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記憶の喫茶店  作者:
5/9

赤いアネモネ -恋と痛みの月曜日-

「あ、これ……いい」

「だろ!?絶対好きだと思ったんだよ!」

 放課後の図書室。受付用のカウンターの内側、いつもの場所。

 一つのスマホから伸びたイヤホンの片方を私、もう片方を君がつける。そして、お互いの片手で支えるスマホの画面。音楽のリズムと一緒に、指先がそっと触れそうになる。

 毎週月曜日は、図書委員の仕事で、一人で図書室(ここ)に来ている。けれど、本を借りに来る生徒なんて滅多に現れない。

 誰も来ない、誰にも声をかけられない静かな時間。私はこの月曜日の放課後が──痛いほどの静寂が少しだけ嫌いだった。

「あ!これ見て!」

「おっ!これ限定品のやつじゃねぇか!」

 そんな少年のように目を輝かせる君の横顔を見つめる。楽しそうに笑う君。こんな時間がずっと続けばいいのに──そう思った矢先。画面に、君がよく話題に出している“あの子”からのLINE通知が届く。私は何気ないふりで目をそらし、少しだけ、笑った。


 半年程前。この時期は雨が多くて、外も暗くて。そんな景色と、誰もいない図書室の静けさが妙に合っていて──私は、本を読みながら、時々閉じてしまう瞼と格闘していた。

 手元のページをめくる動作に集中しようとしていた時、不意に足音が近づいてくる。

──なぁ、本読まなくてもここにいていいか?

 カウンターの内側に座る私に、ぶっきらぼうにそう言ってくる君。

(読まないのに、どうして来たの?)

 そんな疑問が喉元まで浮かんだが、それを悟られないように、私は笑って返す。

──静かにして頂けるなら。

 君が図書室(ここ)に来たのは偶然で、部屋に入ると決めたのも気まぐれだったんだろう。席に着いた君は、本を読むでもなく、スマホの画面を見つめていた。誰も来ない静かな空間で、その姿だけが少しだけ浮いて見えた。

 それでも、私もまた、特に気にすることなく本のページをめくっていた。

 ページをめくりながら、ふと頭に浮かんだのは──体育祭で目立っていた君の姿。休み時間には、廊下で君が友人達に囲まれていた姿。そんな君が、スマホを弄りながらも、どこか落ち着かない様子で座っている。

(人を観察する趣味なんてないくせに)

 興味が君へと注がれていることに気が付き、そんな自分を笑い本へと視線を戻す。

──なぁ、その本面白いのか?

 本に集中していた私は、君が近づいてきたことにも気づかず、声をかけられた瞬間、思わず大きく肩を跳ねさせてしまった。傍から見ても分かるほど驚いて、顔が熱くなったのを、今でもはっきり覚えている。

 肩が跳ねた拍子に漏れた声が、静かな図書室に響く。それが余計に恥ずかしくて、思わず目を伏せた。

 そんな私の様子に気づいたのか、君はすぐに「悪い」と頭をかいて謝ってくれた。言葉遣いはちょっと雑なのに、優しい人なんだ──そう思ったのを覚えている。

──読む?

 顔の熱が引くのを待って、ゆっくり顔を上げる。君は、別にすごくかっこいいわけでも、背が高いわけでもなかった。それでも、袖をまくった腕には日焼けの跡があって、無意識に目がいってしまった。

 同じ教室にいても、きっと話すことなんてなかっただろう──それが最初に言葉を交わした頃の印象だった。

 そんな君が、それから毎週月曜日の放課後になると、決まって図書室に顔を出すようになった。最初は、ただの暇つぶし相手が増えただけだと思っていた。

 でもいつの間にか、君がそこにいる時間が、私にとって特別になっていて。あんなに嫌いだった月曜日が、ちょっとだけ楽しみになっていた。


「そろそろ時間じゃない?」

 イヤホンを外して君に返すと、君はそれを片手で受け取りながら、もう片方の手でスマホを確認する。そのまま、イヤホンをポケットに無造作に突っ込んで。

 ポケットからはみ出していたコードが気になって、思わず指でつまむ。

「ちゃんと入ってないよ」

 そう言いながら、私はそのイヤホンを、そっと君のポケットに押し込んだ。何気ない日常の風景。この光景が愛おしくて。

「あぁ、すまん。……もう少しかかるって連絡来てたわ」

 君は私の顔を見ることなく、スマホの画面に目を落としたまま、どこか遠くに話しかけるみたいに呟いた。

 今、隣にいるのは私なのになぁ──なんて、自分でも馬鹿みたいな考えだと思って、溜息だけがこぼれた。

「最近、暗くなるの早くなったよね」

 そんな君の視線を、今だけでも奪いたくて、思いついた言葉を口にする。私の声に反応するように、窓の外に視線を向ける君。けれど──その視線がこちらを振り向いてくれることはなくて。

