表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
記憶の喫茶店  作者:
7/23

向日葵 -憧れと愛慕の再開-

 その日は、仕事の関係でいつもは使わない駅にやって来ていた。

 地下鉄特有の、こもったような熱気。電車が通り過ぎるたび、強い風が一瞬だけその空気をかき回す。

 スーツの裾を風に揺らしながら、俺は人が少ない場所を求めてホームの端へと向かう。慣れない構内で気が滅入り、自然と視線は足元ばかりを追っていた。


 ふと視線を上げると、小さなキーケースが落ちていた。パステルカラーの革製で、女性の持ち物に見える。

 少し前を歩く女性に向かって声をかける。


「すみません。これ、落としましたよ」


 拾ったキーケースを差し出すと、女性は一瞬だけ戸惑ったように目を瞬かせ、慌てて自分のカバンの中を漁る。カバンに見当たらなかったのか、キーケースを受け取った女性は、その場で中身を確認する。


 キーケースを開いたそのとき、鍵と一緒に、懐かしいキーホルダーがふと顔を出す。見覚えのあるキーホルダー。高校で、手作りだから──と色違いの片方を貰ったのを憶えている。

 中身を確かめていた女性が、ふと顔を上げた。


「ありがとうございます。中身も全部ありました」


 よく知っている顔だった──けれど、もう10年近く会っていなかった人。


「……先輩、ですか?」


 口が、その言葉を懐かしいと叫ぶ。

 その声に、彼女がわずかに眉を動かす。そして、まっすぐに俺の顔を見つめてきた。


「あ……久しぶり、だね」


 特急電車が通り過ぎ、風が吹く。先輩の腰まで伸びた髪がふわりと舞い上がり、その一瞬が──卒業式の日、最後に見た光景と重なった。

 ホームに、静かに目的の電車が入ってくる。

 名残惜しさを飲み込みながら、短い会話と連絡先を交わして、その場をあとにする。その晩、あの頃をなぞるような連絡が届く。


──今週末の金曜日、この駅前に19時集合!


 変わってなかった。あの頃と同じ、強引な誘い方。”了解”とだけ返す。あの頃と同じ、少し一方的で、それでいて心地いいやり取りに、自然と笑みがこぼれた。


--------------------

 金曜日、約束の19時を30分ほど過ぎた頃。


「ごめん!待たせた!」


 駅から走ってくる先輩を見た瞬間、思わず笑ってしまった。


「遅刻ですよ、先輩」


 俺の言葉に、先輩はあの頃と同じ様に“体当たり”で返してくる。照れなのか、気まずさを誤魔化すためなのか。高校の頃から変わらないそんな先輩に、懐かしさが込み上げる。


「変わらないですね、先輩」

「……うるさいな!」


 あの頃のように、俺の手首を掴んで引っ張っていく。俺はそれに逆らわず、ただ先輩の背中を追う。

 制服からスーツに、夕方から夜に──いくつかの違いはあっても、10年前の記憶をなぞるようなその光景が、無性に嬉しかった。


「行く場所、分かってるんですか」

「任せときなさいって」


 そんな短いやり取りすら、まるで昔を再現しているみたいで──あぁ、本当に先輩なんだ、と胸が弾んだ。


--------------------

「卒業以来だから……10年ぶり?あんた、変わってなさ過ぎー」

「先輩……飲みすぎですって。それ、もう3回目です」


 先輩に連れていかれた居酒屋。

 今日は私の奢りだから──と、先輩は遠慮なく次々に注文を入れていく。俺がジョッキを空にする頃には、2杯目が空になる勢い。

 酒ばかりで腹を満たそうとする先輩に、枝豆や焼き鳥をどんどん取り皿に載せていく。どっちが年上なんだか──そう思いながら、自然と笑みがこぼれた。


「今日はねー、金曜日だからいいんです。それに、感動の再開じゃないですか?今飲まないで、いつ飲むのさー」

「それにしたって飲みすぎですよ……」


 先輩は絡み酒なのか、とため息を吐く。それを、何かのストレスと勘違いしたのか、さらに絡んでくる先輩。


──仕事はどうなのか?

──嫌なことはないのか?


