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25歳のアリス

 落ちた。

 何が落ちたって? 私が、です。

 穴に真っ逆さま、そりゃあ驚くほど素敵な勢いで。

「ああ。私は一体どこまで落ちちゃうんだろう」

 って不思議の国のアリスじゃん!

 こりゃあ、完璧な夢だ。うん。

 あまりに長い滞空時間。滞空時間、といって間違いないだろう。落ち始めてからかれこれ5分は過ぎているんだ。

 おかげで腕組みして考える余裕まである。

 いやいや、この現状もおかしい。

 人間は頭の方が重いのだから、落ちる時は頭からだ。きっと。なのに、足から落ちてるよ。

 もうこの時点で夢なのは決定的だ。

 夢の始まりはどこだっけ?

 首をひねって考える。



 3。そう、3ってのは恐ろしい。

 彼氏と別れるのは決まって、3、もしくは3の倍数。3ヶ月、半年、1年半、3年。

 そして、仕事と別れたくなったのは、そう3年目の今。

 毎日同じことの繰り返し。毎日伝票めくって、数字とのにらめっこ。

 いい加減、疲れてたところで、彼氏との別れ。

 つまらねぇ。人生ってのはこうもつまらなく流れていくものなのか。

 社会に出て3年目の春。私はそんなことばかりを考えていた。

 空虚だった。一日一日が無駄に流れていくだけの生活。やる気も起きない日々。

 外見だけは着飾って、大人のふりして地下鉄乗って、できる女を装っていても、家じゃ寝タバコしながら、ジャージできったない部屋でごろ寝。


 そうだ。

 それで、いつものごとく飲んだくれて、ふらふらしながら歩いてたら、穴に落ちた。

 マンホールの蓋が開いてたのか。

 それにしても、地面に落ちないじゃないか。

 こんな長いこと落ちてたら、死ぬのは間違いなしだ。

 ああ、でも生きてても別に楽しいことなんてないし。最後痛くなきゃ、これはこれでいいか。



 そんなことを考えていたら、ドスンと尻餅をついた。

 ちょっとお尻は痛かったけど、あんなに落ちまくった割には……痛くない。

 つーか、死んでてもおかしくないのに。

 はあ、ばからしい。

 こんなばかな夢を見るなんて。

 子どものころに読んだ不思議の国のアリスの話を思い出す。確かアリスはこんな風に穴に落ちた。

 落ちた後はなんだっけ? ウサギがいたり、猫がいたり、おっきくなったりちっさくなったり、お茶飲んだり、トランプ兵がいたり、死刑宣告されたり。

 そんなかんじだったっけ。


「おろ、おかしいの? 年増が落ちてきたわい」

 どっかからのん気なじいさんの声が聞こえてきた。

「っておい。今、年増とか言わなかった? まだ25歳なんですけど」

「充分年増じゃわい。さて、どうしたもんかのう」

 私はどうやら、藁が敷き詰められたところに落ちてきたようだ。

 私のすぐ横に、とってもちびなじいさん。

 1メートルも無い身長、真っ白なひげと小太りの体型は、サンタクロースのミニ版ってかんじだ。

 茶色のベストとカーキ色のパンツの小人じいさんは、薄くて白い眉を上下に動かしながら、私をジロジロと値踏みしている。


「ここ、なに?」

「ここ? 夢工房じゃ」

 私の夢はなんというか、破綻している。

 夢工房ね。あははは、なんじゃそりゃ。

「わしが頑張って掘った穴はなあ、夢溢れる子供達が降りてくるはずなんじゃが……夢も希望も無い年増が落ちてくるとわの。おかしいのお」

「夢も希望も無いって、じいさん、失礼にも程があるっつーの。夢も希望も溢れてるわよ!

