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ポインセチア-聖夜に燃える心-

 歩行者天国の真ん中に、巨大なクリスマスツリーが立っている。イルミネーションの光がやけに眩しくて、目に痛い。

 通りを行き交うのは、手を繋ぐ恋人たち。制服姿の高校生、同年代の大学生カップル、子どもを連れた家族──誰もが笑顔を浮かべている。

 その笑い声は氷水みたいに冷たく胸にみ、私だけが輪の外に弾かれている気がした。

 ほんの二時間前までは、この景色の中に自分もいるはずだったのに。


『すまん。他に好きな奴ができた』


 スマホに並ぶ冷たい文字は、どこまでも冷たく無機質だった。

 鏡の前で何度も髪を直し、服を選び、口紅を塗り直して。慣れないヒールに足を痛めながら、少し早めに待ち合わせ場所に立っていた私が、どれほど滑稽に思えるか。


 初めて告白をされ、初めての彼氏。大学生活に浮かれて、友人たちの忠告も「大丈夫」と笑い飛ばした。ほんの一瞬、「あれ?」と思う時もあったけれど、見ないふりをした。曇ったガラス越しに世界を覗くみたいに。

“恋は盲目”──結局、私は何も見えていなかった。

 それでも、最後の境界線だけは越えなかった。口も、身体も。その線が、かろうじて残った唯一の救いだと思った瞬間──。


「いや……許さなかったのが、逆にいけなかったのかな」


 そんな言葉が喉の奥から零れた。

 泣きたいのに涙は出ない。“なぜ?”という問いだけが、街の喧噪に掻き消されても頭の中でこだまし続ける。

 痛むヒール、冷たい夜風、周囲の幸せそうな笑い声。

 この街で立っているのは私ひとり──そう告げられているみたいで。別れの言葉よりも、孤独の現実の方が痛かった。


「……先輩、ですよね?」


 胸の奥が空っぽになりかけていた時、名前を呼ばれて振り返る。

 そこには、懐かしい制服姿。高校時代、友人に“紹介してくれ”と冷やかされた後輩。私より背が高く、顔立ちも整っていて──当時から眩しく見えた存在。


「やっぱり先輩だ。お久しぶりです」


 その笑顔が、今の私には少しズルく見えた。

 笑えないはずの頬がふっと緩む。


「え、今、僕の顔見て笑いました?」

「ごめん、ごめん。なんか……嬉しくて」


 並んで歩き出すと、街路樹のイルミネーションが二人の影を舗道に並べた。

 その影が、まるで“一人じゃない”と囁いているようで。独りぼっちのはずだった心の奥が、ほんの少し温まった。


「大学はどうですか?」

「んー……正直、全然慣れなくて。君は? 受験勉強、大変でしょ」

「まあ、なんとか……。でも、先輩も大変そうですね」


 他愛のない会話。それだけなのに、胸に沁みる。

 気づけば、さっきまで刺すように冷たかった空気が、少しだけ和らいでいた。


「塾の帰り?」

「ええ。先輩こそ、一人でどうして──」


 悪意のない問いかけ。

 だからこそ、胸の奥のつかえを正確に突かれたみたいで、言葉が詰まる。声にならない沈黙のあと、喉の奥から勝手に零れ落ちた。


「……フラれちゃった」


 発した瞬間、喉が焼けるように熱くなり、涙が頬を伝う。涙は夜風に触れたそばから冷えて、頬を伝い落ちていった。


「先輩……よかったら、これ」


 差し出されたのは、鮮やかな赤いハンカチ。

 柔軟剤の香りがほのかに漂うハンカチで、涙を拭う。赤い布地の上に散ったラメが、飾り付けの欠片みたいに消えていく。

 貼り付けていた虚勢が、静かに剥がれ落ちるように。


「ごめんね……」

「別に、先輩が謝ることじゃないでしょ」

「ははっ……君、意外とキザなんだ。モテるでしょ」


