~決別の時は今~
――出来ることなら再会したくなかった。
このまま二人と相対することがなければ、こんな感情を味わうことだってなかっただろうに。
「な、舐めたことしてくれるじゃない」
俺の背後に立つ雫がギリリと歯を鳴らした。視界の端に映る銃口がますます突き出された。
「……舐めてんのは……お前らだろ……」
もはや俺の声は呻き声でしかなかった。握った拳が震えてどうしようもなかった。
もどかしい。どうしてこんなに簡単なことも言えないのか。
苛立たしい。言ってしまえと思う自分と、言ってはいけないと思う自分がどうしているのか。
妬ましい。ウソをついてそれでも平然としてる二人が。
何より――
「舐めてんのはお前らだろッ!」
悲しい。鞍馬も雫も任務で、仕事で俺と会っていた。笑っていた。
仮想の現実の中でわざわざ十八の虚像を造り上げてまでして、そうまでして俺と会っていた。会わなければならなかった。調査のために、命令のために。
俺だけだ。俺だけが友達として会っていたのに。会いたかったのに。
ああ――悲しい。
――悲しい ――――悲しい ――――――悲しい
「ふざけんなよッ! お前ら、今さらどのツラ提げて出てきやがった!」
思いの丈は噴き出して、気付けば言葉は堰を切って溢れ出ていた。
辛くて、苦しくて、言わずにはいられなかった。
「は、颯……落ち着いて」
突然のことに困惑したのか、雫が俺の肩に手を載せた。だが今の俺には、それすらも憂慮する余裕がなかった。
「触んなよッ!」
「きゃ!」
悲鳴。右側に伸びていた雫の銃を握る手ごと鷲掴みにし、勢いに任せ彼女を表舞台へと引きずり込んだ。まるで毬のように跳んだ雫はそのポニーテールに結ばれた髪を、その細い体躯を砂に弾ませ浜を転がった。
転がった彼女の直線上には、ちょうど八神が立っており、八神は上げた足で転がった雫の脇腹を踏み締めた。すかさず下げていた刀を雫の首に添える。
「やめろ、八神ッ! お前は何もすんな。これは俺たちの問題だッ!」
怒りに叫ぶ俺に、八神は冷ややかな一瞥を寄こす。が、呆れたように肩をすくめ刀を引くと、雫のくびれた脇腹に掛けていた足を外し、ゆったりとした歩調で俺の隣に移動した。
「雫ッ!」
それと入れ替わるように鞍馬が走り出す。
銃を腰のホルスターに収め、急いで抱き上げに掛かる鞍馬に、雫は彼の肩を借りて座り直した。鞍馬と同色の野戦服を着た彼女は、その薄紅色の小さな唇を苦しげに歪めた。
「――――ッ!」
そのあり様に背筋が凍った。
込み上げる。憤懣が喉を駆け抜けた。
その二人の姿がいつかの親父と母さんに重なった。守り、守られる。その構図が狂おしいほどはっきりと重なった。
俺の居場所はそこにはない。俺が入り込む余地がない。
「やめろ……やめろ、やめろ、やめろやめろやめろやめろッ!」
懐へ手を突っ込み、その手に触れた物体をすばやく引き抜いた。
抜いたそれを迷いなく鞍馬に向ける。真っ直ぐ、鞍馬に狙いを定める。
――その銃を真っ直ぐと。
「はあ……はあ……ふざけんな、ふざけんなッ!」
立ち込める黒いもやが思考を埋め尽くす。
自分が何をしているのかわからなかった。考えるよりも先に身体が動いていた。
右手に構えた拳銃は受け取った時にも増して何倍も重く、どうしてか照準が震え、定まらない。
俺の強硬に、鞍馬はびくりと身体を震わせるも、本能的にか雫を背後に隠した。
その行動は、かえって俺の神経を逆撫でした。
「やめろって言ってんだッ!」
心臓が耳の横にある。その背後で打ち寄せる波の音が際立って――うるさい。
怒りは――感覚としては、嫉妬に近かったように思う。
俺だけが排除され、されど二人は手を取り合う。その構図は二人の恋愛が成就したようにも見え、しかして相談を受けていた俺の想いなど一切関係がない。二人は元々結託していて、すべてはシナリオで、意味のないシーソーゲームで。俺はその中のただ駒、否役割すら教えられていないのだから駒よりも存在価値がない。
俺はこの二人にとって何なんだ? この二人にとって必要な存在なのか?
