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プリズンアクト  作者: 西光寺翔
第三章
11/22

~彼らにとってはとるに足りないことなの~

 数刻後。夕闇。国道。

 ガシャン、とガラクタが散った。

 果たして今ので何体目になったのか。性懲りもなく襲撃を繰り返すグングニルたちを、その度八神は見事に斬り伏せていった。彼女の目にも止まらぬ殺陣はその容貌と相まって黒猫が戯れているようにしか見えず、斬った時の爽快感と感嘆の息は絶えない。


「そろそろ向こうも次の手に出るはずです。急ぎましょう」


 短く切り揃えた髪を払い、八神はコートを翻した。

 街を抜けた俺たちは、果てしなく広がる海が望める湾岸線を走っていた。

 潮の香りが鼻をつく。普段なら青々と波打つ海は、あたかもこの非常事態を斟酌したのか、一面どんよりとした灰色に濁っていた。雲色が濃いせいもあるんだろう。世界を包む全体がコンクリートで塗り固められ、冷たく重く見えた。


「……」


 前を先行する八神の後ろで、俺は額の汗を拭った。

 別段疲労しているわけじゃない。彼女のプログラム理論を教授されて以来、完全にとはいかないまでも、多少ながら疲労感に襲われることはなくなった。コツとして教えられたのは、


『常識を捨てろ』


 身体、意識を解き放つのに常識という鎖がもっとも障害となるらしい。つまり『人は走れば疲労する』という考えを捨てろと言うことだ。ここ十八年間そういう考えで生きてきた手前、そう簡単には出来ないと考えていたが、浮世離れした思考が利いたのかもな。

 て言っても、皮膚のプログラムが発汗を促しちまうんだから困ったもんだ。


「目的地はまだか?」

「まもなくです。あの岬を越えた先のトンネルにバックドアがあります」


 尋ねた俺に、遠く海岸線を指差しながら彼女は返した。

 大きく弧を描く海岸線の先に一際険しく連なった岩場があり、さらに向こうには真っ赤な灯台が建っていた。俺の拙い記憶じゃあ、灯台を越えても変わらず砂浜が続いているはずで、トンネルがあるというのは初耳だ。地元のことではあるが、灯台の向こうは危険だから近寄っちゃいけません、と中学校で教わっていたせいで越えたことがなかった。あの中学校での教えも更生プログラムだったんだよな。もう教えを守る謂われはないわけだ。

 舗装道路を下り、砂浜を走り始めて数分後、塗装の剥げた灯台を見上げる岬に到着した。

 灯台の下で足を止めると、それまで全身に感じていた風がピタリと止んだ。波の音に耳を傾ける余裕が生まれると、同時に寒々しい潮風が汗に当たり、体温の変化に鳥肌が立つ。それに我慢出来ず、俺は開いたコートの前を閉めた。


「こっちです」


 頻りに周囲を見回す八神は、慎重な船頭ぶりで道を開いていった。俺たちの着ているコートが相手の索敵を回避するとはいえ、過信は出来ないらしい。待ち伏せされる可能性も決してゼロじゃないんだ。

 砂浜を横断する二人の足跡が軌跡を成し延びていく。足跡は二人分、それ以外はない。

 追手もさすがに諦めただろう、と俺はどこか間が抜けて遠く水平線を眺めた。


「……あっ」


――そう油断したのも束の間の出来事だった。


「動かないで」


 背後から声がした。同時に俺の頭に何か固いものが押し当てられた。


「あなたもよ」


 声の主は再度忠告する。気付けば、目前を先導してた八神の手には、再三の刀が握られていた。声の矛先が八神に向けられていることは明白だった。

 柔らかくてどこか聞いたことのある声だと思った。いや、すぐに答えは見つかっていたのだが否定したい気持ちだったんだ。不意のことに動転したんだ、ってその答えを素直に受け入れることが出来なかった。とはいえ、続けざまに発せられた言葉で確信を得てしまったのだが。


「大人しくしててね――颯」

「雫か……」

「……うん」


 問い返す俺の言葉に雨宮雫はすんなり答えた。そして現れたのは彼女だけじゃなかった。


「僕もいるよ」


 岩場の向こう。俺と八神の向かっていた方角から眼鏡を掛けた一人の青年が姿を現した。


「鞍馬、お前」


 アルミフレームの眼鏡に、灰色の野戦服。どこまでも自信のなさそうな表情には、いつか放課後に語り合った時の哀愁が滲んでいた。


「待っていたよ、八神まどかさん」


 鞍馬は持っていた黒い銃を八神に定めた。


「見事な待ち伏せです。称賛に値します」


 出し抜かれたにも関わらず八神の声には、笑みが載っていた。背中を見るしかないここからでは、彼女がどんな顔つきをしているのかわからないが、余裕の笑みを浮かべてるのが簡単に想像出来る。動揺とか油断には縁遠そうな女だからな、こいつ。


