第九話 事実
未だ、声を上げない群衆にレイは告ぐ。
「これより、東都は私、レイの支配下に置かれる! そして同刻、東都は王都に対して宣戦布告を行う。私に意見があるものは来い! 直々に手を下してやる」
レイは叫んだ。
群衆は少しレイから距離を取ったが、一人、声を上げる。
「宣戦布告だと! ふざけるな」
そう言った男の顔が氷に潰された。
「私に逆らわなければ悪いようにはしない。これは勝ち戦であり、先頭で戦うのは私だ。だが、それはお前らの存在が取るに足らぬ存在であることと同義だ。わかるか? 今から、お前らを皆殺しにしてもいい。死にたくないだろ? じゃあ、黙って従え」
レイはそれだけ言い残し、アウストリに告げる。
「治してやるから立て」
血を流しながら、アウストリは立ち上がった。
レイは彼女の腹部から勢いよく剣を引き抜き、腹に触れる。みるみるうちに傷口は塞がっていった。
「この城を案内しろ」
もはや死体と変わらぬアウストリは黙ってうなずいた。
「お姉さん、大丈夫ですか」
東城の寝室にレイはノゾミと二人でいた。
「たぶん」
あいまいな返事を返す。そして、間違いなく「大丈夫」ではなかった。
本当は今からアウストリを呼んで能力者の情報を手に入れて来る決戦に向けて作戦を考えるべきだった。けれども、レイの体も精神も先ほどの戦いで深刻なダメージを負っており、すぐさま行動できるほどの体力はもはや残っていなかった。
そして、それはノゾミにもわかることである。
だからこれはあくまで形式的な会話ではあるけれども、
「別に私の前ではゆっくりしていていいんですよ。外はアウストリが守っていますし」
「そう、じゃあ甘えさせてもらうとするよ」
そう言って、レイはいきなり、ノゾミの体に抱き着いた。
「へっ、いや、ちょっ」
「あれ、これは読めなかったの?」
「まさか本当にするとは思わなかったんですよ」
いつになくノゾミが動揺しているのを見て、レイは満足したように笑う。
「ノゾミの体、柔らかいね。羨ましい」
「そ、そうですか」
レイの体は鍛え抜かれていて、固い。人の柔らかさに対して持っていた漠然とした理想がある。
「別に、お姉さんなら、好きにしていいんですよ」
「それは……やめとこうかな」
「そうですか」
レイはノゾミの体にもたれかかったまま、天井を眺める。東城の寝室は広いは広いがスルトの寝室よりも狭かった。東城自体、それそのものの大きさはかなりのものではあるが、各部屋は小さい。先ほどの戦闘中、東城の中に入ったレイはまるで、迷路みたいだと感じていた。もし、東城をいきなり襲撃することになっていたら、それにはかなり苦労しただろう。
だとするとやはり、アウストリとの正面からの対決は考えられ得る限り一番の手ということにはなる。もちろん、自分から作り出した状況ではないけれども。
レイは自身の運の良さに少しの不安を感じていた。いつか、この運が収束して、決定的な悪いことが起こってしまうんじゃないかと。それと同時にもしかしたら、これはただ単に運がいいというだけではなく──。
ため息をつく。
あまり、考えたくはないことだった。それに、おそらく事の真偽は明日、アウストリに尋ねればわかることだった。
「例えばさ、ノゾミ」
「そういうこと聞くんですか」
「ダメ?」
「別にダメじゃないですけど」
寝室は明かりがなく、暗い。ノゾミの表情は見えない。
「今から、そういうことしちゃったらさ、時間を巻き戻した世界で、思いだしちゃうのかな」
「私は、思い出してほしいですけどね」
少しの沈黙。
「お姉さんが幸せになっているときに、少しだけでも私の存在が思いだされれば、私にとってそれ以上幸せなことってないですよ」
「そう。じゃあ、幸せにしてあげたほうがいいのかな」
「…………私はそっちのほうが良いです」
ノゾミの体温が上がっている。
レイは、それを覚えている。かつて感じたあの時の体温と同じ。
