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妖奇譚  作者: kazu
4/4

哨戒

「頑張れ、か」

悟の姿が完全に視界から消えた後、縁馨は頭を掻く。年中悩みがちな生徒に対して、随分と端的に言ってしまったものである。

もちろん、いざとなればフォローするし、責任も、甘やかさない程度には取ろうと思っている。

しかし、彼なら大丈夫という確信もあったのだ。

無責任にも聴こえる発言に対して、特に不快を抱くこともなく素直に受け取って、笑ってみせた。

最愛の弟とならば、ちょっとした言い争いになっていたに違いなく、馨にとっては楽しいものがあるのだが、今は関係ない。

つまり、馨がいくら姿を重ねて見ようとも、二人はまた別個の存在であり、両者共に今後の成長が色々と気になる対象なのだ。

凪悟は、彼らしい歩み方で、取り巻く状況に対する答えを、やがて導き出すのだろう。

「さて、と」

背筋をぐんと伸ばして、両手を組んでから、思い切り天へと掲げた。更に、手を一度離すと、肘と、片方の肘の裏を合わせ、力を込める。

十分に体をほぐした後で、さっそく足を前へ踏み出していった。

「例の如く、確認はしておかないと。まあ、決まりきった仕事なのだけれども。足腰の鍛錬がてらね」

違和感を覚えさせない程度の早足で歩きながらも、馨は、気軽な風で周囲を見渡していた。ただ、少しでも引っかかるものがあれば、瞳を細め観察する。

今馨の行っている事は、本来、合宿前の下見にでも、あっさりと行っておけば良い話であった。 

関係者は心外と怒るかもしれないけれども、と馨は思考に由無し事を混ぜる。

「だって、これも俺の仕事だし」

木々の間の影を見つめながら、独り呟く。

他教師がすでに活動の準備へとまわっている中で、馨の、この一見散歩としか思えない行動を黙認しているのは教頭であった。

彼は、詳しい事は言わず、とりあえず頼む、とだけ言う。

言葉だけなら軽いだろう。しかし、込められた思いは存外に重いものがある。到底、何も知らない人間が、下見ついでに行えるものでもない。

馨は、丁度良く、事情に精通した人間に該当しているわけだ。

というよりも、彼が初めて、『下見』の重要性を知った場面に、彼女も居合わせていたのである。よって、こうして頼りにされているわけだった。

彼の、難しい立場故、はっきりとは言い渡されない。当然、異性というより、話の分かるお爺様的な印象を抱いている馨であったが、頼りにされていないと思えば、少し寂しいものがある。

「健気な俺も悪くない?」

頭の隅、暇つぶしに考える。もはや立ち止まっており、軽く休んでいた時であった。

「ん?」

とある方向を見据えた。いつの間にか、少しばかり山も登っていたらしい。 馨にとっては、平地も坂道も変わらないので、気づかなかったのだ。

「何だろ、あれ」

視線の先に、一つの建物があった。木々で見え隠れしているものの、正体を掴めない程でもない。まして、馨が見るなら尚更である。ちなみに、これは自惚れでもなく、只単に、生まれ持った視力である。

 「あれ、だよなぁ」

 頭の中で、取り入れた情報を整理する。見たままの答えは容易であった。けれども、余りに不自然、しかし当然の様にそびえている為に、馨にして珍しい事であるものの、軽く躊躇いが芽生える。

 「ふむ」

 頭に、何かが浮かんできそうだった。実家で目にした事のある資料、腐れ縁の編集者より、酒の肴にでも聴いていた噂の内容が、思い起こされる。

 少しでも建物がよく見える位置まで、ゆっくりと歩いて、何ともなしに、窺えた窓へ一際集中して、視線を向けてみた時である。

 「あ」

 常人ならば捉える事はない。距離だけの問題でもなかった。

 今、窓に赤いものが横切った。

 同時に、ある姿が、強烈に意識される。

 何もかもが愉しいと言わんばかりに、蒼い瞳を異様に輝かせて、美しい容姿、小柄にも魅惑的な肢体で踊り狂う。

 また、通り過ぎる一瞬、頭だけが、こちらを向いた様な気がしたのである。

馨と同等以上の感知力を持っている事になる。

「こ、い、つは」

ところで、悟と別れる前から続いている、夏の暑さは、馨に酷い影響を与える事はない。むしろ、程よく汗をかかせ、周囲からは、『良いのを使っている。』等と、身に覚えのない事で褒められるくらいである。

しかし、比べて現在は、縁馨は、気持ち悪い冷や汗の感触を、確かに覚えていた。

だが、只立ち竦みもしない。

「ひとまず、帰るか」

時間にしては短かった一連の思考を終えると、ひとまず我に返る。黙って踵を返したものの、途中、建物を視界の隅に捉えていた。

今度は、何も感じない。しかし、確実に中にいる。

「先に、干渉するのはルール違反だからな。ま、事前の処理をしておかなかったら、万が一の時に、教頭から何か言われそうだけれども」

しかし、大胆な馨も、この点に関しては、まず慎重にならざるを得ない。幼い頃、実家で体に仕込まされており、比較的疎遠になった今でも、中々消える事のないものだった。

「生徒が迷い込んだ時は。いや違うな。もし、何かしらの危害が加えられそうだったなら」

 馨の中、先程施設玄関前で叫んだ時とは桁違いの、冷徹なものが過る。これを、大なり小なり平穏な日々を過ごすだろう生徒達の前で、あえて見せてやる事もなかった。仮にも只の体育教師としては、色々とやりにくくなってしまう。

 今の境遇が、割と気に入っている、というのも、特別あった。

 しかし、いざとなれば、構わない。

 静かな決意を秘めながら、来た道を戻っていった。

ふと、思う。

 「俺も変わったもの」

 目に付いた相手を圧倒しきるより先に、生徒を守る事へ、やや強めに闘争心を燃やしている事に対して、馨は少しばかりの感慨を覚えていた。


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