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記憶の喫茶店  作者:
2/11

赤い彼岸花 -情熱と諦めの音色-(下)

 二日後には、彼にとっての──甲子園をかけた大事な試合がある。

 吹奏楽部も、それに向けて応援曲の最終調整に入っていた。


「そこ。もう少し……うん、そう」


 トランペットチームのリーダーとして、仲間達と練度を高めていく。あくまで、吹奏楽部の一員として。

 昼休みの教室で、昼食をとっていると親友が私に近づいてくる。


「どう、調子は」

「だいぶ良い。1年もかなり仕上がってきて──」


 親友の質問に答えかけたところで、彼女はふっと笑いながら、手を軽く振って遮る。


「同じパートなんだから、それは知ってるって。そうじゃなくてさ」


 少しいたずら心を含めた、でも、その奥に心配する気持ちがにじんでいた。

 箸をそっと置いて、あの時と同じように天井を仰ぐ。調子もなにも……あの日からずっと、蓋をした感情がうるさいのだ。

 騒いだところで何も変わらないというのに。


「伝えるのは自由だと思うよ、無責任なのは分かってるけどさ」


 何も返さない私に、親友はまるで自分に言い聞かせるみたいに呟いた。そんな様子に仕返しとばかしに、言葉を返す。


「野球部の応援、終わったらあんたの番だからね」


 親友は、しまったという顔で目を逸らす。

 親友とのそんな何気ないやりとりが、心地よい時間だった。


 それでも少しでも気を緩めると、自然と視線は校庭へ向いてしまう。グラウンドで全力で投げている君の姿を追ってしまうたび、諦めきれない私が存在を主張する。

 そんな自分が嫌で、最近は空白の時間を消すように音を出している。それが皮肉にも、応援曲の上達になっているのだから、目も当てられない。


「まぁ……野球部に──彼に届くように吹くよ。全力で」


 あくまで──音として。

 あくまで──応援曲として。


 そんな独白に近い私の呟きに、ため息を返す親友。

 それに合わせるかのように、昼休憩の終了を知らせるチャイムが響く。


「ほら、練習戻るよ。人の恋路を気にする余裕あるみたいだから、あんたには厳しくいくからね」


 悲鳴に近い声を背で聞きながら、トランペットを手に取る。

 私の音を、声を、想いを届けるために──。


--------------------

 高校野球都大会決勝戦。

 試合開始は10時らしい。


「あっつ……まだ9時なんですけど」


 場所は明治神宮野球場。試合開始を待つ間、私たち吹奏楽部は球場内の通路で待機していた。

 隣を見れば、親友も限界らしい。ポロシャツの襟をつまみ、そっと胸元に風を送り込んでいた。


「あんまりやると、中、見えるよ」

「見てもいいから、今だけ脱ぎたいよ」


 そんな情緒もへったくれもない会話をして、開始時刻を待つ。

 球場の通路は、無風に近く、じっとりと暑かった。周りの雑音を断ち切るように、膝に顔を伏せる。体育座りの姿勢のまま、呼吸だけが静かに続く。本番前の緊張が支配するこの時間。

