張り込みと旧友
翌朝から、佐久間と山川は大島可奈子の身辺調査を開始した。
「昨夜は捜査といっても、少しばかり飲み過ぎました。完全に二日酔いです」
山川は、栄養ドリンクを飲みながら大島可奈子が住むアパートを眺めた。
「山さんのおかげで、色々と情報収集ができたよ。それにしても、この歳の張り込みは厳しくなってきたね。このところ、少し張り込みはなかったから初心に帰るには頃合いだね」
佐久間は、張り込み用に用意しておいた牛乳とパンを食しながら、山川同様にアパートを眺めた。
「どんな情報を掴めたのですか?」
「スナック杏奈の店員アケミから、聴いたんだが、大島可奈子は誰かと薬物について相談しているのは事実だ。イチイや水銀、アケミはイチゴや水金と聞き間違いしていたが、会話内容にこと足りると思うよ」
山川は二日酔いの頭を氷を入れた袋で辛そうに冷やしながら、尋ねた。
「そうですか?そんな話が。イテテっ」
「もっと面白い話を聞けたよ」
佐久間はパンを山川に差し出し、山川は片手で結構ですのサインをする。
「面白い話ですか?」
「ああ。大島可奈子は、まだ誰かを嵌めようと企んでいるようだ。アケミの話では単語だが、クロロやコリン、コハクを誰かとの話で聞こえたらしい」
「あまり聞かないカタカナですな」
「あれから、氏原に尋ねたんだ。えーと、難しいからメモを・・・」
佐久間は背広の内ポケットからメモを取り出した。
「クロロはクロロ酢酸といって、ラクトニトリル、別名アセトアルデビドシアンヒドリンと同じく皮膚に付着するだけで死亡する猛毒らしい。コリンとコハクはサクシニルコリン、別名塩化スキサメトニウムのことで、注射すれば即死に繋がる筋弛緩剤らしい。体内でコリンとコハク酸という普通の物資に分解されてまず検出は不可能らしい」
「ーーーーーー!」
「大島可奈子にそんな薬の知識が?」
「ないだろうね。大島可奈子は、ただ裏で操られているに違いない。逆に大島可奈子にそれだけ薬に知識があるなら、クロロ酢酸は使わないだろう。検出されたらアウトだからね」
「何としても、次の犠牲者が出る前に大島可奈子を止めないと、いけません」
「そう。大島可奈子を、調べていけば必ずボロを出す。その時が勝負だ」
この日、大島可奈子は中々出てこない。張り込みを開始して、八時間後の十五時過ぎにやっと姿を見せた。
大島可奈子は、ラフな格好で化粧もさほどしていない。サングラスをかけ街中へと歩いていった。
とにかく尾行しながら、大島可奈子の日常サイクルと会う人間を洗おう。
この日、大島可奈子はスーパーに買い出しに行き、十七時まで喫茶店で読書をしていた。十八時前に自宅に戻り出勤用の赤いドレスに身を包み、タクシーでスナック杏奈に向かった。
「明日からは私と山さんで、一日毎の交代で見張ることにしよう」
佐久間は捜査本部に連絡を入れて、捜査状況を確認し、特に目ぼしい事実が今日も出ないことを確認した。
「山さん、今日は上がろう。私は氏原に会いに行くことにするよ」
〜 科捜研 〜
「氏原リーダー、お先に失礼します」
「・・・ああ。お疲れ」
「氏原リーダー、飲みませんか?」
びっくりして氏原は後ろを振り向いた。よほど、びっくりしたのか書類が勢いよく床に落ちてしまった。
「すまん、驚かせた。氷下魚持ってきた。飲もうぜ?」
「おお、びっくりした。佐久間か?ああ、捜査はいいのか?」
「捜査は今日はやめたよ。本ボシはまだわからないし、ホシは仕事中だよ。店に行くには金がかかり過ぎるからね」
「最近のスナックはボッタくるからな。ここで飲む酒も格別だぞ」
二人で、氷下魚を肴に飲むこと二時間。
「なあ、氏原。仕事の話はしない主義だが・・・」
「・・・大島可奈子か?」
「ああ。どう思う?」
「大島可奈子が本ボシか知らんが、我々と同じように薬に強いな。間違いなく薬学部出か医局、薬局の経験があるか、現在勤務している者だろうな。しかし、もし農薬やその他の手口が出てきたら、仮説は崩れるよ。毒物学専攻者、あるいは学者、あとは単なる独学で知識を蓄えた殺人鬼だ」
「科捜研にも匹敵するほどか?」
「・・・匹敵するよ。我々も日々進化するように、敵も力を付けているな。ネットでは裏毒物学や完全犯罪なんてザラに載ってやがる。模倣犯はすぐに出てくるし、我々が見つけられない盲点や痛いことまで載ってるしな」
「・・そんなに詳しく載ってるのか?」
「ああ。酷いもんだよ。薬名と効果、検出の有無までな。素人でも周到に準備すれば、誰でも完全犯罪成立さ。いかに証拠を集めるかに力と時間を奪われて、研究員のスキルが思った程アップしないよ。悩ましいことだ」
佐久間は思わず溜息をついた。
「なあ、氏原。俺たち正義に憧れてこの世界に入ったよな。現実は想像以上な過酷で人間が心の底から嫌いになることもあるし、犯人に感情移入してしまうことも正直あるさ。部下には口が裂けても言えんがね。お前には
聴いてもらおうと思ってね」
氏原は無言で、佐久間に酒を注いだ。
「・・・分かるさ。俺も同じだ。昔から変わらないのは、二人の関係だけかもしれんな」
二人は、もう一度、盃を交わした。