喫茶店-最終輪-
テーブルの上で、一凛の“黄色い彼岸花”がわずかに揺れていた。さっきまで誰かの指先が触れていた名残のように。
喫茶店内を、コツン、コツン──と歩く音が響く。その音の主は、テーブル横へと歩き花瓶へと手を伸ばす。
「記憶、ちゃんと思い出せたのですね」
花瓶の隣に置かれた、空っぽのマグカップ。綺麗に飲み干され、それを用意した彼──マスターも嬉しそうに微笑む。
片手に花瓶。もう片方にマグカップを持ち、カウンターへと向かう。
つい先程まで、店内には二つの声が確かにあった。店主であるマスターと、記憶をなくした少女。
この喫茶店の存在意義を説明され、記憶を無くして訪れた少女は泣いていた。思い出になるほど、幸せな人生ではなかったのか──と。そんな自分の人生を悲観し、泣いていた。
そんな少女を見て、マスターは無意識に言葉を発してしまっていた。
──貴女を愛した人がいた、と。
きっとそれはルール違反で、咎められるもの。それでも、マスターが今だにマスターであるということは、許された、ということなのかもしれない。しかし、そんな、答えを与えてくれる存在が現れることもなくて。
マスターは手にしていたマグカップと花瓶をカウンターへと優しく置く。
「彼岸花……しかも、黄色ですか」
花言葉を教えると約束した、遠い記憶。
そんな遠い記憶を懐かしみながら、マスターはカウンター席へと座る。
椅子を引く音、マスターの吐く息の音。マスター以外誰も居なくなった店内でマスターの動作一つ一つの音が反響する。
「黄色の彼岸花の花言葉は、“追想”と“再会”。貴女は、喫茶店での記憶すら大切だ、と置いていったのですね」
“追想”──幾つもの記憶を通して、自分の記憶を取り戻した。
“再会”──自分より先に逝ってしまった人が、実はずっと一緒にいてくれた。
「『私の記憶、いいでしょ!』でしたっけ」
少女がマスターに惹かれ、この場に残る事を選びそうになった時。少女に見えぬ場で、手を握り締めていたマスターが強い言葉を返した。
消沈する少女へと、何度も手を伸ばしては下ろしていたマスター。掴もうとした手が、何度空を掴んだことか。
しかし、少女は自分で立ち直り、マスターへと笑って伝えた。
『ちゃんと思い出して言いたいんです──“私の記憶、いいでしょ”って』
マスターは、少女のそんな前向きな言葉に目を見開いていた。それは、マスターが恋をし、愛した人と重なったから。
思わず「……やっぱり、貴女は、変わらないですね」と、言葉が漏れてしまうほどに。
マスターは、おかわり用に、と用意していたカフェオレをカウンターの内側から取り出す。冷めてしまったそれを、ゆっくりと口へと付ける。
「やっぱり……この分量は甘過ぎですよ」
マスターの、小さな、でも嬉しそうな笑い声が静かな喫茶店へとゆっくり溶けていく。
『記憶の喫茶店』これてに最終回となります。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
もしよければ、
【評価】【感想】を頂けるととても嬉しいです!
よろしくお願いします。




