長崎 平和公園
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先の戦争で命を落とされた多くの方のご冥福をお祈りし、これからの世界の平和を心から願いまして、この章の始まりと致します……。
このタイトルからも分かる通り、今回のテーマはまったくもって寺社ではない。福岡のあの騒々しい旅行のことも書いたので、もっとハプニングだらけであった修学旅行の長崎の思い出も全て語るべきと思って、ここに長崎の章を設けることにした。
高校生だった当時、寺社めぐりの旅を始めることも、このような寺社めぐりのエッセイを書くことも夢にも思わなかった。こんなことになるのなら、長崎の教会にも行っておけば良かったなぁと今更ながら後悔している。
まず、長崎の平和公園や資料館で見た様々な戦争資料について……。いつどんな時でもヘラヘラ笑って生きてきた不真面目な自分たちであったが、この平和公園で戦争に関する多くの話を聞いて、また実物資料を見るにしたがって、誰もがもの静かになった。
これまで楽しいことにばかり夢中で、物事を真剣に考える機会の少なかった高校生の私たちには、この問題をどのように考えてよいものか困っていた。ただただ衝撃的なものの連続に理解が追いつかず、静かになって実物資料を眺めていた……。
ただ無性に悲しくなった……。
このようにして、一日目は長崎の平和公園と資料館を見学した。
二日目は、地元の方との交流ということで、農家に招いて頂いて、そこで地元住民と長崎の郷土料理を一緒に料理して、お腹いっぱいになるまでご馳走になった。実はこの前夜、部屋のクーラーを付けてはいけないのだろうという誤解から、私たちは汗だくになっても我慢して寝たので、この日は完全にお腹を壊していた。この時も十秒に一回はお腹が鳴った。そして、長崎の薩摩揚げという魚肉ハンバーグフライのようなものを沢山頂いた。この家のお母さんが「みんな沢山食べてくれない……」と言って悲しそうに泣き出した時は焦った。この時は、私の他は皆、女子生徒だったし、私は唯一の男子生徒だったが完全にお腹を壊していて、次から次へと出てくるご馳走はとても食べきれなかったのだ。
その日の午後には浜辺で地元の方と一緒に地引網をした。この時はさらにお腹が痛くて辛かった。また地引網は実際にはすごく重くて、かえって海に引き戻されているような気がした。全力の綱引きを長時間させられているようで、定期的にお腹が悲しく鳴った。それにも関わらず地引網には魚は一匹もかからなかった。地元の方の話によれば、一月に一度はこういうことがあるらしい。
三日目は班での自由行動だった。台風の迫る中、突風の吹く稲佐山に登った。雨が真横から降りかかり、稲佐山の展望台からはどこを見ても真っ白な凄まじい霧の大パノラマであった。おまけにこの帰り道に、私は班の他のメンバーとはぐれてしまって、死ぬほど焦った。
このようにハプニングが多かったが、全体的に楽しい修学旅行だった。そして、何よりもあの平和公園で感じことを胸に、これからも生きてゆきたいと思う……。