ギシンの森 終幕
「なあ、レフト」
「なんだライト」
「あれは、なんだ」
ジャスティスを倒したのもつかの間。いつの間にか現れていた扉を塞ぐように、鈍色の光を放つ丸い球体が出現した。それは、空中に停止したまま、微動だにしない。
「シーボーギウムだな。ほら、そうだ」
レフトの回答に僅かに遅れて、球体の上に【シーボーギウム】という固有名が表示された。
7文字だからプレイヤーではないとして、モンスターだろうと、NPCだろうとあるはずカーソルがないのはどういうことだ。
「名前以外の情報は?」
「ベータの時は、【死亡】って呼ばれてたよ」
「死亡?」
「そ。何せあいつは【システムガーディアン】。ルールを破ったやつを殺しにくる最強のNPCだ」
シャキッと、球体から6本の腕が飛び出した。
1本は素手で、残りの5本には杖、斧、槍、弓、剣がそれぞれ握られている。深く考えるまでもなく、ギシンの森に挑んでいる6人の武器だ。
「敵なのか?」
「敵だな」
その割には、チートは発動していない。
「ただ、勝ち目はゼロだ」
レフトにしては珍しい弱気発言だな。どんな状況でも勝利をもぎ取るのが、お前だろうに。
「チート封じに、全能力カンスト、全属性の強耐性で、攻撃は全属性乗せの耐久無視だ」
「あー……」
確かに、勝ち目はなさそうだ。
「ベータ時代に呼び出しては挑む馬鹿がいたが、1度も勝てなかったなぁ……あ、俺じゃないぞ?」
「つまり、逃げるしかないと?」
勝てないことは充分わかった。
今よりも強いはずのレフトが挑んでも無理だったんだから、今の俺達に勝てるはずもない。
「素早さがカンストしてるやつから、逃げられるならな」
あ、無理ですね。
「ほら、来るぞ」
レフトがそう言った瞬間にはもう、眼前にシーボーギウムが目の前にいた。最高速度になるまでの加速が一瞬、攻撃に移る前に立ち止まることもなく、振り下ろしに至るまでがひと動作だ。
6本の腕がレフトへ襲いかかり、そのHPを全損させた。
「無理だろ、これ」
攻めても抵抗に斧を向ける。
だが、シーボーギウムは俺が目に入っていないかのように僅かに移動すると、6本の腕を引っ込めて、球体へと戻った。
そのまま小さくなっていくと、消滅する。
本物であるジャスティスを倒したレフトが目標であり、トドメを刺さなかった俺は関係ないらしい。
向こうから襲ってきたようだし、正当防衛のような気もするが、システム相手にそんなことを言っても仕方ない。
システムは融通も応用も利かないので、情状酌量の余地はないのだ。
静寂を取り戻した大広間には、俺と扉だけが残されていた。
扉に触れると、カチリと音がして、視界が切り替わる。
巨大な蟻がいた。
荒々しくも玉座のように削り取られた岩山に、真っ白な蟻が寝そべるように座っている。大きく膨らんだ下腹部を4本の脚で撫でる姿はまるで妊婦のよう。
いや、その足元を多くの蟻人間が忙しなく動いているから、蟻の女王だろうか。
「あれは【鬼蟻母神】。今のあなたが戦うべき相手ではありませんよ」
そう声をかけてきたのは、銀色の蟻人間。だが、道中で見てきた蟻が人間のようになっていたモンスター達と違い、人間が蟻のパーツを纏ったような造形だ。
その頭上にはカーソルが浮かんでいない。
シーボーギウムと同じような存在なのだろうか。
だが、チートは発動している。
「戦うつもりはないので、武器を下ろしていただけますか?」
どこかスタイリッシュさを感じさせる蟻人間は、にっこりと笑う。声からすると女か。
聞き覚えはあるが、NPCの声など気にしていてはキリがない。
「私は【蟻神】のアルジェンタム。このギシンの森の企画者です」
だが、その自己紹介は気にせずにはいられなかった。
「……NPCじゃないのか?」
「あなたと同じ人間ですよ」
ドレスの裾を持ち上げるような仕草で、丁寧にお辞儀をするアルジェンタム。そこにドレスはないし、優雅な立ち振る舞いだけで人間である根拠にはならないだろう。
「普段はガイドの仕事をしていますが、記念すべき最初のクリア者であるあなたとお話をするため、こちらに参りました」
「ガイド、ねぇ……」
小さな違和感も、積もり積もれば疑念に変わる。