「……否定してくれよ! 全部、こいつの出任せだって言ってくれよ」
片手で隣の八神を指差しながら、俺は銃を握るもう一方に力を込めた。
一縷の望みに賭けたかった。
ここで否定してくれれば、何かが変わるかもしれない。ここで否定してくれれば、もしかしたら俺たちは元に戻れるかもしれない。まだ間に合うと思ったから。なのに――
「……否定は……しない」
鞍馬は俺をまっすぐに見つめた。芯が通った瞳で俺を見た。
「謝る。すまない。キミを騙していた」
「違う! そんなのが聞きたいんじゃない! 俺は……そんなのが……」
指に力がこもる。衝動が抑えられない。悲しみが溢れて止まらない。
「撃っちゃダメだ!」
鞍馬が叫んだ。彼の叫びを俺は、その時初めて聞いた。
「僕たちが撃たれることは構わない、それは仕方のないことだ。僕たちはキミにそれほどのことをした。だけど……キミは撃っちゃいけない。撃ったところでキミの心は晴れない。むしろキミのことだ、後悔するに違いない。そんなのダメだ。その一発で僕たち三人の運命が決まる。後戻りが出来なくなってしまう!」
そのストレート過ぎる感情をぶつけられ、俺は叫ばずにはいられなかった。
「今さら何言ってやがる。いい歳こいて、高校生のフリなんかしやがって! 騙したのはお前らだろッ! 棚上げしてんじゃねえよ、もう後戻りなんか出来るわけねえんだッ!」
一度昇った血を下げるには相応の力がいる。感情的な俺に、理論で攻める鞍馬じゃ冷めるものも冷めない。冷静な判断を求める鞍馬の声を聴けるほどに俺の頭は冷めてはいない。
「もうお前らのこと信じられねえんだよ。もう――」
パン――、と乾いた音が遠く水平線に響く。どこまでも反響し、鳴り止まない。
だが、俺の銃は重たく冷え切ったままだった。
「――ッ!?」
頬に激痛が走った。不意に訪れたそれに頬を押さえると、生温い液体が指を這うのがわかった。案の定押さえた手は、真っ赤に染まって――
「落ち着きなさいよ、あんたッ!」
「シズクッ、てめえッ」
雫の持つ銃からほのかに硝煙が立ち昇っていた。俺はすぐさま銃口の矛先を彼女に変えた。しかし――
「撃ちたきゃ、撃ちなさいッ!」
その怒号は銃声なんかよりも、何倍も高らかにこだました。
「それで気が済むならそうしなさいよ。あんたの言う通り、あたし達はあんたを騙した。そこを言い訳するつもりはないわ。後戻りなんて綺麗事で解決するなんて思ってない。あんたには権利がある。だから、撃ちたいなら撃ちなさいよッ!」
「や、やめろ雫……」
身を乗り出した雫を制止させようと鞍馬は手を伸ばすが、彼女はそれを振り払った。
「でもね、言わせてもらうけど。あんたの銃じゃ、たとえ頭をぶち抜かれたってあたし達は殺せないのよッ!」
「はあ!? ハッタリかますならもっとマシなこと言いやがれッ」
俺はなおも彼女を狙い続けた。ウソつきの言葉なんて聞く義理もない。
「考えてもみなさい! この世界は仮想現実よ。それも政府お抱えの研究主任であるソウちゃんが造ったね。あんたッ、ソウちゃんの造るものに安全装置が付いてないとでも思う? あるに決まってんでしょ! ここで撃ってもあたしたちは死なない。現実で目が覚めるだけよッ!」
「な、何言って……!?」
彼女の言葉に頭の血が下がるのがわかった。感情に感情でぶつけられて跳ね返された。
雫の言葉は一理ある。いかにリアルに造られた世界とは言っても、仮想世界での死を現実にリンクさせる設計者はまずいない。そんなものを政府が許可するなんてことになったら、さしもの未来犯罪予防法も可決されるわけがない。
「ウソだと思うなら撃ちなさいよ。またすぐにあんたの目の前に出てきて、恨み事並べてやるんだからッ!」
火の宿る鋭い瞳。そう叫ぶ雫に俺は怯んだ。彼女の気迫は今も昔も変わらなかった。
「本当……なのか?」
ことの真偽を確認せんと八神に耳打つ。黙って静観していた八神はそっけなく返した。
「確かに彼女の言っていることはウソではありません。政府のメインサーバーから正規の手順でアクセスしている彼らは、たとえこの世界で死んだとしても安全にログアウトという処理で現実世界に復帰します。その逆、私のような不正アクセスで侵入している場合は、殺されればそのまま死に直結しますが」
