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『追放された伯爵令息、辺境で猫獣人の少女に愛される』――愛されることで、戻れなくなった

作者: 月白ふゆ
掲載日:2026/01/24

雪と静けさしかない辺境で、彼はひとりきりになるはずでした。

けれどそこで出会ったのは、怯えながらも必死に生きようとする猫獣人の少女でした。


守るつもりで差し出した手は、いつの間にか離せないものになり、

一緒に眠る夜は、少しずつ当たり前になっていきます。

寒さも孤独も、寄り添えば耐えられる。

そう信じられるほど、日々は穏やかで、満たされていました。


これは、追放された伯爵令息が

「居場所」を得て、「家族」を持ち、

毎日毎晩、確かに愛されながら生きていく物語です。

雪が降る日だった。


王都の冬は、飾り立てられるほどに冷える。白い息を吐くたび、息だけが先に外へ逃げていくような気がした。ノアは広間の中央に立たされ、耳に入ってくる罵声を、ただ遠い音として受け取っていた。


「辺境の金を横流しした」 「獣人と通じた」 「王家に刃向かった」


証拠は薄く、告発は粗く、針の穴のような矛盾がいくつもある。けれど、その矛盾を指摘する時間は与えられなかった。弁明しようと口を開けば「往生際が悪い」と笑われるだけだった。


王は言った。感情の欠片もない声で。


「エーベル伯爵家次男ノア。爵位の継承権を凍結し、辺境への追放を命ずる」


それだけで終わった。裁きの場は、終わらせるために用意されていた。


ノアは膝をついた。悔しさよりも先に、理解が来た。ここは正しさを測る場所ではなく、消すべき者を消す場所だ。父も兄も顔を伏せている。救いはない。なら、せめて――誰にも噛みつかないように、静かに出ていく。


「承りました」


その一言が、やけに広間に響いた。誰かが満足そうに頷いたのが見えた。ノアはその頷きの意味を、まだ知らない。



辺境は、地図の端にあった。


王都で「灰の谷」と呼ばれるそこは、国境のさらに向こう側に迫る山並みの影に埋もれ、ほとんど人の往来もない。与えられたのは小さな小屋と、最低限の食糧と、雪が溶けるまでの薪。あとは――生きるだけだった。


ノアは思ったよりも平気だった。失ったものは多い。けれど、失うことに慣れていたのかもしれない。貴族の次男はいつだって余り物だ。役に立てと言われ、黙って従い、時に誰かの都合の良い器になる。


ここには都合がない。命令もない。責め立てる声もない。静けさだけがあった。


初めての夜、ノアは火の前で手を温めながら、笑ってしまった。何もない、というのは恐ろしいはずなのに、息がしやすい。


――ここで、ひとりで、生き直せる。


そう思った翌朝だった。


小屋の外、雪の上に、小さな影が倒れていた。人ではない。黒い毛並みの耳が、頭の上に伏せている。背中からは細い尻尾が伸び、震えている。体は痩せ、肩は硬直し、唇は青かった。


ノアは迷わなかった。


雪を払い、身を屈め、抱き上げる。軽すぎて胸が痛んだ。布で包み、火のそばへ連れていく。水を温め、少しずつ口に含ませる。指先で頬を叩いて呼びかける。


少女は薄く目を開けた。金色の瞳が、怯えた獣のように揺れた。


「大丈夫だ。ここは……安全だ」


自分の声が、妙に柔らかいことにノアは気づいた。誰かに向けて「大丈夫だ」と言ったのは久しぶりだった。


少女は唸り声を上げ、逃げようとする。けれど体が言うことを聞かず、ただ指先がノアの服を掴んだ。抓るように、縋るように。


「怖くない。……君を追い出したりしない」


そう言うと、少女の耳が微かに動いた。


ノアは毛布をもう一枚かけ、火を強くした。彼女の呼吸が落ち着くまで、何度も同じ言葉を繰り返した。ここにいていい。怖くない。大丈夫だ。


その日から、ノアの辺境は「ひとり」ではなくなった。



少女は、言葉をあまり持っていなかった。


最初の数日は、目が合うだけで肩を震わせ、耳を倒し、尻尾を体に巻きつけた。ノアが近づくと呼吸が速くなる。けれど離れると、もっと不安そうにして、小さな手が毛布の端を探した。