 音楽を続ける理由が、彼のため──なんて思っていたけれど。自分で思っていた以上に、本番という舞台に緊張していた。


「あれ?あの人って……ねぇねぇ」


 顔を伏せていると、親友に肩を揺すぶられる。何よ──と嫌々顔を上げると、吹奏楽部の顧問に頭を下げお礼をしている君がいた。


「律儀だねぇ」


 そんな親友の呟きを無視して、顔をまた伏せる。

 演奏前はこうやって、意識的に周りの音をシャットアウトしたいのだ。だというのに……。


「今、大丈夫か?」


 頭の上から突然声を掛けられる。ゆっくり顔を上げれば、先ほどまで顧問と話していた君がいた。

 なんで、どうして──そんな思考より、今は音楽への集中力を高めていたかった。そんな私にとって、最悪のタイミングだった。


「何か用ですか。というか、マウンドに戻らなくていいんですか」


 ぶっきらぼうな私の返しにもまったく動じず、彼が答える。


「そんなに邪険にしなくてもいじゃんか」


 君は断りもなく、私の隣に座る。一人分の間もない距離。気づけば、隣にいたはずの親友はどこかへ行っていて、周囲には誰の姿もなかった。

 その空間が耐えられず、私はそっと君から距離を取る。


「え、くさかった?」


 見当違いな心配をする君を無視しながら、どうやってこの場を離れようか考える。

 別に嫌いじゃないし、心の中の私は喜んでいるけれど。今は音楽に集中したかった。それも結局、隣にいる人のためではあるのだけれど。


「グラウンドに戻って、練習とかしなくていいんですか」

「あと10分ぐらいしたら戻るよ」


 少なくとも、あと10分近くはここに居座るのだろうか。君のよく分からない行動にため息が出てしまう。

 体育座りのまま、膝に顔を置き、視線だけを君に向ける。じっと黙っている君の横顔は、どこか少し辛そうで。


「もしかして……緊張してるんですか」


 私の問いは、的を得ていたようで。図星をつかれた君は、首を抑えてうなずく。


「あぁ……これ勝てば甲子園だからな。緊張もするさ」


 だとしても、どうしてここに来たのか。そんな疑問が浮かぶ。

 そして、自分から地雷をあえて踏みにいく。


「そういう時は、彼女さんのところに行けばいいじゃないですか」


 私の問いに、君は恥ずかしそうに答える。こんなかっこ悪い所を見せたくない──と。

 舌打ちしたくなる感情を押し殺し、適当な返事でやり過ごす。

 彼女に弱音を吐きたくないからって、どうしてココに来るんだ。私はゴミ箱かなにかか。そんな卑屈な感想が生まれる。


「私だって、演奏前は集中したいんですけどね」


 君は気まずそうに、ごめん──と謝る。そのうえで君は私に頭を下げる。


「軽くでいいから……試合前に君の音を聴きたくて。あの、俺の背中を押してくれる音を」


 顔を上げた君の目は真剣で。いつかの教室の時みたいで。そんな目で見られたら、あの時同様断ることなんて出来なくて。


「はぁ……軽く音合わせをする予定なので、それでよければ」

「あぁ!よろしく頼む」


 今日はやけにため息を多く吐いてしまう、と思いながら立ち上がる。そうして、少し離れたところに集まっているパートメンバーに声をかける。


「ごめんね、少し早いけど」


 吹奏楽部部員が集まってる場所から少し離れ、音合わせを兼ねた最終チェックを行う。

 マウスピースに口をつける。先ほどまでの暑さによるダルさも、この瞬間だけは気にならなくなる。緊張すら置き去りにする。


 練習時の、仮指揮をしてくれる後輩の手の動きに、視線をそっと重ねる。

 それはこの日のために練習した曲。誰もが遅れることも、間違えることもない演奏。

 そんな演奏を、指揮者の後ろで聴く君。先頭で吹く私は、君が小さな声で、すげぇ──と吐く言葉を耳にする。

 どうだ、と言わんばかりの視線を君に送る。その視線を受け取った君は、にかっと笑顔をこちらに向け、グラウンドへ続く通路へと走っていく。


(最後まで聞いてけよ)


 そんな文句を音に乗せながら、彼の背を目で追ってしまう。走っていったと思ったら、通路からまた出てきて。


「絶対勝つから!」


 あくまで『私達』に言った言葉。分かってるけど……。

 応援だけすると決めたのに。隣で、君の弱い所を見てしまって。でも、私の音を聴いて嬉しそうに走っていって。そんな君を見せつけられて、伝えるなんて無意味だ──と思っていた私すら、伝えるだけなら──と意見を変える。


 音合わせを終え、再び静けさを取り戻した通路で、私は天井を仰ぐ。


「はぁ、バカみたい」


 それは、伝えることを諦めきれなかった私に対して。


「ふざけやがって」


 それは、通路に消えていった、私の想いをかき乱すだけかき乱した君に対して──。


--------------------

「なに、この熱気」


 試合開始時刻。吹奏楽部は応援席に整列し、息を潜めていた。

 両学校のメンバー紹介を終えると同時に、サイレンのような合図が鳴り響く。それと同時に、客席からの応援の嵐。気温も確かに高いけれど、それ以上に、人々の熱気が肌にまとわりつくようだった。