「じゃ、じゃあ、さっき雫の首を斬ろうとしたのはなんでだ」
「強制ログアウトが実行された場合、次回のログインまでに十数分のタイムラグが発生します。それだけの時間があれば、この場から逃げることは雑作もありませんから」
目を細める八神は、結託した二人を睨め付ける。
「……お願いよ」
雫の声が震える。見れば彼女の両頬を大粒の涙が流れていた。
「お願いだから、馬鹿なことやめてよ……騙したことは本当に悪いと思ってるの。でも……仕事で、そうしなくちゃならなかった……本当は辛かった。何度も、何度も、真実を話そうと思ったんだよ」
彼女は膝を突いた。なおもあふれる涙を止めようともせず、彼女は必死に俺を見つめた。
「やり直そ、また三人で。また一緒に遊ぼうよ……夜遅くまで。今度は現実でさ」
いつも強気なくせにふとしたことでそれは脆く壊れる。自分のためよりも誰かのためで、それはいつも俺か鞍馬のためで。それが俺の知っている雫で、目の前にいるのはいつもの雫で。
揺らぐ。心が揺らぐ。
「でも俺は……俺はここから出られない。現実で向き合えないッ!」
「僕たちが何とかするッ! 僕たちがキミを助ける。だから彼女に付いていくな」
彼女はテロリストだぞ、と八神を指差しつつ鞍馬は立ち上がった。
いざって時に頼りになる実直な男は自信に満ちていて、その姿に俺は懐かしさを思い出す。
今まで俺たちが築いてきたものがどこまでがウソで、どこまでが本当なのかはわからない。
だけど、今目の前にいる二人は俺の知っている二人で、確かにウソじゃないと確信している。
だったら――俺は二人にとって必要な存在なんじゃないか?
だからここまでして俺を止めようとしてくれるんじゃないか?
なのに―― なのに俺は――
「くそ、くそくそッ! くそおおおおおおぉぉぉぉ――――――――――――――――ッ!」
俺は二人に銃を向けてしまった、殺意を抱いてしまった。今さら彼らの手を取ることが出来ない。二人ならきっと些細なことだ、と笑って許してくれるだろう。
けれど、それじゃあ俺の気が済まない。そんな都合のいい話あっちゃいけない。
腕の力を抜き、構えていた銃を降ろした。視線を砂浜に這わせた。血が溜まっていた。
「……颯」
それを見た雫が涙を拭い、一歩を踏み出そうとする。
「待て、やめろ……やめてくれ」
だが、俺はすぐさま拒絶した。銃を掲げ、再度雫に向けた。彼女はその場で立ち止まった。
「二人の気持ちは……ありがたい。だけど……ダメだ。俺は……このまま八神に付いていく。答えを見つけたいんだ。今までのこと、これからのこと。俺が何者なのか、どんな人間だったのか……知りたいんだ」
このまま二人の手を取るのは簡単だ。それは俺にとっても、二人にとっても望ましく正しい結末なのだろう。
だが、ノアに閉じ込められ、記憶を消され、この世界の真実を知った。儚さを知った。
ただ……俺はまだ知らない。まだ俺自身が何者なのかを知らない。現実ではどんな人間で、どんな生活をしていたのか。どんなことに笑って、どんなことに泣いていたのか。
更生される前の俺を、俺はまだ知らない。
だから、ノアに会いに行かなきゃならない。
俺の運命を変えた存在、ノアに会って――知りたい。本当の俺を。本当の俺の運命を。
――レールを変えるなら今しかないんだ。
「きっとなんとかするから、頼む!」
精一杯頭を下げた。そんな俺に、鞍馬は深く苦悶を浮かべたが、
「……わかった」
「ソ、ソウちゃんッ!?」
鞍馬の決断に、雫は驚きを隠せないようだった。それもそのはずだ。頼み込んでいる俺だってこうもあっさり受け入れられるとは思わなかった。彼は語る。
「颯の選ぶ道を尊重したい。僕たちがキミにしてきたことのせめてもの償いだ。キミの納得する答えを見つけるまで探してほしい」
ノアを殺すことが答えなら全力で止めるけどね、と鞍馬は冗談めかして付け加えた。
まるで父親みたいな親友の態度に、何故か気恥しくなって目を背けてしまった。
「行こう、八神」
「……はい」
八神は別段口を挟むこともなく、文句さえもなく、静かに後ろを歩き出した。
打ち寄せた波しぶきを肌にまとわりつかせ、硬い砂浜をしかと踏みしめ、
やがて――太陽は沈んだ。