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記憶の喫茶店  作者:
14/38

夏椿-愛らしさと儚さの向こうに-(中)

「チビ!全国出場だぞ!」


 高校3年の7月上旬。

 廊下を走るのはダメだって分かってるのに、気付けば足が速くなっていた。看護師さんに咎められても、胸の奥の熱が冷めなくて、早歩きで君の病室へ向かう。

 個室の病室には、1年近く経ったのに、長く伸びた髪以外に、成長の気配がない君がいる。部屋に充満する薬の匂いも、心なしか強くなっている気がした。


「あれ、お兄さん!今日も来てくれたんですか?」

「おうよ。どうだ、調子は」


 初夏の、少し暖かい風が病室のカーテンを揺らす。ベッドの上で本を抱えている小さな手は、去年と変わらないままだった。

 年を聞いたら、幼い見た目の通り、今年で10歳だと言っていた。小学4年生──休み時間の度に校庭を走り回っていた自分を思い出すと、こうしてベッドに縛られている君の姿が、どうしようもなく悔しくなった。


「うーん、ぼちぼち、です!」


 読んでいた本を、ベッドの上に伏せ、小さな手を膝の上に置いたまま笑顔を向けてくる君。

 最初の頃に見た涙は、あれ以来一度も見ていない。きっと俺のいない時に泣いてるんだろう──そう思ってしまうから、無理にでも時間を作って顔を出すようにしている。


「そんな事より──全国大会、凄いです!”全国”ってことは……勝ったら、世界一ですか!?」

「世界……?」


 俺の報告に喜び、一緒に興奮してくれる君。しかし、どこか認識がズレている気がして。

 少し考え、その理由はすぐに分かった。それと同時に、目の前にいるのが、小学生だということを改めて実感する。


「全国大会ってのは、世界大会じゃなくて……んと、日本の高校で一番強い奴を決めるんだよ」

「世界じゃなくて……え!?でも、それも凄いじゃないですか!一番強いってことですよね!」

「ま、まぁ……勝てたらな」


 君は笑顔のまま、信じ切った目で俺を見てくる。その無垢な瞳が眩しくて、退路を断たれるみたいだった。

 でも──疑いを持たない君の期待は、俺の背中を押してくれる。


「最後の試合の日が分かったら、教えてください!お母さんにお願いしてみます!」

「最後のって──」


 勝つか負けるかの世界で、最後と分かる試合は決勝戦だけ。もしかしたら、トーナメント方式すら知らないのかもしれないけど──君の言葉には、俺が負けるなんて一切思っていない事が伝わってくる。

 どうして、そんな全幅の信頼を──なんて思うが、最初に自分で“俺は凄い選手だ”なんて言っちまったんだよな……と目を伏せて、苦笑いが漏れた。


「いや、そんなことより。お母さんにって、応援に来てくれようとしてくれてるのか?」

「え?そうですよ!勝ったら、大きなトロフィー貰えるんですよね?お兄さんが貰ってるの見たいです!」

「気持ちは嬉しいけど……会場、県外だからなぁ」


 そりゃ、トロフィーも見たことないか──と苦笑いをする。

 学校にお願いしたら、1日ぐらい貸してくれないだろうか、なんて作戦を頭の片隅で練る。俺も君も、優勝する前提でいる事に気づいて、思わず一人で笑ってしまった。


「今回は我慢しとけ。いつか、クソデカいトロフィー見せてやるから」

「わかりましたよー。でも、写真ぐらい見せてくださいよ?」

「あぁ、もちろん」


 (こぶし)を君に突き出す。君は、相変わらず照れを持って、小さな手でそっと拳を合わせてくれる。それは、お互いに頑張ろう──という合図。

 俺はサッカーを。君は闘病生活を。

 小さな拳の重さに、クソデカいトロフィーを見せつける未来を少しだけ祈った。


「待ってろ。優勝報告持ってきてやるから」

「うん!頑張ってね、お兄さん!」


 君の目元に残る、わずかな隈。こんなもの、本来小学生に出るはずがないのに。

 決して俺の前では弱音を吐かない君の力に、少しでもなれるように──”絶対勝つ”と自分に言い聞かせ、吐いた嘘を胸に刻んで、病室を後にする。

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― 新着の感想 ―
嘘を本当にするために、血の滲むような努力をしたのでしょうね。 それで手にした全国への切符は凄い。 少女には、せめて写真だけでもトロフィーを見せてあげたいです。 (*´ω`*)
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