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記憶の喫茶店  作者:
1/23

赤い彼岸花 -情熱と諦めの音色-(上)

開いて頂き、ありがとうございます。

未熟な所もあるかと思いますが、よろしくお願いします。

 まだ誰もいない音楽室。小さな窓から中をそっと覗いてから、鍵を差し込む。職員室で借りてきた鍵を使い、カチリ、と音を立ててドアを開ける。すると──静けさに包まれた空間が、目の前に広がった。

 4月中旬。まだ冷たい風が残る空気の中へ、私はそっと足を踏み入れる。


 ──シン、と静まり返った音楽室。私はケースからトランペットを取り出し、口もとへと運ぶ。春先の朝は、まだ寒い。登校中に冷えたマウスピースに触れた瞬間、思わず口を離した。

 マウスピースを手の中で温める。空いた手で壁際のスイッチに手を伸ばして暖房を入れると、機械音とともに、温風がゆっくりと広がっていく。

 部屋も少しずつ暖かくなり始めた頃、私は息を整え、ゆっくりと音を出し始める。


--------------------

 中学から始めた音楽は、高校でも続けた。

 中学の頃とは違って、覚える楽譜も多くなり、披露の場も増えていき、そんな日々は、中学よりもずっと充実していた。


 そして、高校では初めて他の部活の応援に参加することになった。吹奏楽部の新入生として、初めて応援したのは──野球部の新入生同士による紅白戦。

 練習期間なんて、たったの1ヵ月。演奏したのも、まだまだ未熟な曲。それでも初めての誰かに贈るための音だった。


 当時の私達が紡いだ初めての応援曲。そんな中で、私はトランペットを吹く手は止めずに、視線だけを、グラウンドの中央で投げている彼へと向けていた。

 1年生の時から、2年間想い続けた片想い。気づけば、音楽を続ける理由は“彼に届けたい”という想いに、そっとすり替わっていた。

 本来は、誰か特定の人に贈る音じゃなかったのに。いつしか彼だけを想って、音を紡いでいた。


--------------------

「部長さんは今日も一番乗りかー」


 指は動き続けているのに、思考だけがふっと遠のいていた。そんなとき、音楽室の入り口から声が聞こえてきた。


「まぁ……家も近いしね。習慣になっちゃった」


 中学からの親友。部活での相棒。いつも隣にいた存在。

 そんな彼女が、私と同じようにマウスピースを掌に包んだまま、呟く。


「あと半年だね」


 私たち3年生は、10月末をもって引退する。卒業まではまだ時間があるけれど、吹奏楽部としては10月で終わってしまう。


「ほんとに、伝えなくていいの?」

「今さら伝えても……ね」


 笑いながらそう返したけど、本当はもう何度も悩んだ。

 好きだと気づいた頃には、彼の隣には別の誰かがいて。自分の想いに気づいたのが遅かった。それだけの話。名前を呼んだことも、呼ばれたこともない。ただ、遠くからグラウンドの中央で投げるその背中を、ずっと見ていた。


 私の想いは、一方的で、勝手なものだった。だから──音だけでいい。


「引き際が良すぎるのも考えものよね」


 そうつぶやいた親友に、私は苦笑いを返す。

 自分でも損をしているとわかっていた。それでも、自分で決めた幕切れぐらいは走り切りたかったから。

 私は親友に謝る。


「相談、乗ってくれたのにごめんね」


 私の言葉に、親友は何も返さなかった。ただ、ふっと息を整えてトランペットにそっと音を乗せた。私も応えるように吹き始める。ふたりの音が、ゆっくりと重なっていく。

 音楽室の静けさに溶け込みながら、柔らかな旋律がゆっくりと広がっていく。その音は、他の部員たちが集まり始めても、しばらく止むことはなかった。


--------------------

 野球部は、あと二つ勝てば甲子園に行けるらしい。……らしい、というのは彼に対する興味が薄れたわけではない。夏は他のことに気を割く余裕がなかった。

 吹奏楽部にとって、夏にはこのメンバーで挑む最後の公式コンクールが控えていた。大会応援の練習や、期末試験まで重なっていて——。気づけば、夏は運動部以上に慌ただしい日々だった。


 そんな夏休み。学校の教室で私はひとり、トランペットの練習をしていた。一人、空き教室でトランペットを吹いていると、ふいにドアを叩く音が響いた。振り返ると、そこには土で茶色く染まったユニフォームを着た君が立っていた。


「なにか……御用ですか?」


 口から出たのは、そんなよそ行きの言葉。君は笑いながらこちらに歩いてくる。フェンス越しにしか知らなかった君が、今はすぐ目の前にいる。

 きっと一年前の私なら、恋する乙女の目で見つめていたに違いない。


「同級生なのに、どうしてそんなにかたっ苦しいのさ」


 君はそう言って、近くの席に座ると私に笑いかけた。

 私は、想いを伝えることも、恋の成就も、すべて諦めた。音を届けることで、彼の夢を応援しようと決めたのだ。

 それだというのに、あんなに静かだった心に、まるで不意に飛び込んできた“雑音”みたいに──君の声は私を乱してくる。そんな風に思う自分がいて──それに、ひどく驚いた。