ノアはゆっくり距離を詰めた。水と粥を作り、木の実を潰し、体を温め、傷を洗った。何か言葉を強いることはしなかった。大丈夫だ、だけを置いていった。


三日目の夜、彼女は初めてノアの火のそばに自分から近づいた。膝の横に座り、耳を揺らしながら、ちらりと見上げる。


「……のあ」


聞き取れるほど小さな声だった。名前を呼んだのか、ただ音を真似たのか分からない。それでもノアは笑って頷いた。


「そうだ。ノアだ。君は?」


少女は困った顔をした。言葉の代わりに、自分の胸元を指差す。


「……り、ね」


リネ。そう聞こえた。


「リネ、か。綺麗な音だ」


そう言った途端、リネの尻尾が一度だけふわりと動いた。嬉しさを隠そうとして失敗したように見えて、ノアは胸の奥があたたかくなるのを感じた。


その夜から、決まったことがある。


リネは必ず、夜になるとノアの寝台に来た。別の毛布と寝床を用意しても、そちらへ行かない。火が落ちる前にノアの腕の内側へ潜り込み、耳をぴくりと動かして、落ち着く場所を探す。


最初は戸惑った。けれど彼女の体温は低く、手を離せば震えが戻る。ノアは結局、腕を回し、背を撫で、耳の付け根を指でなぞった。


「毎晩、ここがいいのか」


リネは小さく頷いた。金色の瞳が、眠気の底でとろりと溶ける。


「……ここ、いい」


その一言が、辺境の夜を変えた。


ノアは、夜ごとに愛されていると感じた。抱きしめるのは自分なのに、抱きしめられているのは自分のほうだった。誰かがそばにいるだけで、心がほどける。誰かが眠りに落ちるまで自分を必要としてくれる。それだけで、人は救われるのだと知った。



季節が巡った。


雪が溶け、谷に水が走り、草が芽を出し、また白が戻る。ノアは薪を割り、畑を耕し、狩りを覚えた。リネは少しずつ言葉を増やし、笑い方を覚え、泣くときはノアの胸に顔を埋めるようになった。


不思議なことに、この土地は静かすぎるほど整っていた。人の住まいがないはずなのに、石畳の欠片が雪の下に眠り、谷の奥には苔むした祠がある。風が乱れず、獣の気配が常に周囲を巡っている。守られている、という感覚。


ノアはそれを「辺境の古い名残だろう」と片づけた。考えすぎは癖になる。ここで暮らすのに必要なのは、明日の薪と今日の食糧と、夜の火だけだ。


夜は相変わらず、リネが来る。


眠る前、必ず耳を撫でる。髪を梳く。額に口づける。彼女が安心するまで、同じ呼吸を重ねる。


「今日も一緒だよね」


そんなふうに確認されることが増えた。ノアが笑って「当然だ」と返すと、リネは尻尾を絡めるようにして、胸の上へ頬を寄せる。


「昨日も一緒だった」


「昨日も、今日も、明日もだ」


その言葉に、リネは目を細めた。泣きそうなほど嬉しい顔をして、それから安心したように眠った。


ノアはその寝顔を見て、思った。王都にいたころは、こんなふうに誰かの幸福を守る日々を、自分が持てるとは思わなかった。


そして――気づけば、家族になっていた。


小さな命が増えたことを、ノアは「いつの間にか」としか語れない。暮らしは連続で、夜は優しく、朝は慌ただしい。泣き声に起こされ、笑い声に救われ、肩に小さな手が乗るだけで、生きている実感が湧く。