よく見て!」

 じいさんはまた値踏みするように私を見る。

 が、すぐに大きなため息をついた。

「どっからどうみても、生活に疲れた夢も希望も無い年増じゃ」

「あんた、全国の25歳以上の乙女を敵にしたいわけ? 私にだって夢も希望もあるわ」

「例えば?」

「大金持ちと結婚して、セレブでハイソな生活をする」

 じいさんはあからさまにでっかいため息をついた。

「そりゃ、夢でも希望でもない。ただの欲じゃ、欲望! わしが必要なのはあんたみたいに年増でも、少年の心を持った夢と希望に溢れた人間なんじゃ!」

「少年〜? 私、女ですから。少年の心なんて持ちようがありません」

「少年法では、少年は少女もさすんじゃよ。知らんのかい」

「あんた、日本人か?! なんでそんなこと知ってんだよ!」

「ファンタジーはなんでもありじゃ。ああ、困った。困った」


 なんなんだ? この小太りコブタじじいは。

 夢の中の登場人物くらい、もっと素敵な人選をさせてほしい。

 例えば、大金持ちのセレブでハイソな王子様とか。大金持ちのセレブでハイソなお医者様とか。大金持ちのセレブでハイソな弁護士とか。

「ああ、困った。困った」 

 人生がうまくいかない人間は夢の中までうまくいかないものなのか。

 いらいらするので、タバコを取り出し、火をつけた。

「困った。困ったのう」

 藁の上は意外に気持ちよくて、ごろごろするにはぴったりだ。

「あのなあ、年増姉ちゃん」

「ああ?」

「困った困った言ってんだから、そこは聞いてほしいところなんじゃが。何をそんなに困ってるの? とか」

 そういえば、ずっと何か言ってると思ったんだ。

 ついシカトしてしまった。

「何か、困ってんですかー」

 棒読みも棒読みで聞いたのに、じいさんはうれしそうだ。

「わしの仕事はの、この夢風船を膨らませて、子供達の夢を膨らませることなんじゃ。ところが最近、夢の無い子どもが多くての。夢風船が膨らまん。だから夢溢れる子どもの力を借りて、夢風船を膨らまそうと思ったんじゃが」

 じいさんは、「なんでおめえみてぇなアバズレが落ちてきたんかのぉ」と言いたげな顔で私を睨んでいる。

 ふざけんなじじい。あんたのせいで私は意味も無くこんなところに来ちまったんだよ。

「はいはい、すいませんねー。年増ですしねー。疲れたんで寝ていいですかー」

 いいでーす。自分で返事して、寝転がる。

 夢の中でまた寝るなんて、なかなかシュール。

「年増ねーちゃん、謝るから、起きてくれえ」

「年増って誰? 私、まだ若いし」

「そこのべっぴんさん、起きてくれえ」

「なあに?」

「現金じゃのお」

 くそ、じじいにはめられた。

「あんたでもええから、手伝ってくれないかい? このままでは地球は滅んでしまうんじゃ」

「なにそのドラ○ンボール的展開? 夢が無いくらいで地球は滅びないから。私疲れてんだよ。ちょっと寝かしてよ。あ、起こさないでね。死ぬほど寝たいから。もう24時間ぶっ通しで寝たいから」

