第八話 風神
レイは理解に苦しんだ。突如としてざわめき始めた空気と、あからさまに雰囲気が変化したアウストリ。そして、「風神」という呟き。
何か能力を使用したそれはわかる。だが、何かがわからない。アウストリは目を瞑ったまま、こちらに攻撃してくる動作がないし、緊張感などというのはあくまで雰囲気の話でしかない。
おそらく、こちらからの攻撃を誘っている。そして、それは罠だ。何かをされる。だが、それが想像できない。彼女の風の能力をどう使えば、どういうことが起こるのか、それがレイには想像できないのである。
だから、理解に苦しんだ。
けれど、
「しょうがない」
レイは呟く。事態が動かない今の状態に痺れを切らしたのである。
まずは小手調べ。
レイは右手を上げ、人差し指を前に突き出した。
「氷の弾丸」
氷が初速毎時五百キロメートルを超え、射出された。かなりの反動がレイにかかり、そして、それは
「無駄ですよ」
アウストリは目を開いた。
放たれた氷は物理法則を完全に無視し、空気中でアウストリに届くことなく完全に制止し、そして、真逆の方向へと打ち出された。
レイは咄嗟に身をかわし、飛んできた氷を回避する。そして何となくアウストリが発動した能力が何であるかを悟った。
おそらく、あれは
「三百六十度完全迎撃システム」
攻めに回っていたアウストリが守りに入った──レイは、そう考えた。
「お見事。よくわかりましたね」
アウストリは微笑み、そして言った。
「次は、こちらから行かせていただきます」
ここで、既にレイは衝撃を受けていた。あの状態はおそらく、かなり緻密な風の操作が必要になっているはずだ。それを動きながら、できるものなのかどうか。先ほどの自分自身を加速するために風を使っていたのとはわけが違う。
「未来視」
レイは次に何が起きるのかという不安に耐えきれず、能力を使用した。そして、それをアウストリに感づかれる。
「目の光が強まりましたね。能力を使用した、それも目に関する能力、未来視。言っておきますが、無駄ですよ。未来をみたところであなたじゃ対処できません」
アウストリは言い切る。
レイはハッタリだと心の中で切り捨てる。
──『未来視』は最大三秒先までをみることができる。そして、それをアウストリはレイの能力の仕様を理解することにより完全に予測していた。
だから、これはなんのハッタリでもなく、
「は──」
アウストリが構えた瞬間にレイは避けることを諦め、防御の姿勢を取った。それは未来視で見た刀による攻撃。先ほどの攻撃を考えるに、レイは自分の前方の方に『強化』の能力も使用していた。さらに、その上にカウンターを仕掛ける。
完璧な作戦のはずだった。実際、『未来視』で防御に成功している自分の姿がなかった。
攻撃。
激しい衝撃を受けたレイはそれでもカウンターに余力があった。
どう考えても、レイの方が有利なはずだった。向こうは最高速度での全力の一撃を放っているのである。次の攻撃に対する動作はレイのカウンターに勝るはずがない──。
レイはその予測を外したわけではないと攻撃を受けたとき、感じた。そして、剣を振るった。
感触がない。
否──
「う──」
レイの右手首がなかった。
「終わり」
「召喚」
それは賭け。そして、まず、そこに思い至ったのはレイの天賦の才能とでも言うべきであった。
アウストリの攻撃が空中で止まった。そして、その隙に、
「転移」
レイは距離を取る。
「なるほど。頭が切れますなあ」
アウストリは感心する。
「あなたは能力を使用する際に能力名を唱えなければ使用することができない。けれども、その際、能力名を発しながら能力が発動し始めている──つまり、召喚を発声しながら、空間に物を召喚するためのスペースを生み出した。それが具体的なものの形を保ち始める前だったにも関わらず、それは物体として成立していた。それで私の攻撃を止め、その隙に、転移を使用し、距離を取ったと。なるほど。わかっていても、あの状況ですぐにそれを実行できるとは驚きましたね。やはり、あなたは強い」
続ける。
「そんなあなたを殺せば、私はあなたよりも強いことを証明できる。いくらこの場をしのげたと言っても、あなたは右手首を失った。あなたは回復しながら他の能力を使用できないんでしょう? 私の攻撃から逃れるために能力を使用し続ければ失血死。回復すれば私の攻撃にやられて死亡。これで、チェックメイトです」
アウストリは構えた。
「あ、そう。じゃあ、一つだけ言っておく。想定が甘い。転移」
レイは、言う。
そして、文字通り姿を消した。
「は?」
アウストリは辺りを見渡す。どれだけ目を凝らしても、レイの姿はない。見落とすはずがない。彼女は今、右手を失っているのだ。群衆の中に隠れているとは思えない。それならば、逃げたか?