「静かな会場での演奏も緊張するけど……これはこれでヤバいね。緊張というか、プレッシャーが桁違いかも」


 隣の席で、私同様空気に吞まれている親友に同意の頷きを返す。

 野球のルールはそこまで詳しくはないが、スコアボードを見れば、お互いに点数を取れず試合が進んでいるようだ。

 試合に夢中になっていると、君がまたマウンドに上がっていた。先ほどの君の緊張も、この空気を感じてしまうとバカに出来なかった。客席にいてこんなに圧を感じるのだ。マウンドの中心で、色々な人の思いを一人で背負っていると思うと……尊敬してしまう。


「野球って団体競技のイメージだけど……あの人の緊張は、凄いだろうね」


 親友も私と同じ感想を抱いたのか、マウンド上の君へ向ける視線が微動だにしない。

 投球のあと、ガッツポーズを繰り返す君。その姿には、緊張よりも気迫の方が強く表れていた。彼がマウンドを降りると、うちの学校の選手が静かにバットを握って立ち上がった。


「そんな孤独な選手のために、お前らがいるんだろ」


 背後から突然声がして振り返ると、いつの間にか顧問が立っていた。どうやら会話を聞かれていたようだ。


「準備しろ。次のうちの……あー、次うちの学校が守る側になる時から始めるぞ」


 野球に詳しくない私たちでも分かるように、顧問は噛み砕いて説明してくれる。その声に背中を押されるように、私たちも立ち上がった。

 ケースを開け、楽器を手にする。そして、定位置へと足を運ぶ。


「いいか、全力で吹けよ。じゃないと、この球場の熱にお前らの音がかき消されるぞ」


 顧問──指揮者が、私達に向かって声をかける。

 発表会が行われる、あのシン──とした会場とは違う環境。少しでも遠慮したら、忠告通り、確かに音は届かないかもしれない。


「そろそろか……構え」


 言葉に合わせて、指揮者が腕を上げる。それを合図に、皆が一斉に構えの姿勢をとる。


「あんたの全力の音、ぶつけてやれ」


 隣にいた親友が、マウスピースに口を付ける直前に私に語りかける。直前で話しかけられると思ってなかった私は、驚き視線を隣に向ける。イタズラが成功した、子供のような表情をする親友。

 口元に分かりやすい笑みを見せ、私は親友へ言葉を返す。


「いわれなくても」


 マウスピースに口を付ける。

 熱気も、圧も、緊張も、全てがクリアになって指揮者へ視線を向ける。吹奏楽部メンバー全員が、指揮者へと視線を向ける。

 それを合図に、指揮者が腕を振るう。



 私達に背を向けながら、マウンドの中心へ向かう君。緊張、仲間からの期待。色々な物を背負いながら、一人で歩いている君。

 そんな君へ、音を届ける。


──頑張れ、って。

──負けるな、って。


 そんな応援する気持ちを届ける。


──私達も付いてる、って。

──独りじゃない、って。


 そんな肩を貸す気持ちを届ける。

 全力で、この球場の熱に消されないように。

 今まで練習してきた全てをぶつけるように。

 君は私達の音が届いたのか、こちらを振り向く。最初は、あの通路で見た緊張で押しつぶされそうな顔をしていたが、徐々にその表情を笑顔に変える。


──あぁ、その顔が好きだ。

──泥まみれになって、でも前を向き続けている君が好きだ。


 そんな、この場に相応しくない気持ちも音に乗せる。届くことがないと分かっていながらも、届いてほしいと思ってしまう。

 でも、君を応援をしたい気持ちも嘘じゃなくて。

 頬を伝い、垂れていく気持ちに気付かないフリをして。

 君は笑顔のまま、こちらにピースを向ける。

 そんな無邪気そうな君へ私の音を送る。


──ずっと、君が好きでした。


 高校生活最後の夏。

 言葉じゃなく、音に託した想いは──届かないと知りながらも、確かに、君へ送った。

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