「べっぴんさん」

「なあに?」

 あ、はめられた。



 じいさんの「夢工房」。

 レンガで造られてこじんまりとしたその部屋にはたくさんの、ええと、うん、言わずもがな、いやいや風船が落ちていた。

 夢風船とか言うから、何があるのかと思えば、まんま風船かよ。

 バカらしい。

 白いシャツの襟を立て直し、普段通りの『出来る女風』ファッションを整える。

 膝丈のスリット入りのスカート、ピンヒールの靴。ブランドもんのバッグ。

 どれを取っても完璧なファッションの女が、薄汚い風船だらけの得体の知れない場所に立たされている。

 なんじゃこりゃ。

「で、なにすんのさ」

「膨らますんじゃ」

「は?」

 じいさんは得意げに、風船を口にくわえ、フウウーと息を送り込む。

 だが、風船はピュロピュロいうだけで膨らむ気配すらない。

 それでもじいさんは顔を真っ赤にして、風船を膨らまそうとしている。

 その姿が滑稽で、私は思わず吹きだした。

「笑うところじゃなわい! 地球の危機を感じるところじゃ!」

 いや、それは無理だろ。どっからどうみても笑いを取ろうとしてるとしか思えない。

「お前らが、夢を持たんから、わしの肺活量が落ちて風船が膨らまんのじゃ!」

 それ、ただ単に歳だからじゃないの? と言ってやりたかったが、じいさん半泣きだし。少し哀れになってきた。

「って言ってもねえ、世の中不景気で夢なんてなかなか持てないわよ。私くらいの歳になりゃあ、夢なんて見てたら生きてけないって悟るしさあ」

 そう、夢なんて。

 生活するには金がいる。働かなければならない。

 夢は捨てざるを得ない。

 それでも夢を追う人を、かっこいいと思っていた時もあった。

 けれど、それはいつしか『現実を見ないバカ』になっていく。

 叶わない夢を追いかけ続けるのは滑稽。だが、夢を忘れて生きるのは、空虚だ。

「わかっとらん! わかっとらんぞ!」

 じいさんの顔はまだまっかっか。

 私をにらみつけ、ただでさえどでかい声をさらにでかくして、怒鳴る。

「バランスが肝心なんじゃ! 世の中、なんでもそうじゃぞ! ば・ら・ん・す!」

 消費者金融のCMみたいになってますよ、じいさん。

「夢を持ちすぎれば、勢いが強すぎて風船は爆発する。だが、夢を持たんと、膨らまん。大切なのは、きちんと現実を見て、夢を見ることじゃ!」

 難しいことを言う。

 現実は荒波だ。乗り越えてゆくことさえ困難なのに、夢なんて重荷は背負えない。

 もう一度、タバコに火をつけると、じいさんは煙を嫌がって、手を振るう。

「ごめん。タバコ、嫌い?」

「嫌いじゃ! 体に悪い!」

 この頑固じじいが、ちょっとかわいく思えてきた。

 そうか、夢かあ。

 携帯灰皿にタバコをなすりつけ、夢工房の窓に目を移した。

 眼前に広がるのは、ススキ野原。

 風が吹くと、いっせいに波打つ姿が、とてもきれいだ。

 夕暮れのオレンジ色の光が、地平線の向こうにある木の黒いシルエットを浮き彫りにしている。

 こういう風景、好きだ。

 日々の雑踏の中に埋もれてゆく自然の姿。

 最近はすっかり忘れていた。

 私、こういうのが、すごく好き。


「お、膨らんだぞ!」

 後ろでじいさんが甲高い声をあげた。

 風船を口にくわえて、頬を膨らませている姿は、ハムスターみたいだ。

 少しだけだが、風船は膨らんだのに、じいさんがしゃべったせいでしぼんでしまった。

「うう、しぼんだ……」

 このじいさん、バカだ。

 いや、しかし、間抜けな姿ってのは、どうにも愛らしい。

 ……じいさんでも。

「姉ちゃん、夢を語ってみろよ。昔の夢でもいいから」

「ええ?」

 夢。昔は色々あった。ケーキ屋さん、看護婦さん。パン屋さん。動物のお医者さんに、考古学者に憧れた時もあった。

 いつそれをあきらめたのだろう?

 叶わないと思い込んだのは、いつだろう?

「そうだねえ……今からでも叶う夢があるとすれば」

 うん。

 あきらめてない夢もあったよ。

 バカみたいだけどさ。

 女の子の永遠の憧れ。

 邪念は捨てるよ。

 もったいないけどね。大金持ちとセレブとハイソ。あと、王子様と医者と弁護士。邪念は夢では無く、欲なのだそうで。あきらめます。

「幸せなお嫁さんになることかな」

 じいさんの風船がプウウと勢いよく膨らんだ。

 じいさんは手をばたつかせて、大喜び。

 しぼまない内に手早く口の部分を結ぶと、私にそれを手渡してきた。

「しょぼい夢ではあったが、うむ。なかなかいい夢じゃった」

「しょぼいとか言うな」

「これで、帰るといい。夢と一緒に」

 え? どういうこと? 押し付けられた風船の口の部分をつかんだ瞬間、風船はふわふわと宙に浮き出した。

「わ、うわ」

 くまのぷ○さんみたいに、風船で空を飛んでいるじゃないか。

「いいか? 大切なのはバランスじゃ〜! 借りすぎには注意じゃ〜!」

「じーさんそれ、消費者金融だからぁ!」






「ちょっと、お姉さん」

「うう?」

「こんなところで寝転がってると、誘拐されちゃうよ」

 え? 慌てて起き上がると、そこは路地裏だった。

 近くの店の店員っぽい兄ちゃんは、私が起きるのを確認すると、すたすたとどこかへ行ってしまった。

 夢。そりゃあそうだ。あんな荒唐無稽なことが現実にあるわけない。

 それに私は夢の中で、ずっとこれは夢だと思っていたし。

 不思議の国のアリス。あの話も夢オチだったな。

 なんだか、少し気分も晴れた気がする。

 明日は休みだし。

 家に帰って、よく寝たら。

 うん、男を探しに行こう。

 幸せなお嫁さん、ねえ。

 まずは、幸せにしてくれそうな男を見つけなきゃね。

 どんなことでも夢は夢だ。


 その前に、風船でも買おうかな。

 膨らむかどうか、試してみるのも悪くない。




06/10/11投稿作品。


実は続編も考えている作品です。

いつになるかわかりませんが、このハスッパな主人公とあほなじいさんにまたどこかで出会えるかもしれません(笑)


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