「何も難しいことはしていないよ。砂地と音のプログラムを少しいじってやればこんなことは誰にだって出来る。それに彼女の考えを読めないわけじゃないからね。バックドアの位置は大体掴める」


 鞍馬は苦笑し、拳銃の撃鉄をカチリと起こした。照準は八神の胸元一点を狙い続けているものの、やはりその凶器に不慣れなのかわずかに震えている。ふっ、と八神は鼻で笑った。


「あなたはやはり戦いには向いていない。情けないお人です」

「そうだね……こういう野蛮なものは、なるべくなら持ちたくない」


 彼女の挑発に、鞍馬は顎で右手の銃を示した。そこへすかさず雫がフォローする。


「ソウちゃんはそれでいいのよ。あんたには、あたしがいれば充分なんだから」


 俺のすぐ後ろにいるであろう親友の幼馴染は、今もなお俺の頭に何かを――恐らくこれも拳銃だろう――を押し当てたまま。

 見えない攻防が飛び交う。その最中、俺は沸き上がる感情を抑えられなかった。バックドアで八神から聞いてことすべての真実が知りたくて、俺はそれを口にせずにはいられなかった。


「……お前ら何してんだよ……」


 しかし、口から突いて出た言葉に我ながら驚きを隠せなかった。


 「お前らッ!! まず俺に言うことがあるんじゃねえのかよッ!!」


 なんだ、これ。感情の、心の衝動を抑えることが出来ない。

 気持ちが、想いが――怒りが溢れ出てくる。


「ど、どうしたんだ……颯」


 突然向けられた怒りに鞍馬は問い掛ける。白々しく、図々しく問い掛ける。

 それは――今の俺にとって逆効果となった。


「どうしたもこうしたもあるかよッ! もう全部知ってんだよッ! 全部、何もかもッ」

 

 この世界の真実も、ノアの予言も、俺の境遇も、

 ――二人が何者なのかも。


「あんた、颯に何を言ったのッ!」


 雫が声を荒げた。その瞬間、俺の頭に押し当てられていた感触はなくなり、代わりに右目の端から黒い鉄の先端が顔を覗かせた。背筋に寒気が走る。今までこんなものが頭に向けられていたかと思うと、ゾッとしない。


「何を、ですか?」

「お、おいッ」


 二人から銃口を向けられてもなお態度を崩さない八神が、二人の制止も無視しゆっくりとこちらに振り返ったのだ。その思わぬ行動に鞍馬が反応する。見ると、八神の表情には笑みが――他人を蔑み得意気になった嘲笑が臆面もなく貼り付いていた。


「大事なことはすべて話しましたよ。ノアのことも、ルーインのことも、あなた方のことも事細かに」

「な、舐めたことしてくれるじゃない」


 カタッ、と銃口が揺れる。雫の声に深い動揺が浮かび、どんどんと色を増していくのが、手に取るようにわかる。

 これも長い付き合いのおかげかな。皮肉なもんだ。



「二人は特別?」


 ことは数時間前に遡る。

 バックドアでの長ったらしい会話を終え、黒いコートに着替えている時のこと。

 街中を歩いていた人間が実体のないAIであると知り、また親父や母さんがエキストラで任務として俺と接していたと教えられた直後のこと。

 その驚きもままならないうちに俺は再度、今度こそ驚愕させられることになった。


「鞍馬総一郎と雨宮雫の両名はそれぞれ政府の上層の人間です。鞍馬総一郎は、政府直属の研究施設、首都第三研究所における管理及び研究主任を勤めています。主な研究領域は人工知能の作成と仮想空間での人体に対する影響。ここ、ルーインも彼の研究成果の一つです」