「幸せにはなれないのかもしれない」
レイは言う。
「なっちゃいけないのもしれない」
「……そんなこと──」
「あるよ」
レイは目を瞑る。
思いだしていた。
それは、人の身体を断ち切る感触だった。
それは、人の命を奪うために能力を発動する決意だった。
それは、殺意だった。
返り血の温かさ。冷えた体温。虚ろな目。二度と声を発さぬ口元。
誰かを抱きしめていたかもしれないその腕を。誰かを愛していたかもしれないその唇を。
決定的に奪ってしまった罪悪感。
レイは考えていた。自分は人を殺したその腕でアイを抱きしめられるのか。誰かの血が触れたその唇でアイに触れられるのか。人のそれらの当然あったはずの権利を奪っておいて、自分だけ幸せになっていいのか。
心の中で煮えたぎっているのは、憎悪か、愛情か、それともただの肉欲か。
レイは目を瞑っていた。
目を開けていても何も変わらないからだ。暗闇の中で見える景色はいつも、自分が今まで歩いてきた道だった。数多の死体が転がる道を通っていて、レイは未だ人間であろうとしている。
わかる。
全てが終われば、そのひと振りで、道はすべてなくなる。事実はなくなる。この世に形をなして存在していた罪は消えてなくなるのである。
だから、それまで走り続けなくてはならない。
考えないようにしていた。どうせ巻き戻すこの世界で、殺した人間は人間じゃないと自分に言い聞かせ続けていた。
「そうですか」
ノゾミの声がひどく遠く聞こえた。だから、特に深く彼女の言葉を考えないようにしていた。
だから、呆気にとられる。
「なんで」
「それがあなたの罪です」
レイの唇が、ノゾミに塞がれていた。
「忘れないでください。私という人間の感情をぐちゃぐちゃにした責任を。幸せになった世界でも、全部思いだしてください。そうして、己の罪に苦しんでください。それが、世界を巻き込んでも自分の思い通りの人生を歩もうとしたあなた自身への、罰です」
ノゾミは抵抗しないレイの身体を布団の上へと横たえた。
「オオカミでもたまには子猫に喰われるんですよ」
一瞬、体に走った鋭い痛みをレイは己への罰だと受け入れた。
気怠い朝だった。久しく忘れていた──焦がれていた感触だった。
「おはようございます。お姉さん」
ノゾミが随分と良い笑顔で言う。
「うん、おはよう」
「よく眠れたようで何よりです」
「……うん」
レイが起き上がったとき、ノゾミはふっとレイの耳元に顔を近づけた。
「受け入れてください、罰を」
ノゾミはレイの耳を噛んだ。
東城、風の間。
アウストリが名付けたそこにレイ、ノゾミ、アウストリの三人が集まって、話しをしていた。
「アウストリ、王都から何か、連絡は?」
「何も来ておりません。早くても今日の午後になると思われます」
「午後か……」
王都からの距離を考えれば不思議ではない。問題は、向こうに先手を打たれるわけにはいかないというところにはなるのだが、それでも動向を多少は理解しておかないといけない。
兎にも角にも、まずは情報。
「能力を洗い出そう」
まず、レイの所有している能力は以下の十の能力になる。
『回復』、『未来視』、『操作』、『植物』、『召喚』、『強化』、『転移』、『火炎』、『氷結』、そして、レイ自身の能力である『奪取』である。
これに加えて、アウストリの『暴風』、ノゾミの『読心』が手中にある。
あと存在するのは九つの能力。
レイが把握しているのは、西都の領主トールが所有している雷に関する能力、『管理者』の所有していると思われる能力を支配する能力、そして、時を巻き戻す能力である『回帰』の三つがある。
「アウストリは能力者たちの会議に出たことがあるんでしょ。知っている能力、全部喋って」
能力者たちは不定期ではあるが、王都に集められることがあるというのは既にレイも知っているところだ。
「私も全部知っているわけではありませんが、注意しなければいけない能力者たちは把握しています。王都防衛線の五人の傑物です」
