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8 悪役令嬢は襲われる

 

「よぉう嬢ちゃん。こんな時間に何してんだい?」


「ゲッゲッゲッ。ここらの市民にしちゃ、随分いい身なりじゃないでヤンスか。アンタ、貴族サマざんしょ?ちぃと恵んでくれでヤンス!」


「……うわぁ」


 どこからどう見ても、悪党だった。


 それも、ベタベタコテコテ、昭和の漫画によくありそうなタイプの。


 ──── 悪党は悪党でも、三コマでヒーローにワンパンで沈められる系の悪党ですわね、これ。


 そう、ノアは心の中で冷笑した。


 つまりはチンピラ、というやつだ。


 そういえば、この辺りは夜になると危ない輩が出る、というのをアルから聞いた事があった。

まぁ、危ない輩らというには、咬ませ犬感がすごいが。


「おい、さっきから何だその目は!! もっとビビれよ!!! お前襲われてんだぞ?!」


 ノアの冷たい視線に耐えかね、太っちょの方がそう吠える。


「いや……まぁ、襲われてはいますけど、その……正直モブ感がすごくて……」


「さてはお嬢ちゃん、俺達をナメてるでヤンスね?!一体俺達のどこがモブっぽいっていうんでヤンスか?!」


「ほら、そのヤンスとか一昔前の三下チンピラが使ってそうな語尾とか特に

 ……」


「あぁん?! 何だと?!」


「ごめん、それは俺も思ってた」


「えっ?! ちょ、アニキ?!」


 相方の突然の裏切りに、細っちょは大きく目を剥いた。その内に、ノアは頭を回し始める。休んだお陰で……否、先ほどまでのバカみたいなやり取りのおかげで、幾分か気分はマシになっていた。


 ──── さて、どうしたものかしら。


 ……相手はザコとはいえチンピラだ。

 公爵令嬢のノアが、単純に力で敵う相手でもない。ノアはそれも分かっている。……なら。


 太っちょは気を取り直したように、再び下卑た笑みを浮かべた。


「でもよぉ、いいのかい?そんな馬鹿にしたような事言って。アンタ、今俺達に囲まれてんだぜ?」


「分かってんのか?」と、太っちょが挑発的に言う。どうやらヒールを気取っているらしい。取り繕うには、少し遅い。


「そうでヤンス!!これから俺ら、お前の身ぐるみを剥がしてあんな事やこんな事もするんでヤンスよ!!ゲッゲッゲッ」


 細っちょのほうも、そう続けた。


 まぁ確かに、この状況ですべき事と言えば、逃走か土下座である。単純に、力の強い相手の前では、弱い者は逃げるか許しを請うしかない。


 逃げるのは……恐らくノアの鈍足では無理だろう。100メートル走で30秒という記録を残し、幼馴染に『牛かよ』と笑われた彼女である。


 散々煽られた彼らが謝って許すとは思えないが、ここは膝をつき、頭を地面に擦り付け、見逃してくれるようお願いするのが一番まともな策だ。


 少なくとも、普通はそうする。



 そう、あくまで普通は。


 この令嬢が、普通じゃない事なんて、とっくのとうに分かりきったことだった。


「あんな事や、こんな事……?」


 細っちょのワードに、ノアはピクリと、わざとらしく肩を震わせる。


 ……そして次の瞬間、ノアはパァっと顔を綻ばせた。


「それはつまり、痛みをくれるということですか?!」


「……は?」


 太っちょ、細っちょ、両方ともあんぐりと口を開ける。何言ってんだコイツ、とでも言わんばかりの間抜けな顔だ。無理もない、普通の価値観を持つ人間に、彼女の言葉が理解できるはずもないのだから。


 ノアは口元をこれでもか、と釣り上げ笑う。頬は、まるで恋する乙女のように、赤く赤く染まっていた。


「殴ってくれるの? それとも蹴ってくれるの? あぁ、素敵。私、今とても嫌な思いをしたところですの。でも、でもね! 痛みを受ければ、誰かからの愛を受ければ……きっとこの不愉快な思いも晴れますわ!!! さぁ、さぁさぁさぁ!!!!」


