京都 金閣寺
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前回、唯識のちょっとした説明をしたが、上手いこと説明したと勝手に思ったので、もう一度載せることとする(まさかの前回の使い回し)。
唯識思想とは、全ての存在は自己の概念によって生じているという話である。例えば「花がある」と言う時は、本当に花があるのではなくて、我々が「花」という概念を持って「それ」を見ているから「それ」が「花」として存在しているように認識されるということである。概念が生ずる前には「それ」はただの名前もない「それ」であって、花弁などがたくさん集まっている名前もなき「それ」でしかない。この花弁たちを一まとめにするのも自己の概念であり、それを「花」という存在として認識するのも自己の概念であり、それを「花」と呼ぶのも自己の概念である。元々は「花」などどこにもない。
この説明を何故二回も使い回したのかと言うと、分かりいいからである。これで分からないという人は、筆者にクレームをつけるべきである。嘘である。申し訳ございません。次から分かりやすく書くのでクレームだけはお許し願いたい。
前もって、こういう説明をしておいて、唯識の思想に入ると思いきや入らない。今回はまさかの無関係な金閣寺の話である。
銀閣寺派の僕は金閣寺は正直好きではないが、せっかくだから書こうと思う。この回はいきなりひどい回である。読者の皆様は文の使い回しで煙に巻かれ、好きでもない金閣寺の解説に振り回されている。大変に申し訳ない。申し訳ないとは思っているが、筆者のエッセイはいつもこうだらしないものなので、どうかお許し願いたい。
まず金ピカというのはあまり好きではない。これが密教寺院ならば良いが、禅寺で金ピカというのは理解に苦しむところではないか。
金閣寺派の人はこの筆者の言葉に猛然と立ち向かおうとすることだろう。筆者は銀閣寺派として反論するだろうか。しません。ごめんなさい。お許し下さい。筆者はすぐに金閣寺派の方に謝罪をして、お叱りを免れようとするのである。それは筆者の悪い癖であるが、金閣寺派対銀閣寺の壮絶な論争に巻き込まれたくはないのである。
しかし筆者はここに宣言する、銀閣寺の方が美しいと。第一、銀閣寺は渋いくせしてあんなに可愛らしいじゃないか。建物があんなに可愛らしいと思えたことは今までであの銀閣寺だけである。
確かに金閣寺も美しいが、こいつは金ピカなので眩しくていけない。銀閣寺はどんなに光りが当たっても眩しいことは絶対にない。銀色じゃないからである。銀閣寺は日本美術の最高峰として燦然と輝いているだけで、実際にはかなり侘びている。それを銀箔が貼れなかったせいだなどというのは、まことに俗説極まりない。金閣寺派の流した噂ではないかと思う。銀閣寺は本当は慈恩寺と言うのであるが、銀閣と言われるようになったのは江戸時代のことであって、創建当初にそんな銀箔を使おうとした形跡は見られない。銀箔説はまさに金閣寺派の陰謀という気がするのである。
また金閣寺と言えば再建であるし、美術史の流れを見れば、まず銀閣寺が重要視されて東山文化と名付けられたことに始まる。その後で、金閣寺を北山文化として名付けたので、元々は銀閣寺の方が重要視されていたのである。そして銀閣寺を「和風」の原点としたのである。
こういう話を書いていると、大変に恐ろしい目にあいそうなのでここら辺でお暇させていだきたいと思う。ちなみに筆者は、本当は金閣寺もちょっと好きである。




