神奈川 関帝廟
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仏教というと無我の境地だの無心だのと、何かと「無」という字がつくことが多い。別に仏教は虚無主義ではないのだが、そういう風に誤解されることも多いものだ。この「無」というのは仏教ではなくて中国の老荘思想に起源がある。老荘思想というのは南北朝時代の道家の思想家、老子と荘氏の思想のことである。ここに「無」という思想があった。その後、インド仏教が「空」という中国にない概念を伴って伝来されたので、中国の宗教家はこの「空」の解釈にほとほと困り、ついにはこれを老荘思想の「無」と解釈して受容したのであった。
中国仏教の思想は、仏教に老荘思想が合流したものに始まり、南北朝時代に天台思想を生み、隋唐時代に華厳思想を生むといった風に展開した。当時、中国の江南ではインドから訪れた達磨禅師によって伝来した禅が流行していた。そして最終的に中国仏教は円覚経による思想に到達したものらしい。円覚経というのと、あまり馴染みがない。鎌倉の円覚寺を思い出すぐらいである。
中国仏教のもう一つの特徴としては、仏教・儒教・道教の入り混じった宗教だという点である。「西遊記」などを読んでいると玄奘三蔵法師や釈迦や観音など仏教の主要メンバーが登場しながら、事あるごとに孫悟空を叱り付けるが、お坊さんの台詞というよりは儒学者みたいな道徳臭い説教だし、仙人なとが登場するのはまったく道教の世界観である。
ちなみにインド人が輪廻転生を再生ではなく再死という風にネガティヴに捉えて、二度と生まれ返らない涅槃の境地を求めたのに対して、中国の思想は、第一には不老不死思想であって、とにかく生き続けたいという正反対のものであった。だから中国の宗教家は仏教が入ってくると「ああ、輪廻転生というのは永遠に生きられるということじゃないか。実に素晴らしい思想だ」という風に受け入れられる。
これが日本に来ると生命はもはや礼賛の対象であった。生命力は「ケ(気)」と言って大変に清らかなものであり、反対に死は「ケガレている(気枯れている)」といって怖れられていて、日本人は度々「ケ(気)」の補給の為に「ハレ」の祭りを開催しなければならないほどであった。このようであったから、日本人というのは生命の連続である生まれ変わりをポジティブに捉えるようになったという。
また中国では、良いことをした人が長生きし、悪いことをした人が短命に終わるのが道理であるはずなのに、現実には良い人が短命に終わったり、悪い人が長寿だったりするという矛盾が生じていた。これに悩んでいた儒学者が、インドから輪廻転生という思想が訪れた時に「これは前世、現世、来世の三世に渡って因果応報というものが発動している為に、現世のみでは報われていないように見えるのではないか」という風に解釈できて大変に重宝がられたのである。
またいきなり関係のない話を書いてしまった。最近どうしたのだろう。そうだ。せっかく中国の話を書いたのだから、横浜中華街の話を書くことにしよう。寺社は……関帝廟なら大丈夫だろう。よくはわからないが、横浜中華街の関帝廟というのは、関羽を祀っているのだろう。
関帝廟、外見しか見たことがないので、それでエッセイを書くのは大変に無責任な話だが、まあ、大丈夫だろう。
中華街と言えば、なんと言っても中華料理。安い中華料理店に入って雑な味付けの料理をたらふく食べるのも良いし、高い中華料理店に入って美味いものを大事に食べるのも良い。
肉まんと言えば江戸清のが美味しい。肉まんを二個先輩におごってもらって食べたのだが、一個で満腹になる。それも良い思い出だ。家に帰ってから食べたもう一個もまた美味かった。ただし家に帰ったらレンジで温め直すことをオススメする。冷めたまま食べるのは勿体無いと思った。
先輩と訪れた時は有名なかた焼きそばの中華料理店に入り、実に満足した。学校の友人と訪れた時には安い中華料理店の食べ放題をたらふく食べた。学生にはこの安くて、たらふく食べられるのが一番嬉しい。安さは強さなのである。
中国といえば高校時代によく遊んだ友達のことを思い出す。筆者は日本に住んでいれば誰でも日本人だと捉える人間だが、彼のことはあえて中国人と言う。クラスに中国から来た男は四人ほどいた。その内の一人は三国志とブルースリーが好きな男で、世界史の授業は楽しかった。お父さんを尊敬していて、寝る時にいつもお父さんが歴史の話をしてくれたのだという。だから彼は歴史が大好きだった。あとは休みの日に中国に帰った後、約束のお土産を完全に忘れて帰ってきた男もいた(筆者は今でも根に持っている)
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それと一緒に映画館に行って「三丁目の夕日」を見たり、柔道の授業で何回も戦った男がいた。彼はは実はカンフーの達人なのであった。その彼と柔道で戦ったのは今から思うと楽しい思い出だ。ちなみに僕は負けるものかと思いながら、いつも投げられっぱなしであった。その代わり他のやつを十回投げた。ふと隣を見てみると、友達がプロレス技を使って友達を投げていた。よく見るとまわりは柔道の勝負ではなく、ほとんど異種格闘技みたいになっていた。実に混沌とした体育の一風景だった。
また変な話を書いてしまった。これだからいけない。筆者は中華料理は大好きだが、どうも油が多くて胃が痛くなる。筆者は胃が弱いのである。しかし、それでも食べたいので横浜中華街に訪れた時には腹一杯食べることにしている。肉まん、回鍋肉、海老チリ、焼売、餃子、角煮、海老マヨ、麻婆豆腐、広東麺、青椒肉絲、上海焼きそば。胃袋の限界は瞬く間に訪れ、弱い胃が軋みだす。水を飲んでさっぱりしたいと思って、そして腹を壊す。それでも美味いものは美味いのである。
関帝廟を見た時、まるでここは中国だなと思ったが、中国には行ったことがない。ひいおじいちゃんは中国の青島に住んでいたこともあるそうだ。つまり満鉄の鉄道員だったそうで。それでも僕は依然として中国に訪れたことが無いのだった。それでも中国の文化には憧れている。いつか行ってみたいものだと思う。
先輩に仙人になりたがっていた人がいたが、やはりその先輩は中国に行くべきなのだろう。道教のことはよく分からないが、おそらくどこかの山にこもって修行をして、ついには術を使える身になろうとしていたのだろう。そんなことを考えると気の遠くなる話だが、こう言うものを見果てぬ夢と言うのだろう。いや、たぶん違うだろう。
ちなみに横浜を近代専攻の友達と歩くと、友達のテンションが高くなる。「夢の街だ」と彼は言っていた。僕は何よりも宗教史が面白いので鎌倉に行きたがる。しかし友達は近代専攻なので横浜に行きたいと言う。また別の友達は戦艦が好きなので横須賀が良いといった具合に、どうにもここは意見の分かれるところなのである。