いや──アウストリは結論を出すのを躊躇う。アウストリが発動した能力、『風神』はレイの予想した通り、完璧な防御。そして、極限まで集中力を高めた今のアウストリだからこそ発動できる能力の極地。特に、能力を発動しながらの移動は常に自分の移動速度に合わせた緻密な気圧の操作が求められる。決して集中を欠くわけにはいかない。そのために一刻も早く、解きたい能力ではあるが、相手が何をしてくるかわからない以上、それが自分の命を奪う決定打になる恐れがある。
レイが何を考えているのか、完全に読み切らなくてはならない。
どこかに隠れたのは間違いないだろう。
そして、レイには『風神』に多大なる集中力が必要なのはわかっているだろう。それならば、こちらの様子をどこかから伺い続け、右手を回復しながら、こちらに隙が生まれるのをじっと待っているのではないだろうか。
それならば、手は打てる。
隠れられる場所を消す──つまり、特に東城。
アウストリは己の風の能力で東城そのものを吹き飛ばすことを決めた。
集中力を高める。特大の威力になる。生半可なパワーでは吹き飛ばせない。
「今度こそ──」
そうアウストリが呟いた瞬間、彼女は呆気にとられた。
アウストリの周り三百六十度全体から氷の壁が出現したのである。
「なにこれ──」
そう呟きながらもそれが何であるかくらいはアウストリにもわかる。レイの能力。こちらが能力発動を行うのに合わせてこれを出現させたのである。やはり、こちらの様子が見えるところで、こちらの目が届かないところ──東城内に存在するのは間違いないだろう。
いや、違う。アウストリが呆気に取られているのはそのレイの行動の目的がわからないのである。
そうこう考えているうちに氷の壁はアウストリの周りを取り囲い、まるで監獄のようにアウストリを包み込んだ。
アウストリは当然、それを風で吹き飛ばし、破壊しようと試みるが、完全につながってしまったそれを風のみで、特に気圧の変化のみで吹き飛ばすのはリスクの方が大きいと判断し、そして、それがレイの狙いだと判断した。
つまり、レイはこれを吹き飛ばすために出現させる風の影響で一瞬『風神』がなくなるという可能性に賭けているのだろう。
そんな見え透いた賭けには乗らない。
アウストリは自らの蹴りで、氷を容易く砕いた。氷の破片は彼女の『風神』の影響で、アウストリとは反対の方向に吹き飛んでいく。そして、今度こそ──アウストリはその吹き飛んだ氷の破片、十分アウストリから距離を取っているため、あそこで風を発生させても『風神』には影響しない、それを東城を攻撃するのに転用した。
「吹っ飛べ」
「お前がな」
今度こそ、本当に呆気にとられた。
なぜ、言葉が返された。焦り──そして、それが狙いであることに気づいたのに一拍遅れた。
能力の発動中、『風神』が乱れる。いや、違う。風の反応が伝える、これはもはや能力が関係しない間合い──、その間合いですらアウストリには自信があった。それは、先ほどの事実に裏打ちされた自信、たとえ、『転移』で『風神』内に侵入されてもアウストリの方が攻撃は速い。アウストリの一挙手一投足全てに風による加速がかかっているからだ。その微妙な差、そこでの一撃は確かにレイの右手を吹き飛ばしたのだった。
その自信すらもレイによって、引き起こされたものだとしたら?
