表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/23

6 悪役令嬢はデートに行く

 


「ほらノアちゃん、こっちこっち!」


 言って、セドリックは嬉しそうに、まるで少年のような顔つきで馬車を飛び出した。時刻は午後三時。街が一番活気付く時間だ。









『デート』と称されノアがやってきたのは(というか引きづられてきたのは)首都、アムネリスのメインストリートだった。


 本来ならノアのような身分の者が、庶民の入り乱れるこんな街なんかにやって来る事は少ない。貴族というのは、屋敷の中で茶を飲み、芸を嗜み、優雅に暮らすべきだと信じられているからだ。まさしく、庶民は貴族とは正反対の存在である。忙しく汚らしい庶民と触れ合う必要がある街に降りる事を嫌う者も多い。


 しかしまぁこの変わり者の令嬢がそんなステレオタイプの常識に従う訳もなく。これまでも何度かお忍びでアルと共に街を訪れている彼女にとっては、この街並みも、ごく見慣れた景色だった。


「うっわぁ広いなぁ!!」


 目をキラキラ輝かせ、セドリックはノアの手を引く。いつもの三割増のハイテンションに、ノアは小さく嘆息した。その顔には、既に疲労の色が滲んでいる。


「帰りたい……」


「切実ですね」


 心の底から絞り出したような主人の声に、後ろを歩いていたアルは、ハハ、と苦笑した。


「でも、いい気分転換じゃないですか。お嬢様、ここ最近王城へ出向く以外は部屋にこもりっぱなしだったでしょう?」


「気分転換……?気分は沈む一方ですけど……?私がこの男嫌いなの知ってますわよね貴方……」


「……ちなみに、お嬢様はセドリック様のどこがお嫌いなんですか?」


「顔面と性格」


「うわ全否定」


「あと、そのゴキブリみたいなメンタルも本当に嫌になりますわね。どれだけ拒んでも、しつこく引っ付いてくるんですもの。鬱陶しくて堪りませんわ」


「まぁ、お嬢様のお兄様ですからねぇ。ほら、お嬢様だってゲームで「G」って呼ばれてたんでしょう?」


「ゴキブリの家族はゴキブリってことですわね。ふふ、笑えないわ」


「いや、一番笑えないのはそれを隣で聞いてる僕だけどね??」


 そう言ったセドリックの瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。隣で紡がれる暴言の数々が、意外にもぐっさりと刺さったらしい。


「ていうか、君従者でしょ。目上の存在に向かって、ちょっと失礼すぎるんじゃない?」


 ノアと並んで歩くアルを、セドリックがジト目で睨む。少し拗ねたような顔をした彼の視線には、じとりと嫉妬の色が絡まっている。どうやら、先程繋いでいた手を、ノアに払われたのをまだ根に持っているらしい。距離が近いアルとノアの関係を羨んでいるようでもある。とどのつまり、完全に八つ当たりだった。


「もうちょっと俺に敬意を払おうとか思わないのかな? クビにしていい?」


「俺はお嬢様の従者なので、お嬢様のご意向に従いますが、お嬢様?」


「そんなのに払う敬意は地面を這う蟻にでもくれてやりなさい」


「だそうですよ」


「うわぁ辛辣っ!! でも、妹に蔑まれるのって萌えるよね……」


「訳が分かりませんわ……」


「それお嬢様が言います???」


 セドリックも、ドMのノアにだけは言われたくないだろう。


「ところでお兄様、これはどこに向かってますの?」


 唐突に、ノアがそう問いかけた。そういえば、かれこれこんな下らないやり取りをしながら、もう二十分は通りを歩いている。そろそろ通りも終わりが見えてきた。目的地があるなら、もう見えてきていいはずである。


「ふふ、よくぞ聞いてくれたね。そしてナイスタイミングだよ、ノアちゃん」


 先程までの表情をころり変え、ニヤとセドリックは唇を釣り上げる。

 そして突然歩みを止め……目の前の店を、ふいと指差した。


「ここが今日の目的地……『テイラーズ・テイラー』さ!」















 どうやら、セドリックが今日連れてきたかったのは、アムネリスのメインストリート、その外れにある小さな仕立て屋だった。なんでも、ノアに夜会用のドレスをプレゼントしてくれるつもりらしい。


