夏椿-愛らしさと儚さの向こうに-(上)
「ゴールデンボール賞、受賞おめでとうございます!世界という舞台での──」
「──チビ、見てっか!」
観客の歓声と、カメラのシャッター音が波のように押し寄せてくる。それらのせいで俺の声が、君に届く気がしなくて──もっと大きく叫ぶ。
「世界だ!お前がファンになったサッカー馬鹿は、世界を取ったぞ!」
大勢の報道カメラに向かって、大声で叫ぶ。喉の奥がひりつくほど叫んだ。
試合で疲れた身体には、とても重く感じるトロフィー。でも、取ったんだぞ!──と見せつけるために高く持ち上げる。
それでも届かない気がして、もっと大きく叫ぶ。
ファン1号になってくれた君へ向けて──。
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高校の部活──2年目の春。サッカーの試合で、じん帯を切ってしまい入院をした。入院に約一ヶ月。そこからリハビリで、最短でも半年。
現実を受け止めきれなくて、慣れない松葉杖を付いて院内を彷徨っていた。無機質な床に松葉杖がコツコツと響くたび、不慣れなせいで脇の下が痛む。その上、かすかに消毒液の匂いが鼻をつき、余計に気分が塞ぐ。
疲れた足を休めようと立ち止まったとき、近くの部屋から、静かな廊下にすすり泣く声が漏れる。中を覗くと、一人の女の子が泣いていた。
その姿は、俺なんかより全然小さくて。自分だって泣きたい状況だったのに、泣く姿を見た俺は、君をほっとくことなんて出来なかった。
「おい、なんで泣いてんだよ」
思ったよりも俺の声が響き、君はハッと息を止めた。
真っ赤な目元が、想像以上に幼く見えて──見た目だけなら、まだ小学生にも思えるほどだった。
俺だってガキみたいなもんだってのに、子供が泣いてるんじゃねぇ──なんて、そんなことを棚に上げて思ってしまう。
「お兄さん……だれ?」
「俺のこと、しらねぇの?」
「有名人さん?」
「おう!」
励ますつもりで、そんな嘘を付く。
その作戦は、功を奏したようで。俺の言葉を聞くな否や、君は小さく口を開いて目を丸くした後、ぱっと表情をほころばせた。
「ゆ、有名人さんなの!?なにで!なにで有名なの!」
無垢な瞳で、期待を向けてくる。その顔を見て、適当に付いた嘘が自分の首を絞めていることを痛感する。
何で有名なのか──部活でだってまだろくに活躍できていない。でも、誇れる物なんてサッカーしかなくて。
でも、少しでも元気付けたくて。逃げ場を自分から塞いでいく。
「サッカーやってる奴なら、誰でも俺のこと知ってるぜ」
親指で自分を指して、我ながら恥ずかしいセリフを吐く。その言葉の後ろには“いつかは”と付け足したくなるけど──ぐっと飲み込んだ。
君は目をキラキラさせて、サッカー選手なの!?と身を乗り出す。小さな手で布団の端をぎゅっと握りながら。そんな無垢な姿勢が、少し居心地が悪くて目を逸らしたくなる。
「テレビは!テレビに出てたりする!?」
「テ、テレビはっ──」
それは、さすがにバレるよなぁ──と、天井を見上げて誤魔化す。でも、変わらず期待の眼差しを向ける君に応えたくて。
どう答えようかと言葉を探していると、君は少しだけ声を小さくして呟いた。
「あ、あのね。テレビは、元気になったらって……今はお母さんにダメって言われてて……とうびょう?は沢山時間掛かるって……」
君はほんの一瞬うつむいた後、パッと顔を上げて、泣き腫らした目で笑う。
「でも!元気になったら絶対応援するから!」
まだ、テレビに出てるとは言っていないにも関わらず、君は笑って伝えてくれる。そこには、先ほどまで泣いていた姿はどこにもなくて──ただ、真っ赤な目だけが、その証拠みたいに残っていた。
まぁ、元気になったなら──そんな事を思いつつ、頭をかく。そして、なんとなく。ベッドに近づき、君の頭へと手を伸ばす。
「なら──君が、最初のファンだな」
「私が最初!?ほんと!?えへへ」
適当に、君を励ませたらなんて思って付いた嘘。でも、そんな笑顔を向けられたら、期待を裏切りたくなくて。
──飯食えば、早く治るだろうか。
──リハビリは、詰め込めば早く復帰できるだろうか。
「いや……入院中にできることを、コーチに聞いてみるか……」
「何か言った?お兄さん」
楽しいから続けていたサッカー。でも今は、君の無意識な期待に応えたくて。首を傾げ、こちらを見つめる視線から逃げたくなくて。
君の頭に乗っけた手で、雑に頭を撫でる。
「なんでもねーよ、チビ」
「チビじゃないよ!?」
なにより、こんなにも小さな笑顔を、悲しませたくなくて──。