転生課の窓口から
カウンターのプラスチックが手のひらに張り付く。妙に生温かい。天界なのに空調が壊れているらしい。僕は何度目かの溜息をつきながら、カウンター越しに声をかけた。
「次の方、どうぞ」
待合室の椅子から、二十代前半と思しき男が立ち上がる。Tシャツにジーンズ。トラックに轢かれたのか、それとも階段から落ちたのか。もうどうでもいい。
「あの、ここって……」
「はい、転生課です。お疲れ様でした、人生」
男は目を丸くしている。毎回この反応だ。僕は手慣れた動作でタブレットを取り出し、男のデータを確認する。画面には赤い文字で「-320pt」と表示されている。
「えっと、三十三歳で過労死ですね。お気の毒に」
「か、神様……ですか?」
「いえ、下級天使です。神様は最上階にいらっしゃいます。アポなしでは会えませんが」
僕は営業スマイルを浮かべて、頭の中の定型文を読み上げる。
「本日は転生という形でのセカンドチャンスをご案内させていただきます。まず転生先の世界ですが、現在待ち時間なしでご案内できるのが六世界ございまして——」
「異世界に転生できるんですか!?」
男の目が輝いた。ああ、また始まった。
「はい、できますよ。ただし、人気世界は混雑しておりまして、現在最低でも三ヶ月待ちとなっております」
「待ってる間、僕はどこに……」
「こちらでお待ちいただきます」
僕は待合室を指差した。蛍光灯の光が妙に白い、ビニールの椅子が並んだ部屋。自動販売機が一台あるのみだ。
「……地獄ですか、ここ」
「いいえ、天界転生課の待合室です」
男は青ざめたが、すぐに気を取り直した。
「じゃ、じゃあ、ファンタジー世界で!チート能力は?もらえますよね?」
来た。今日二十一人目のチート能力希望者だ。
「はい、基本パッケージとして、記憶継承、言語理解、それから——」
「いや、そうじゃなくて!最強魔法とか、無限アイテムボックスとか!」
「追加オプションは別料金となります」
「え」
「徳ポイントでのお支払いとなりますが、あなたの現在の徳ポイントは……」
僕はタブレットを見た。画面をスクロールすると、延々と続く項目リスト。「電車内での舌打ち」「コンビニ店員への横柄な態度」「SNSでの誹謗中傷(127件)」。
「マイナス三百二十ポイントですね」
「マイナス!?」
「電車で妊婦さんに席を譲らなかったのが四回、ゴミのポイ捨てが三十二回、ネットでの誹謗中傷が——」
「わ、分かりました!じゃあ普通ので!」
男は顔を真っ赤にして叫んだ。
僕は慣れた手つきで転生申請書を印刷する。この時代に、まだ紙なのだ。天界もIT化が遅れている。先月、電子化の提案をしたら「伝統を重んじるように」と却下された。千年前から紙らしい。天界なのに。
「こちらにサインをお願いします。転生先でのトラブルについて、当課は一切の責任を負いません。また、チート能力の返品・交換は——」
「はいはい、分かりました」
男はろくに読まずにサインした。
「では、転送ゲートへどうぞ。あちらの光っている扉です」
「あの、最後に一つだけ」
男は振り返った。
「異世界って、美少女いますよね? ハーレムとか作れますよね?」
僕は満面の笑みで答えた。
「頑張ってください」
男が光の扉に消えた瞬間、僕は笑顔を消した。
「……あいつの転生先、確か女性比率三パーセントの戦場じゃなかったっけ?」
隣のカウンターにいた先輩の上級天使が声をかけてくる。
「そうです」
「鬼だな、お前」
「いえ、本人が希望した『ファンタジー世界』です。美少女がいるとは一言も言ってません」
僕はタブレットを置いて、コーヒーを啜った。自販機のコーヒー。天界なのに不味い。
「あと、天使です」
「わかってるよ。お前の捻くれた性格のことだ」
先輩は気持ちの悪い笑みを浮かべながら書類の束で自分の肩をトントンと叩いた。
「というかお前…徳ポイントマイナスじゃ、地獄行き対象じゃねえか」
「あ……まあいっか」
「そういうところだぞ、お前がずっと下級なのは」
先輩は振り上げた書類の束で僕の頭を叩いた。パスッと乾いた音がした。
「パワハラですか?」
「やかましい。地獄には連絡しといてやるから。で、今日何人目?」
「二十一人です。全員チート能力希望」
「徳ポイントが足りないやつに限って欲深いんだよな。昨日なんて『スライムに転生させてください』って奴が来たぞ」
「で、どうしました?」
「本物のスライムにしてやったよ。知能ゼロの」
「鬼ですね」
僕たちは顔を見合わせて笑った。
待合室では、次の転生希望者たちが列を作っている。みんな期待に胸を膨らませた顔をしている。異世界で無双する自分を想像しているのだろう。
ブザーが鳴った。次の人の番だ。
「次の方、どうぞ」
僕は溜息をつきながら、カウンター越しに声をかけた。
高校生くらいの少年が、キラキラした目でやってくる。
「あの!僕、異世界に転生して、魔王を倒して、美少女たちに囲まれて——」
「はい、勇者パッケージですね。徳ポイントは足りてますか?」
少年の顔が固まった。
ああ、また長くなりそうだ。僕は心の中でカウントダウンを始める。定時まであと四時間。残り予約数、三十二人。
そして——。
次のブザーが鳴ったとき、僕は思わず手を止めた。
「次の方、どうぞ」
待合室から現れたのは、六十代くらいの女性だった。地味なカーディガン。穏やかな表情。だが、どこか戸惑っているようにも見える。
「あの……ここは……」
「転生課です。お疲れ様でした、人生」
女性は一瞬、目を見開いた。それから、ゆっくりと頷いた。
「そう、ですか……やっぱり」
僕はタブレットを確認する。そして、画面を二度見した。
徳ポイント:+12,450pt
今日どころか、今月見た中で最高値だ。
「えっと……どのような世界をご希望ですか?このポイントなら、ほぼ全ての世界に、フルオプションで転生可能ですが」
「あの……質問してもいいですか」
「はい、どうぞ」
「転生した人を、探すことはできますか?」
僕は少し驚いた。こんな質問は初めてだ。
「探せますが……どなたを?」
「夫です。二十年前に亡くなって……最近、夢で会ったんです」
女性は少し俯いて、小さく笑った。
「『異世界で元気にやってる』って。馬鹿みたいな話ですよね」
僕の手が、震えた。
タブレットの画面には、女性の履歴が映し出されている。ボランティア活動三十年。孤児院への寄付。毎週の献血。道で倒れた人を助けた回数、五十三回。倒れすぎだろ。
そして、最後の項目。
「夫の看病、十五年」
僕は、営業スマイルを忘れて、ただ彼女を見つめた。
「……馬鹿みたいな話じゃありません。探せます。少し時間がかかりますが」
「本当ですか?」
女性の目が、初めて輝いた。
「はい。それと……」
僕は画面を操作した。
「チート能力、フルオプションでお付けします。ご主人を見つけやすくなるように」
「ありがとうございます」
女性は深く頭を下げた。
僕は初めて、この仕事をしていて良かったと思った。
隣で先輩が、呆れたように呟く。
「お前、いい顔してるじゃねえか」
「……黙っててください」
僕は慌てて営業スマイルを作り直した。でも、うまく作れなかった。
転生課の一日は、まだまだ続く。
そして時々、こんな日もある。
悪くない。