 からかう声で誤魔化しながら、視線を落とす。

 涙でぐしゃぐしゃの顔を見せたくなかった。頼れる“先輩”でいたかったのに。


「先輩ぐらいにしか、言わないですよ」


 隣から聞こえた小さな声に、胸が跳ねる。

 不器用な優しさが、涙をようやく止めてくれた。


「ありがとね。もう、君の先輩でもないのに。こんな日にまで助けてもらって」

「ずっとそうして来ましたから」

「ふふっ、確かに」


 高校の頃の景色がふっと蘇る。小さな生徒会室で、書類の山に並んで座って。

 会議では私が先に話しても、結局まとめるのは君で──“どっちが会長だ”なんて皆にからかわれて。

 そんな放課後の繰り返しが、当たり前になっていった。横を見れば、隣にいるのはいつも君だった。


「懐かしいね……まだ、一年ぐらいしか経ってないのに」


 年下のくせに、私よりずっと大人で。そんな君に、子供みたいに反発して。

 そのやりとりを思い出しただけで、自然と笑みがこぼれる。


 どうしてあんな男と付き合ったんだろう──肩の力が抜け、ようやく客観視できるくらいの余裕が戻っていた。

 生徒会の小さな教室。書類の山を前に、二人で夜まで残ったあの放課後の空気の方が、よほど宝物に思えた。


「君たちの受験終わったらさ、皆で集まろうよ」


 会計のアイツは、大学でもきっとおちゃらけて、場を笑わせているだろう。

 書記のあの子は、今も机に向かって漫画を描いているだろうか。

 そんな未来を想像するだけで、頬が緩んだ。


「……」


 妄想に浸っていたせいで、隣の沈黙に遅れて気づいた。

 俯いても、身長差で簡単に見えてしまう君の顔。その表情は、何かを言いかけて、飲み込んでいる顔だった。


「どうしたのさ。受験、不安?まぁ、分かるよ。あ!また、皆で勉強会でも開こうか!」


 わざと声を明るくして、笑ってみせる。


「勉強だけは、私の方が成績良かったもんね」


 自分で提案して、え?勉強だけ?──なんて、勝手にダメージを受けたりなんかして。

 それでも、君の表情は晴れなくて。放っておけず、隣を歩く君の腕にそっと手のひらを添えた。指先に移った温度の中で、彼の強張った力と、かすかな震えが伝わってくる。まるで鼓動みたいに脈打って、私の胸までざわつかせた。


「大丈夫? 何かあるなら言って? ちゃんと聞くから……私たちの仲じゃん」


 大きなクリスマスツリーの前で、君は立ち止まった。

 視線を泳がせて言葉を探すその顔は──マイクの前で副会長挨拶に緊張していた、あの時と同じだった。


「ほら、言ってごらん?お姉さんが、一緒にいてあげるから」

「……お姉さんって、たった一個差じゃないですか」


 そのやり取りは、舞台裏で小声を交わしたあの時と全く同じ。

 震えがようやく収まった君の腕から手を放し、少し先を歩いて振り返る。


「何を考えてるか分からないけど……君は、気負い過ぎ。私みたいに“大学生だ!”ってはしゃぐくらいでいいんだよ。……まあ、浮かれすぎは、良くないかもだけど」


 自分の失敗を思い出し、自分でも情けなく思える。言葉の終わりが夜風にかき消されていく。

 そんな弱さを隠したくて、正面から君の両腕を掴んだ。鼓動が速まるのを誤魔化すみたいに、少し強めに。


「ほら!どうした!言ってごらん!」


 俯いた視線が、ゆっくりと私の目を捉えた。

 覚悟を決めたような視線を受け止めて、思わず一歩下がった。


「先輩!」

「はい、なんでしょう」


 人前で言葉を詰まらせていた君が──今は視線を逸らさずに立っている。生徒会で、私が言う前に議題を整理してくれたあの横顔。先回りして支えてくれた、その成長を思い出す。

