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京都 南禅寺1

 南禅寺の話をしよう。と言っても、僕は南禅寺に二度ほど訪れただけである。特に好きなお寺かというと、それほどでもない。

 一度目は一人旅の時に、二度目はおばあちゃんとの旅行中のことで、紅葉が綺麗だった。



 一度目は、とにかく、南禅寺は見てこようと思っていた。しかし、何度も書いているように、一度目の旅行の時、僕は完全な真言宗マニアだった。

 僕は、初日に三十三間堂の千手観音像を拝んで、サイズは中尊の千手観音座像、数は千体の千手観音像に衝撃を受けていた。関東では、仏像は小さいものが普通であるから、三メートル規模の丈六仏は衝撃的だったのだ。

 この天台宗のお寺を、真言宗のお寺と思い込んでいた為に、なおさら、真言宗に対する憧れは強まっていた。

 そんな時に、南禅寺に訪れた。さて、禅宗では仏像を重要視しない傾向がある。

 より内面的なものが重要視される。

 仏像も大きなものはないし、密教的なマジカルな雰囲気は皆無と言って良い。訳が分からない気持ちになりながら、

 ただ、禅寺の庭園が見られたは嬉しかったし、巨大な山門には衝撃を受けたのだった。



 二度目の時は、おばあちゃんと一緒にだった。おばあちゃんは山門の石段で少し休んでいた。僕もおばあちゃんも、永観堂の真っ赤な紅葉があまりにも鮮烈だったので、少し神経がまいったのだろう。南禅寺の紅葉は、永観堂のものよりも色が落ち着いていた。

 そこで、しばらくゆっくりした。僕は法堂(はっとう)(本堂)を拝んできて、しばらくして、帰りのバスに乗ることにした。



 南禅寺の思い出というと、このくらいだが、一体、禅にはどのような思想があるのだろうか。

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