 大体、貴族の間では、夜会のドレスはオーダーメイドが主流だ。貴族が集まる場で身に纏う服は、彼らにとって戦闘服も同じ。毎回同じドレスを夜会で着れば、家の名前にも傷が付く。だから、余裕のある貴族は基本的に集まりの度に、ドレスを買い換えるのだ。

 オルコット家の令嬢ともなれば、もちろん周りの目も惹く。ただださえ貴族社会で疎まれているオルコット家なのだから、そういう場では完璧を演じなければならない。


 ──── まぁ、ちょうどいいか。


 ノアも近々、お抱えの仕立て屋を屋敷に呼ばねばならないと思っていたところだ。折角セドリックが連れてきてくれたし、ここで仕立ててしまおう。


 と、そう思いノアは嬉しそうに店の中に入っていくセドリックの背を追ったのだ。










 それが、約二時間前のこと。


「あー。いや、ここのデザインはこうして欲しいかな。あと、素材。彼女の肌は繊細だから、出来るだけ優しい生地のものを使って欲しい。あと……」


「あの、これいつまで掛かりますの?」


「最高のドレスが出来るまで!」


 疲れ果てたような声で言うノアに、ニコ、と満面の笑みを返すセドリック。


 そうこの男、案の定面倒くさかった。

 サイズの採寸を終えたノアを放置して、店主である、仕立て屋兼デザイナーと、ドレスのデザインについて相談し始めたのである。


「いやぁ……まぁこうなるとは思ってましたけど、思った以上に掛かりますね。見てくださいよ、店主の顔。完全に死んでますよ」


「我が兄ながら、最高に迷惑ですわね……」


 ああだこうだと店主に向かって希望を述べるセドリックの背中を遠い目で見遣りながら、ノアは店の隅に置かれたソファに腰掛ける。


 この様子だと、あと三十分はかかりそうだ。


 アルなんてさっきから若干眠そうだ。

 はぁ、とまたノアの呆れたような溜息が、店内の埃っぽい空気に溶けていく。溜息を吐くと幸せが逃げる、なんて言うが、それなら一体今日だけで彼女はどれほどの幸運を逃しているのだろうか。


「本当、どうしてマジロイにあの人のルートがないのか、アレを見てるとよぉく分かりますわ」


「まぁ確かに……。残念なイケメンってああいうのを言うんでしょうねぇ……」


「いっそ誰かとくっ付いてくれれば、私の方に来なくて楽なんですけれど……」


「でもセドリック様、学園でならモテたんじゃないですか? 顔も良いし頭も良いし、性格もまぁ、俺以外になら温厚でお優しい方ですし」


「と、思うでしょう??」


「……というと?」


「詳しくは聞かないで頂戴。学園生活初日に『三度の食事より妹が好きです。というか、主食は妹です♡』なんて自己紹介をした馬鹿の話は、できればしたくありませんの」


「うっわぁ……」


 本当に、冷えきった声だった。

 アルの口元には、引き攣った笑みが浮かんでいた。普通にドン引きしている。しかし、酷いのはここからだ。


「でもたまーに、その自己紹介の一件を知らない女の子が、告白したりするの。あの馬鹿、何て答えたと思います?」


「はぁ……まぁ、大体予想はつくというか何というか……『妹の事が好きだから』とかですか?」


「不正解。『妹以外は性的な目で見れないから無理なんだ、ごめんね』ですわ」


「うわ最低かよ」


「ちなみに一時期家に届いていた大量の不幸の手紙と殺害予告は、八割アイツにフラれた女からでしたわ」


「超とばっちりですね……お可哀想なお嬢様……」


 心底同情したような視線が、ノアに注がれる。


「まぁ、その罵詈雑言を読むのは中々に興奮しましたけど」


「おっっと??」


 同情の目は、一瞬で冷ややかなものに変わった。どうやらアルは、少し、ノアの例の性癖の存在を忘れていたらしい。


「そうだこの人ドMだった……」と呟くアルの声は、ノアの耳にしっかりと聞こえていた。


 ……だが、確かに。


 思えば、随分とこの兄のせいで、とばっちりを受けてきた。不幸の手紙と殺害予告なんて、その中じゃ全くもって可愛い部類だ。彼がいなければ、彼女の人生は数倍平穏だっただろう。