ありとあらゆる可能性、それら全てを考える。
「私の方が速い!」
アウストリは刀を振るう。確かな感触、今度は間違いなく、相手の身体を切り裂いた。そして、その直後に、目が事実を伝える。
「油断したな──違うな、油断せざるを得なかった」
次の瞬間には、レイの剣がアウストリの腹に深々と突き刺さっていた。
「さっき、勝ち誇ってポジショントークしていたからな、私もしていいか」
レイは、口から血を吐きながらこちらを睨みつけるアウストリに言う。
「お前、その『風神』とか言うの使うの初めてだっただろ。もし違ったら私は負けてただろうな」
「何が、言いたい」
アウストリはなぜ、そこから話が始まったのか訝しむ──それよりも、自分が切り裂いたものの正体を気にしていた。自分は間違いなく人間の体を切り裂いたはずだった、それなのに、レイは傷一つ負わずぴんぴんしている。
「確かに素晴らしい力だ。だが、代償が大きすぎる。お前のその能力、発動中、お前は常に酸欠状態になっているようだな」
「…………」
「自分で気づいてなかったのか? 極端な興奮状態だもんな、息苦しさも忘れる」
アウストリの能力の本質は気圧の操作。常に、アウストリから風が出ている状態になっている『風神』では特にアウストリは高気圧に晒される。つまり、アウストリは一時的な高山病状態になっていた。それにレイは気が付いた。
「お前はその能力を使えば使うほど酸素が回らず、身体は動きづらくなり、油断も多くなる。その状態で、私は姿を消している。考えなければならないことが増えれば増えるほどお前の体に限界が訪れていく」
そのための氷の壁──あれは、集中力を欠かせてそのうえでさらに辺りの温度を下げることにより、アウストリの身体を追い詰めるためのものだった。
「そして、そこに宿る少しの成功体験。お前は、自分に攻撃してきたものを切った瞬間に、緩んだ。その瞬間が私にとって最大のチャンスだった。お前が切ったそれ、東城の警備をしていた一般人だ」
アウストリはそこで初めて、自分の足元に滴る血が自分だけのものじゃないことに気が付いた。
つまり、『|転移《ワープ』してきたレイはまず、違う人間を押し当てることにより『風神』のセンサーに反応を引き起こさせて、それを反射神経で切ったアウストリを今度は自分で攻撃することにより仕留めたのである。
「そこまで、あの一瞬で思いついたのか」
アウストリは嘆息する。あの一瞬──右手を切られた直後のことだった。あの時点で、アウストリは精神的優位はとれていると思っていた。
「修羅場を潜り抜けてきた数が違うんでね。今回は特にとびきり強いのだけど」
レイは笑った。
「ただ、アウストリお前は強い。間違いない」
その言葉にアウストリは──
「じゃ、じゃあ、レイ! 私を生き残らせてくだ、さい。私はレイの味方をしよう」
かみついた。
「私も、能力者たちには思うところがあるんです。だから、お願いします。私を仲間にしてください」
それはつまるところ、命乞いだった。そして、これにアウストリは嘘をついているわけではなかった。本当に、レイの仲間になろうというのだ。
「ふーん」
アウストリはよくわからない反応をしたレイを見上げた。そして、震えた。今までに見たことのないほど凄惨な笑みだった。
「いいよ、仲間にしてあげる」
レイは言う。
その迫力に怯えながらも、アウストリは安堵した。生き残った。その矢先、
「でも、お前の意思はいらない」
どこまでも冷たい一言にアウストリは表情を凍り付かせた。
「操作」
能力が発動する。
「ダメだよ。敵にそこまで屈しちゃあ」
レイは笑った。もはや声すら上げない群衆の中心でただ一人、声を上げて笑った。