「なんだかなぁ」

 私の小さな呟きに気づくことなく、君は窓の外を見続ける。その視線の先には、私ではない人がいると分かっているから、胸が少しだけきしむ。それでも──そんな横顔が、やっぱり好きだった。

 この半年間。私はずっと、自分に言い訳をし続けてきた。

──ただの暇つぶし。

──好きなアーティストが同じで話が合うだけ。

──君が帰ると、図書室が退屈になるから。

 そんな言い訳を重ねる度に、自覚してしまう。私は、君のことが好きなのだ。でも、それに気づいたところで何も変わらない。廊下ですれ違っても、君は私に気づかない。一人で歩く私と、誰かに囲まれて笑う君。

 たぶん、私のことなんて、この図書室でしか視界に入っていない──そう思うだけで、胸の奥が少しだけ痛くなった。

 月曜日の放課後だけの関係。週初めにだけ訪れる、ひそかな楽しみ。この一週間で、いちばん好きな時間。その終わりを告げるように、カウンターの置き時計が小さく鳴った。

「……図書委員、今日までなんだ」

 この時間も、今日で終わり。ここは、私と君を繋いでくれた──たったひとつの場所だった。

 楽しい時間って、ほんとうに一瞬で過ぎていく。そのくせに、この3年間で一番の思い出になるんだから──と、やるせない感情が心を埋め尽くす。

 来週からどうしようかな──なんて答えをくれない天井を、ぼんやりと見つめていた。

「じゃあ、廊下とかで見かけたら声かけるわ。新曲の話とかしたいし」

 現実から逃げかけていた私を、君の声があっさりと連れ戻す。優しくて、どこまでも無邪気なその言葉。だから、君の言葉に深い意味なんてないと分かっていても、続く言葉は私には辛くて。

「ここで話せるのも、もう終わりか……。せっかく、同じ趣味の”知り合い”ができたのに」

──知り合い?友達ですらないの?

 心の奥で、君の言葉が何度も、何度も反響する。分かっている。その”知り合い”に深い意味はない。きっと”友達”と同義だって。でも──私は、君の隣を──もっと胸を張って歩ける、そんな“名前”が欲しかった。

 そんな私の小さな我儘。それでも、もし願えば──なんて、つい期待をしてしまう。気を緩めると、それを言葉にしてしまいそうで、怖くなって。 胸の奥に、そっと押し込めた。

 吹けば飛んでしまうような、いつも通りの私を装って──せいいっぱいの笑顔で、君に伝える。

「絶対、声かけてよ?君、友達多そうだからさ。……私、たぶん、遠慮しちゃうから」

 辛いと叫ぶ私の心に、君は気づかないで、もちろん──って笑ってうなずく。私と君は約束を交わす──きっと叶わない約束を。


「──っと、部活終わったみたいだわ」

 最後の時間を壊す、スマホの通知音。君は嬉しそうに、LINEの画面を私に見せてくる。背景には──さっきまで私と話していた君よりも、ずっと楽しそうな笑顔のツーショット。