 もし、彼が余計なことを言わなければ。


 自分への好意を表へ出さなければ。


 ……愛を、謳わなければ。


 ……苦い記憶が、ノアの中を駆け巡る。


「ねぇノアちゃん、このデザインはどうかな?」


 セドリックはそんなノアの胸中なんて知りもせず、嬉しそうにデザイン画を差し出した。


 ……普段は態度にこそ出さないが、ノアだって、ちゃんと分かっている。彼は盲目的になることも多いが、その行動の全ては、ノアの為なのだと。


 自分を街へ連れ出したのも、きっと思い出した父の記憶を忘れさせる為。


 ドレスのデザインに時間をかけるのも、ノアに最高のものをプレゼントする為。


 そしてその行動は、全て彼の愛から成り立つものだ。れっきとした彼の、愛情表現だ。


 その量こそ、普通妹に注がようなものではないかもしれないけれど。


 でも行為自体は、普通の愛情表現だ。


普通の愛を、この男はたっぷりとノアに注ぐ。

ノアはそれが嫌で嫌で仕方無かった。


……だってその愛を認めてしまえば。その愛の形を認めてしまうことは。


他ならぬ、自分自身を否定してしまうことになる。

暴力という自分の愛の形を否定してしまうことになる。……もしも。もしも、それが悪いことだというのなら。本当は正しい愛し方じゃないとするのなら。


—— それじゃあまるで、私は『悪くない』みたいじゃない。



「……っ」


 突如胃の中で暴れ出す不快感。

 頭がぐるぐるして、視界が霞む。


 食道を駆け上ってくるなにかを堪えようと、ノアはギリリと唇を強く噛んだ。


体が、認めることを拒否している。全力で目を逸らせと本能が訴えてくる。


 ── 拒ま、なくちゃ。


これ以上は、耐えられそうに無かった。


「ノア、ちゃ……っ!?」


 パァン、と小気味いい音が、辺りに響く。

差し出されたセドリックの手は、他ならぬノア自身の手で叩き落とされた。


「触らないで」


 突然の事に目を見開く兄に向かって、ノアは至極冷たい口調で言う。


 しかしその声は、誰が聞いても分かるほど、震えていて。……まるで、何かに怯えているようだった。


「気持ち悪い……気持ち悪いのよ、本当……」


 椅子から立ち上がり、ノアは一歩、二歩と華奢な体を震わせながら、ドアの方へ向けて後ずさった。


 そして彼女は、這い上がってきた言葉を、勢いよく吐き出す。


「お願いだから、そんな、そんな得体の知れないモノを……っ私に向けないで!!」


「っ、お嬢様?!」


 アルが主人に手を伸ばした時には、もう遅かった。ノアはくるりと二人に背を向けると、そのまま逃げるように店を飛び出したのだ。


 アルの手が、あてもなく虚空を彷徨う。






「やー……やっぱりちょっと押し過ぎたかなぁ」


 街の人混みへと消えて行くノアの背中を見つめながら、セドリックは小さく呟いた。


「……当たり前でしょう。あれだけされて、キャパオーバーしなかったのが不思議なくらいです」


「そういえば。前は僕が好き、とか……そういう事を言うだけでギャン泣きしてたっけ。いやぁ成長を感じるなぁ」


「そんな呑気な事言ってる場合ですか……」


「……いやぁ、少しはマシになったと思ったんだけど。はは、まだまだあの人の残した呪いは解けないかぁ」


けらけらと、お気楽にセドリックは笑う。


「ほんっと……いつまでもいつまでも。しつこい女だ」


「……呪い、ねぇ」



スッと表情を削ぎ落とし、小さく舌を打ったセドリックに何も言わず、アルもまた、ノアの消えていった方へ目をやる。鈍足のくせに、もうそこに彼女の影はどこにも無かった。


—— 逃げ足だけは早いんだよなぁ……。


そう心の中で苦笑するアルの表情に、焦りの色は無い。……どうやら、お嬢様の癇癪にはもう慣れきっているらしい。


「で? 追わなくていいんですかアレ」


「いやいや、俺が今追いかけたら逆効果でしょうよ」


 へらり、と。眉を下げ、少しだけ困ったように笑って、セドリックは言う。


「……でも、大丈夫だよ。ちゃんと、見てるからね」


 彼の妹と揃いの色をした瞳は、まるでカラスみたいに、鋭い光を帯びていた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