魔法使いの夜会
午後22時。王国領域の南方に位置する、誰も寄りつかない濃霧地帯。霧は風にたなびくこともなく、まるで白い壁のように存在している。
その前に立つプレイヤーが1人。
黒い瞳に黒い髪。中性的な顔立ちに浮かぶのは、不敵な微笑。闇夜と同化するような黒いローブに身を包んだ魔法使いーーレフトである。
「さあ、行くか」
足元に漂う霧を踏みしめ、レフトはゆっくりと濃霧の中へと踏み出した。
この霧は、視界を塞ぐだけではない。空間そのものが歪められ、いくら歩みを進めても先へは進めず、1歩でも引き返せばすぐに外界へと押し戻されてしまう霧の迷宮。
だが、例外も存在する。
「ウォーロックが弟子の1人、レフト」
合言葉に合わせ、視界が徐々に晴れていく。
その先に浮かび上がってきたのは、月夜に包まれた古びた洋館。壁はひび割れ、蔦が絡みつき、まるで長い時の中で忘れ去られた遺跡のようにも見えた。
その屋敷の上空を飛び交う無数の蝙蝠型モンスター・バットン達が、不気味さを際立たせている。
「おぉ、待っておったぞ。レフト」
洋館の扉が軋みもなく開き、ひょっこりと顔を覗かせたのは、1人の老人だった。
白く長い髭を蓄え、使い古された茶色い毛皮のローブを羽織り、先が丸まった木の杖を携えたその姿は、絵本から抜け出たような【魔法使い】の風貌をしている。
彼の名はウォーロック。
魔法使いのクエストの依頼主であり、今は師匠ということになっている。
「もう皆、揃っておる。ささ、着いてきたまえ」
温厚そうな笑みの裏に底知れぬ何かを感じつつ、無言で従った。
老魔法使いの足取りは年齢を感じさせぬほどしっかりしており、古びた洋館の内部を軽やかに駆け抜け、勝手口を開けて裏庭に出る。
そこには、3人のプレイヤーがいた。
まず目に入ったのは、ニヤニヤと薄笑いを浮かべた狩人のような身なりの男ーーオルバー。おうし座の星具を持っている厄介な存在だ。
少し離れたところには、腕を組んで仁王立ちしている山のような大男ーーライダー。黙って立っているが、それだけでも威圧感がある。
その傍らには、スーツを着こなした整った顔立ちの女ーーゼクレテーア。その眼差しはまるで刃のように鋭く、真っ直ぐにレフトの方に向けられていた。
「我が主を待たせるなど、不敬ですわよ」
その口調には明確な敵意が含まれている。
だが、レフトは肩を竦めるだけで、動じない。
「主役ってのは遅れてくるもんだろ」
「っ! あなたという人は……!」
「よせ、テーア」
怒気を含んだ声で詰め寄ろうとしたゼクレテーアを、横からライダーが制した。
大きな手が静かに彼女の肩に触れる。
「集合時間には間に合ってる」
「申し訳ありません」
ゼクレテーアは悔しそうに唇をかみ締めながら、一歩引いた。
そんな光景を眺めて「本物は止めるのか」とオルバーが笑う。
やり取りが落ち着くのを待って、ウォーロックが口を開いた。
「さて」
空気が一変する。
レフトは姿勢を正し、他の3人も自然と表情を引き締めて、正面へと向き直った。
4人の視線を受け、ウォーロックは柔らかな笑みを浮かべる。
「最終試練を始めてもよいかな?」
「いつでもいいが……10人でサバイバルって話じゃなかったか?」
「どうせ、NPCで数合わせされるだけだろ」
レフトの疑問には、オルバーが皮肉混じりに答えた。
その答え合わせをするように、ウォーロックの背後ーー霧の中に人影が浮かび上がる。
姿を見せたのは5人のNPC――否、この場に相応しい呼び方をするならば【ウォーロックの弟子】達だ。
そして、その中央に立つ人物をレフトは知っている。