 胸の奥が、じわりと冷たくなる。やるせないこの感情は、誰にぶつければいいのだろう。

「あ、うん。じゃあ……終わり、だね」

 この時間も。この関係も──今日で終わり。

 君は、それを本当に分かっているの?と私が不安に感じてしまうほど、いつも通りの仕草でリュックを背負う。

「お前もさっさと帰れよ。図書室なんて誰も来ないだろ」

──違うよ。君が、来てくれてたんだよ。

 そんな嘆きに近い言葉をどうにか飲み込む。でも、全部は飲みきれなくて。

「今日が最後なんだし……もう少し話さない?」

 縋るようなその声が、ほんの少し震えていた。

 言った瞬間、自分でも驚くほどに、後悔の波が押し寄せてきた。

「あー……確かにな」

 そう言って、君は廊下へ向かう足を止めてくれる。それだけで、嬉しかった。

 けれど、同時に分かってしまう。私が、君を困らせてしまったことも。分かってしまうから、私は強がる。

「……冗談だよ。その代わり、私を見つけたら声かけてよね」

 精一杯、笑ってみせた。うまく笑えていたかなんて、分からなかったけれど。

 私も君に倣うように、帰りの支度を始めた──せめて、一緒に図書室を出たかったから。

「図書室の解放時間も終わりだし、私も一緒に出るよ」

 入り口で待つ君の背中を追うように、私は小走りで駆け寄る。その横をすり抜けて、電気のスイッチに手を伸ばした。

──ぱちん、ぱちん。

 スイッチを押す音と共に、図書室の奥から順に明かりが消えていく。この場所、この関係の終わりを示すように。

 後ろ髪を引かれる思いを押し殺し、静かに扉を閉める。手に持つ鍵を差し込む。カチッ──と音が鳴り、楽しかった時間の終わりを告げる。

「俺、一回自分の教室寄るからさ」

「ん、そっか」

──これが、本当に最後なんだ。

 そんな気持ちを胸に、私は小さく頷く。 きっと、君はそんなこと、これっぽっちも思っていないんだろうけど。

「また、話そうね」

 私の言葉に、君は変わらず元気な声で、あぁ──と返して、廊下を軽やかに駆けていく。

「ねぇ!」

 階段に足をかけたその背中に向けて、反射的に声を張った。声を掛ける気なんてなかった──はずなのに。

 私の心は、頭で思ってた以上に限界だったようで。

「私、この図書室の……毎週月曜日のこの時間が好きだった!」

 シンっと静まり返った廊下に、私の声が響く。

「おう。またな」

 そんな、返事にもなってない返事を残して彼は階段を駆け上がっていく。

 その背中が見えなくなるまで、私はただ立ち尽くしていた。もう二度と、見ることのない気がするその背中を。

 少し勇気を出した言葉は、結局彼には届かなくて。分かりきってた答えに、落ち込み傷付き。私は、君とは逆方向へと歩き出す。


「失礼します」

 図書室の鍵を職員室で返す──その動作ひとつすら、今日が最後だ。

 そう思うと、胸の奥が少し痛む。

 息を切らしながら昇降口へと走る。下駄箱に触れた手が、下駄箱の冷たさをはっきりを伝えてくる。それが、余計に寂しさを加速させる。

 外はすっかり暗くなっていて、校舎の窓にはところどころ灯りが残るだけ。

 校門まで続く道に目をやる。君の姿がどこにもないことを確かめる。私は小さく息を吐いて、少しだけ歩幅を速める。

 ふと校庭の方へ目をやると、君の姿が見えた。本当は──君と一緒に帰りたかった。朝も隣で歩きたかった。できることなら、この気持ちだって、伝えたかった。

 しかし、君の隣を歩く”彼女”の存在が──そんな願いを、ひとつずつ霧散させていく。

 君が放課後に図書室へ来ていた理由。それが、ただの“時間潰し”だったと知った日の夜は、悔しくて、悲しくて、何度も枕を濡らした。でも半年もあれば諦めはつく。辛くないとは、言えないけれど。

「──来るのが遅すぎるんだよ」

 もっと早く図書室に来ていてくれていたなら。彼女が隣にいる、あの日よりもずっと前に──私の前に現れてくれたなら。

 そんな“君任せ”な想いにすがってしまう自分が、情けなくて。どうせ私は、何もできなかったくせに──と、そっと笑った。

 校門を出て、駅へと続く道。その角を曲がる直前、私はもう一度だけ振り返った。

 笑い合いながら歩く君と、君の隣で楽しそうに笑う彼女。二人はあまりに自然で、もうそこに“私の居場所”なんてないことを、あっさりと突きつけてくる。だから私は──その光景を見ないように、二人の前を歩く。

「──それでも、せめて。二人の一歩後ろを歩けるぐらいにはなりたかったんだよ」

 それが、私のたった一つの願いだった。だけど──私と君の関係は“友達”と呼べるほどには、築かれていなかったのかもしれない。

──私は、何か頑張ったっけ?

──君に、何か伝えようとしたこと、あったっけ?

 自分に問いかけるたび、胸の奥が静かに痛む。

 分かっている。何もしなかった私が原因なんだ。それでも──それでも、掴みたかった。あの図書室《場所》がなくなった今、代わりの場所を、心の居場所を、どこかに求めたかった。

(それぐらい、許してくれてもよかったのに)

 誰にも届かない私の心の声。届けた所で、意味のない言葉の代わりに感謝を伝える。

「お幸せにね……この半年間は、本当に楽しかったよ」

 冷たい冬の夜に、私の小さな言葉が音もなく溶けていく。

 そして私は、商店街の入り口にあるあの喫茶店で、今日は甘いケーキでも食べようか──なんて考えながら、静かに学校を後にした。

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