奈良 東大寺1
★★
華厳思想を誰にでも分かりやすいエッセイに出来れば良いな、と予てから思っていた筆者だが、華厳思想というものは調べれば調べるほど難しく感じられてくる。それと同時に、真言密教のみならず禅の思想の根底にも、この華厳思想というものが脈々と流れていることを知って、その重要性を実感する今日この頃である。とにかく実験的に書き出したのが、この「東大寺」の回である。
そういう訳であるから、華厳思想の一つの仮説として読んで頂きたい次第である。第一回はいつも通り、あまり思想には入らず思い出中心に語りたいと思う。
奈良に赴いたのは、京都から帰ってきた二週間後のことであった。そして奈良を中心に二泊三日の旅行計画を立てた。特にこの時は仏像を見ようとしていたのである。そのプランの中に華厳宗総本山の東大寺はあった。
ところで、奈良公園というと鹿である。実はこの鹿、春日大社の鹿なのだが、東大寺や興福寺周辺にもうろうろしている。この鹿に鹿せんべいをあげようと思わない人間は存在しないと言って良いぐらいの人気ぶりである。早速、鹿せんべいを買うと、鹿はすぐに群がってくる。
鹿せんべいは立ち止まってあげてはいけないと思う。途端にやつらに囲まれて、腹をど突かれるのが落ちだろう。色の黒い大人の鹿で、切った角が痛いなんてものではない。だから歩きながらあげるのである。そうすると襲われる心配はない。
東大寺の南大門というのはすごいものだ。あれほど巨大な門というものを僕は他に見たことがない。あれを大してすごくないと言う人は、よほど自宅の門が大きいのだろう。そういう訳であるから、東大寺というととにかく巨大なイメージがついている。
大仏殿は、何かSFの宇宙要塞のようにスケールが大きく感じた。とにかく、木造建築でこれほどのサイズのものは見たことがない。
息を整えて堂内に入る。見上げると、野球ドームの中に立って見上げているような気分である。正面には毘盧遮那仏が座っている。最近、この大仏は梵網経の盧舎那仏だという説が出てきているそうだが、この話では華厳思想を説明をしたいのだから毘盧遮那仏ということで良いのだ。
毘盧遮那仏は密教で言うところの大日如来である。宇宙仏というものである。真理そのものというものである。まあ、弥陀にせよ遮那にせよ、如来というものは我々凡夫からすると近づき難い存在である。けれども、この汚らわしき自己と清らかな仏が実は一つだというのが仏教というものである。
華厳経では「一即一切」を説く。このちっぽけな自分という存在や、あるいは道端に咲く一輪の花に、この広大なる宇宙・世界が秘められているというまことに大層な思想である。そして刹那という一瞬の内に永遠の時間が包み込まれている。そうして、時間と空間の無限というものがことごとく、根本数である一の中に包括されているのである。然れどもすぐに「一切即一」と切り返す。また無限の中に今度は自己存在である一が入ってゆくのである。
大して関係のない話かもしれないが、一遍上人の「一遍」とは「一即一切」のことである。「一」とはそのまま「一」のことであり、「遍」とは「遍く」の「遍」である。それは全てのもの、つまり「一切」ということである。
この話は次の回に譲るとして、毘盧遮那仏というこの大仏は何度も作り直されているので、そんなに美術的評価は高くないと思うのである。
筆者は、東大寺が非常に良いところだと思って、あのあたりを散策した。
行基菩薩も頑張ったのだろうな、とふとそんなことを思った。彼は捨聖のようなもので、平城京に税を運んできてどうしようもなくなった貧者を信仰のグループに取り込んでは、集団を大きくし、彼らに土木工事の技術などを学ばせては、布施屋のような社会奉仕活動を続けさせていた。
その時に行基菩薩が彼らに教えたのは因果応報の教えである。「悪いことをした訳でもないのに、この世で不幸に苦しむのは前世の報いであり、我々にはどうしようもないものである。しかし現世で善を行えば必ず来世では幸せになれる」というものである。しかし、この因果応報の教えは今ではあまり良いイメージがない。前世の行いが悪かったからこそ現世で不幸に合っているという因果応報の理論は、今では非情で無慈悲な意図をもって使用されることが多いのである。
行基の社会奉仕活動の反響があまりにも大きなものになった為に、ついには行基は大仏造立の責任者となってしまったのであった。
華厳とは何か、この時、調べても良いテキストはなかったし、自分で考えてもちんぷんかんぷんであった。ちょっと聞くと壮大なスケールで美しいと思うが、勉強しようとするとあまりにも分からないので、いつだって遠くから憧れの眼差しで見つめていた。そういうものが僕にとっての華厳思想であった。それを今回、解説してゆくということで大変に気が引き締まる思いである。