 そんな後輩の姿を、またこうして見られることが少し嬉しかった。


「ずっと……好きでした!」


 その言葉が胸に突き刺さった瞬間、時間が止まった。

 昔を懐かしんでいた私は、声を返すことができなかった。


「ずっと憧れていて……でも、先輩が悲しそうな顔してるのを見てたら、何で僕じゃないんだろう──って思ってしまって」

「あ、いや……ま、待って」

「待ちません!」

「ひゃい!」


 視線が近い。吐息が触れそうな距離で、睫毛の震えまで見えてしまう。赤くなった顔から伝わる熱気が、空気ごと押し寄せて胸を焦がす。

 自分の頬にも火が灯るのを感じて、思わず一歩下がった。けれど、その瞬間に君が一歩進む。

 逃げ場を失った心臓が、大きく跳ねた。


「先輩は、俺のこと……多分、男として見てないと思いますけど」

「い、いや、そんなことは──」


 そんなことは……ない。


 ──普段は頼りなく見えるのに、気づけばいつも隣に立っていて。

 ──その手は、私の掌なんて簡単に包み込んでしまうほど大きくて。

 ──見た目よりずっと力強いことも、知っている。


 喉が詰まって言葉が出ない。

 何か言おうと口を開けば開くほど、君を“後輩”じゃなく“男の子”として意識してしまって──余計に声が出せなかった。


「俺じゃ……俺じゃダメですか!」

「私……今さっきフラれたばっかの女だよ?」


 何とか、そんな皮肉で受け止める。


「相手の弱みに付け込め!って先輩に教わりました!」

「わ、私そんなこと言ったっけ……」


 真っ赤な顔で、それでも強気に返す君。

 昔の君なら絶対に言えなかったはずのその言葉に、思わず笑いがこぼれた。


 ──あんたらって、お似合いよね。


 そんな冗談を言う同級生の声を、ふと思い出す。

 頼りにはなるし、隣に立ってくれる。だけど気づけば、いつも半歩だけ後ろにいて。

 文化祭の準備で木材を運んでいた時も、結局私が先に声を張っていた。その横顔を見て、何か“違う”と切り捨てたあの記憶。


「……やっぱり、私は男を見る目がないのかなぁ。近くに、こんな良い人いたのに」


 白い息と一緒に零れた呟きに、自分で少し笑ってしまった。


「ケーキ、買って帰ろっか。……一人で食べるより、絶対楽しいもんね」


 そっと君の手を取った。その手は思った以上に大きくて、イルミネーションの光に照らされているその手は、やけに頼もしく見える。

 鼓動が速すぎて、握った手に伝わってしまいそうで、思わず顔を逸らす。先輩としての威厳なんて、もうどこにもなくて。


「ほら、行くよ」

「せ、先輩!答えは──」


 騒ぐ声が背中を追いかける。振り向きざま、引いた手を強く引き寄せる。驚いた顔が至近に迫り、イルミネーションの下で二人の影が重なる。

 一瞬、世界が息を潜める。私はそっと半歩だけ離れた。


「え、先輩、いま……」

「私、チーズケーキが好きなんだ」


 二人分あればいいけど、と祈りながら、もう一度その手を引く。

 聖夜の街に伸びた二つの影は、寄り添うように並んでいた。そんな二人を見送るように、夜空から小さな結晶が静かに舞っていた

本日は、12時半にもう1話投稿します。

よければ、覗いてみてください……月曜日の投稿分ということでm(__)m

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― 新着の感想 ―
失恋につけ込むしたたかさが成功の秘訣ですねw きっと二人の初キッスの味はチーズケーキ風味なのでしょう。 (*´ω`*)
と言う事は「この後滅茶苦茶・・・チーズケーキ食べた」で終わるんですね 何かの瞬間に手が触れて、お互い真っ赤になって「もう遅いから翔りますね」って… エッチな短編書けそうだったのに(純愛系は苦手だけど…
今回は僻みが入ります クリスマスだよ?、身持ちが堅かったのを反省してるんだよ?、2人でクリスマスを過ごそうって事になったんだよ? どうなるかは容易に想像できるじゃん、ぎこちないキスから… もげろ!…
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