(変わらないな、こういうとこ)


 酔ってなくてもお節介なのに、酔ってたらなおさらだ。そう思って、つい笑ってしまった。

 徐々に、俺の話から先輩の話へと移っていく。


──あんの上司……私だって頑張ってるんだよー。


 弱音を吐いたかと思えば、次の瞬間には笑顔で後輩の話になる。


──うちの子がさー、これやってくれてさ。


 そう言って、目を細めながら楽しそうに自慢している先輩。その目は──何も変わらない先輩。けれど、それだけじゃない。今まで見せたことのない、弱さや悩みを打ち明けてくれる“今の先輩”も、そこにいた。

 怒って、泣いて、笑って──表情豊かなその横顔を見ていると、つられて俺も笑っていた。10年という時間を、少しずつ、確かに埋めていくように。


--------------------

「ぎもぢわるい……」


 今にも吐きそうな先輩に肩を貸し、店をあとにする。

 人混みを避けながら、先輩の指示する通りに歩みを進める。こうなることが分かっていたから、先輩の家の最寄駅にしたのか──と心の中でため息をつく。


「うぅぅ……」


 肩を貸しているせいで、距離は自然と近い。先輩の髪からふと漂ってくる匂いに、記憶が揺さぶられる。


「タクシーでも呼びましょうか?」

「いや……風に当たれば……そこ曲がれば河川敷だから」


 先輩に言われた道を曲がると、そこは確かに河川敷だった。誰もいない夜の河川敷。川辺から吹く風が、アルコールで火照った体を覚ましていく。


「ありがとね。ここからは一人で歩けるから」


 そう言って、先輩は回していた腕を離す。腕が離れていくことに対して無意識に、あっ──と声が漏れてしまい、顔を背ける。


「ん?どした」


 俺の顔を覗き、心配そうに声をかける先輩。その心配する表情が真剣だから、余計に気まずくて。


「あっ、いや何でもないです。……それより、ここからどう行けばいいんですか?」

「お?送ってくれるのかい」

「まぁ……先輩も、一応女性ですし」

「え?一応?」


 送っていきたいと思ったのは、ただ──もう少し一緒にいたかったから。それを自覚しているからこそ、照れ隠しに悪態をつく。

 先輩も、それが冗談だって分かっている。だからちゃんと、笑って文句を返してくれる。


 この関係が好きだった。心地よくて、自然で。長く隣にいて、気づいたときには──もう、先輩のことが好きになっていた。でも、その気持ちを伝える勇気だけは、持てなかった。


「こうやって、二人で歩くのも久しぶりだね」


 少し先を歩いていた先輩が振り返り、柔らかく笑いかけてくる。その笑顔を見た瞬間、やっと気がついた。

 あぁ、俺は──今でも先輩のことが好きなんだ、と。

 けれどその気持ちを、今も昔も、伝える勇気なんて持ち合わせていない。だから俺は、ただその笑顔を見つめることしかできなかった。


「……え、なんでそんなに見つめられてるの?」

「自意識過剰ですよ」


 素直になれずに返すのは、いつだってそんな子どもみたいな悪態ばかり。


「君ってさ、昔から私にだけ、やたら冷たくない?」

「気のせいじゃないですかね」


 好きな子に意地悪をしたくなる、小学生男子みたいな態度。

 そんなことしたって、気持ちが伝わるわけじゃないと分かっていたのに。それでも──伝えることはできなかった。臆病だったから。自信がなかったから。何より──俺が、先輩と出会うのが遅すぎたから。


「先輩」

「んー?どしたー」


 酔っているせいか、少しふらつきながらも楽しそうに歩く、その背中。昔も今も、ずっと好きだった人。好きで、好きで、後輩という立場を利用して、その隣を独占しようとした。けれど──先輩の隣には、いつだって“他の誰か”がいて。

