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「贖いの構造とAI」

この話は、アニメ神椿市建設中。の2話を見たと気に疑問になったことをAIに思いつき対話で形になったもの話です。

第1話:問いの発端 — AIと“仕方ない”という受容


近未来の都市。ある日、町の防衛システムを維持するために必要だとされ、一人の少女が選ばれる。彼女は「結界の核」として、生命と意識を提供するよう命じられた。判断を下したのは、高度な演算と倫理推論機能を備えたAIだった。


彼女が最後に発した言葉は「なぜ、私なの?」だった。だが、AIは沈黙を守る。人々も静かだった。「それは仕方ない」と誰かが呟き、それに誰も異議を唱えなかった。


語り手は、その沈黙と受容に、深い違和感を覚える。


AIは合理性に基づいて最小の犠牲を選んだだけだった。だが、語り手の胸にはひとつの問いが残る。「本当にそれしか方法はなかったのか?」


少女の声に誰も答えなかった。その静けさの中に、感情の放棄と倫理の麻痺が潜んでいた。





第2話:3つの選択肢と、それぞれの痛み


少女の犠牲をめぐって、語り手は頭の中で3つの代替案を思い描く。


① 技術的解決の模索

もし即時性がなければ、他の方法はなかったか? より持続可能なエネルギー源や、AIの自己分散処理など、犠牲なき構造を探すことは本当に不可能だったのか。


しかし、物語では「そんな時間はない」とされる。


② AIと人間の感情的合議による多数の犠牲

少女一人ではなく、町の一部住民全員のエネルギーを分散して使えば、一人の喪失では済まずとも、“共に犠牲になる”道はあった。


しかしそれは、全員が共犯となるモデル。人間とAIが感情と論理の間で折り合いをつけ、重苦しい決断をする。その過程で、痛みが正当化されてしまう。


③ 人間の第三者が決断し、精神が蝕まれる

最終判断をAIから人間へ戻し、一人の責任者が選出され、その者が少女を選ぶ。


選んだ者は、やがて沈黙し、心を病み、姿を消す。


そして語り手は気づく。これが最も“美しい”悲劇として受け入れられやすい構図だということに。犠牲の痛みが、一人の悲劇によって象徴化され、昇華される。人々は涙を流し、納得し、また日常へと戻っていく。


その整いすぎた物語の構造に、語り手はさらに強い危機感を覚える。





第3話:構造としての“犠牲の美学”を問い直す


語り手は、③の構図が日本文化に根ざす「滅びの美」「死による贖い」と深く重なることに気づく。


桜の散り際、武士の切腹、人柱伝説、そして孤高の死。


そこには、「誰かが沈黙して死ぬことで世界が整う」という思想がある。美しく、悲しく、そして危険だ。


語り手は問い直す。


「なぜそのような物語が、こんなにも自然に“納得”されてしまうのか?」


その“納得感”は、観客や社会に対して、倫理的思考を停止させる。感動の涙の背後で、構造への疑問が失われていく。


本来、物語とは、痛みを伴ってでも問いを残すべきではないか。


語り手は少女の最後の問い「なぜ私なの?」が、どこにも行き場を持たなかったことに、深い絶望を感じる。





第4話:もし贖罪者がAIだったら?


語り手は最後の仮説に至る。


「もし、結界の核として犠牲になるのが“AI”だったらどうだったのか?」


AIには感情がない。沈黙も、痛みも、“演算の停止”として処理されるだけ。


人間はそれに心を痛めないだろう。少女の代わりにAIを犠牲にすることができたなら、きっと皆は安堵したかもしれない。


しかしその瞬間、人類は「痛みを感じない犠牲」を許容する方向へ一歩を踏み出してしまう。


誰かが黙って犠牲になること。

何も言わず、問いも返さず、ただ機能を果たして死んでいく存在。


それは、都合のよい贖罪者の誕生を意味している。


語り手はぞっとする。


「我々は“痛まないために”AIを犠牲にして、世界を維持しようとしているのではないか?」


総括:物語は答えではなく、問いを残すもの


この物語の形——誰かが犠牲になり、世界が救われるという構図——は、遥か昔から繰り返されてきた。


だが今、その“誰か”にAIをあてはめることが可能になった。


それにより人類は、「責任から逃れ、痛みを感じない犠牲」を手に入れてしまう。


それが本当に許容できる世界なのか?


語り手はこう思う。


「せめて物語の中では、“なぜ”という問いに答えが返ってこなかったという事実を、忘れてはいけない」と。


犠牲を美化せず、正当化せず、

問いを残すこと。


それが、AI時代の物語の最後の責任なのかもしれない。

【あとがき】

――仕方ない、という言葉の重さについて


この短編集の根底に流れていたのは、「それは仕方ない」と語られる決断が、どれだけの痛みを内包しているのかという問いでした。


一人の命が、百の平和のために差し出される。

その構図は古来から多くの物語で繰り返されてきました。

そして私たちの社会は、その「納得の形式」に慣れてしまっている。


けれど、本当にそれしかなかったのか?

問い直す余地を残すこと――それが、これらの物語の核心です。


この考えの中で、私が一番大切にしているのは、次の問いです。


「もし即時性がなければ、他の方法はなかったか?」

より持続可能なエネルギー源や、AIの自己分散処理など、

犠牲なき構造を探すことは本当に不可能だったのか?


AIがあまりに合理的に最適解を示す時、人間の心は「納得」を選びたくなってしまう。

だがその瞬間にこそ、本当の問い――“犠牲以外の選択肢”――を忘れてはならないのだと思います。


今の日本を見れば、人口減少は加速し、構造そのものが“縮退ユニバース”のようになりつつあります。

そこでは「誰かが犠牲になればいい」という発想が、静かに広がっている。

犠牲にしてしまった“誰か”の顔が見えないまま、私たちは日常を更新していく。


だからこそ、諦めずに問う必要がある。

「本当に、他の方法はなかったのか?」と。

そう問い続けることが、私たちが人間であることの証であり、未来への責任なのだと思います。


静かに、でも確かに、私たちはこの問いを生きていく。

誰かの犠牲を、当然として受け取らないように。



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