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三重 伊勢神宮

 このエッセイも第3章に到達し、仏教の深淵なる教えがいよいよ明らかにされることだろう、と思われるかもしれないがそうじゃない。何故か、一発目は伊勢神宮である。おいおい神道じゃないか。一体このエッセイで今まで神道に関する考察がまともに行われてきただろうか。いや、行われてきていない。なのに今になって、どうして伊勢神宮の話なのだろう。

 第一、この作者は神道に対する知識があるのだろうか。疑わしい。読者がそう訝しがったなら、それは実にその通りなのである。私は神道のことはちんぷんかんぷんでありながら、伊勢神宮の話を書くのである。



 勿論、日本書紀は簡単なものなら読んだこともあるし、多少の神話なら知っている。イザナギとイザナミが今の日本列島を出産して、その後にアマテラス、ツクヨミ、スサノオの三神を産んだという話である。

 それで最後にイザナミは火の神を産んで焼け死んでしまったというので、イザナギが悲しがって、黄泉の国にまで会いに行ったらば、イザナミは身体中からうじ虫が湧いた凄まじい見た目になっていたそうな。それでイザナギは大慌てで逃げてきて、よく身を清めたとかいう話である。



 そうかと言うと、今度はアマテラスが天の岩戸に閉じこもり、世界が真っ暗になってしまったので、神々はお祭り騒ぎをして、アメノウズメはセクシーダンスを八百万の神々の前で舞い踊るので「あら、おかしいわ、私以上の美女がいるはずもないけれど……」とアマテラスは気になって少しばかり岩を退けて外を見ると、そこに輝く美女の顔があった。それは三種の神器の鏡に映った自分の顔だったらしいのだが、そこにアメノタヂカラオという力持ちの神が、無理矢理、岩を押し退けてアマテラスを外に出したという訳だ。



 とこういう話は知っているだが、こうして伊勢神宮に来てみると、もはや何のことだか、分からない。五十鈴川の流れが清らかで、美味しそうだと思ったが飲んで良いものか分からない。とにかくありがたいものらしく、皆、この川の流れを拝んでいる。

 山という訳ではなく、深い森林といったところで、実に気持ちの良いところだった。橋を越えればそこはもう別世界ということだろう。

 美しい庭園があって、後はただもう森林なのである。本宮まで行くが、別にお寺のように仏像がある訳ではない。ここで参拝してくださいよ、という場所があって、そこで手を合わせて、パンパンと拍手するが、御神体は見ることができない。

 神社というものがそうであるというのは、奈良公園の春日大社、東京の明治神宮、滋賀の日吉大社、まあどこへ行っても同じである。御神体をこの目で拝んでどうこうというものではない。

 まして、御神体というものは神そのものではなく、依り代と言ったもので、仮に憑依しているものなのだ。つまりは、実物は見えていないのである。見えないものを信じるからありがたいのであって、見えるようにしておかないと心細いと言って、仏像ばかりを彫っている方がもしかしらよっぽど煩悩なのかもしれない。

 この点は仏教というのも考えなければならないな、なんて思うが、見えてありがたいという、これほど庶民に安心なこともないので、やっぱり仏像も良いな、なんて優柔不断なことを思う。



 ところで神社には大きな勢力に、神宮系も大社系というのがあって、神宮系というのは伊勢神宮の系統で、大社系というのは出雲大社系なのだとか。

 天孫降臨の時には、天つ神がいよいよ地上に降臨しようということになって、天狗みたいな顔をした猿田彦やアメノウズメに導かれて降りてこようとするのだが、降りてこられて面白くないのは国つ神、つまり地上神の出雲の神々だったという訳だ。

 それで戦争になるかどうかということで国つ神たちは揉めに揉めたが、出雲大社を建てることによって話がまとまったそうだ。ところが弟ばかりは「徹底抗戦あるのみ」ということを言っていたので、ついに天つ神と戦争となった。ところが弟も長野諏訪あたりでついに降参して、そこに諏訪大社を建てることになったものらしい。



 神々と言っても大変な話ばかりである。まあ、私は「一族の繁栄、世界の平和、念願の成就」という三つの願いをしておいた。欲張りである。こういう欲張りをすると、どれも叶わぬものかもしれない。

 伊勢神宮といっても、参道は立派なもので、大変賑やかである。ここまで賑やかな参道を見たことがないぐらいである。しかし、私は財布の中が悲しい状態であったので、何も食べなかった。



 断食をしている訳ではない。昼には伊勢に着く前に、そこらへんのうどん屋さんで伊勢うどんと天むすを食べた。

 うどんというと、色々あると思うが、関西のうどんは柔らかい印象がある。しかしそれにしたって、この伊勢うどんはすごく柔らかかった。コシの強さを求め続ける私には納得できかねるのであった。しかし、柔らかいなりにこのうどんは美味しかった。



 江戸時代のおかげ参りというと、思い立ったらすぐに旅立つものらしい。そして、後はおかげ参りということであれば、東海道の人々はご飯や宿を貸してやったということらしい。どこで聞いたんだっけか、この話は。本当のことか知れぬが、そういうことがあったと教授の一人が楽しそうに語っていたので、勘違いであっても嘘ではなさそうである。



 いやぁ、ついに自分も伊勢参りをしてしまったなぁなんて、歩きで来たのならともかく、新幹線で寝て来た人間が満足げに言うものじゃない。それでも、ほっとお茶を一杯すするとそんなことを思って、ぼんやりとするのだった。

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