ある意味、ギシンの森の最後に相応しい試練だ。
「この森の試練はどうでした?」
「面白くなかったーーわけじゃないけど、あまり気分がいいものじゃないな」
「ふふ、率直な感想をありがとうございます。企画の時にも言われましたけどね。……小領域からも外されましたし」
アルジェンタムは小声で呟いた後、仕切り直すようにこほんと咳払いをした。
「改めて、クリアの報酬の【アンゴット】です」
そう言ってアルジェンタムが差し出してきたのは、銀の延べ棒。その表面には蟻のイラストと謎の文字が書かれていた。
「それがあれば、ウォーロックの試練はクリア。ついでに【蟻神】への転生資格を得ることが出来ますよ」
渡された延べ棒は1つだけ。
「他のみんなは生きてるのか?」
「気になりますか?」
アルジェンタムはにっこりと笑う。知らないとは言わないんだな。
「教えてくれ」
「……ライダーとオルバーが最終試練に挑戦中ですね。もうすぐクリアして、ここに来ることでしょう」
ゼクレテーアはどこかで負けたのか。1人だけということはレフトとジャスティスとは違う。最初の試練か、偽物に負けたのか。
いや、考えても仕方ない。
「もうすぐ来るなら、これは揃ってからでも良かったんじゃないか?」
「もちろん、2人にも渡しますよ」
クリア自体は誰か1人でいいが、転生資格は辿り着いたプレイヤーだけがもらえるということか。
┏━━ 魔法使いの証 クエスト4━━┓
┃ ┃
┃ 【アイテム】を使用することなく ┃
┃ 様々な【試練】を乗り越えて、 ┃
┃ 【ギシンの森】の深奥に住まう ┃
┃ 【蟻神】のもとへと辿り着け! ┃
┃ ┃
┃ 尚、このクエストでは、個人の生 ┃
┃ き残り状況に関わらず、討伐成功 ┃
┃ で、パーティ全員がクリアとなる ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
最初から辿り着くこと自体が目的だったな。
ボス戦がないのなら、レフトが生き残るべきだったか。
「ーーそんなことはないと思いますよ?」
心を読んだかのように、アルジェンタムはにこりと笑う。敵意のない笑みなのだが、どこか不気味さを感じる笑みだ。
「あなたの事は前から見ていましたから、考えそうなことはわかりますよ」
「前、だと?」
「えぇ、あなたがゲームを始めたその日から」
そんなことは、ありえない。
それと同時に彼女が運営側の人間だと言うなら、出来ないこともないのじゃないかと感じてしまう。だとしても、そんなことをする意味はなんだ?
まさか、リアルでの知り合いなのか?
「冗談ですよ」
アルジェンタムが笑う。さっきと全く同じ笑みを浮かべて。
「そんな本気で受け止めないでください。あなたの考えは、直前の戦いを見ていれば誰でも予想がつきますよ」
ーー絶対クリアしろよ、ライト。
レフトの最後の言葉が脳裏をよぎる。
あのやり取りを見られていたのか。
「でも、あなたに注目しているのは本当ですよ」
「あなたは選ばれしプレイヤーの1人なのですから」
「選ばれしプレイヤー? 何の話だ?」
アルジェンタムは静かに目を伏せる。
「それは教えられません。勘の鋭い方は気がついているかもしれませんが、私たちからは伝えられないのです」
教えられないが、プレイヤー自身が気がつけること。
「それはチートが関係しーー」
「どうやら、あちらの2人もクリアしたようですね」
アルジェンタムは被せるように言って、歩き出した。
ヒントも与えてくれるつもりはないらしい。
「選ばれしプレイヤー、ね」
不穏な情報が残されつつも、ギシンの森の攻略は完了した。
皆さん、お久しぶりの銀です。
蟻神アルジェンタ。ミステリアスでカッコよかったですね。もっと活躍の機会を与えて欲しいものです。働き蟻達を連れて侵攻するようなクエストでも作成しましょうか。
……こほん。
はい。これにて、第2章【チート解放編】閉幕。
次回より、第3章【U18トーナメント編】開幕です。
トーナメントでは、プレイヤー同士のチートを活かした激闘が繰り広げられることでしょう。
それでは、新たな局面を迎える物語を、心行くまで存分にご堪能ください。




