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奈良 法隆寺2

★★

 今回は、法隆寺の第二回ということで、百済観音(くだらかんのん)のことでも書こうかと思っていた。とにかく、前回はやたら難しくなってしまったので、今回は軽い話でもと思う。

 法隆寺の仏像といえば、釈迦三尊像、百済観音、夢殿(ゆめどの)救世観音(ぐぜかんのん)がとてつもなく有名だ。救世観音は開帳のタイミングが合わず、まだお目にかかれないでいる。

 わたしがはじめて奈良の旅をしたのは、大学二年の京都旅の二週間後のことで、京都の旅よりも仏像の多さに驚愕した二泊三日の旅だった。

 法隆寺の釈迦三尊像は金銅仏(こんどうぶつ)であった為、あまり好きではないのではないかと危惧していたが、実物を見ると、大変、(おごそ)かで凄みがあった。慈悲の仏とは違う超人的な印象を抱いたのを覚えている。有名なアルカイック・スマイルは、さほど笑っているようには見えなかった。暗さのせいかもしれない。この釈迦三尊像は止利仏師(とりぶっし)の作と伝えられる。

 仏教が六世紀の日本に伝来すると、蘇我(そが)氏と物部(もののべ)氏の間で論争が起きた。蘇我氏は、仏教を擁護して、物部氏は反対したのであった。

 この時、日本には仏という概念がそもそもなかったので、外国の神という扱いであった。初期の日本仏教において、まだ仏というものが正しく解釈されず、神として(まつ)られていたのではないかと思う。

 仏教は、本来的な解脱(げだつ)を求めるものとして信仰されたわけではなく、早くもその呪術性が注目されたものらしい。この傾向は、日本仏教の特徴と言えるだろう。

 この法隆寺は聖徳太子(しょうとくたいし)の建立である。



 それにしても、父性的な印象を受ける釈迦三尊像に対して、百済観音はなんと母性的な仏なのだろう。また、なんとも不可思議な印象を受ける仏である。そんなことをわたしは、しばしば思った。

 実にこの法隆寺は、仏像の宝庫で良かった。それに斑鳩(いかるが)という地名も好きだった。

 この土地に来ると、(いにしえ)の奈良、という気がして、田んぼの中に先祖のどこか遠い記憶をたどるのだった。

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