った。というか、そもそも俺は低いわけじゃなくて、ただ戸惑っていただけなんだから。


「シズクの大学はこの街から少し遠いからさ。授業が終わって、帰ってくる頃にはきっと夜も遅くなって……そうなったら僕たちと会う時間はないに等しい」

「受験期間中だって馬鹿みたいに会ってたくせに、それくらいで会わなくなるなんて考えられるかよ。幼馴染で家は隣なんだろ? いくらだってやりようはあるじゃねえか」


 座り直しつつ俺は嘆息した。鞍馬はバツが悪そうに返した。


「それはそうだけど……大学じゃあ何があるかわからない」

「何が?」

「いや、サークルとか合コンとか、大学にはいろいろな誘惑があるって聞くし……なんて言うか……気持ちが離れる」

「……はあ」


 鞍馬の心配性にはほとほと呆れる。こんな奴、普通なら面倒になって見離すところだが、どうにも放っておけない俺がいるから、なおさら情けない。世話好きなのかも。


「わかったわかった。休みには俺が何か企画してやるよ。それでいいだろ?」

「あ、いや、違うんだ。そういうことじゃなくて……いや、それもあるにはあるけど……」


 言葉はだんだん尻すぼみになり、やがて消える。と直後、背後から黒い影が伸びた。


「おっまたせえ。二人とも何の話してんの?」


 不意に現れたブレザーの少女は、俺と鞍馬の間に割って入り、交互に俺たちの顔を覗き込んだ。その目は丸い水晶のようで、まるで心を盗み見ようとしているかのようだった。


「ん? あー、強いて言うなら進路相談かな。そっちはどうだ? 終わったのか?」


 俺はなるべく平静を装った。嘘もない。

 彼女は俺たちの間をぴょんと跳躍。一歩二歩と軽快に階段を駆け下りた。


「先生が戻ってきたからね。ちょっと一年生の指導してただけだし。引退したんだからあんまり口出すのも悪いっしょ」


 少女――雨宮雫は鞍馬の幼馴染だった。

 高校生活三年間を剣道に費やし、腕は県でも一、二を争う実力者。鬱陶しいという理由から黒く長い髪を頭の高いところに結い、俗に言うポニーテールにまとめているのが特徴的で、またすらりと背が高く、ウソみたいに手足が長い。流麗な眉に大きな瞳、化粧っけはないくせに雪のような白い肌を持ち、一見してモデルでも出来そうな容姿をしている。現に街中で声を掛けられることもままあって、それが鞍馬の疎遠不安をあおっている一因でもある。


「お、おつかれ、雫」


 鞍馬の表情は硬い。大方、今の話を聞かれたかと動揺しているんだろう。


「ソウちゃんも待たせてごめんね」

「いや、僕は大丈夫。それ持とうか?」


 鞍馬が雫の提げる道着袋に手を延ばす。


「ううん大丈夫、重くないから。ほらほら、早く行こうよ」


 横に頭を振った彼女は浮足立った様子で歩き出した。俺と鞍馬も彼女を追って歩き出す。

 校門を抜けると、そこからは傾斜のある下り坂が続く。心臓破りなんて揶揄される骨の折れる坂道だが、下校する時はそれほどでもない。無論、登校は地獄だが。


「今日はどうする?」


 満開の桜が並ぶ急勾配の上で、先導する雫がこちらに振り返った。家路を急ぐ何人かの学生が俺たちの横を過ぎた。

 俺が彼女に出会ったのは、鞍馬に教科書を借りた一週間後のこと。

 鞍馬の家に初めて遊びに行った日、リビングのソファでスナック菓子を食べていた彼女に対面したのが、最初だった。いや、我が物顔で当然のように寝そべっていたもんだから、最初は鞍馬の妹か何かと勘違いしちまった。女らしさの微塵もない。


「今日は……俺はボウリングの気分だな」

「え……僕は久しぶりにカラオケ行きたいんだけど」


 ややと思った。俺と鞍馬の意見が割れることは滅多にない。長いこと一緒にいるもんだから考えが似てきた節がある。友達ってのはそういうもんだ。


「んー、なるほどなるほど。ボウリングにカラオケね。確かに二人の意見は捨てがたいんだけど……あたしさ、実はちょっと行きたいところがあるんだよね」


 夕陽をバックに言う雫の表情はその光のせいで見えにくかった。目を細めながら問う。


「行きたいところ? どこだよ」

「ヒ・ミ・ツ。行ってからのお楽しみってことで……ダメかな?」


 両手を合わせてお願いする雫に、俺も鞍馬もままよと同意した。


「まあ、いいぜ俺は」「僕もそれでいいよ」


 俺たち三人がまた遊ぶようになったのは、実はごく最近のことになる。

 中学で出会って以来、鞍馬か雫の家で毎日のように遊び呆けるのが日課だった。

 しかし、中学を卒業し、高校に入学した頃から俺たちの交流は日を追うごとに減っていった。高校は同じでもクラスはバラバラ。勉強だったり、部活だったり、バイトだったり。それぞれがそれぞれの理由から忙しくなって、三人が揃う時間がなくなっていった。

 みんな何かしら思うところはあったと思うけれど、誰かがそれを言い出すようなこともなく、結局俺たちは――会わなくなった。


 だが、きっかけは唐突に訪れる。


 高校二年生。息も凍る季節にそれは起こった。

 突如、鞍馬が俺の背筋まで凍らせるとんでもないことを口にした。


『僕は……雫のことが好きなのかもしれない』


 正直言う――アホかと。


 いや、鞍馬が雫を好きだということに文句が言いたいわけじゃない。そんなものは見ていればわかる。実際クラスの噂好きな連中が俺に訊きにくるほどだ。

 そういうことじゃなく俺が言いたいのは、鞍馬自身がその気持ちに気付いていなかったことだった。頭を抱える事態だった。頭が固いのもここまで来ると痛くなる。


 とはいえ、そんなきっかけで、その相談以降、俺たちの交流は息を吹き返した。


 俺が雫に声を掛け、雫がそれに乗り、俺たちは昔みたいに遊ぶようになった。高校生だから鞍馬の家でということはなく、街に繰り出してどこへともなく遊びに行った。大学受験が間近に迫り、おのおの忙しくなる中でそれでも俺たちは会い続けた。

 そのせいで剣道の推薦入学を決めた雫を除く、俺と鞍馬が苦労したのはいい思い出だ。


「よーし、しゅっぱーつ!」


 とはいえ、そんな苦労は何ともない。

 三人が一緒にいられる。それでよかった。

 そう――それだけでよかったんだ。

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