第七話 風
アウストリはその能力を一切使わずしてあっという間に距離を詰めてきた。軽々と振るわれる刀での一撃をレイはその剣で受け止める。が、
「いっ……!」
重い。膝が曲がり、そのまま、倒れこみそうになるのを剣をスライドさせて衝撃を流すことで逃れ、一旦距離をとる。
「やはり、実力は本物のようですね」
アウストリが笑う。
「能力も使わないで、舐めてんのか?」
言いながら考える。
この速度での攻撃。そもそも能力以前に、この女の運動能力は一般人を遥かに凌駕している。決闘方式をとるのも、白兵戦に自信があるからだ。
ならば、わざわざ同じフィールドで戦う必要なんてない。
「氷の弾丸!」
レイは左手を前に突き出し、叫ぶ。瞬間、掌に痛みが走った。肌を貫通して、氷が飛びだしているのだ。だが、もはやそれ如きで動揺するレイではない。
猛スピードで射出された氷の塊はアウストリにいとも簡単に叩き落される。それどころから、叩き落しながら、こちらへと走り出した。
だが、当てることが目的ではない。
「転移」
視界を半分奪われたアウストリが果たして『転移』に対応できるのか。それをレイは試したかったのだ。前からの攻撃と後ろからの同時攻撃。
「暴風」
レイの剣撃はアウストリに届かなかった。あまりにも簡単にレイは吹き飛ばされてしまう。
通常時ならその攻撃を受けてもまだどうにかはなっただろう。しかし、今回は話が違う。能力発動直後による平衡感覚の消失。そこで風に吹き飛ばされたレイにどちらが地面かを判断する力は失われていた。
そのまま、受け身を取ることなく、地面に落下し、身体が痺れる。さらに、追撃が来る。
「随分と上手に能力を使いますなあ」
さらに強く振り下ろされた刀をすんでのところで剣で受け止めるが、純粋な力勝負にレイは負けていた。
「強化!」
レイは叫び、能力を発動する。力が強まるが、それでも互角。
なぜ、力がこれほどまでに違う。その疑問に答えを出している暇はない。兎にも角にも、今をしのぐしかない。
「転移!」
その場を逃れ、距離を取る。
二度の能力使用により、ふらつく。そして、気づく。
今のレイでは、力をこめるベクトルが定まっていない。平衡感覚を失ったレイでは力が分散してしまう。それに対して、常に百パーセントの力を使えるアウストリだ。当然、力負けするのも納得だ。
だが、それがわかって、何が起こるというのだ。
「手加減なんぞやめましょうね」
アウストリは呟くと、風が起こり始めた。
「私は私の能力を誰よりも理解しています。風を何よりも繊細に扱えます」
アウストリは左足を引く。
「私は私を加速させる」
理解よりも先に本能がそうさせた。
「未来視」
それは二秒先の事態、首から血を噴き出す己。
片手剣を首の前に構えた。
刹那、信じられないほどの衝撃が広場を支配した。巻き起こった風が群衆の一部を吹き飛ばし、悲鳴が上がる。地面に生えていた草花は跡形もなく吹き飛び、何が起こったかもわからぬまま、地面の中に潜んでいた虫はその命を終えた。
その爆心地にいたはずのレイは気づけば遠くに吹き飛ばされ、城壁に激突していた。
剣は半分ほど欠けている。
城壁にめり込むほどの攻撃を受けたレイは体中の震えが止まらず、城壁の破片か体に突き刺さり、いたるところから血を流してはいるが、一応は意識を保っていた。
とりあえず、『回復』を発動しながら、混濁とした意識を立て直していく。
「ほう、元気いっぱいですねえ」
視界に、大きく脚が飛び込んできていた。それをもろに顔面に食らい、またもやレイは吹き飛ばされて、今度は地面に激突する。
話が違う。
こと白兵戦においてこの女に敵う人間がいるのだろうか。正々堂々戦ってどうにかなる相手じゃない。老いたフリームスルスじゃ比較にもならないし、彼女を『雑魚狩りの女王』だなんて呼んだスルトとて、勝てるとは思えない。
「違うな」
