少年と亡霊王子 5
…ああ、これは夢だ。気付いてしまった。
明晰夢?そうじゃない。これは、記憶だ。過去の、記憶。
俺は、それを夢の中で、再度体験している。
一週間前、俺の家、リビング。そう、ここまで記憶の通り。
夏休み、とにかく暑くて、麦茶を飲もうと台所に入る。
そこには、母親がいた。俺が来た事に気が付き振り返る。
…不審そうに、俺を見つめて、言う。
「…あなた、誰?」
心臓が凍った気がして、息が出来なくなる。
やめてくれよ、もう二度とこんな事思い出したくないんだ。夢なら早く覚めてくれ。
その時、
『・・・・・』
歌が、聞こえた。
調子外れのへったくそな歌。何言ってるのかさえ、分からない。
でも、そんなへったくそ歌が、こころを温かくする。凍った血潮が、再び流れだす。
ひとつ息をして、目を覚ました。
『お、起きたねカナメちゃん。おはよう。』
頭の中から声が聞こえた次の瞬間、
ぬるん、と王子が俺の体から出ていく。目元を拭って、言う。
「その登場の仕方、一々恐いんだよ。心臓に悪いから、俺の中に入るのはやめろ」
『え、嫌だよ。カナメちゃんの記憶が見れるの寝ている間だけみたいだし。相手の事を知るのは、大事だよ?』
「ふざけんな、プライバシーの侵害だ。訴えんぞ、クソ王子」
『そんな脅し俺には効かない。…カナメちゃん、ここは異世界だよ。そんな法律は無いさ』
「…ですよね」
正直に言うと、期待していた。
起きたらそこは自分の部屋で。ちょっと長くて変な夢だったけど、魔法なんか使えちゃって面白かったな。できればまたみてみたいな、なんて想像したりして。
…でも現実は、まったく逆だ。夢で見たのは地球の事で、目を覚ましたのは異世界だった。
これは、覚悟を決めるべきじゃないのか?この世界で生きていく覚悟。
ダンジョンなんて訳の分からない所に、つま先でポンと弾くだけで俺の事を殺せそうな、モンスターがいる世界。
さっきまで、一度寝るまでは、どこかフワフワしていた。現実感が、とにかく希薄。
だって、こんなの信じられない。魔法も、モンスターも、亡霊も、俺にとっては非現実の象徴だ。
…でも、目を覚ましたら、ここはやっぱり異世界で。外にも出られず、一歩でも選択を誤れば、すぐに死んでしまう未来が待ち構えている。
死にたくないのなら、生きていたいのなら。魔法でも何でも利用して、ここで生き抜く覚悟が必要だ。
今すぐ戻ることが出来ないのなら、そうするべきだ。
…というか、戻る事って出来るのだろうか?
「あのさあ王子。俺以外に、異世界から来ちゃった人っていると思う?」
『うーん、いないんじゃないかな。少なくても俺は、そんな話見た事も、聞いた事も無い。なんで?』
「俺以外にもこの世界に、来るなり来たなりした人がいたなら、元の世界に戻れる方法もあるんじゃないのかって思って。王子は、知らない?」
『悪いけど、知らない。ダヴァンク族辺りなら、知ってる可能性もあるけど…やっぱり、戻りたい?』
「そりゃあね。今まで生きてきた所だし、家族もいるしね。情けない話だけど、さっきまで、これは夢なんじゃないかって思ってた。夢から覚めて、元いた場所に戻れるんじゃないかって…」
『確実にこの状況から抜け出せる方法なら、一つだけあるよ』
「…どんな、方法?」
『今、ここで、死んでみればいい。穴に落ちれば、すぐに死ねる。カナメちゃんにとっての、悪夢みたいなこの状況からは、確実に抜け出せるし、上手くいけば向こうに戻れるかもしれない。分が悪い賭けだと思うけどね』
「それは…」
『死にたくないのなら。生きたいのなら。戻る方法を教える事は出来ないけれど、戻る方法を探す為にここから生きて出る方法なら、俺が教えてやれる』
「…約束」
『ん?』
王子はさっき言った。知恵や強さを与える代わりに、願い事を一つ叶えてくれって。
「王子の、願い事って何?」
『今聞きたい?』
「うん。正直な話、ここで生きていく覚悟を決めなきゃなって思ってた。やっぱり、元いた世界とは違いすぎるし、現実感も全然無い。死んじゃわない為には覚悟が必要だなって。だから、王子の願い事を叶えることを、目先の目標にする事にして、覚悟に変える。その為には、願い事ってのがなんなのか、具体的に知る事が必要なんだ。とても情けなくて、卑怯だとも思うけどね」
『エルフと乳繰り合うとかでもいいのに』
「それでもいいけど、実際に見た事無いから、具体的に想像できなくて」
『…そっか、分かった。…俺の願い事は』
「うん」
『俺を消滅させてほしいんだ』
「…え?」
『さっきも言ったけど、俺を消滅させるには、王族だけが使える秘術が必要だ。今の俺には魔法は使えない。自力じゃここから出られないし、結界のせいで下から人が来る事も無かった。この部屋から出ることも出来ないまま、ただただ時間だけが過ぎていった。普通なら気が狂うんじゃないかって思うけど、亡霊だからか、気が狂うこともできなくてさ』