レイも聞いたことくらいはある。王都に常に駐在している五人の能力者はディアリーが誇る最強の能力者たちで、その実力はスルト、アウストリ、フリームスルスを凌駕し、西都のトールはその五人に肩を並べるほどだと。
だが、彼らの能力が公表されたことはない。
「まず、『劇薬』を所有するヨルガン、彼の能力は特定範囲内に多種多様な毒を散布することができます。その範囲制限については誰も知りません。けれども、彼一人で一つの国を滅ぼせるともいわれていますし、彼の毒は浴びれば数分で死に至ると言われています」
アウストリが続ける。
「続いて、一番の若輩者にして、王都防衛線の最重要人物『防護』使いのツクヨミ、彼女は王都全域に及ぶほどの見えない盾を張ることができます。彼女自身がそれを視認しないという縛りで、それは完全なる不可侵。王都に侵入するなら目下最大の問題になります」
とは言っても、王都内は交易の点を鑑みても、それ自体が張られていることはほとんどない。となると、やはり、向こうが用意をするよりも先に王都内に入るしかない。
「三人目が、『狂乱』のサトル。彼は先の二人に比べれば、単純で、その分恐ろしい相手です。能力は、体の全てのリミッターを解除して、好き放題暴れるというものです。その間、ほとんど不死身と言えるほど自分自身の体に常時回復能力をかけることができます。なかなか死なないので、当然、強敵です。それとセットになるのが四人目の『吸収』です。生命エネルギーを吸い取るというもので、サトルのエネルギー源は大体、これと言われています」
と、そこまでアウストリは喋って、最後に告げた。
「五人目、アトスはさらに格が違います。おそらく、この国最強の能力者です。能力は、『停止』、時間を止めることができます」
それこそ、本当に時間が止まったかのような静寂が流れた。
時間が止められる──それだけじゃあまりにもわからなすぎる。時間を止めている間、その止まっている世界にアトスがどれだけ干渉できるのか、そして、どれだけの間、止めていられるのか。いや、最強と言うほどだ。最悪を想定しなければならない。そう思いつつも、レイは思う。
最悪を想定したとして、そんな相手にどうやって勝てばいいというのか。
兎にも角にも、
「他の能力者は知らないの?」
「『水流』の能力を持つデルタは五人の傑物ほどではありませんが、かなり広範囲に水を出現させる能力を持つので厄介ではあると思います。おそらく、彼も王都にいるでしょう。あとの二人、『読心』を持つ者と、『回帰』を持つ者はどこにいるかは知りません」
「それなら──」
レイは、『読心』を持つのはノゾミだから、分からないのは『回帰』だけ、そう言おうとした。だが、それよりも、早く、アウストリは、次のようなことを述べた。
「『読心』は老齢の女が持っていると言われていまして、彼女はもう戦闘に参加できるような人間ではないでしょう」
おかしい。
レイの頭の中で、警鐘が響く。それは、初めて、ノゾミと会ったときから感じていた違和感。
ノゾミの顔が、視界の端に写る。その表情は変わらない。というより、アウストリの次の言葉を急かしているようにも見えた。
まるで、次に何を言うかを知っているかのように。
「『回帰』が今、誰が持っているかは知りませんが、これだけは間違いないことがあります。彼は、十二年前にスルトに焼き殺されて死んでいます」
記憶の片隅──アイの父親は能力者だった。彼が、先代の『回帰』の保有者、そして、能力は次の世代へと受け継がれていく。それは、今の『回帰』の保有者がどんなに年をとっていても、十二歳は超えていないということを意味していた。
全てが繋がった。
レイは知っていた。ノゾミとの出会いを、知っていた。
「ノゾミ?」
「お姉さん。私、言いましたよね。これは、罰です」
朝、噛まれた耳が痛みを思いだしていた。