「……ユーサイズ・ド・アールセン」
純白のローブをまとい、血に濡れた大鎌を持った人物は、かつて洋館のクエストのボスとして立ちはだかったユーサイズに違いない。
「ボクのことを知ってるとは流石だね」
だが、無表情で淡々と魔法を放っていたあの時とは違い、口元に浮かべた微笑には、明らかな自我と意志の強さが感じられる。
「でも、一応名乗らせてもらおうかな」
ユーサイズは大鎌を片手で軽々持ち上げ、肩に担いだ。
「ボクはウォーロック様の最強の弟子。
【星月夜の魔法使い】ユーサイズ・ド・アールセン。
キミ達如きに負けはしないよ」
月光を受けて揺れる銀髪が、星のようにきらめいた。
その後ろで残りの4人、魔法使いABCDが思い思いにポーズを取る。と、同時に背後で小さな爆発が起こった。
小声で「かっけー」とオルバーが零す。
「なら、俺達も名乗らないとな」
レフトが一歩前に出て、星具・処女神杖を掲げた。
「不要でしょう」
ゼクレテーアの言葉を軽く受け流し、レフトは堂々と宣言する。
「俺は【黒の魔法使い】レフト。最強の座は俺がもらってやるよ」
「【イロモノ魔法使い】オルバー。最強の座には興味がないけどな」
ノリノリでポーズを取る2人。だが、ライダーとゼクレテーアは続かず、爆発も起きなかった。
「ボクに勝てるとでも? なまいきだね」
ユーサイズが目を細めて、すっと大鎌を構える。
レフトは涼しい顔のまま、杖を向け返した。
「1度勝ってるしな。負ける理由がない」
白と黒。対極の衣装を纏った二人の視線がぶつかり合い、静かに火花を散らす。
張り詰めた空気を断つように、ライダーが手を挙げた。
「ウォーロック殿。これでも1人足りないのだがーー」
その言葉に、レフトは周囲を見渡した。
プレイヤーが4人に、NPCが5人。合わせて、9人。
確かに、ひとり足りない。
「いや、しかと揃っておるぞ」
ウォーロックは愉快そうに笑いながら、長い髭を指で撫でた。
「最後はワシじゃ」
その一言に、皆が固まる。
「すでに、試練は始まっておるぞ?」
ウォーロックがそう呟いた次の瞬間、彼の姿が霧のように掻き消えた。
「なっ……!」
声を上げたのは魔法使いA。
「ムーンブレイク」
一瞬で移動したウォーロックは、老いを感じさせぬ鋭い正拳突きでAを倒し、
「ファイア」
突き出した拳から火球を放ってBも倒す。
「飛べ、火球。ファイアボール!」
2人が倒される間に詠唱を終わらせたCが、背後から火球を放った。
「リフレクト」
ウォーロックの背に光の盾が展開。盾に直撃した火球は、進行方向を180度転換し、術者へと襲いかかる。
そして、消えた瞬間に放り投げたであろう杖が勢いよく落下してきて、Dを貫いた。
「……嘘だろ」
魔法使いABCD。それぞれが試練を乗り越えた強者である彼らすら、ウォーロックの前には手も足も出なかった。
ウォーロックは悠然と杖を回収し、いつものように髭を撫でる。
「最終試練じゃからの。甘くはないぞ?」
このままでは、順番に狩られていくだけだ。
レフトは静かに息を吐き。目線だけで周囲を確認する。
「まずは、ウォーロックに勝つために協力が必要だと思うが……異論ある奴はいるか?」
全員が小さく頷いた。
「師匠は詠唱なしで魔法を使えるよ」
ユーサイズがレフトの隣に立ち、大鎌を構える。
「その程度、見ていればわかりますわ。我が主と同じ力を使うなど、不敬ですわ」
ゼクレテーアがレフトの反対側に立ち、槍を構えた。
「……あっそう。ちなみに、ムーンブレイクは魔法攻撃力で殴る技だよ」
「それも、名前から予想がつくな」