リネは子を抱いてよく言った。


「ノアがいるから、ここは生きてる」


ノアは意味を深く考えず、ただ頷いて、二人の背を抱き寄せた。



復権の知らせは、ある日突然、雪の切れ間に差し込む光のように訪れた。


谷に馬の蹄の音が響いた。人間の使者だった。王家の紋章を掲げ、厚い外套に身を包んだ男が、ノアの小屋の前で馬を降りる。


「エーベル伯爵家ノア殿に告ぐ。――冤罪が判明した。名誉は回復され、王都への帰還が許可される」


男は淡々と読み上げた。まるで、事務処理の続きのように。


「貴殿は伯爵家に戻り、凍結されていた権利も順次復旧される。……戻る準備を」


戻る。王都。家名。地位。復旧。


言葉だけなら、甘いはずだった。追放される前のノアなら、喉から手が出るほど欲しかったはずのものだ。


けれどノアは、すぐに返事ができなかった。


小屋の奥から、子の泣き声が聞こえた。リネがあやしている。小さな手がノアの服の裾を掴む感触があった。見下ろすと、子が不安そうな目でこちらを見ている。


ノアの胸に、静かな重みが落ちた。


戻る、とは何だ。自分だけが戻るのか。リネと子を連れて行けるのか。王都は受け入れるのか。あの広間で笑っていた者たちは、今度は「辺境で獣人と暮らした男」をどう見る。


何より――自分は、戻りたいのか。


ノアは使者の顔を見た。男は待っている。戻るのが当然だと思っている。


ノアはゆっくり息を吸って、吐いた。火の匂いがした。木の匂いがした。リネの体温の匂いがした。


「……私は、戻りません」


使者の眉が動いた。


「何を言う。これは王命だ。名誉が――」


「名誉は、もう十分です」


ノアは自分の声が驚くほど落ち着いていることに気づいた。怒りも、憎しみもなかった。ただ確信があった。


「私はここで、ようやく生きる場所を得ました。戻れば、また誰かの都合で消されるだけでしょう。……ここには、私の家族がいます」


使者は言葉を失い、やがて苦い顔で書状を畳んだ。


「後悔するぞ」


「しません」


ノアが言い切ると、奥からリネが出てきた。子を抱いたまま、静かにノアの隣へ立つ。金色の瞳が使者を見つめる。使者は一瞬、言葉を詰まらせた。何かを見たような顔をして、けれどそれ以上は言わず、馬に乗って去っていった。


馬の音が消えたあと、ノアはリネの肩に触れた。


「……怖かったか」


リネは首を振った。代わりに、ノアの手を強く握る。


「帰らない?」


「帰らない」


「よかった」


その一言だけで、ノアは胸が詰まった。正しい選択をした、と体が理解した。


夜、リネはいつもより早く寝台へ来た。子も、当然のように真ん中に入ってくる。狭い寝台で三人が呼吸を重ねる。リネはノアの胸に額を寄せ、囁いた。


「今日も……一緒」


「毎日だ」


「毎晩も」


ノアは笑って、耳の付け根を撫でた。愛されている。必要とされている。ここが居場所だ。


その幸福が、最終的な一手になったことを、ノアは知らない。



数日後、谷に別の一団が現れた。


人間ではない。猫の耳を立て、尾を揺らし、軽やかな足取りで雪を踏む者たち。獣人だった。彼らは武器を持ちながらも、敵意を見せない。むしろ、礼節が過剰なほど整っていた。


先頭にいた女が、ノアの前で膝を折った。


「番殿。王都へお移りください」


耳慣れない呼称だった。ノアが戸惑うと、女は表情を崩さずに続けた。


「この地は、あなた方を迎えるには寒すぎます。子らのためにも、中央へ」


「中央?」


「我らの王都、ルナアルカです」


リネが静かに頷いた。まるで、最初から決まっていた道を確認するように。


ノアは一瞬だけ迷った。ここで築いた小屋、この谷の静けさ。この場所の火。


けれど、子の手が自分の指を掴む。リネの目が「行こう」と言っている。家族を守るなら、温かい場所へ。安全な場所へ。


ノアは頷いた。


「……分かりました」


その瞬間、獣人たちの肩が、わずかに緩んだ。安堵に似た気配が流れた。ノアはそれを「歓迎」だと思った。


本当は「確定」だった。



王都ルナアルカは、光の都市だった。


人間の王都とは違う。石と木と水が調和し、香が風に混ざり、夜でも街が呼吸している。獣人たちの視線が、ノアとリネに集まる。けれどそれは好奇ではなく、礼に近い。頭が下がり、道が開く。