レイは切れ切れの意識で呟く。とんでもない速度でこちらへととどめの一撃を放とうとするアウストリの姿を視界の端に捉えながら、レイは考えていた。
おそらく、向こうの頭のキレはこちらよりも数段上だ。今、見せた能力たちを組み合わせただけでは勝てない。
じゃあどうする。
この戦いは始まったばかりではない。
「お姉さん、アウストリはお姉さんが能力者であるという確信は持っていません」
「え?」
アウストリと別れたあと、宿に向かったレイとノゾミは作戦会議を開いていた。
「まあ『雑魚狩りの女王』ですからね、虚勢を張っているんでしょう。殺意を察知する能力は高くても、それだけで相手の素性を把握するのは無理でしょうからね。当然、相手の実力も。アウストリはあの状態で戦闘を始めたときにどちらが勝つかはわからなかったのでしょう。彼女は強いことを相手に見せつけるのが好きですが、自分の実力はよくわかっていますからね」
「はあ」
ノゾミの心を読む能力。当然、あの状態でもそれを発動していただろうとは思っていたが。
「ですから、余裕そうなふりをして威圧したかったんでしょうね。そして、有利な対戦に持ち込もうとした。つまり、練れる策などたかが知れている白兵戦です」
と、そこまで喋ってからノゾミが一拍置く。
「こういうやつが一番嫌なのはなんだと思います? 相手が余裕を見せることです」
ノゾミは言い切った。
「その程度かよ! 女王様!」
レイは立ち上がり、不敵に笑った。
その刹那、アウストリの気が一瞬、ぶれた。
「火柱!」
レイは地面に手を付け、叫んだ。
その手のひらから現れた炎は地面を伝い、場を埋め尽くす。そして、真上に噴き出した。
まさに火柱が無数に現れたのである。
大衆からどよめきの声があがる。それは、単純に火柱が現れたという衝撃に起因するものではない。それは、アウストリの身に起こった出来事によるものだった。
噴きあがった火柱はアウストリの起こしている風に巻き込まれ、向きを変えた。
そう、アウストリは自分の進行方向に風を吹かしているのである。つまり、アウストリの近くに起こった火柱は全て、アウストリの方へと進行方向を変えた。
レイにとって、『火炎』の能力は良いイメージがない。前回のフリームスルスとの戦いで、自らの起こした炎によって大きなダメージを受けたからだ。
しかし、同時にこの能力はアウストリに刺さるのも理解していた。
だからこその切り札。否、これは一撃で戦局を覆す決定打。
「誰が、その程度だって?」
それはまやかし。
雑魚狩りの女王などと呼ぶほとんどの人間は、事実、彼女、アウストリが追い詰められている現場を見たことがなかった。彼女は危険な目にあいたくないだけ。精神的余裕を保ちたいだけ。
だから、彼女が危機的状況に陥ったときの力を、彼女自身を含めて、誰も知らなかった。
レイは見た。
炎を体に纏いながら、突撃してくるアウストリの姿を。
重たい一撃がレイを襲う。それだけならまだよかった。
アウストリはレイの能力を逆手に取った。レイの起こした炎をアウストリは自分の風によって、レイにぶつけたのである。
「転移!」
一旦、距離を取る。
炎は風によって、消されていた。
「レイさん。褒めて差し上げましょう。あなたの精神力についてです。そんなボロボロな状態でその程度なんて言葉をよくもまあ吐けましたね」
「全身火だるまの女には言われたくないんだけど」
戦局は、五分五分である。
アウストリは東都の田舎に生まれた。ひたすら上から搾取されるだけの最低層階級で突如として生まれた『天才』は生後一年で王都へと引っ越し、この国ならず、最後には世界を支配する王としての教育と武を仕込まれた。
当然のように周りは彼女をもてはやした。その期待に応え、十歳のころには既に歴代の風使いでは最強とも呼ばれるようになっていた。
そんなアウストリであったので、彼女がまるで自分が世界の中心であるかのように錯覚したのは言うまでもないだろう。アウストリは当時は自分以外の全ての人間が下位の存在であると思っていたのだ。