「君が吹奏楽部の部長さんだったんだ」


 私の心の内の戸惑いなんて知らないまま、君は私に語り掛ける。

 応援がどれほど力になっているか。君はそれを、まっすぐな言葉で伝えてくれる。


「それが……仕事だったので」


 気持ちとは裏腹に、つい口をついて出たのは、そんなありきたりな一言。それでも君は私に笑いかける。


「ま、理由なんてどうでもいいさ。吹部に助けられてたのは変わらないしさ」


 試合中の彼しか知らなかった。諦めずに最後までボールを追いかける、真剣な顔。全身土だらけになっても気にしない。そんな彼が好きだった。でも、そんな彼の知らない一面を今さら知ってしまって──。

 ずっと“あの彼”を見ていたはずなのに──今、目の前にいる“君”に、また心を奪われている自分に気づいてしまう。


 ──あぁ、今の私にとっては本当に雑音だ。君の声は私のせっかく凪いでいた心をかき乱していく。せっかく諦めたのに……本当にやめてほしい。

 そんな八つ当たりに近い感情を飲み込み、私は静かに言葉を返す。


「まだ練習中なので、できれば練習させて欲しいです」


 そんな拒絶に近い言葉も、君の前では意味を成さないみたいで。


「静かにしてるからさ、君の音、聴かせてよ」


 ふざけているわけでも、おちょくってるわけでもない。そのまっすぐな視線を見れば、それは分かった。君にお願いされて、断れる私なんて最初からいないくせに。


「静かにしててくださいよ」


 そんなふうに、わざとぶっきらぼうに返して肺に息をためる。

 ──君に届ける音だよ。君だけを想って吹いてるんだよ。そんな声に出せない言葉を音に乗せる。


 自分でも、バカらしいと思う。相手がいる人をずっと想い続けて。叶わない恋を手放せなくて。でも、感情なんて頭でコントロールは出来るものじゃない。

 バカな私が、冷静な私の前に、申し訳なさそうに歩み寄っていく。心の中に浮かんだそんな光景が、少しだけ可笑しくて──少しだけ、苦しかった。


 今、人前で吹けるギリギリのところで音を止める。君の方を向くと、さっきまでの笑顔とは違う、どこかスッキリとした表情をしていた。


「君の音……だったんだな」


 君の不意な詩的な一言。私の頭の中には疑問符が並ぶ。

 そんな私の表情が可笑しかったのか、君は笑った。だけど少しして、恥ずかしそうな表情へ変わる。


「あー、いやさ。同じ楽器の音なんて、聞き分けられるわけねぇはずなんだけどさ。君の音聞いたら、いつもマウンドで投げてる時に一際耳に届く音と同じだな、って思ってさ」


 他の誰かが聞いていたら、きっと笑うと思う。でも、私にとっては、それだけで救われた気持ちになった。

 冷静な私とバカな私。そんな二人を遠くから見つめる、もう一人の私。


 どうせ──音なんて、聞こえやしない。

 どうせ──気持ちなんて、届くはずがない。


 そんな悲観的な私。そんな私を否定してくれた言葉。それだけで、もう十分だった。

 だから──君を教室から追い出す。


「……意味、よくわかんないです。そろそろ、練習をしたいのでいいですか」


 君の手首を掴み、そのまま廊下に出る。初めて触れた君の体温に、心が少しだけ揺れる。

 一瞬、手を──そんな思いが、ふと浮かぶ。手を繋ぎたくなっている自分を見つけて、バカみたい、って思いながら手を離す。


「もっと良い音、届けますんで」


 言い終えたあと、自分のバカみたいな迷いを断ち切るようにドアを閉める。

 君は30分もいなかったはずなのに──君がいなくなった教室の静けさが、やけに耳に触る。廊下からは、君が立ち去る音が聞こえる。それが余計に胸の奥を締めつけてくる。


「……今さら私の中に入ってこないでよ」


 窓側の席に座り、天井を仰ぐ。蓋をした感情が主張をしてくる。それに対して耳を塞ぎ、トランペットを手に取る。

 君に届けるための音を、もっと輝かせたくて──。

もしよければ、

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よろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
私もかつて吹奏楽部だったので、懐かしく読ませていただきました(*^^*) 細かな心情がよくわかり、一気に読んでしまいました。 続きも楽しみに読ませていただきます!
もちろん、いい意味ですよ。 ふつう男性が書くと、よほど力量のある人でないと「男から見た女」になっちゃうんです。 思わずプロフィール見直しました。 すごいです。
これ‥‥男性が描いてるんですか? って思ってしまいました。 また、読みきれないかも‥‥のブクマが増えます。。(^^;)
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