住まいは宮殿に近かった。近すぎる、と感じるほどに。


「なぜ、こんな場所を……」


案内役は微笑んだ。


「中枢に近いほど、安定しますから」


意味が分からず、ノアは曖昧に頷いた。護衛はつかなかった。代わりに、誰もが道を譲り、誰もがノアを見守っている。守られているのではなく、観測されている。そんな感覚が、薄い膜のように肌にまとわりついた。


夜は変わらない。リネが来る。子が来る。毎晩、同じ寝台で、同じ火の匂いを作る。ノアはそれを「どこに行っても変わらないもの」として抱きしめた。


そして、儀礼の日が来た。


大広間。王座。光の柱。左右に並ぶ臣下。獣人たちは整然と立ち、ざわめき一つない。ノアはリネと並べ、と告げられた。並ぶ位置が、王族に近すぎる。


「……リネ、これは」


リネはノアの手を握った。指先が震えている。怖さではなく、覚悟の震えだった。


大扉が開き、玉座の前に一人の男が立った。王だ。銀の毛並みを持つ猫獣人の王が、ノアを見下ろして、静かに言う。


「よく来たな、番よ」


番。


ノアの心臓が跳ねた。呼称が、ここで確定した。


続いて、王の声がリネに向けられる。


「姫よ。お前の帰還を祝う」


姫。


ノアはリネを見た。リネは目を伏せ、耳を倒し、けれど手だけは離さなかった。


「……姫?」


リネは小さく頷いた。唇が震え、言葉がこぼれる。


「言えなかった。……言わないほうが、ノアが……楽だと思った」


「追放された私に、姫が――」


ノアが言いかけたところで、臣下の列が一斉に膝を折った。祈りのような沈黙が広間を満たす。ノアだけが立ったまま、取り残されたように見える。


案内役が、すぐ横で囁いた。


「番殿。どうか、恐れないでください。あなたは、必要とされています」


必要。


言葉が、胸の奥を冷やした。大切、と同じ顔をしていて、別の意味を持つ言葉。


儀礼は滞りなく進んだ。祝福の歌。子らに注がれる礼。王族よりも先に、子らの名が読み上げられる。「次代中枢」と、誰かが言った。


ノアは笑うことしかできなかった。ここで笑わなければ、家族が不安になる。リネの肩が固くなる。子が泣く。


夜、住まいに戻ると、リネは泣かなかった。代わりに、ノアの胸に額を押しつけた。昔、雪の上で倒れていたときのように。


「ノアは、怒る?」


「……怒れない」


「嫌いになった?」


「ならない」


それが本心だった。ノアはリネを愛している。ここまでの毎日毎晩が、嘘だとは思わない。抱きしめた温度も、眠りの呼吸も、子の笑い声も、全部本物だ。


だからこそ、言葉が出る。


「……なぜ、言わなかった」


リネはしばらく黙り、やがて、穏やかな声で言った。


「好きになったのは本当。でも……好きになる前から、ノアは必要だった」


ノアの背筋に、冷たいものが走った。


「必要、って」


リネは目を閉じた。祈るように、告白するように。


「この国は、中心を失うと壊れる。中心は、血だけじゃ安定しない。……番が必要。外の血が必要。境界を越えるものが必要」


ノアは息を呑んだ。


「追放された私が、都合がいい、と」


リネは首を振る。慌てたように。


「都合じゃない。……私は、ノアが優しいことを知ってる。疑わないことも。守ろうとすることも。だから――」


「だから、選ばれた?」


リネの唇が、かすかに震えた。


「うん」


沈黙が落ちた。火の音だけがした。ここは王都なのに、火の音が、辺境の小屋と同じように聞こえた。


ノアは問うべきことを、ひとつだけ選んだ。


「復権の話を断ったのは、私の意志だ。……その瞬間、何が起きた」