しかし、その錯覚は十二のころに崩れ去る。
彼女は、真のこの世界の中心を知ってしまったのである。
アウストリは初めて二十人の能力者たちが集められる会議に参加した。そして、その王座の間にて、ただ一人王座に腰かける人間の姿を目にした。
そんな存在は知らされていなかった。もっと言えば、そんな存在は能力者たちしか知らない。このディアリーという国における真の王、『管理者』と呼ばれる王の姿を目にしたとき、アウストリはその存在を否定したくなった。けれども、彼女の武の才能が、強く危険信号を発したのである。目の前の人間には逆らってはいけないのだと、目の前の人間はこちらの生死を、その他人生の全てを支配してしまえるほどの力を有しているのだと。
十九人の能力者は『管理者』に跪いた。そして、それは会議とは名ばかりのもので、ただひたすらに『管理者』の言うことに従うだけの時間であった。
それから二年が過ぎ、十四になったころにはアウストリは戦場を経験した。
それは思春期の少女が経験するにはあまりに凄惨な現場だった。
人と人が殺しあう姿を、そして、それをまるで人ならざる者のように蹂躙する能力者の姿を見て、アウストリはただ漠然とした恐怖心を抱いた。彼女の知る『武』とは殺しあうためのものではなかった。ただただ、彼女は称賛されたかった。それに殺人は、人の人生を完全に奪い去ってしまうような行為は含まれていなかったのだ。
考えてはいけない。
思い至った。人の命を奪ってしまうという行為から目を背けていたかった。
だから、何も考えず、何度も何度も何度も、まるで蟻を潰すみたいに兵を狩り続けた。まるで、遊戯のように、それは現実離れした妄想の世界のように、スコアを挙げて称賛されるそんな戦いを続けた彼女についたあだ名が『雑魚狩りの女王』。
自分をそう呼ぶ人間の存在を聞いて、アウストリは自分の自尊心を保つためにくだらない妄想を始めるようになった。
能力者たちをどうやったら殺せるのか。
自分が最強であるというのを示すために。そんなことをする度胸などないのに。
率直に言うと、驚いた。アウストリはレイのことを侮ってはいなかったがまさか、スルトを殺してしまえるほどの実力者ではないと思っていたのだ。十中八九レイの能力は殺した相手の能力を奪う能力で確定だろう。では、既に死亡報告が出ている能力者の能力は使えるはず。そして、今見せた炎の能力と氷の能力。そして、転移の能力。これ以外に知らない能力も使えると考えるべきだろうか。
アウストリは考える。
とはいっても、向こうに余裕はなさそうだった。それすらもブラフの可能性はあるものの、あと一発で殺せるところまで追い詰めた感覚はあった。
アウストリは思う。
もはや殺すという行為に恐怖を抱いていなかった。というより、目の前の女を殺して、スルトやフリームスルスすら負けてしまった相手を殺して、真の実力者として持ち上げられる未来への希望が勝っていた。
アウストリの集中力は極限まで高められていた。その能力で、アウストリは今なら思い描いた全てを実現できると確信していた。
空気を掴む。全て操作しきれる。
「レイさん。あなたは神を見たことがありますか」
問いかける。
「……何を言い始めて」
レイは首を傾げた。だが、その瞳は揺ぎ無くアウストリを見つめている。おそらく、どんな予備動作でさえも気取られて何をするかを読まれてしまうのだろう。だが、読まれても──アウストリは思う。対応させなければいいだけの話だ。
「私は神になりたい。馬鹿げた話と思うかもしれません。けれど、レイさん。私は今なら、近づけるような気がするんです」
もう一度、アウストリは空気を掴んだ。
「おそらく、これは私の能力の極地です」
こと風だけに目を向ければその能力のてっぺんに立てた、それはつまりその、風の神になれたということじゃないだろうか。
「風神」
アウストリは呟いた。
瞬間、空気がざわめいた。