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5 悪役令嬢は変態兄と再会する

 


 セドリック・オルコットは、ノア・オルコットの実兄である。



 彼がその才覚を現したのは、僅か五歳の時だった。突然、仕事中の父親に向かって、当時父が進めていた事業へのダメ出しをしたのだ。


 さらに、小難しいアドバイスを数個。


 このアドバイスのお陰で、父の事業は大成功し、オルコット家は、一躍貿易業で大きな利益を収めることとなった。そう、この男、平たく言って天才なのである。


 そんな天才の彼は、周囲の人間に大層愛された。人懐っこい性格もあり、元来愛されるタイプでもあった。勿論、両親もまた例外では無い。父親譲りの優しげな赤い瞳と、母親譲りの艶のある黒髪。美しい容姿と優秀な頭脳。貴族の彼らにとって、彼は自慢の息子だった。


 しかし、こんなハイスペックのくせに、何故かラブロイにその名前が登場することは無い。というか、悪役令嬢に兄がいるなんて、その存在すら明記されていなかった。イケメンで天才だが、あくまでも彼はゲーム外の人間なのだ。なんなら彼はもうすでに二年前、学園は卒業しており、次期オルコット家当主として、今は父親の貿易業の補佐をしている。


 そう、本来、彼は父親と同じように今頃海外を飛び回っているはずなのだ。


「なのに……どうしてここに居るんですの、変態シスコンお兄様」


「変態でもシスコンでも無いさ。僕はただ、妹が好きなだけだよ」


 言って、兄はベッドの側に腰掛け、布団の中の妹に向けてニコリと微笑んだ。世間ではそういうのをシスコンというのだが、どうやら優秀な彼の頭脳に常識は備えられていないらしい。


 ギロリ、と嫌悪感を露骨に表すように、ノアはセドリックを睨みつける。しかしセドリックはそんなのもう慣れっこなようで、


「いや、実はノアが王子とのお茶会で倒れた、っていうからさ。ついこの間も倒れたんだろう?流石に心配で、仕事の合間を縫って様子を見に来たんだ」


 とノアの態度を気にするような顔もせず、そう言った。


 ──── 相変わらず、気持ちの悪い人。


 心の中で、ノアは小さく舌打ちを打つ。


「で、体調は大丈夫なのかい?」


「ええ。絶好調ですわ。わざわざ来てくださって、ありがとうございました。もう結構ですので、出て行ってくれて構いませんわよ、さぁ」


「はは、冷たいなぁ。もしかして久しぶりの再会だから、照れているのかな?」


「そんな訳ないでしょう。顔がいい人間を見ると眩暈吐き気胃痛腹痛に襲われるんです、ご存知ですわよね?」


「つまりはツンデレだね?」


「どんな思考回路を経たらそうなるんですの?!」


 本当に謎である。一体彼女の言葉のどこに、そんな要素があったのだろうか。まさか眩暈吐き気胃痛腹痛か。それはポジティブシンキングにもほどがあるだろう。


 しかしそんなポジティブお兄ちゃんは、自分の出した結論に、しっかり納得したようだ。嬉しそうに頬を紅潮させ、バッと腕を広げた


「いいんだよノアちゃん、素直になって!さぁ、お兄様に抱きついておいで!」


「ぎゃあああああっ! 近づかないでくださいまし変態!! ていうかもう抱きついてるじゃありませんの!! アル! このバカどうにかして頂戴!」


「……アル?」


 唐突に、セドリックの肩が跳ねた。

 そしてギ、ギ……とまるで油の切れたロボットのように、ぎこちない動作でアルの方を振り返る。扉の前で待機していたアルは「ヤベッ」と小さく声を漏らした。


 ……勿論、兄の目が、獲物を見つけた獣のようにギラギラと光っているのを見てしまったからだ。


「へぇ、アルフォンス君お久しぶりだねぇ。ところでどうして君がここに居るんだい? ストーカーかな?」


「っあー、お久しぶりです、セドリック様。俺がお嬢様の従者だってことも忘れてしまわれたんですか??」


「従者? おかしいね? 君はとっくにクビになったと思ったんだが」


「記憶違いですよ。きっと働きすぎてお疲れなんですね」


「いやいや、でも君の退職届、手配しておいたはずだよ?」


「この間旦那様の机に置いてあった退職届はアンタの仕業か……!!」


 バチバチ、と二人の間に火花が散る。

 今にもギャンギャン言い合いを始めそうな二人に、ノアは小さく嘆息した。


 ──── 仲の悪さも変わらない、か。


 まぁ、原因はどう考えてもこのバカお兄様なのだが。どうやらセドリックは、小さな頃からずっとノアの一番近い距離にいるアルが気に入らないらしい。良い歳だというのに、本当、兄バカも困ったものである。


「ちょっと、静かにしてくださいません?