おそらく、月の杖や偃月刀の特殊能力、そのスキル技版だろう。
「キミ達、なまいき。でも、それくらいの方が頼もしいね」
ユーサイズが頬を膨らませるように呟いたが、その声は僅かに震えていた。5人がかりでも勝てる保証はない。
「よし、行くぞ!」
3人は同時に地面を蹴った。
「「飛べ、火球――ファイアボール」」
レフトとゼクレテーアが同時に詠唱し、武器に魔法を付与する。杖と槍の先端が赤く輝いた。
「麻痺矢――パラライズアロー」
オルバーは弓を引き絞り、黄色く輝く矢を放つ。ダメージよりも、相手を麻痺させる為の一撃だ。
「フォトンレーザー」
ライダーは拳を構え、光線を放った。文字通り光の速さの一撃がウォーロックに迫る。
「グラビティ」
その全てを、ウォーロックはたった一つの魔法で捻じ伏せた。
まるで不可視の巨大な手で押さえつけるように。
人も、矢も、光線さえも、地面へと叩きつけられ、消滅する。
そんな中。杖を掲げたレフトだけが生き残っていた。
「ほう。この力に耐えたか」
髭を撫でながら、ウォーロックは愉快そうに目を細める。
「強すぎるだろ……」
レフトも、杖を満月モードーー魔法反射ーーに切り替えるのが間に合わなければ、他のメンバーと同じようにやられていた。
「一度は力を見せておかねばと思ってな……とはいえ、この一撃を凌ぐとは思わなんだ」
ウォーロックの口元に、満足げな笑みが浮かぶ。
「試練は合格だ。レフト」
「……まだ、決着はついてないだろ」
レフトは杖を下ろすことなく、再び構えた。
だが、ウォーロックは首を横に振る。
「その意気やよし。だが、今日の夜会はここでお開きじゃ」
そう言って、ウォーロックは袖から小さな木箱を取り出した。
木製の蓋を外すと、中に納められていたのは、金細工の施された腕輪だった。中央には、青緑色の宝石が嵌め込まれている。
不思議な輝きは、レフトの目を捉えて離さなかった
「これが……魔法使いの証、なのか?」
「お主にとっては、な」
「俺にとって?」
「ワシは1人前と認めた弟子には、必ずアイテムを授けることにしておる。それをヤツらが勝手に【魔法使いの証】と呼んでおるだけよ」
ウォーロックは腕輪をレフトに向けて差し出した。
「これは、【魔法攻撃力】と【魔法防御力】を上昇させる効果を持つ、コレクションの中でも貴重な代物だ」
レフトは腕輪を受け取り、手首に嵌める。
【装飾品装備が魔法の腕輪に変更されました】
「それだけ、じゃないんだろ?」
レフトが問うと、老魔法使いはにやりと笑った。
「ウィンド」
ウォーロックが指先から小さな風刃を放つ。その刃は一直線に腕輪の宝石へ触れると、吸い込まれるように消えた。
次の瞬間。宝石の色が、青緑から赤へと、鮮やかに変化した。
「これが、腕輪に魔法を【ストック】した状態だ。封じた魔法は、いつでも、何度でも使うことが出来るようになるぞ」
「……本来なら使えない魔法でも、か?」
「うむ。すごいじゃろ?」
まるで孫に自慢する祖父のようなウォーロック。
「同時に何個もストックできるのか?」
「ひとつだけだ」
「なら、他の魔法にはもう使えないのか」
「いんや」
首を振りながら挙げた手には、同じ腕輪がついていた。貴重とは言っていたが、オンリーワンの品ではないらしい。
「腕輪を振りながら【リセット】と唱えれば、元の状態に戻せるぞい」
「ーーリセット」
その言葉を呟きながら、レフトは軽く腕を振った。
宝石の色が青緑へと戻る。
「……面白い」
レフトの顔にニヤリと笑みが浮かんだ。
「うむ。存分に使いこなしてみせるがよい」




