東京 増上寺
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唯識思想についてのエッセイを先にするか、華厳思想についてのエッセイを先にするか、ずっと悩んでいる筆者であるが、あまりややこしいものばかり連続しても読者に申し訳ないので、しばらくのんびりしたものを、と思う。
しかし、筆者の思索も虚しく「どれ良寛さんの話でも」と思っても日頃から考えていないことは急には書けないのである。色々、日頃から考えているからエッセイというものは書けるのだろう。だから閃きというのは天から降りてくるものではなくて、日頃の思索の中で、潜在意識の中に沈んでいるものなのだろう。
良寛さんは駄目だから、沢庵和尚の話でも一つ。しかし宮本武蔵のファンにお叱りを受けるのも怖いので止めておこうか。何、こんな場で愚痴を書いているよりは沢庵和尚の話の方が良いに決まっている。
沢庵和尚と言えば「無心」とは何かという話だが、間違っても武道家の方はこのエッセイを参考になさらないで頂きたいと思う。筆者のエッセイを参考にしたら、確実に試合に負けると思う。しかし、そうするとお寺はどこが良いだろう。
沢庵和尚のゆかりのお寺……東海寺か。行ったことがないので却下である。他にゆかりのお寺は、大徳寺……、ここも行きそびれてしまったのだった。却下である。もう寺はどうでもいいので、この際、家光関係の寺にでもするか。ああ、じゃあ、増上寺で良いか。でも増上寺には家光のお墓はないなぁ。日光の方にあるのだろう。
もうどこでも良い気がしてきた。あまり関係がないが、増上寺の話で良いだろう。
このようなことで、東京タワーが美しい増上寺の回に決定した。沢庵和尚の話がどのように自然に出てくるのか、ご期待願いたい。
増上寺には徳川家の墓がある。しかし家光の墓はここにはないのである。家光の墓は日光輪王寺にある。筆者は、徳川家の人々のことを色々思い返した。その時、将軍と僧侶の関係について考えてみた。もっとも良い関係は誰と誰だったのだろう、と……。
筆者はそれは家光と沢庵和尚ではないかと思った。家光といえば沢庵漬けを美味しく食べた将軍であり、沢庵和尚は沢庵漬けを漬けた名僧であった。しかしそれ以上に、二人はもっと親密であったのである。
沢庵和尚が沢庵漬けを作ったかどうかはともかくとして、沢庵和尚は柳生宗矩の師であった。沢庵和尚は「不動智神妙録」の中で敵と戦う際の心の置き方を色々と説いている。心をどこか一箇所におけば執着して直ちに敵に斬られるというのである。だから心はどこにもおかない。そうすると心は全身に広がり、充満するというのである。こうした偏りのない心でなければならないとこう言うのである。
沢庵和尚によれば、全身に行き渡った心を本心といい、これは水のように自由自在である。対して一箇所に留まった心は妄心といい、氷のようにこりかたかまったものだという。そして本心を無心、妄心を有心と言う。こりかたかまった心があると見えるものも見えなくなり、聞こえるものも聞こえなくなると沢庵和尚は言っているのである。
実はこの偏りのない無心とは、取りも直さず空の心のことなのである。
私は増上寺でお墓まいりをしたが、だからと言ってどういう感情が湧いた訳でもない。しかし、今、思い返してみると東京タワーに近いと言うのは面白いものだなぁ、と思った。