 部屋で騒がれては私の繊っ細な体に響きますの。

 ……というか、お兄様、いつになったら出て行くんです?」


「はは、そんな釣れない事言わないでよ〜。久しぶりに会えたんだから、もっと触れ合おう!!肌と肌で!!!」


「ぎゃぁぁぁっ!! 強姦魔!!! あっ、ひぇっ、ちょ、寄らないで……かお、が……」


「んーなぁに、聞こえなーい」


 ジリジリと、セドリックがノアの方に近付いてくる。それに合わせてノアも後ずさるが、しかし逃げ道はベッドボードに阻まれた。


「ノーアちゃん」


「ひぇっ」


 セドリックの口元が、悪戯に歪む。細められたノアとお揃いの瞳は、怪しい光を灯していた。

 くらりと眩暈を覚えるほどの色香に、ノアの顔がリンゴのように赤く染まっていく。


「ふふ、かわいー」


 至近距離でそんな事を言われれば、もう限界だった。


「っ、顔がいいから近づくなって言ってんですわよこの顔面18禁!!!」


「ブォフ!!」


 罵倒と共に、見事な右ストレートがセドリックの顔面に叩き込まれる。しかも捻り付き。

 さながらボクシング選手のような、美しいフォームだった。


「本当どっっこの乙女ゲームですの?! 普通実の妹にあんな事します?! 常識を疑いますわ、このシスコン変態野郎!!!」


「はっはっは、やだなノアちゃん。愛はね、常識なんてものに縛られちゃいけないんだよ?」


「鼻血垂らしてそれっぽいこと言わないで下さい、恥ずかしい!!!」


 もうやってられない、とばかりにノアはプイッと顔を逸らし、アルの方を見遣る。アルは、壁にもたれかかり、部屋の隅で二人のやり取りを遠い目で静観していた。まぁ、なんせいつものことなのだ。このセクハラと暴言のドッチボールのようなやり取りは。アルももう完全に慣れ切っている。


「ちょっと、アル! ぼやぼやしてないで、このバカをさっさとつまみ出して頂戴。このまま相手をしていたら、それこそ日が暮れますわ」


「はいはい、かしこまりました」


 言って、アルはセドリックの細腕を掴む。

 するとセドリックは露骨に慌てたような様子で「ちょ、待って!」とストップをかけた。


「まだ、何かあるんですの?」


 至極嫌そうな顔をしてそう問いかけたノアに、セドリックは苦笑を浮かべ、懐から一枚の封筒を取り出した。


「あー、実はね。ノアちゃんに会いに来たついでに、これを渡すように、お父様から言われたんだ」


「……お父様から?」


 差し出された封筒を、ノアは訝しげな表情を浮かべながらも受け取る。中身は、どうやら夜会への招待状のようだった。


「実はね、ノワール家が今度夜会を開くみたいで。だから、ノアちゃんには……」


「ノワール家のご機嫌とりに行ってこい、と……そういう事でしょう?」


 淡々とセドリックの言葉を遮り、ノアはそう言った。先ほどまでとは質が違う、冷ややかな声だった。落胆、失望、諦観、全部が詰まったような、そんな声だ。


「いや、別に、そういうわけじゃ……」


 ノアの言葉を否定しようと、上手い言い訳を紡ごうとするが、セドリックの口がそれ以上言葉を紡ぐことはなかった。


 ……違う、なんて言う割に、セドリックの目は居心地が悪そうに泳いでいる。自身の首の後ろに置かれた右手は、何か後ろめたいことがある時の彼のクセだ。


 そんな兄を一瞥し、ノアはハァ、と今日何度目かになるか分からない溜息を漏らした。


「そんなに隠そうとしなくても、大人しく出ますわよ。どうせ、拒否権なんてないんですもの」


 そう。彼女に拒否権なんてないのだ。このオルコット家では、主人であるノアの父の命令は絶対。背くことも、歯向かうことも許されない。


 ノワール家とオルコット家は、昔からお互いにいがみ合ってきた。その不仲さは社交界でも有名で、一時はノワール家とオルコット家を同じパーティに出席させてはいけない、という暗黙の掟があった程だ。


 しかし、時代が変われば状況も変わる。


 ノワール家は数年前、事業に成功し、今や国の中でもオルコット家以上の権力を誇っている。いくらオルコット家の貿易業が軌道に乗っているからといって、社交界の中で強い影響力を持っているノワール家に悪評を広められるのは少し不味い。だから、こちらから歩み寄らねばならないのだ。あくまでも友好的なフリをしなければならない。


 ──── で、私はそのお友達ごっこの為の道具……ですか。全く、反吐が出ますわね。


「……そう言ってくれて助かったよ。招待状、手に入れるの大変だったんだ」


 言って、セドリックは少し悲しそうに笑った。

 ノアの内心には、きっと気づいているのだろう。この兄は、聡い。でも、結局。


 ……彼だって、同じなのだ。


「夜会は一ヶ月後の六時からだ。ちゃんと、予定空けておいてね」


「……はい、お兄様」


 冷め切った瞳で、ノアはそう答える。

 ……すると次の瞬間、突然ノアの手がふい、と誰かに持ち上げられた。


「へ? セドリック、お兄様?」


 彼女の手を取ったのは、セドリックだった。

 セドリックは先程の辛気臭い表情が嘘のように、その顔ににっっこりと綺麗な笑みを浮かべていた。


 それはもう、気持ち悪いほどに。

 まるで美しいレディをダンスに誘うように、兄は跪き、手を取って言う。


「よし、デートをしよう!!!」


「……は?」


 ノアの声は、その日一番に冷え切っていた。




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