岩手 中尊寺
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山口県の出身の先輩が「中尊寺の金色堂は小さくてがっかりした」と言っていたから、僕はまったく期待していなかった。そのせいだろうか、平泉の駅を降りた時も、何の高揚感もなくて、何となく作業をこなしているような感覚だった。お寺めぐりも百ヵ寺を越えると、こういう不毛な感覚が湧いてくる。
僕は毛越寺を参拝して、中尊寺の山に入ってゆき、杉の木の中を歩いて行った。弁慶にまつわるお堂もあった。僕は以前、弁慶の歴史小説を書いて、三回で休載している。
そして、僕はついに金色堂に訪れた。新しい建物の中に金色堂があるらしい。その白い建物の中に入った。そして、金色堂を見た。
これこそ仏教美術における彫刻と工芸の美の極致だと思った。それは宝石箱をのぞいているような、まさに夢のような光景だった。螺鈿の青みをおびた銀色の光と闇の中で浮かび上がる金色の輝き。静かで美しい表情を浮かべた仏たちが、壇上に少しばかり窮屈そうに肩を寄せ合い、これがまったくもってぎっしりとひしめき合っていて美しい。天井からは鏡のようなものがつるされ輝き、壇には金色の孔雀が彫られている。僕はこれほど美しい光景を今まで見たことがなかった。
先輩の「がっかりした」という話がかえってギャップとなって良かったのだろうか。よく考えたら、あの句も僕のテンションを冷ましていた一因ではないか。
夏草や 兵どもが 夢の跡
芭蕉の句である。芭蕉が平泉を訪れた時、その夏草が生えるだけの廃れた光景を見て、こう詠んだのである。しかし、芭蕉は金色堂について、こんな句を残している。
五月雨の 降のこしてや 光堂
金色堂はその時も輝いていたのである。
僕は金色堂が大変に綺麗だったので、しばらく、その場を動けなかった。こういう光景を週末ごとに見に来たら癒されるだろうな、と思った。だから三日後には関東に帰らねばならぬのがやけに悲しかった。
このようにして、中尊寺には大満足して、その翌日は遠野、その翌日は花巻の宮沢賢治記念館に訪れた。心が癒せる旅だった。
それでは、中尊寺の話はこれぐらいにして、最終章に移りたいと思うので、またしばらくお暇しようと思う。




