青森 恐山
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前回から禅の話には入ったのかと思いきや、今回は青森の下北半島にある恐山の話になる。恐山には菩提寺という曹洞宗のお寺があるが、禅寺という感じはしない。
恐山へ向かうバスの車内には、長唄のような歌声が流れていた。それはまるで、黒澤映画の「羅生門」や「蜘蛛の巣城」のような異様な雰囲気であった。そうした雰囲気に包まれながら、深い森の奥へ奥へと入っていく。曲がりくねった山道をバスで走ってゆくと、一気に視界が開けた。大きな宇曽利湖が一面に拡がっている。その向こうには大きな山がそびえていたのである。
バスは脱衣婆のいる三途の川を越えて、宇曽利湖の拡がっているところに停車した。バスから降りると卵の腐ったような匂いがした。それは硫黄の匂いなのだ。
近くには受付と門があり、入山料を払って、境内へ入ってゆくと正面に立派な山門が建っているのが見えた。その向こうの本堂には地蔵菩薩が祀られている。
本堂の左手には、無数に積み重ねた石の山や、巨大な岩が転がっている地獄が拡がっていて、そうした奇妙な岩場を登ってゆくと小さな大師堂がある。高いところがあたりを見渡せば、岩ばかりのひどく荒涼としたところである。
また、地蔵がそこかしこに立っていて、死者の魂を慰めている。赤茶色の丘の上からは地蔵の黒いシルエットがずっとこちらを見下ろしていた。
こうした地獄の至るところで、ピンク色の風車がカラカラと音を立ててまわっていた。一帯は硫黄の匂いが立ち込めていて、地面には硫黄の黄色い汁が流れているのである。
地獄を越えると下り坂になっていて、眼前には白い浜と、薄いエメラルドグリーンの宇曽利湖が一面に拡がっている。
こんな幻想的なところに一人で立っていると、ここは死に絶えた世界でも、生命力のある世界でもなくて、やはり死後の夢の世界のようだと感じられてくるのであった。
恐山にイタコがいるのは夏と秋の祭りの期間だけだというが、僕が訪れた時にも「イタコの口寄せ」と書かれた看板の立っている建物の中に、イタコの格好をした女性が一人だけ座っていて、参拝者の若い女性が何事か真剣に話していたのを見た。しかし、イタコももう日本に数人しか残っていないはずから、何とも言えない。
バスの本数が少ないので、恐山には一時間ほどしかいられなかった。その次のバスの到着時刻はその三時間後だったので、あまり深いことは詮索しないでホテルに帰ったのである。
帰りのバスの車内で、恐山で撮影した写真を確認していたら、積み上げられた石の中に立っている納骨塔が、青白く変色している一枚の写真を発見した。これにはさすがに驚いた。まったく狐につままれたような気分で、すぐさま他の写真を確認すると、そういう写真が何枚もあった。
こんなことは、これ以前にも以後にも、この一回きりだった。何か幽霊でも写るんじゃないかなと思って撮影しても、写った試しもなかったのに、よりもよって、死者の霊魂が集まると言われているこの恐山でこんな不思議な写真が撮れるとは。その時はとても偶然とは思えなかった。だから、これは何か霊魂の類ではないかと思ったのである。しかし、よく考えてみると硫黄や太陽光のせいかもしれないと思った。全ては想像に過ぎないから、僕は何とも言えない。
しかし、まさにその時、亡くなった娘の顔が写真に写ったという夫婦のエピソードが、バスの車内にアナウンスされて、やはり写真にも映るものなのかもしれないと思ったのである。
結局、この恐山では、僕はおじいちゃんが他界で困りごとのないようにと、お地蔵さまに礼拝をしてきたのだった。つまりは供養だ。恐山に集まる霊魂は東北の方なもので、関東人は神奈川県の大山に集まるとも言われているが、まあお地蔵さまは空間を超えているだろうから大丈夫だろう。
僕は霊魂というものが、あるのかないのかは知らない。知らないものは断言できるわけもなく、したがって、死んだらどうなるかも分からない。分からないけれども、人間は必ず死ぬからこそ宗教が生まれたわけだし、また死んだ人と会いたいと切に願うからイタコだっているのだ。それが人間の歴史なんだ。
だけれど個人的には、人格的な幽霊というものがあるという説よりは、もっと自然の中に、そういう霊魂的なものがあるのではないかと思っている。言うなれば、縄文時代的な霊魂である。
僕は自然が好きだ。だから死んだら自然の一部となるのもまた悪くない。自然の恵みの中で人間は成長してきた。だから、人間はいつかその自然と一体となるのだと思いたいものだ。