リネは、泣きそうな顔で笑った。慰めの笑顔だった。許しを乞う笑顔だった。


「あなたが断った瞬間、契約は完成したの」


ノアは言葉を失った。契約。完成。自分が選んだと信じていたものが、最終確認だったということ。


それでも、胸の上で眠り始めた子の体温がある。リネの手がある。今ここで立ち去れば、彼らはどうなる。


――自分がいないと、壊れる。


その言葉が、優しさの顔で首を絞めた。


「……怖がらないで」


リネが囁く。いつもと同じように、耳の付け根に指が触れる。


「ここは安全。みんな、あなたを大切にしてる」


ノアは、思わず笑ってしまいそうになった。大切。必要。安定。完成。


言葉が全て同じ温度で並んでいるのに、意味が違う。


「壊れたら困るだけ?」


ノアが冗談めかして言うと、リネは一瞬だけ言葉に詰まった。答えが出ないのではなく、答え方を探している顔だった。


その沈黙が、何よりも誠実だった。


ノアは、結局リネを抱きしめた。いつも通りに。毎晩と同じように。胸の奥が痛いのに、それでも手は離せなかった。


愛している。守りたい。家族だ。――それは全部、本当だ。


だから逃げられない。



翌朝、ノアは庭に出た。


空は澄んでいた。王都の中心は温かい。辺境の寒さはもうない。子らは笑いながら走り回り、獣人たちが優しく見守る。リネは窓辺で手を振っている。いつもの顔で。


この光景は、幸福そのものだった。


ノアは、自分が今も満ちていることに気づく。怖さはある。違和感もある。それでも、失いたくないものが目の前にある。誰かに奪われたくない。


王都の書庫では、古い文書が整理されていた。


王家の印。境界条約。灰の谷に関する付記。そこに、短い一節が残っている。


――境界安定のため、貴族男子一名を献上する。

――名目は追放。理由は問わない。

――返還は不可。契約の完成は、本人の意思による拒否をもって確定する。


ノアはそれを読まない。読む必要がないほど、今が満ちているからだ。


彼は今日も夜になれば、いつも通り寝台に戻る。リネが来て、子が来て、耳を撫でられ、体温を確かめられ、息が重なる。


毎日毎日毎晩、愛される。


愛されることと、戻れないことが、同じだったとしても。


ノアは、きっと笑う。


「ただいま」と言って。

彼は、最後まで不幸にならなかったと思います。

裏切られたとも、騙されたとも、感じていなかったでしょう。

毎晩そばに誰かがいて、名前を呼ばれ、必要とされ、抱きしめられる生活は、彼にとって確かな幸福でした。


だからこそ、この物語は少しだけ歪んでいます。


守られていることと、管理されていること。

愛されていることと、固定されていること。

選んだつもりでいたことと、選ばされていたこと。


その境界は、とても薄く、そしてとても優しい形をしています。


彼が拒まなかったのは、弱さではありません。

彼は最初から、誰かを守ることでしか自分を保てない人間だった。

だからその役割を与えられたとき、疑うより先に受け入れてしまったのです。


恐ろしいのは、誰も悪意を持っていないことです。

少女も、王も、国も、ただ「必要な形」を選んだだけでした。

そして彼もまた、「愛される形」を選んだだけでした。


幸福のまま終わる物語ほど、残酷なものはありません。

それが檻であっても、檻だと感じない限り、人はそこを居場所と呼びます。


彼にとっては、最後までそれが“家族”でした。

読んだあなたにだけ、ほんの少し、違う景色が見えたなら――

この物語は、きっと正しく終わっています。

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