 悲しい過去を思い出し、現実を受け入れられず、弱い俺は──言ってはいけない言葉を、つい口にしてしまった。


「俺、先輩のこと──」

「なんで私たちは、いつも間が悪いんだろうね」


 楽しげだった先ほどの声とは違う、少しだけ沈んだ声が、俺の言葉を遮った。足を止めることなく、先輩はゆっくりとこちらを振り返る。


「二つ違いって大きいよね。私が3年になって、やっと君が入学してきたんだもの。そりゃぁ……自分の気持ちに気づいた時には、私は卒業だわな」


 懐かしむように話すその表情には、笑みがあった。けれど、その笑みには力がなかった。


「あーあ、ほんと……なんで、また会っちゃうのかなぁ」


 先輩は少し先で立ち止まり、空を見上げる。まるで、なにかをこらえるかのように。


「せっかく……忘れてたのにさぁ」


 そう呟いた声は、風にかき消されそうなくらい、小さくて。

 今にも崩れてしまいそうな、見たことのない先輩。伸ばしていいのかも分からない手を、それでも先輩に向けて伸ばす。けれど、その腕が伸びきる前に、先輩がこちらを見る。


「ねぇ……私の気持ちって、もしかして独りよがりなのかなぁ……もし違うならさ──」


 先輩がゆっくりと、こちらに歩いてくる。泣き出しそうな顔で。

 受け止めたい。いや、受け止めさせてほしい。そんな気持ちが、心の底から湧き上がる。


「私さ……ずっと君のことが──」


 言ってほしい。その続きを。そもそも、最初に言おうとしていたのは、俺の方だった。

 好きでした──そんな言葉が今にもこぼれ落ちそうで。しかし、その言葉を、俺は先輩の左手を見て飲み込む。

 代わりに口をついたのは、残酷な一言。


「先輩。旦那さんのこと、好きですか?」

「っ……」


 動揺に染まる先輩の顔。口を開きかけては、また閉じる。その繰り返し。

 きっと、分かっているのだ。今、何を言おうとしていたのか。それが、口にしてはいけない言葉だったことも。

 もう“恋愛ごっこ”をしていい年齢じゃない。


「わ、私はっ──」

「先輩」


 俺は、なんてずるいんだろう。

 元をたどれば、先に言おうとしたのは俺の方だったのに。駅で気づいていたのに──誘いを断ればよかった。連絡先を交換なんて、すべきじゃなかった。

 結局、俺は先輩を、また傷つけただけだった。


「先輩。また……()()()、飲みにでも誘ってください」


 頭の良い先輩なら、この”いつか”の意味にも気づくはずだ。その証拠に、先ほどまで堪えていた涙が頬を伝って零れ落ちている。


「先輩」


 いつも優しく、時に厳しく、俺にいろんなことを教えてくれた人。部の代表として、委員会の代表として、常に胸を張って歩いていた人。高校生活を語るうえで、なくてはならない人。

 そんな先輩が、今は”嫌だ”と言うように頬を濡らしている。でも、頭のいい先輩は、知っているのだ。いま、手を伸ばすことはしてはいけないと。


「先輩と出会えて、幸せでした」


 本当は、もっと突き放す言葉を言うべきだったのかもしれない。それが言えない俺は、最後の最後まで、臆病者だった。


「今まで、ありがとうございました」


 頭を下げ、先輩に背を向ける。

 静寂に包まれた河川敷。川の音に紛れて、少し歩いたところで──後ろから、小さな声が聞こえた気がした。


「私の方こそ……今までありがとう」


 家まで送るとか言っておきながら、結局、その言葉すら守れなかった。俺と別れたあと、無事に家に帰れましたか?──なんて、いつか訊ける日が来るだろうか。

 そんなことを考え、思わず後ろを振り返る。でも──河川敷には、もう誰もいなくて。


「先輩……ずっと、好きでした」


 届かないと分かっているから、口にする言葉。しかし、一度出してしまった言葉は、止まる事なく漏れていく。


──ずっと、ずっと好きでした。


 高校生の頃は、先輩には彼氏がいたから諦めた。

 今も、先輩の隣には誰かがいるから諦める。

 それでも、届かない、届けない言葉なら口にしても許される気がして。


「ほんと、なんで今さら出会っちゃうかなぁ」


 卒業以来、一度も連絡を取っていなかったくせに、どうして今さら。そんな運命を恨みたくなる出会い。

 それでも、やっぱり会えた嬉しさの方が大きくて──先輩が去った方から目を逸らしたくて空を見上げる。そこには、冬の高い夜空が広がっていた。高校時代に、先輩とこんな空を一緒に見たなぁ──なんて記憶を懐かしむ。


「あー……さむっ」


 さっきまで寒さなんて感じなかったのに、今は急に、風が身に染みる。


「酒が……抜けたのかなぁ」


 これから、一人自分の家に帰ることを想像し、今まで隣にあった手の温度や、声の響きがふと蘇る。そんな記憶を忘れるように、俺はひとり、まだ空いている居酒屋を探して、元来た道を戻る。

第1弾目の投稿はここまでとなります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。


基本的には月・金曜日を目処に投稿していきたいと考えています。

最後までお付き合い頂ければ嬉しいです。

よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