 早口で、一気にまくし立てるノア。

 ……チンピラ達は、完全に引いていた。


「っ、訳わかんねぇ、頭おかしいのかコイツ?! おい、そっち抑えてろ!! もう身ぐるみだけ剥いでヅラかるぞ!!」


「ヤンス!!」


 ヤバイ、と悟ったのだろう。太っちょのほうが声を荒げた。


 ……細っちょの手が、ノアの腕に掛かる。



 彼が引き金を引いたのは、その時だった。


 パァン。


「っ、が……!?」


「……あら」


 ドサリ。


 細っちょが、硬い地面に崩れ落ちる。

 ノアを抑えようとした腕から広がる赤い色。……ぬるりと流れ出るそれが血だなんてことは、誰が見ても一目瞭然だった。


「っ、あああああ?!?!」


「お、おい!! 大丈夫か?! っ、クソ、誰だテメェ!!!」


 太っちょが、銃声のした方に向けがなる。すると、誰もいなかったはずのそこには、一つの人影があった。


「お嬢様から、離れろ」


 現れた青年は、その手の中の銃を、まっすぐ男に向けていた。


 少し低められたこの声を、ノアは嫌という程知っている。


「……アル」


 現れたのは、ノアの従者、アルフォンスだった。


「あ、貴方、どうしてここが……?!」


 驚きに目を見開いて、ノアはアルに向かって問いかける。しかし、アルはノアの声に、一瞥もくれることはなかった。ただ、眼前の男達を、威嚇するようにギロリと睨め付けたままだ。