「ここが……あいつの?」


 口が乾いて声もろくに出やしない。もう大概のことには耐性が付いている頃だと思っていたが、存外人というのは想定外に対する学習が苦手らしい。

 なるほど、家のリビングで話していた親父と母さんが『鞍馬博士』と呼称したのにはそういう理由があったのか。

 馬鹿げた話だ。だが、馬鹿げた話はそれに留まらなかった。


「そして……雨宮雫は未来犯罪予防局の捜査官です」

「捜査官? あいつが?」

「はい。彼女はSSSランク重犯罪者であるあなたの動向を調査するために派遣されています」


 その話にはさすがに疑問を感じずにはいられなかった。だって、


「……柄じゃないだろ」


 勝気で居丈高。先頭に立って行動することもままあって、剣道部での求心力も人一倍の雫ではあるが、政府派遣の特殊捜査員なんて出来るタマとは思えない。超が付くほど単純だし、涙脆いし、変なところで臆病だし。根っから科学好きな鞍馬が研究員なら数歩譲歩してわかるものの、雫にはとてもじゃないが似合わない。


「それもすべて政府が用意したシナリオに沿っていたからでしょう。彼女たちは偽っているのです。シナリオに合ったキャラクターを演じているに過ぎないのです」


 ――演じているに過ぎない。


 そのワードは鋭く俺の心に突き刺さった。

 それは両親がエキストラであるというよりも、深刻に、重大に俺の心へ染み込んだ。そりゃあ、両親が一世一代の大ウソをついていたことはそれ相応のショックがあった。だが、概してこの時期の高校生というのは、両親に心の重きを置くということがあまりない。いわば親離れ、もしくは反抗期だ。無論、落ち込んだのは否定しない。が――


 その代わり重きを置かれるのが――友達だ。


 家にいる時間よりも学校にいる時間が多くなったりとか、親といるよりも友達といる時間のほうが長かったりとか、そんなことは日常茶飯事で、両親に学校の話題を話すことはあっても、友達に家の話題を話すことはほとんどない。家出をした時に頼るのは、友達だって相場は決まっている。そうだろ?

 中でも友達の少ない俺にとって、鞍馬や雫が占めていた割合は空より広く、海よりも深い。あの両親でさえ足元にも及ばないと断言しても過言じゃないだろう。

 毎日顔を突き合わせ、他の誰にも言えない秘密を共有し、語らい、笑い、驚き、泣き――


 そして信じていた。


 なのに――だ。それは演技だった。


 どこから……どこまでが? 

 これまでの高校生活は? 鞍馬と雫の恋心は? 俺たちの信頼関係は?

 まさか……全部がシナリオの一部なのか?


 ――すべて偽りなのか?


「つまり、ここに留まる彼らのこの笑顔も、すべて偽りだったということです」


 八神は掌を俺に伸ばした。


「……お前、それどっから……」


 そこには、卒業式前夜に撮ったあのプリクラが載っていた。

 俺たちの小さな小さな友情の証。俺と鞍馬が肩を組んで、雫がその間で笑ってる高校生最後の一枚。俺も、鞍馬も、雫も。満面の笑みで笑っているのに、二人のこれがウソなのか?

 信じられない。信じたくない。でも、彼女の言葉は筋が通り過ぎている。


「返してくれ」


 俺は咄嗟に八神の手からそれを奪い取ろうとした。彼女はすんなりと返した。


「あなたは真実を受け入れるべきです」


 大事に紙片を握る俺に対し、八神は胸を大きく膨らまし、大きく吐き出した。


「彼らの恋路も、それが高校生らしいから。高校生なら当然あってしかるべきだろうと考えられたからに過ぎません。彼らはずっとあなたにウソをついていたのです」

「もういい……それ以上は言わないでくれ」


 顔を俯け、耳を塞ごうとした俺に、八神はさらに追い打ちを掛けた。


「考えてもみてください。いつの時代にしろ、何十年も研究していた科学者を差し置いて、若い世代が先に解答を見つけ出すなんてことは往々にありえること。私たちの時代でもそれは変わりません。ですが、政府直属の研究所に齢十八の高校生が、ましてや主任研究員として配属されることがあるでしょうか? 十八歳の一女子高生がSSSランクの大罪者の監視調査を任されるでしょうか?」

「どういう……どういう意味だ」


 つい反射的に訊き返してしまったが、彼女の言いたいことは何となく予想が出来た。それらの事実が示す意味は帰納法的に求められた。つまり――


「あの二人の実年齢はあなたと同じ十八歳ではありません。こちらの調べでは雨宮雫の実年齢は二十七歳。鞍馬総一郎に関して言えば――」


 その後、驚くべき数字が鼓膜を通過した。


「――三十八歳」

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