はじめに
これはわたしの寺社巡りのエッセイである。時々、タイトルに背いて、話題が城や古墳になるだろう。食べ物になることもあるだろう。何しろ、これは高尚な歴史の専門書ではない、ただの旅行記なのだ。下手すれば、過去の自分の日記を書き写すだけのものだ。
わたしは今までエッセイというものを書いたことがない。それよりも、読んだことがないのだ。
したがって、これがどうなるか分かったもんじゃない。おそらく、この文章には起承転結がない。まとまりがない。ひどく稚拙な文章の羅列となるだろう。
その危険性を冒しても、スランプを脱する為と文章を書きたいという欲求を紛らわす為に、何かしらの文章を書いておこうと思うので、旅行した先で見聞きした色々なことのエッセイでも書こうと思い立った。
わたしは京都という伝統的な街がどうも苦手なので、それよりも奈良に行きたくなるのだが、それでも、どうしても東寺のことだけはこの機会に書いておきたいと思うので、一回目は東寺と真言密教について、たらたらと書いてみたいと思う。
わたしは、お坊さんではありませんし、宗教学の研究家でもありませんし、宗教的に何らかの立場がある人間でもありませんので、この作品で書かれていることは、何ら根拠のない、わたしの個人的な妄想でしかありません。賢明な読者は、これを思想や学問の参考には決してなさらず、フィクション交じりの軽い旅行記だと思って、あくまでも娯楽として楽しんで頂ければと思います。
また、この作品はエッセイであるため、しばしば個人的な解釈が述べられています。学問上の定説や、いかなる伝統的な宗派の正式な見解ともそぐわない場合がしばしばありますので、あらかじめご注意ください。
本作の章題となります、般若、秘密、法華、華厳、唯識、禅と申しますのは、その章の中でメインとなるお寺の思想から付けたものです。品というのは章という意味です。ただ思想別にきっちりと分類されている訳ではありませんので、般若の章の中に華厳思想の説明あるなど混沌たる状況です。ご了承ください。
また始めに書いた京都の東寺や斑鳩の法隆寺が、後に書かれたお寺に比べて、思想的に劣るという意味合いはまったくございません。お寺の順番は順不同ということでお願い致します。
なお本作では、作者たっての希望で複雑で面倒な思想論等が延々と述べれている回がございます。ややこしい回をお読みになり、ご無理をなされ、途中でお投げ出しになる結果を避ける為にも、各回に次のような前書きを付け足しております。
例)
★★★★★
この星は難易度を表します。難易度と申しますのは、話のややこしさです。最大で星五つと致します。
是非、興味のある回をお選びになり、お楽しみ下さい。