 いつになく威圧的な空気を纏った彼に、ノアの腰が、思わずびくりと震えた。


「な、なんだお前っ……何者だ?!」


 細っちょを庇うように立ち、太っちょが言う。あくまでも平常心を装うとしたのであろうその声は、心なしか上ずっている。


 アルは、答える。

 冷徹に、微笑を浮かべて。


「何者でもない、ただの従者だよ」


 パァン。


 銃声が、また響く。ヒ、と短い悲鳴をあげて太っちょはその場にへたりこんだ。アルはそのまま、容赦なく男に銃口を向ける。


「失せろ。この人は、お前らみたいな鼠が汚していいようなお方じゃない」


 威嚇するような、低い声がそう唸る。


 人の良さそうな顔に浮かべられた、凍えるような冷たい表情。そして、相手を射殺さんばかりの、敵意が滲んだ瞳。


 その迫力は、相手を畏怖させるのには十分すぎるものだった。


「っ……! クソ! おい、行くぞ!!」


 悪態を吐きながら、太っちょは抜けた腰を必死に奮い立たせ、痛みにすすり泣く細っちょの肩を抱き起こす。

 そして次の瞬間、一体どこにそんな元気があったのか、と疑うようなスピードで、その場から転がるように逃げていった。


「……ふぅ」


 まるで緊張の糸を緩めるかのように、小さく息を吐いてアルは銃を下ろす。


 そしてようやくノアの方を向き「大丈夫ですか?!」と彼女の方へ駆け寄った。心配そうに彼女を見る瞳に、先程までの鋭い光は影も形も残っていなかった。


「……ええ、平気ですわ」


 ノアがしとりと微笑を浮かべてそう言うと、アルは大げさに溜息を吐く。しかし、安堵の色を見せたのも束の間だった。


「心配しましたよ、本当! ていうかどうしてあんな煽るような事言ったんですか! 踏んで、だなんて……!」


 プリプリと顔を赤くして、アルはノアの肩をガッと掴む。拳銃を握っていた彼の手の温度が、服越しに伝わる。


「そうすれば、あの人たちも引いてくれると思ったんですの。ほら、誰だってこんな女に手を出したいだなんて思わないでしょう?」


 言って、ノアはカラリと笑う。


「だからって……! 面白がられたらどうするおつもりだったんです?! 実際、あの後も装飾品を取られそうになってましたし……」


「別に、こんなものいくらでも手に入りますもの。くれてやりますわよ」


「っはぁぁぁぁ……」



 悪びれもしないノアの様子に、アルは盛大に頭を抱えた。……そして何かを考えるように言葉を飲み……更に強く、肩に置いた手に力を込める。


「あのね!! そんな話してんじゃないんですよ!!! 屁理屈言わない!!」


「……は、ぁ」


 突然声を荒げた目の前の男に、ノアは

 パチクリと目を見開く。

 まるで、小さな子供を叱るような口調だ。こんな風にアルに、キツく物を言われたことなんて、今まで一度もなかった。


「っあ、あの、アル……? 貴方何故、そんなに怒って……」


「っ分からないんですか?!」


「……」


 あまりの剣幕に、ノアはバツが悪くなり、ふいと顔を逸らした。

 しかしアルはそれをどうやら、自分への反抗だと思い込んだらしい。

 アルはノアの小さな顎を節くれ立った手でグイ、と掴み無理矢理自分の方を向かせる。


 目は、完全に笑っていなかった。


「お嬢様、貴女ご自分の立場、分かってます?」


「え、あ……」


「分かってるんですか???」


「はっ、はいぃ!!」


「頬を染めない!! 怒ってるんですよ!!」


 怒られることに快感を感じたのか、恍惚とした表情を浮かべるノアを、アルがピシャリと一喝する。


「……っあのね。貴女はまだ女の子だ。こうして押さえ込まれれば何も出来ない。もしかしたら、男二人相手に、もっと酷い事されてたかもしれないんですよ……?」


「もっと、酷いこと……?」


「嬉しそうにしない!! 喉を!! 鳴らさない!!!」


 どうしてこんなに締まらないんだ、とアルがぼやく。まぁなんせ相手はドM。そもそもお説教なんて効くはずもないのだ。


「っ……ああもう! とにかく! 危ないマネはしない!! 無闇に人を煽らない!! お嬢様は御自分に無頓着過ぎるんですから!! もっと考えて行動なさってください!!」


「……分かり、ましたわ」


 効きはしなくても、アルが真剣なのは伝わったらしい。というか、これ以上反抗したら面倒そうだと思ったのだろう。ノアはこくんと、素直に頷いた。

 アルはまだ何か思うところがあるようで、複雑な顔をしていたが、一応はその手を離してくれた。


 重たい沈黙が、辺りを支配する。

 日はもう完全に落ちて、空は濃紺に染まっていた。路地裏を照らすのは、鈍い月明かりだけだ。


「……帰りましょう、お嬢様」


 そう、アルが言う。

 ノアの肩が、ピクリと跳ねた。

 ……確かに、戻らねばならないのだ。

 いつまでもここでこうしているわけにもいかない。


 ──── だけど、でも……。


 躊躇うノアの様子を見て、どうやらアルも察したらしい。気まずそうに視線を泳がせている。


「……あー実はセドリック様、なんですが」


「……ええ」


「帰られました」


「……は???」


 予想外の答えに、ノアの口からつい間抜けな声が漏れた。アルは苦笑いを浮かべながら、言葉を続ける。


「実はセドリック様、本当にギリギリのところを縫ってこられたみたいで。ドレスのデザインを決めるなり、すぐに行ってしまったんです」


「……はぁ」


 確かに、セドリックは様子を見に来た、と言っていた。元々そう長くはいられる予定ではなかったのだろう。

 ……本当に、無理をして来てくれていたのだ。


「それから、セドリック様から『ごめんね』だそうです」


「………そう」


 ノアは、冷めた声でそう言った。


 ──── ごめんね、だなんて。謝ったって、どうせ繰り返すのでしょう。


 どれだけノアが嫌がろうと。きっとセドリックはノアを愛し続ける。ごめんね、は。きっとハリボテにしか過ぎない。



 あの、得体の知れない愛の形で。


「帰りましょうか、アル。私、お腹が空きましたわ」


 夜の街へ向け、ノアは一歩を踏み出す。ツンと済ました表情は、何も語りはしない。アルはそんな彼女に少し寂しげに微笑んで「はい、お嬢様」と彼女の背を追うのだった。















 ジリリリリリ。


 町外れの洋館に、電話のベルが鳴り響く。ふかふかのソファに腰掛け、書類を片手にコーヒーを飲んでいた男は、ベルの音を聞くなり、硬かった表情を僅かに綻ばせた。駆け足で電話まで走り、受話器を耳に押し当てれば、聞こえてきたのは聞き慣れた部下の声だった。


『お疲れ様です、セドリック様。ノア様と従者、無事に合流いたしました』


「あ、合流できたんだね。よかった!」


『はい、引き続き監視を続けます』


「うん、よろしく。何か異常があったら、すぐに僕に伝えてくれ」


『御意。それから……セドリック様。どうやら、ノア様を路地裏で襲った鼠がいる様子。如何いたしますか』


「……ああ、片付けておいてくれ。不穏因子は潰しておかなきゃだからね。

 方法は任せるよ。けど、くれぐれもオルコット家の名前は出さないで。……この顔は、誰にも知られちゃいけないんだから」


『かしこまりました、では、また明日、担当の者がご連絡いたします』


 プツリ、と。


 そこで電話は切れた。相変わらず愛想のない部下だな、と笑いながら、男……セドリックは、小さく呟く。


「……ごめんね、ノアちゃん。悪いけど……僕は君の事、大好きなんだ」



──── 大切な妹を守る為なら、僕はなんだってしよう。



 セドリックの声は、誰に聞かれることもなく、ただ空気に溶けて、そのまま消えた。


次回からは通常運転、またコメディ回です。

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