青森の三内丸山遺跡に訪れたおかげで、僕はますます縄文的な自然崇拝が大好きになってきている。かつて、民俗学に憧れたのも、お坊さんの偉ぶった経典よりも、庶民の信仰を研究する方がよっぽど有意義だと感じられたからだった。庶民の信仰には必ず自然崇拝があった。
三内丸山遺跡は、縄文時代を代表する、六本柱の建物で有名な遺跡である。
僕はこれまで、縄文文化というのは田舎くさいものだと思っていた。どこの郷土資料館にだって縄文土器ぐらいなら展示してあるし、土偶にしたって何にしたって、原始的で土臭くて大して魅力がないと思っていた。
しかし、三内丸山遺跡の面積の広さと巨大な六本柱の建物や、高床式倉庫などの遺構の数々を見学することによって、縄文ロマンが感じられた。
それと共に、ミュージアムでは、ギラギラと光り輝く黒曜石や、緑色の美しいヒスイ、異形なる土偶やさまざまな文様の土器を見ている内に、縄文文化は大変にアーティスティックだと思うようになったのである。
また三内丸山遺跡を歩いていると、大きな赤松などを見て、自然豊かなことに驚いたものである。青森は本当に植物が元気いっぱいなのには驚かされた。これを見ると、自宅の近くの木などは窮屈で病んでいるように見えてくるのである。
遺跡内には、簡易的な建物があって、縄文の地層を削った溝に降りて行って、実際の地層の断面を見たり、柱の跡、墓の跡などの遺構を見学することができる。
ボランティアの女性と、考古学マニアの女性、そして上品な男性と僕の四人で行動をした。そういうわけで、三内丸山遺跡はまことに面白かった。
縄文人が何を考えたのかは知らないが、恐山の信仰やイタコの口寄せとあまりやっていたことは変わらないのではないか、と思う。
このエッセイで、繰り返し述べているように、原始・古代の日本人の信仰は、霊魂崇拝、自然崇拝、そしてシャーマニズムの三つだった。そして、それは原始的なものというよりも、むしろ、日本人の根源的な信仰であるように思う。
サイコロを振って運勢をはかるように、人間にはどこか天まかせの時がある。それと同じようにパワースポットに行ったり、自然の樹木にに人間以上の生命力を感じたりもする。そうした無意識に働くところに根源的な信仰心というものがあるものである。
そういうものを、恐山や三内丸山遺跡から感じられてきた。そんな青森旅だった。
関係のない話かもしれないが、東北にゆくと米が美味しいので食事が楽しくなる。
これは個人的な意見だが(エッセイなのだから当然だけれど)美味しい米とは、ふっくらと炊けていること、水道水の変な味がしないこと、粒が立っていること、甘みがあること、粒のサイズがちゃんと揃っていること、良い香りがすること、一粒にちゃんとずつコシがあること、さっぱりしていること、冷めても美味しいこと、が大事だと思う。
他にも津軽の煮干しラーメンなどを食べた。関東で食べられる煮干しラーメンと比べると、本場は大分パンチのあるラーメンだった。もちろん、あっさりしたしょうゆ味のものもあるが、僕は好みのこってり味のラーメンを頼んだ。
運ばれてきたラーメンの美しい外見を目に焼き付けてから、色の濃いスープをレンゲですくって一口味わった。煮干しの香りや渋みのある深い味わいが、想像よりも強烈に口に拡がった。しょうゆ味の酸味も強かった。割り箸を取り出して、ぷりぷりとした中太ちぢれ麺を頂いた。やはり僕の見立て通り、津軽の煮干しラーメンは絶品であった。
貝焼き味噌も美味であった。このようなものを今まで食べたことがない。玉子の味と、貝の旨味が溢れている。また葱がシャリシャリとして美味い。ちょっと、これは美味しさがとても例えられない。
弘前で、アップルパイを何種類か買おうとした時は参った。一軒目の洋菓子屋で、オーソドックスでトラディショナルなアップルパイを購入することに成功した僕は、その箱を手に持ったまま、弘前教会や弘前城、ねぷた村などを見学したのだった。
ねぷた村では、ねぷた(ねぶた)の鮮やかな美しさに見とれながら「へぇ、錦絵だなぁ、浮世絵みたいだなぁ、歌川国芳みたいだなぁ、夏祭りか、良いなぁ」といきなり江戸時代や祭りに憧れたり、津軽三味線のエキサイティングな実演を見たり、津軽の工芸にハマって、津軽焼のぐい呑みを買ったりした。その間、ずっとアップルパイのバランスに気を遣っていた。
二軒目、三軒目の洋菓子屋では、売り切れと休業日のせいでアップルパイが買えず、もはや時間がなくなってしまったので、バスで弘前駅に戻った。そこから新青森駅にゆき、新幹線に乗り、そして関東にある自宅まで、アップルパイのバランスを守りながら帰宅したのであった。
アップルパイは無事、お土産となった。雨の中だったが、アップルパイは無事だった。お土産はりんごものだらけだったがどれも美味しかった。




