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山形 大日坊

 僕が山形を目指した理由は、一つには東北自体に行ってみたかったということがあった。ただもう一つ、理由があった。それは湯殿山の即身仏だった。即身仏とは、単純な言い方をすれば、お坊さんのミイラである。即身仏は、仏像よりも直に生きることの意味を伝えてくるのではないか、という気がしていた。そうして、実際に即身仏を見て、言葉にできないものを感じた。



 即身仏をつくりあげるには三千日かかると言われる。まず木食行をして、肉体の脂を落とさなくてはならない。木食というのは断食のようなもので、森の中で木の皮だけを食べて、生活するのである。そして、身体の腐るような部分を自ら落としてゆく。

 最後に一押しということで漆を飲む。漆は毒物らしく、下痢、発汗、嘔吐の作用があり、最後の脂を絞り出すのである。読者は真似をしないで頂きたい。

 このようにして脂を絞り出せば、腐らない身体が出来たというものだ。これで土の中に畳一畳分の石室をつくり、ここに坐禅する。修行が始まる。もはや読経の声も出ない。しかし心で唱え続ける。弟子が空気穴から名前を呼ぶ。生きている内は鈴をりんとならす。しかし、ついには返事もなくなる。

 その千日後、即身仏が掘り出される。上手くゆけば、そこには完成された即身仏が坐している。

 


 勿論、成功した即身仏ばかりではない。即身仏になれなかった行者は多い。何らかの処理をしなければならなかったものもある。しかし、山形県湯殿山の大日坊に祀られている真如海上人は完成された数少ない即身仏である。

 風光明媚な山奥、あの霊気漂う湯殿山の真ん中あたり、山の眺め、田んぼの広がる景色の中にあるバス停を降りて、少しばかり車道を登ると、茅葺き屋根の山門が見えてくる。

 大日坊は真言宗のお寺である。僕一人の為にお坊さんがまずお祓いをしてくれる。力強く太鼓を叩き、仏教の祈祷と神道のお祓いを両方やってくれる。五分ほどすると、別のお坊さんが出てきてお寺の説明をしてくれる。

 そのお坊さんは、神仏習合したお寺では、手を一回叩いて自分の方に向かって凛を鳴らすなど、色々なことを教えてくれる。

 その後、また一人参拝者が入ってきて、その人のお祓いは後回しにして、後ろの即身仏の元に案内される。

 一目見ると、それは髑髏(どくろ)のようである。しかし、しっかりと皮が残っていて、ミイラに違いない。この時の衝撃は大変なものであったが、ここは日記を出して正確に印象を再現したいと思う。以下は翌日の日記の写しである。

 大日坊には即身仏があった。やはりそれが人間の遺体なのだと思うとおそろしい。いや、遺体というだけでなく、土中に埋まったまま力の尽きるまでお経を唱え続け、息絶えた生々しさが、何ともすさまじい印象を僕に与えた。その即身仏には何かあるような感じがした。つまり、有か無かと問われたら、有であると断言できるような感じ。魂ではない、何か形容できない強い情念のようなものがこもっているような感じがしてならなかった。いまや、骨と皮の干物というか、それだけの肉体でしかないが、まさに念という力は変わらずに残っているように見えた。僕はその力に、おそろしくも最大の敬意を抱き、不器用に礼拝してきた。



 僕はこの後、即身仏の衣の切れ端が入っているというお守りを買って、湯殿山へ向かうことにした。湯殿山へと赴こうとすると、もう一人の参拝者の為にお祓いが始まろうとしているところだった。僕ともう一人の参拝者がタイミングをずらして連続で訪れたのは偶然だが、二度手間になってしまって、なんだか申し訳ないことをしたと思った。



 次に湯殿山のことを書こうと思う。あまりはっきりとは書かないが、昔から湯殿山のことは「問うな 語るな 語らば死ぬ」と言われているので、信心深い方や気にされる方は、次回に進まれて、今回のこの後の文章は読まないで頂きたいと思う次第である。

 ただ研究書や図書には湯殿山の中のことやその御神体のことが書かれているし、地元の方や大日坊のお坊さんは簡単に教えてくれたので、そこまで気にする問題でもないのかもしれない。





























 ※この後です。ご注意ください。











 湯殿山に訪れると、山全体が黄色とオレンジ色のマーブル状に染まっていた。いかにも神がいそうな山である。

 さらに歩くと山道に赤い石がいくつも転がっている。

 ここから神域というところがある。この先は写真撮影もできない。入ってゆく。山道が下って行く。その下に湯気が出ている。お祓いをして、裸足になる。冷たい石を歩いてゆく。その先に御神体はあった。

 それは江戸時代から、あるセクシャルなものを表しているのだと、地元の方や研究書には書かれていた。だから「問うな 語るな」と言われているのだとか……。

 僕もこういう話は信じる方なので、それ以上語るのはやめることにしよう。

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