「…王子」
『時間の感覚も無くなって、自分が死んでからどれくらいたったのかさえ、良く判らない。…そんな時、カナメちゃんが来てくれた。だから俺を助けると思って、ここは一つ、願い事をかなえてくれないか』
「それでいいの?」
『うん。もう亡霊でいるのは、飽き飽きだよ』
「わかった。王子の願いを叶える為にも、ここで生きる覚悟を決める。強くなって、ここから外に出る、その為には、王子も力を貸して欲しい。約束だよ?」
『ああ、約束だ』
こうして覚悟を決めたなら、後は頑張らなくっちゃね。その為には…
『よし、そうと決めたら、まずはベヒーモス狩りだ』
「アイアイサー」
『ポンコツ三等兵、石を持て』
「階級低いな。見てろよ、一撃で仕留めてやるっ!!」
『たっまごのいいとこみってみたい』
「うるさい、だまれ」
おちょくってくる王子をだまらせ、出口に移動する。通路には、半日経って復活したであろうベヒーモスがいた。見据えて、石を投げる。
…まあ、勝手に罠に落ちて死んでくれるんですけどね。簡単なお仕事です。
光が浮かんだので、念じて手元に引き寄せる。触れるとアイテムに変わった。
肉と、革と、樽?さっきは無かった、小さな樽が出てきた。
『ん?なんだそれ、レアドロップぽいな』
「レアドロップ?」
『普段でないアイテムがたまーに出る事がある。まだ二回だからわからないけど、その樽はそうかもね』
「インフォメーション」で調べてみる。
牛乳(上)・・・ベヒーモス印の牛乳、搾りたて
ツッコミ所多いな!!
「しかし、この樽はどこから…」
『モンスター同士で争う事もあるからね、木でできたモンスターでも食ったんじゃないの?それで、中身はなんだった?』
「牛乳だってさ」
樽に飲み口は付いて無かったので、隅に転がってた剣の柄で、樽の上部を割る。
てゆうか剣がクソ重い。これも楽に振れる様にならなきゃなあ。
牛乳は好きだ。背がちっちゃいから、大きくなる様に、昔からいっぱい飲んだ。あきれる程飲んだ。死ぬほど飲んだ。
…結果、背はちっさいままだった訳ですけども。迷信だった訳ですけども。牛乳に罪は無い。口をつける。
「うましっ!!」
これは美味い!!冷えてないのが残念だけど、今まで飲んできた牛乳の中でも、上位を争う。現代日本にもヒケを取らないベヒーモス印…あなどりがたしっ!!
『まあまあ、食事にしながら、聞いてくれ』
「ん?」
『カナメちゃんが寝ている間に考えたんだが、これからのスケジューリングを決めようと思う』
肉を焼きながら、聞く。
『便宜上、一日を二つに分けようと思う。半日で復活するベヒーモスに合わせて、朝と午後。6時間程度の睡眠でMPは回復するから、間に睡眠を挟むとしてその前の時間を、それぞれ「内気」と
「外気」の特訓に充てる。時間が計れないからアバウトになっちゃうと思うけど』
「ふむ」
『レベルの低いうちは、すぐにMPも尽きると思うから、空いた時間に言葉の勉強と、剣の修行もします。言葉は俺相手なら良いけど、ここから出た後困るだろうからね』
「ふむふむ」
そっか、王子の言葉は、俺の脳みそが勝手に翻訳してるんだっけ。
『現状得物はそこの剣しかない訳だし、筋トレにもなるからさ。と、言う訳でこれから、「内気」の特訓と、剣の素振りをします。「明日の朝」は「外気」と言葉の勉強ね』
「サー、了解です、サー」
『うむ、良い返事である。ところでカナメちゃん、レベルはどうなった?』
あ、そうかさっきベヒーモス倒したからね。「ステータスオープン」してみる…ん?
「サー、大変です、サー」
『なによ?』
「レベルが…上がっておりません!!」
『うそーん、マジで?』
「マジです…2のままです…これって普通?よくある事?」
『普通じゃない、ぶっちゃけありえない。…はあ、現状どうしようも無いし、まあ気長にやろうぜ』
「ですよねえ」
『さて、飯も食い終わったようだし、早速「内気」の修行に入ります。先程、体内にもマナが存在するといいましたが、「内気」はそのマナを、プラーナ…』
という具合に俺の異世界での生活は始まった。
この日一日で、一体どれだけの物を、俺は失ったのだろう。家族、友達、今までの生活全て。
対して、得た物とは。生きるか死ぬか、隣合わせの生活。本当にあるかもわからない、明るい未来。
それでも…それでもやっぱり、普通の人生では得られない、とても大切な物を、この時の俺は手に入れていたのだろう。
ラウル・イル・エステバン。友達、相棒、師匠。異世界での導き手。
本当の自分になる為に、俺たち二人の出会いは必然だった。
この後、俺はこの世界で生きていく術を、学んでいく事になる。来る日も、来る日も、修行、修行、修行。
初めての実戦をする事になるその日、俺は、17歳になっていた。